第二十二話 たった一つの人間性
船上を駆け抜けるジア。
疾駆する肉体は稲妻のように、カラヤシキへと襲いかかる。
「舐めるなよ」
迎え撃つは極彩色の液体群。
鞭のようにしなる虹色の水が、迫り来るジアに肉薄する。
(逃げ場が無い。避け切れねぇ。避け切れねぇ――――だけだろうが!)
コンマ数秒の後、自分の体を抉るだろう虹色の槍の群れに、ジアは臆さずに突っ込んでいく。
回避行動は最小限に。ある程度の負傷は覚悟の上。肉体の表面を削っていく極彩色に、ジアは全く怯まない。
流血と共に駆け抜けた五メートル。
渾身の力を込めて打ち込んだ拳。
しかし、カラヤシキは右の掌をジアの腕に当て、繰り出される拳の軌道を逸らす。素早い足払いでジアの体勢を崩しつつ、左の掌を顔面に打ち込む。
それは柔術。
ジアが突っ込んでくる勢いを逆に利用し、カラヤシキは彼女を側方に投げ飛ばした。
「人の死を悼む理性など、貴方には残っていないでしょう。何かを望むも、欲するも、貴方はジア・エルマという人間の残滓をなぞっているに過ぎない。貴方自身が求めるものがあるとすれば、生存本能に訴えかける殺し合いしかあり得ない」
甲板を転がるジアに向けて、カラヤシキは追撃の陰陽術を撃ち放つ。
幾つもの虹色の水が、流動する槍と化してジアを追尾する。
獲物を狙う蛇のように這い寄る水槍を、ジアは床を蹴って回避する。
「とっくに人の理を外れた怪物が、何故ヒトという形に縋ろうとするのです?」
再び床を蹴って、カラヤシキへと攻め込んで行くジア。
対するカラヤシキは、虹化粧により予め格納していた生物を解放する。
それは牛。虹化粧による生体変化で、肉体に強化を、精神に狂化を施された猛牛は、一直線にジアへと突撃する。
尋常ならざる馬力で突っ込んで来た猛牛を、ジアはその角を両腕で掴んで正面から受け止める。
猛牛の勢いに押されて、ジアは後方へと押し戻されていく。
甲板と靴裏の摩擦熱で、小さく火花が散った。
「愛などという安い言葉で着飾った、醜い欲望の連鎖。その外側に立てたはずの貴方が、敢えてその内に踏み入ろうとするのは、如何なる理由の蛮行か」
猛牛自身の骨格が耐えられぬほどの力で、ジアを押し込む牛。
その圧力を押し返そうと踏ん張るジアだったが、あっという間に船の縁にまで押し込まれた。
あと一押しで海に落とされるという位置で、ジアは猛牛の突進を受け止めていた。
「答えなさい、心臓移植者。それが貴方の遺言だ」
ダメ押しとばかりに、極彩色の液体が放たれる。
虹色の水槍は三方向からジアに迫り、その肉体を貫かんとする。
瞬間、青緑色の光が弾ける。
ジアが全身から放出した魔力は、雷となって弾け、猛牛諸共、迫り来る極彩色の液体さえも蒸発させた。
「踏み入らないと、分かんねぇだろ。一生」
迸った魔力は、青緑色の閃光として彼女を包む。
心臓の鼓動が高らかに鳴り響き、青緑色の光体を全身に纏う少女は、その眼光を以てカラヤシキを射殺す。
「オレは知りたい。分かりたい。リーニア達のこと、カヤのこと、ユヒナのこと。あいつらが持ってる欲望が何なのか理解りたい」
鳴動する身体は、空を裂き大地を穿つ雷と同義。
心臓から絶えず供給される魔力は、雷光と化して迸っている。
その出力は、かつてアメツチを震撼させた怪物、鵺と同等。
少女の髪は、完全に青緑色に染まっていた。
「醜いからって遠ざけたりしない。汚いからって否定しない。それが今、オレにある唯一の人間性だ」
皮肉にも、それは心臓移植者としての完全覚醒だった。
身体が完全に怪物のそれと成った少女は、自身の人間性を口にする。
かつて人間だった頃に思い描いた「善」をなぞるだけの機構ではなく、本能のままに殺し合いを望むのでもなく、人の醜さを理解したいと願う精神。
ひたすらに「善」をなぞる透明も、何の理屈も無く血沸き肉躍る殺し合いを是とする自由も、今のジアにはきっと要らない。
彼を、彼らを分かりたいという人間性が、今のジアを突き動かす。
「だから、お前に勝つぜ。カラヤシキ」
雨の中、駆け出したジアの速度は、雷が落ちるそれとほぼ同速度。
駆け抜けた稲妻はカラヤシキとの間合いを刹那で潰す。そのまま叩き込んだ拳は、目も眩むような閃光を迸らせる。
(速い! 防御を――――)
致命の一撃になるかと思われた雷撃。
カラヤシキは瞬時に虹化粧を起動して、固有空間から生体変化を施したアルマジロを取り出しクッションとする。
さらにインパクトの瞬間に後方へ跳躍し、ダメージを最小限に抑える。
そこまでして尚、ジアの拳はアルマジロを消し炭にし、カラヤシキの胴に浅くない傷を刻んだ。
(一撃の威力が尋常ではない。まともに受ければ即死は必至。その上、見てからでは避けられぬような速さときた。……心臓移植者の完全覚醒。中々に凶悪な性能をしている)
トントンと軽いジャンプを繰り返し、ジアは自身の調子を確認する。
軽く跳んだ後、ぎゅっと握った拳を見下ろしてから、今しがた殴り飛ばしたカラヤシキに視線を戻す。
その目は「絶好調」と言わんばかり。
「なるほど。なりふり構っていられる状況ではないようだ」
心臓移植者として完全に覚醒したジア。
その凄まじいまでの戦闘能力に、カラヤシキは思考を切り替える。
ここが山場だと。この戦いの決着が、千年に渡って組み立てた計画の趨勢を決めるのだと。
「虹化粧・贄戯」
カラヤシキは自らの頭上に掌をかざし、そこから溢れさせた極彩色の液体を頭から被る。
虹色の水を全身に浴びるカラヤシキの姿は、酒を飲み干しているようにも見えた。
パキリと音を立て、山羊の面が割れる。面が砕けて露わになった素顔は、ユヒナにも劣らない美形であった。
色白の肌に整った目鼻立ち。瞳は宝石のように美しく、髪は絹のような光沢を纏う。
耳は逆三角形に尖っていた。
「エルフ、だったのか……?」
その姿を見たジアが零す。
「大陸では、そう呼ばれているそうですね」
カラヤシキの肉体に起こった変化は、種族など忘れさせるほど劇的なものだった。
瞳は絵の具を掻き混ぜたような極彩色に染まり、白い肌には刺青のような紋様が浮かび上がる。
虹色の男は異様な雰囲気を纏って、静かに雨粒を浴びていた。
「さあ、始めましょうか。ジア・エルマ」
カラヤシキが行ったのは、自分自身への生体変化。
ツバキハラの兵や諸々の動物に施した、無理な強化と狂化ではなく、肉体を最適な形に作り替える秘術。
「我が千年の結末を。――――貴方と私の決着を」
千年に渡り陰陽術を極め上げた男の最終形態。
相対するは心臓移植者として完全に覚醒した怪物の少女。
化け物達の決戦の場となりながらも、アメツチを目指し続けてきた大型船。
アメツチの岸が、見え始めていた。




