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怪物の君へ  作者: 讀茸


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第十九話 欲望の忠臣達

 船内、瓦礫で不安定な足場をものともせず、ジアは船室を駆ける。

 広い船室。しかし、ジアの機動力を活かすには狭く、夜織が放つ無音の斬撃を避けるにはスペースが足りない。

 先手を打って駆け出したジアは、雷撃を纏う拳で六郎丸に殴りかかる。

 バチン、という強烈な電撃音と共に、ジアの拳が六郎丸の太刀に激突した。


「言っとくが、俺は夜織みてぇに考えちゃいねぇぜ。天之宮結雛は、俺達の計画(欲望)を満たすために必要な道具だ。それ以上でも以下でもねぇ」

「そうかよ。分かりやすくて助かる……ぜっ!」


 皮肉交じりの返答と共に、ジアは六郎丸の腹に蹴りを叩き込む。

 腹に魔力を集中させて致命傷を防いだ六郎丸だが、蹴りの威力によって吹き飛ばされ、壁を突き破って廊下に出される。


「死ぃいいねぇええ――――ッ!」


 視界の端、藍色の着物が揺れる。

 直後、走った三条の斬撃。夜織が放った三つの斬撃が、船内の壁を粉砕する。

 間一髪で躱した斬撃の余波が、遅れる風切り音と共にジアの肌を撫でた。

 青緑色の双眸は、夜織が振るう刀の軌道を追っていた。


(この女、今、見てから……)


 それは、怒りに染まった夜織の思考に水を差すほどの事態。

 椿原夜織の剣が、この近距離で完全に回避されたなど、一体誰が信じるだろう。


「ふざけるなよッ!」


 そんな現実は認められないとばかりに、夜織は刀を振り回す。

 次々と放たれる無音の斬撃。本来、必中にして必殺となるはずの斬撃の嵐。

 しかし、ジアはその全てを体捌きで避ける。

 人外じみた反射神経と身体能力が可能とする超反応。優れた動体視力で以て刀の軌道を完全に捉え、桁違いの運動能力で回避を間に合わせる。

 ドクンドクンと高鳴る心臓は、魔力出力をさらに上昇させていく。


(見える。こいつの刀も目で追える。反応できる。躱せる。攻撃を……捻じ込める!)


 斬撃と斬撃の合間を縫って、夜織の懐に飛び込んだジア。

 踏み込みの勢いもそのままに、鮮やかな肘撃ちを夜織の平たい胸に叩き込む。

 肋骨に罅が入る音。

 確かな手応えと共に、ジアは夜織を弾き飛ばした。

 夜織は船室の壁を砕きながら廊下へと弾き出され、頭から瓦礫の雨を浴びる。


「このっ、卑しい簒奪者がっ……!」


 嫉妬にも似た憎悪を滾らせて、瓦礫を押し退けた夜織。

 立ち上がる前にトドメを刺すべく走り出したジアの疾走は、振り下ろされる六郎丸の太刀に阻まれる。

 走り込んで来たジアの脳天を割るかと思われた太刀だったが、急停止したジアの前髪を数本刻むに留まる。

 振り切った太刀は床に食い込んでいた。

 六郎丸が床に刺さった太刀を引き抜くのかかる時間は、一秒か、もっと短い刹那の内か。

 どうであれ、瞬きの間でも得物を失った六郎丸に、ジアの拳が雷を伴って迫る。


「おらぁッ!」


 ジアの横っ面に六郎丸のクロスカウンターが炸裂する。

 六郎丸は太刀を手放し、素手の拳にてジアを迎撃しにかかった。


「武器が無きゃ、何もできねぇとでも思ったか?」


 剣術のみを極め上げた夜織とは違い、六郎丸は得物を選ばない。

 その気になれば、弓も槍も斧も使える。最も得意なのが太刀であるというだけの話だ。

 大抵の戦闘技法は、恵まれた体格とセンスでどうとでもなるのだ。

 無論、そこには徒手空拳も含まれる。


「できねぇよ、オレの前じゃな」


 見上げる巨体から打ち出される六郎丸の拳。

 丸太が降って来たと錯覚するような重く太い一撃を、ジアは自らも拳で以て打ち返す。

 土砂降りにも思える拳の雨を、ジアは雷撃を纏う両の拳で打ち返し続ける。

 目にも留まらぬ連打の応酬。

 打撃と雷撃が何度も衝突し、幾重にも火花を散らす。拳と拳がぶつかり合う音は、大量の爆竹に点火したようだった。


(上げろ。もっと上げろ。威力を、速度を、出力を!)


 ジアの心臓が脈動する。

 ドクンドクンと脈を打つ鼓動は、そのペースを加速度的に上げていく。

 早鐘を打つ心臓に応じて、ジアの連打がスピードを上げていく。

 より速く、より強く、より重く。


(なんだ、こいつ、どんどん速くなって……)


 雷撃が全身を駆け巡る。堰を切ったダムの如き勢いで溢れる魔力を、余すことなく拳に乗せる。

 心臓と共鳴する肉体。鳴動する全身は自然と青緑色の稲妻を纏う。

 髪がさらに青緑色に染まったなど、少しも気付かない。

 ただ、鳴動する躰が叫ぶままに、雷撃を拳に乗せて放ち続ける。


(マズい! 追いつけ、ねぇ――――)


 バチン! と一際激しい電撃音。

 大きく弾かれた六郎丸の両腕。

 弾き上げられた両腕は、胴体という急所を守れない。


「死に晒せ――――ッ!」


 迸る青緑色の閃光。

 残存魔力のほとんどを胸への防御に回した六郎丸の足掻きを嗤うように、ジアの拳は彼の胴体に風穴を空けた。

 心臓を含む臓器のほとんどを消し飛ばされ、六郎丸は仰向けに倒れる。


「ふざ、けんなっ……俺が、こんな所で、クソ……! クソがっ、この、クソ、ガキがぁ……!」


 僅か数秒の余命に、六郎丸は怨嗟の言葉を遺す。

 どこまでも、欲望に忠実な男だった。

 己の欲望を満たすためには合理的に動き、他者を犯すことも厭わない。

 最期には、自分を殺めた者への恨み言を吐いて消えていく。


「クソはお前だ」


 死にゆく男に侮蔑の言葉を投げかけ、ジアは未だ残る夜織への意識を傾ける。

 とうに立ち上がった夜織は、そっと居合の構えを取る。藍色の着物を纏って構える居合は、美しさを感じるほどに洗練されていた。

 切れ長の瞳がジアを睨む。「次で決める」という殺意と覚悟が、その眼差しには滲んでいた。


(あの女、反応速度が尻上がりに良くなってる。次に私の刀が避けられれば、確実にカウンターを決められる。居合を外せば負け。次の一撃に全てを乗せる)


 チリ、と緊張感が肌を刺す。

 無言で居合の構えを取ったまま、集中力を高めていく夜織。

 その並々ならぬ集中力に、ジアも拳を構え直す。

 つい先刻まで戦闘音に溢れていた船内が、束の間の静寂に染まる。

 そして、刹那。

 放たれたのは夜織の居合術でもなく、ジアの拳でもなく――――


「あ、が……」


 鳴動する少女の魔力放出。

 ジアは全身に漲る魔力に指向性を持たせて撃ち出しただけ。

 それは到底魔術とは呼べぬ、ただ魔力をぶつけただけの、こけおどしにもならない児戯のはずだった。

 鵺の心臓が、下らぬ児戯を雷魔術の真似事へと昇華させる。

 指向性を持って放たれた魔力は、その桁外れた出力と雷の性質により、青緑色の稲妻と化す。

 稲妻が夜織の胸に突き刺さり、電流がその全身を走り抜ける。

 夜織とて魔力で身体を強化している。

 傷は浅かった。受けた影響と言えば――――


(体が、痺れて……っ!)


 ほんの一瞬、痺れた肉体。

 一秒にも満たない痺れ。一瞬の内に治るはずだった麻痺。時間があと一秒過ぎ去るだけで、消え去るはずだった僅かな電気ショック。

 彼女には一秒後など訪れないと、目前に迫ったジアの拳が告げていた。

 夜織の視界をいっぱいに満たす雷光。青緑色の稲光が目に映る全てを満たしたかと思えば、夜織は船の外を舞っていた。

 遅れて痛みがやってくる。殴り飛ばされた衝撃で壁を突き破り、船の外にまで吹き飛ばされたのだと、折れた肋骨が教えてくれた。

 ぼしゃんと音を立てて海に落ちる。

 泳げるほどの余力など、彼女には残っていなかった。


(あ、死ぬんだ。私……)


 ゆっくりと沈んでいく意識と身体。

 海水の冷たさに身を浸しながら、夜織は一人の少年の顔を思い浮かべていた。


 ――――えっと、大丈夫です。これが、仕事っていうか、役目みたいなものだから……


 きっかけは些細なものだった。

 ストレスを発散したかったという、ただそれだけの下らない動機。

 頭のおかしい老人共と剣の修行をするのに、心身共に疲弊し切っていて、何でも良いから癒しが欲しかった。

 そこで、皇族の美少年に手を出して良いのだと言うものだから、虫のように飛びついただけ。


 ――――大変なんですね。僕なんかは温室育ちだから……少し憧れちゃうかも……


 夜織がユヒナに依存するまで、そう時間はかからなかった。

 情欲も劣情も曝け出して、醜い欲望をぶつけられることが、こんなにも幸福なのだと知った。

 普段が剣に生きる武人として知られていただけに、夜織がユヒナの部屋に通い詰めていることは、すぐに家で噂になった。

 二十も過ぎて少年趣味の変態だと、家のあちこちで噂になった。

 そのストレスでさえも、少年との甘い夜は忘れさせてくれた。

 その一方的な欲望の発露が、椿原夜織という女の全てだった。


(なんで、逃がしたんだっけ)


 二年前、ユヒナのツバキハラ家逃亡を促したのは夜織だ。

 一から十まで六郎丸の言う通り。警備担当は他でもない夜織本人。林までユヒナを連れて行くのに、大した苦労はかからなかった。


(そうだ。ユヒナ様が、他の女と寝るのが嫌で……)


 ふと、嫌になってしまったのだ。

 あの少年が自分以外の女とも寝ているという事実に耐え切れなくなってしまった。

 そんな衝動に身を任せて、夜織はユヒナをツバキハラ家から逃がした。

 ツバキハラ家からの脱走さえ、ユヒナの人生は他者の欲望に起因するものだったのは、彼の本質をよく表している。


(ああ、最、悪……)


 藍色の着物を纏ったまま、女は海の底に沈んでいく。

 欲望の対象を独占できない現実への怨嗟を胸に、椿原夜織は水底にて死にゆく。

 彼女もまた、どこまでも欲望に忠実な女であった。

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