第十八話 第二ラウンド
船上、十数の式神が空を覆う中、カラヤシキは崩落した甲板の一部を横目に見ながら、戦況を分析していた。
(あの女剣士、かなり勝利を急いている。男の方は冷静な性だったはずだが、あの調子で斬撃を放ち続ければ船が沈みかねないか? いや、既にアメツチはかなり近いはずだ。この船も海戦に備えて頑丈には作った。上陸までは耐えてくれるだろう)
夜織の向う見ずな戦闘に、カラヤシキは一瞬だけ船の沈没を懸念する。
しかし、船の構造を鑑み、その可能性は低いと切り捨てる。
次にカラヤシキが目を向けたのは、船上で戦闘を繰り広げる数多の式神とツバキハラの兵。
(さて、こちらは中々厳しいな。前衛は一人死に、二人は心臓移植者の相手。ここには弓使いと術師のみ。あの術師とやり合うには、些か足りない)
弓使いの男は上空の式神に向けて矢を射るが、効果が得られているようには見えない。
術師の老婆が唱える陰陽術は、何体か式神を撃ち落としてはいるようだが、これだけの数の前には焼け石に水だろう。
むしろ、襲い来る式神の群れに、少しずつ体力と集中力を削られているようだ。
(あれを着地させたくはない)
一度に使える陰陽術は一種類のみ。
カヤがここまで式神だけで戦っているのは、自身の移動に式神の存在が必須だから。
カヤが船上に着地した瞬間、その縛りは無くなる。
カラヤシキはカヤに式神以外の陰陽術を使わせないために、カヤを船に着地させないまま封殺することを戦闘の第一方針と決めた。
紙の鳥の群れを操るカヤもまた、一段と高い位置を飛ぶ式神に乗り、戦況を俯瞰して見渡す。
カラヤシキとカヤ。スローペースに戦況を把握する両者の視線が、天と地を繋ぐように交わった。
「少し、動かすか」
様子見のフェーズは終えたとばかりに、カラヤシキは陰陽術を起動。
白く長い指先から、極彩色の液体が溢れ出す。それは虹色の水。数多の陰陽術を極めたカラヤシキが、メインウェポンとして使用する術。
その名を虹化粧。
生物に干渉する極彩色の液体を自在に操る陰陽術である。
カラヤシキの指先から溢れた液体は、槍のような細長い形状を取って、上空のカヤへと襲いかかる。
「仕掛けてきましたね」
カヤは鳥の式神を操り、これを回避。
しかし、極彩色の水槍は空中で軌道を変え、その穂先は紙の鳥に乗って飛ぶカヤを追尾する。
「そう簡単には躱せませんか」
ホーミング性の水槍を見て、カヤは式神の飛行速度を急上昇。
急降下の急旋回を繰り返し、追って来る極彩色の槍を引き離しにかかる。
激しい旋回を繰り返しながら、一気に高度を下げるカヤ。海面スレスレを飛びながら、今もアメツチを目指す船の周囲を飛び回る。
カヤを狙う極彩色の水槍達も、海面の上を滑るように、飛沫を上げながら紙の鳥を追う。
そして、カヤがカラヤシキの横を通り過ぎる瞬間――――
「ガラ空きですよ」
カヤがカラヤシキに向かって突き出した左手。
そこを起点に巻き起こった紙吹雪は、一瞬にして鳥の形に組み上げられ、式神として成立する。
刹那の内に作り上げた式神を、カヤは躊躇無くカラヤシキに突撃させる。
カラヤシキの胴体に直撃するかと思われた紙の鳥。
しかし、カラヤシキは美しいまでに流麗な掌底で、肉薄する式神の頭を潰して見せた。
「どこが空いていると?」
カラヤシキの強さは陰陽術のみに非ず。
その体術においても、彼の技量は常人以上のものを誇る。
故に、その総合力を上回ったカヤの戦略は、常人以上という言葉さえ不足に過ぎる。
「兄上が」
カラヤシキの背後に回り込ませていた式神。
紙の鳥はカラヤシキの隣に立っていたユヒナに急接近。その嘴で襟元を咥え、彼の軽い身体を持ち上げて飛び去る。
「っ!」
カラヤシキはカヤへの攻撃を中断し、極彩色の液体でユヒナを掻っ攫おうとした式神を攻撃。
即座に展開された虹の水槍は、あっという間に紙の鳥を滅多刺しにする。
手放されて落ちるユヒナを、カラヤシキは極彩色の液体で掴み、自分の下に手繰り寄せる。
ユヒナという計画に不可欠なファクターを取り戻し、ほんの一瞬安堵に緩んだカラヤシキの緊張。その隙間を縫うように、トンという音が鳴った。
それは、ただの足音。
式神の背から飛び降りたカヤが、船の甲板に着地した音だった。
「つくづく、厄介な……!」
船上に降り立ったカヤ。
既にカヤは式神の操作を手放し、新しく陰陽術を起動させていた。
ツバキハラの兵が矢を放つより早く、迎撃の術を撃つよりも速く、カヤはそれを解き放つ。
「どうぞ御照覧あれ。私の最大火力でございます」
撃ち放つは紙の嵐。
カヤの魔力が込められた紙は、一枚一枚が斬鉄剣にも等しい切れ味を誇る刃。
それらを大量に展開し、嵐の如く吹き荒れる風に乗せて放つ。
吹き荒れる紙吹雪は、広範囲を薙ぎ払う斬撃の雨。
狭い船上では避けようのない、必中の陰陽術であった。
「最大火力とは、巫山戯たことを」
カラヤシキを襲った紙吹雪。
回避の能わない斬撃の雨を、カラヤシキは極彩色の液体を盾にしてやり過ごした。
虹色の水は円形の盾と化し、カラヤシキの体を無傷に保つ。紙の斬撃に晒さぬよう、しっかり抱き寄せたユヒナにも傷一つ無かった。
カラヤシキが防御を回さなかったツバキハラの兵二人だけが、全身を切り刻まれている。
「実の兄に向って必殺の術を撃つものか。どうやら、私にユヒナ様を格納させたいらしいな、カヤ・アマノミヤ。――――一体、どんな爆弾を隠し持っているのやら」
カラヤシキの陰陽術は、哺乳類に限り、生物を特殊な空間に格納できる。
無論、格納できる生物の数と質量には制限があり、魔力消費も大きいが、それでもかなり使い勝手の良い術だ。
ユヒナが計画に必要不可欠なカラヤシキにとって、彼を安全な空間に格納するのは得策のように見える。
だが、それこそがカヤの罠ではないかと、カラヤシキは警戒していた。
ユヒナを殺してはいけないのはカヤも同じこと。カラヤシキがユヒナを格納すれば、カヤはユヒナを巻き込むことを恐れて使えなかった強力な切り札を使ってくるかもしれない。
「十二の子供に斯様な術が使えると?」
「あれだけの式神を操っておいて、よく言う。……私に言わせれば、かけた時間など指標にもならない。だらだらと積み上げた蓄積が、瞬間の煌めきに勝るはずはないのだから」
カヤとカラヤシキ。同じ陰陽術の使い手であれど、その経験には雲泥の差がある。
それは単純に生きた時間の差であり、死線を潜った経験の有無。
そこには差があると認めた上で、カラヤシキはその差に大した意味は無いと言い切る。
「皇族には稀に湧くのだ。お前のような視えている者が。天才という言葉では片付けられない、神に愛された運命の申し子が」
アマノミヤとは、そういう一族だった。
単純に遺伝子が優れているというだけの話ではない。
並外れた幸運とでも言うのだろうか。運命的なまでに正しい選択をし、導かれるように良い道筋を選べる。
皇族の末子として、無数にあった選択肢の中から、カヤが陰陽術を直感的に選び取ったように。彼女がただ運命に導かれるように極めた陰陽術が、アメツチに害為すカラヤシキへの対抗策となっているように。
「是非、潰してみたいと思わないか?」
そう言うと、カラヤシキはツバキハラの兵二人に向けて、極彩色の液体を放つ。
拳大の液体は老婆と男の口に入り込み、その喉を伝って体内へと侵入する。
虹化粧の真髄は哺乳類への干渉。物理的な攻撃力を持ち、生物の格納も可能とする虹色の水だが、その真骨頂は哺乳類に限定した生物の改造。
身体構造を内部から改造し、魔力の流れも弄り、その在り方を拡張する。
虹化粧の水を飲んだ二人は、身体構造の変質と精神汚染を強制される。
ぶくぶくと肉が膨れ上がり、皮膚を突き破るように骨が延長し、溢れ出した筋繊維がうねる。
やがて、出来上がったそれは、巨大な化猿の形をしていた。
「え、これ……?」
その姿に声を発したのは、カラヤシキの側に立ったユヒナだった。
思わず声を上げたのも当然だろう。
三メートルに迫る背丈。身長に比して大きい恰幅。白い体毛と赤黒い肌。その姿はジアがかつて林で戦った化猿と同じだった。
(生物の改造……なるほど、この術を今のジアに使えば鵺の再臨は可能でしょうね。或いは、鵺以上の怪物を生み出すことも)
哺乳類に限って生物を改造するという虹化粧の機能を目の当たりにし、カヤが抱えていた疑問は氷塊した。
ただの人間をここまでの化猿に変える能力だ。
心臓移植者として半覚醒状態にあるジアに対して使えば、桁違いの怪物が生まれることは間違いない。
「らうんどつー、でございますね」
卓越した術師同士が船上で向き合う。
二体の化猿を従えた山羊面の者と、浅葱色の髪をした少女。
熾烈を極める船上の風景を、ユヒナは立ち尽くして見入っている。
その一瞬一秒ですらも記憶するかのように、戦いの行方を凝視していた。
まるで、何かに取り憑かれたように。




