第十五話 船旅、憧れと初恋
ツバキハラ家。
かつては「皇族の盾」と呼ばれ、アマノミヤ家の近衛として武力と権力を併せ持つ一族だったが、三十年前の皇族第一子暗殺事件を目論んだとして国外へ追放。
当時のツバキハラ家当主は無実を主張したが、判決が覆ることはなく、一族は国外へと追放された。
島国であるアメツチにとって、国外追放の意味は内陸国のそれよりも重い。
罪人の一族がエトーニルの港に続く航路へと丁重に案内されるはずもなく、全く出鱈目な方角を向いた船に乗せられて、ツバキハラ家は海へと流された。
実質的な一族皆殺し。
しかし運命の悪戯か、ツバキハラ家を乗せた船は、奇跡的に海上で未発見の航路を見つけ出した。
奇跡的に見出した航路を辿り、ツバキハラ家が辿り着いたのはハイネヒ。
エトーニルの主要な港ではなく、同国の田舎村へと漂着したツバキハラ家は、その地に定着した。
人の出入りの少ない村、そこからさらに人里離れた林を開拓し、屋敷を構えた。
奇跡的に生き延びた一族は、無実の罪を被せたアマノミヤを恨み、虎視眈々とその地位を簒奪することを狙っていた。
あの卑劣な皇族からアメツチを取り戻し、自分達は故郷に帰るのだと。
生まれ育った国で、誰に憚ることもなく生きるのだと。
その一心で命を繋いできたツバキハラ家にとって、皇族の子供を二人も誘拐してきたカラヤシキが英雄視されるのは自然な流れだった。
カラヤシキがツバキハラ家の実権を得るまで大した時間はかからず、カラヤシキはツバキハラ家を手中に収めた。
「気分はいかがですか? ユヒナ様」
屋敷の廊下を歩きながら、カラヤシキは隣のユヒナに尋ねた。
俯くユヒナの顔は全くの無表情。纏う着物の裾さえも、水に濡れたように重々しかった。
「…………」
ユヒナはカラヤシキの言葉を無視した。
ただ重苦しい着物を纏って、屋敷の廊下を歩くのみ。
「はは、これは手厳しい。船旅になりますので、調子をお伺いしたのですが」
カラヤシキは呑気に言葉を続けるが、やはりユヒナは答えない。
カラヤシキ自身も、返答など期待してはいなかった。
こんな会話はただの手慰みにすぎない。
もしもユヒナが「気分が優れないから、船旅はやめてくれ」と言ったところで、予定を変更する気など毛頭無いのだから。
カラヤシキとユヒナの二人は廊下を抜けて、庭を抜けて、門を抜けて、やがて屋敷を抜けた。
屋敷を出る際、カラヤシキは見送りをしていた従者の少女にこう告げた。
「屋敷が何者かに襲撃された時は、すぐさまあの子を連れて逃げなさい。逃げた先で子を殖やし、ツバキハラと名乗るのです。さすれば、必ず私が見つけ出します」
「は、はい!」
カラヤシキの言葉に、従者の少女は光栄そうに頷いた。
ペコペコと頭を下げる従者の少女に手を振りながら、カラヤシキは彼女の下を去っていく。
従者の少女から十分離れた所で、ユヒナは口を開いた。
「あの子っていうのは、姉上の子か?」
「これは勘の良い。姉君がご出産なされたこともお教えしてはいないはずですが」
「出産していなければ、お前が姉上を死なせるはずがない。アマノミヤの血筋が、お前の計画には必要なんだろ?」
冷めた口調で語るユヒナの言葉は、現状を的確に考察していた。
カラヤシキが求めているのはアマノミヤの血筋。ユヒナとその姉を手に入れた上で、保険として子供を作らせようとするほどに、カラヤシキはアマノミヤの血を欲している。
そんなカラヤシキが、アマノミヤの血を引く者をみすみす死なせるとは思えない。
「ええ、元より姉君はおまけです。一人産めば上々。あとは血気盛んな老人達のストレス解消になってもらえばよろしい。彼らはアマノミヤが大嫌いなようですから」
ツバキハラ家も一枚岩ではない。
年配の者を中心に構成される過激派と若い世代を中心とした穏健派に分かれる。
過激派の多くは三十年前のアメツチ追放を経験しており、何が何でもアマノミヤに復讐するという統一意思を持っている。
逆に穏健派はアメツチ追放を知らない若年層。かつての地位に復権できれば、アマノミヤへの復讐には興味が無い者が多い。
アマノミヤの血を引くユヒナの姉が、過激派の連中からどんな仕打ちを受けたのか。
想像するだけで気分が悪くなってくる。
きっと、ユヒナがこの家で受けた暴力の比ではないのだろう。
「到着です。お乗り込み下さい」
そうこうしている内に、ユヒナとカラヤシキは船着き場に到着した。
港というほどの規模でもないが、それなりに大きな船も停泊できるくらいの船着き場。
そこには、何船もの船が泊まっていた。
カラヤシキはその中でも一際大きな船を指差し、そこへユヒナを案内した。
甲板に出た二人を待っていたのは、着物を着た数人の男女だった。
「おやおや、私達が最後のようですね」
船の甲板に揃っていたメンバーを見て、カラヤシキはわざとらしく言う。
そんなカラヤシキの言葉に反応したのは、筋骨隆々とした男だった。
「時間なんざぁ、些事よ些事。計画に必要なパーツが揃ってる。大事なのはそこだろぉ、カラヤシキさんよぉ」
男は上半身裸の上に着物を一枚羽織っただけというワイルドな服装で、鍛え上げられた筋肉を惜しげも無く晒している。
大柄だが歳は比較的若く、二十代前半に見える。
巨大な太刀を担ぐ姿は、堂々たる偉丈夫そのものだ。
「こちとらよぉ、溜まってんのよ。アマノミヤの女の子も死んじゃうしさぁ。あの子を犯して発散してたストレスがよぉ、溜まってんだよ」
「下卑た発言は控えろ、六郎丸」
六郎丸の言葉に、鋭い注意を飛ばしたのは彼と同年代に見える女。
藍色の着物に身を包み、腰には刀を提げている。
切れ長の瞳が、鋭く六郎丸を睨んだ。
「ヘっ、よりにもよってお前が言うかよ。天之宮結雛の部屋に通い詰めてたお前がよぉ」
「黙れと言ったはずだ」
「言われてないね。俺は下卑た発言は控えろと言われた。今のは純粋な事実だろ?」
「殺されたいか……!」
船上、殺気を迸らせる二人。
女は静かに腰の刀に手をかけた。
「俺は洒落で言ってんじゃねぇのよ。そこのガキが逃げ出した日の警備担当は――――お前だったよな、夜織」
「私が逃がしたとでも言いたいのか?」
「そういう可能性の話だ。いや、だった。昨日まではな。今は分かるだろ。そこのガキに聞きゃあ良い」
そう言うと、六郎丸はずかずかと歩き、ユヒナのすぐ正面まで詰め寄った。
二倍はあるのではいかという身長差から、六郎丸はユヒナの顔を至近距離で覗き込み、問う。
「お前、どうやってあの屋敷から逃げた?」
気の弱い者が見れば卒倒してしまいそうな威圧感で、六郎丸はユヒナを問いただす。
しかし、ユヒナは表情を一切変えず、六郎丸の目を冷めた視線で見つめ返していた。
「走って逃げた」
「ガキの足で逃げれるわけねぇだろ。ナメてんのか?」
「走って逃げた。それだけだ。お前達が追って来なかった理由なんて知らない」
六郎丸の威嚇に臆する様子も無く、ユヒナは淡々と答えを返す。
それは六郎丸にとって予想外の現実だった。
天之宮結雛は、肝の座らない女々しい少年だったはずだ。少し大きな声を出せばビクつくような、弱く脆い小動物ような存在だったはずだ。
それが何故、六郎丸に詰め寄られても、眉一つ動かしもしないのか。
「その辺にしておきなさい。時間がもったいないわ」
六郎丸に静止の声をかけたのは、小太りの女だった。
歳は四十代前半だろうか。薙刀のような武具を背負っている。
「早く計画を進めましょう」
小太りで中年のパッとしない女。
一見して平凡な農民にしか見えない女だが、その目に宿る執着だけが、異常な熱を孕んでいた。
「ああ、時は金なり。下らぬことに言い争っている場合ではない」
同じく、中年の男が追随する。
弓矢を装備する短髪の男も、計画の進行を促していた。
ともすれば、普通の外見。発する言葉も常識的な大人のそれに聞こえる。
だからこそ、六郎丸と夜織の二人は、中年の男女二人の異常性に冷や汗をかいた。
常識的なことを言っているようで、その瞳は精神病患者のようにぐらついている。不安定な瞳孔の中には、執念の炎が揺らめいていた。
「チッ、そうだな。今は急ぐか」
六郎丸はユヒナから離れ、夜織も刀から手を放した。
この中で穏健派は二人。夜織と六郎丸である。夜織はもちろん、六郎丸も野蛮な男ではあるが、アマノミヤに復讐心を抱いているわけではない。
血の気の多い若者二人ではあるが、異様な復讐心に取り憑かれた過激派の中年二人に比べれば、まともな部類に入る。
「……ィ…………ノ……」
ただ一人、老婆だけが一言も喋らなかった。
両手に持った数珠をじゃらじゃらと鳴らしながら、手を合わせてブツブツと何かを唱えている。
その内容は聞き取れずとも、まとも精神状態をしていないのは簡単に見て取れる。
「それでは、作戦をおさらいしておきましょうか」
話が一段落ついた所で、カラヤシキが口火を切った。
「これから、私達は向こうには知られていない秘密の航路でアメツチに上陸。かの屋敷を強襲し、目に付く皇族を皆殺し。ユヒナ様をアメツチの後継として擁立し、ツバキハラはアメツチへと帰還を果たす。ま、大まかな所はこんなものですな」
カラヤシキがこの計画のために行った根回しは多岐に渡り、準備はほとんど完全に整っている。
屋敷の警備を調べ上げ、計画実行日には皇族が全員屋敷にいることを確認し、周辺の家を現地の戦力として味方に引き込んだ。
そして、かつて「皇族の盾」と呼ばれたツバキハラ家から用意した精鋭強襲部隊。
彼らと共に先行した後、ツバキハラ家の主戦力も船で参戦する予定だ。
心臓移植者がいなくとも、勝算は十分にある。
「さあ、ご覧に入れましょう。古今東西未だかつて無い、国落としの伝説を」
船が沖へと出る。
出航した船はぐんぐんと陸を離れ、大海原へと漕ぎ出していく。
少しずつ遠くなっていく陸地を眺めて、離れて行く思い出の地を目に焼き付けて、ユヒナは静かに目を閉じた。
(俺は何がしたかったんだろうな)
想起するは過去と未来。
愛されたいがばかりに、あまりに多くのものを失った人生の足跡。
(認められたくて、必要とされたくて……周りの人を苦しめてばかり。姉上を死なせて、ジアも死にかけて。これから、カラヤシキは僕の家族を皆殺しにする。カヤも、父上も母上も、みんな死んでしまう)
どこまでも他者に依存した人生だった。
愛されたい。認められたい。必要とされたい。そんな受動的な欲望ばかりを口にして、肝心な所は全部他人任せでしかない。
自分自身の手で選び取った未来が、たった一つでもあっただろうか。
誰かを愛し、認め、必要とすることができただろうか。
物語のお姫様みたいに、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っているばかりで、自分から手を伸ばしたことは一度も無い。
(そうだ、俺……)
ようやく、思い出した。
愛されるための容姿。認められるための陰陽術。必要とされるための血筋。
そんなものばかりの人生だったから、彼女の透明な美しさに惹かれたのだ。
愛されずとも正しくて、認められずとも強くて、必要とされずとも優しい。
そんなジアの透明な善性に、ユヒナ・アマノミヤは恋をしたのだ。
ユヒナの容姿にも陰陽術にも血筋にも興味を示さないジアと暮らしていると、自分が生まれ変われたように思えたのだ。
容姿、陰陽術、血筋。そんな欲望を煽るための楔が無くても、一緒にいられる関係が心地良かったのだ。
依存せずとも手放さず、愛なんて無くても愛している。
(ジアみたいになりたかったんだ)
そんな夢を見ていたのだ。
醜い自分を脱ぎ去って、ジアみたいな優しい人になりたかった。
どろどろとした欲望を抜け出して、彼女と透明な世界で暮らしたかった。
ずっと、そっち側に行きたかったのだ。
(なんだ、俺、ずっとジアに憧れてただけじゃないか)
憧れは空に、初恋は胸に。
風を受けて進む船は、着々とアメツチへと向かっていた。




