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怪物の君へ  作者: 讀茸


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第十四話 散策、小さな望み

 いつまでも寝ていては体に悪いということで、ジアは寝台を出て、軽く外を歩いていた。

 カヤもいつものダボっとしたローブを着て、隣を歩いている。


「ユヒナの妹か。なんつーか、顔は似てるな」

「顔は、でございますか?」

「あー、いや。何となく、ユヒナより肝が据わってる気がしてな」

「天之宮の血筋は大体そうでございます。怯まず、臆さず、躊躇わず。統治者として強者たれと教育されるのです」


 アマノミヤの内情を軽く語りつつ、カヤは「末子の私はそこまででもないですが」と付け加える。


「兄上だけが、弱者たれと望まれておりました」


 ジアが疑問を投げるより早く、カヤはその答えを口にした。

 何故、統治者として育てられるアマノミヤにあって、ユヒナだけが気弱な少年に育ったのか。


「流石に子が増えすぎたのです。皇族の血筋、多すぎる兄弟姉妹は後継争いの火種になる。正室の子は一人か多くても二人。その二人に国が背負えぬ時に限って、側室の子から優秀な後継者を選ぶというのが定石でございます。兄上は三人目。これが大兄上や姉上にも引けを取らない傑物とあれば、後継争いが活発化しかねない。故に、兄上は弱者たれと望まれたのです」


 事実、ユヒナはカラヤシキに目を付けられている。

 こういった事態を防ぐためにも、正室の子は少ない方が良いのだろう。


「じゃあ、なんで四人目のカヤまで産んだんだ?」


 ジアが問うた、ごく当然の疑問。

 子が争いの火種になるというのなら、子を産まなければ良い話ではないか。


「人の欲望とは御しがたいものでございますね」


 カヤの返答もまた、ごく当然のものだった。

 互いを愛するが故、或いは単純な肉欲の末、火種となると知っていても、欲してしまったのだろう。


「ジア、貴方には人の心が分からない。そうでしょう?」


 街道をゆったりと歩く。

 その最中、カヤが発した言葉は、天から零れた雫のようにジアの脳裏に落ちた。

 水滴が一粒水面に落ちて、飛沫すら立てない小さな衝撃で、しかし広く大きな波紋を生み出すように。


「リーニアも、眼鏡も……あのギルドにいたやつらは全員死んだ。オレも、一人殺した」


 呟くジアの声音に色は無い。

 ただ淡々と事実を並べていくような、冷たくも乾いた声音だった。

 けれど、それは無機質ではない。冷たく無味乾燥な声であっても、脈動する何かがそこにある。


「それでも、オレは何も思わないんだ。いや、何も思わないわけじゃない。あいつらが死んで寂しくなるなって、急にぶっ殺されて可哀想だなって、思ったりしてるよ。でも、それだけだ。泣いたり叫んだり、そういうのが、オレには分からない」


 ジアは感情を持たないわけではない。

 親しかった人が死んで悲しいとは思う。何の罪も無く惨殺された人達を不憫にも思う。

 ただそれだけ。その先に何も無いというだけの欠落なのだ。


「これは私の憶測ですが、ジアに欠けているのは欲望ではないでしょうか?」


 ジアの足が止まった。

 カヤの言葉は、彼女の本質を突いていた。

 両親が死ぬ。友達が死ぬ。自分の手で誰かを死なせる。

 それに悲しみ、哀れみ、悔やむ。

 ジアにあるのはそこまで。そこから先、人には欲するというフェーズがある。

 もっと両親と暮らしていたい、友達に生き返ってほしい、人殺しになんてなりたくない。

 本来、そういった欲望が溢れ出すものなのだ。

 ジアに欠けているのはその部分。ジアには欲望が無い。悲しいことがあっても「仕方ない」と受け入れられる。「そんなの嫌だ」と欲するから、人は泣き叫ぶのだ。


「なんで、オレには無いんだろうな」


 透明かつ空っぽな気持ちで、ジアは軽く呟いた。

 特に答えが欲しかったわけではない。

 だが、カヤは意外にも明確な回答を提示してきた。


「それはジアが心臓移植者だからでございましょう」

「カラヤシキも言ってたな、それ。一体何のことなんだ?」


 度々耳にする心臓移植者という言葉。

 いつも状況故に気にかけている暇が無かったが、よく考えると謎が多い。


「昔、アメツチに凶悪な化け物がいました。名を鵺。顔は猿、胴は狸、脚は虎、尾は蛇の形をした、人を食い荒らす害獣――――というより災害に片足を踏み込んだ正真正銘の怪物(けもの)でございます」


 アメツチの者ならば、鵺の名を聞けばすぐに思い当たるだろう。

 多くの犠牲者を出した人食いの化け物と、それを見事討伐した豪傑達の偉業を。


「鵺退治が行われた折、何者かが鵺の心臓を盗み出したのです。盗人は鵺の心臓を盗み出し、アメツチの外へと逃亡。船に乗って大陸にまで逃れ、そこで一人の少女に鵺の心臓を移植した」


 そこまで来れば、ジアにも話は見えて来た。


「オレの中に埋まってるのが、その鵺の心臓ってことか」

「その通りでございます」


 ジアの人並外れた魔力出力。

 それは移植された鵺の心臓によるものだったのだ。

 ボーデンとの戦いで覚醒した、魔力を雷として出力する異能も、雷獣としての鵺の性質を受け継いだものだ。


「んなこと、誰が何のためにやったんだよ」

「カラヤシキでしょう。アレは兄上を傀儡とした上でアメツチの後継として擁立し、自らが国の実権を握る気でいる。ですが、普通にやれば無理なのです。兄上は次男。順当に行けば、アメツチの後継は大兄上。そこに割り込むには、カラヤシキの手練手管を以てしても難しい。詳しい作戦までは知りませんが、覚醒した心臓移植者を武力として上手く使うつもりなのでしょうね」

「なんでオレがカラヤシキに協力する前提なんだ? あんなのに手を貸すわけねぇだろ」

「カラヤシキの使う陰陽術は常軌を逸している。人を支配下に置く術を持っていても不思議ではありません」

「つーかよ、オレ一人で国がどうのこうのっていう戦力になんのか?」

「完全に覚醒すれば十分にあり得る話でございます。鵺の心臓をフル出力で扱えば、理論上は鵺と同等の力を引き出せますから」


 ジアが繰り出す質問の数々に、カヤは次々と答えていく。

 ジアの疑問をほとんど全て解消していくカヤの知識量に、ジアは驚嘆していた。


「色々知ってんだな」

「調べましたので」


 ジアの称賛に、カヤはふふんと胸を張る。

 自慢げなその表情は、ユヒナを彷彿とさせた。

 兄妹というだけあって、似ている所はある。

 今はカラヤシキに連れ去られたユヒナ。彼によく似た少女と並んで、ジアは当てもなく街を歩く。

 いや、当てはあったのかもしれない。

 特に意識することもなく、気付けば、自宅の裏までやって来ていた。

 家の裏。土色の地面に作られた盛り土は、ユヒナの姉を弔う墓標である。


「これは、姉上の墓ですか?」


 ジアがその詳細を語るまでもなく、カヤはそこに誰が眠っているのかを言い当てた。


「分かるのか?」

「憶測でございます。カラヤシキの目的を考えれば、姉上は兄上ほど大事にされなかったでしょうから」


 カラヤシキはユヒナを使って、アマノミヤの血を殖やすことを目論んでいる。

 その点、女より男の方が都合が良い。

 男は短期間で多くの女に子種を残せるが、女は妊娠と出産という長期間の工程を必要とする。

 カラヤシキからすれば、ユヒナさえ生きていれば、その姉が死んでも大した問題は無かったのだろう。


「姉上も、不憫なものでございますね」


 ジアが思ったより、カヤは平気そうな顔をしていた。


「……悲しくないのか?」

「実の所、私はほとんど姉上のことを覚えていないのです。小さい頃に面倒を見てくれたのは、大抵兄上でしたから」

「でも……家族だろ?」

「血の繋がりなど、とうに忘れてしまいました。腹違いを含めれば、私の兄弟姉妹は夥しいほど存在します故」


 その言葉は、皇族という家の異質さを感じさせた。

 家族という共同体の繋がりでさえも、人数が増えるほどに薄まってしまうのだろうか。


「ジアは論理的でございますね。家族ならば愛するべき、姉ならば悼むべき。社会的な道徳規範に則った在り方です」

「そんなんじゃねぇよ。オレは……パクってるだけだ。子供の頃……鵺の心臓を移植する前ってことになるか、その時に正しいと思ってたことを、今もなぞってるだけなんだ。まだ人間だったころのジア(オレ)が見た、善のカタチを」


 子供の頃は、頭で考えるまでもなく魂で理解していた。

 人を殺してはいけない。死者を弄んではいけない。困っている人は助けるのが善い。

 「善」とは何かよく分かっていて、それに従って生きることができた。

 両親が死んで、鵺の心臓を移植されてから、ジアはそれを失った。

 欲望を失い、善性を失った。

 善とはつまり、人の欲しがることをしてあげるということなのだから。


「それが、欲の無い貴方の行動指針ですか?」


 人が行動するのは、欲望があるからだ。

 両親と共に欲望を失ったジアには、本来行動するべき理由が無い。取る行動を決める指針が存在しない。

 ジアが今まで行ってきた行動の全ては、彼女が人間だった頃の名残。

 子供の頃には理解していた「善」を、機械のように上からなぞり続けるだけの残骸だ。


「昨日まではそうだった。今は……分かんねぇ」


 「善」をなぞり続けるだけの機構だったジア。無欲の権化とも言えた怪物少女。

 彼女に興奮と高揚を与えたのは、血だった。

 血沸き肉躍る殺し合い。それは過激で、ショッキングで、衝動的で、精神ではなく肉体そのものを揺らす。

 ジアの精神性がどれだけ無欲であっても、肉体が危機的状況に陥れば、体が生きろと叫び出す。

 ジアが欲望を抱けるのは、ひどく短絡的な生存本能だけ。社会性も人間性も存在しない、犬畜生でも持っているような、未発達の感性だけが、彼女に欲望を与えてくれる。

 殺し合いを望む本能は、幼少のジアが持っていた「善」と相反する。

 故に、ジアはそれを無意識下に押し留めていたが、ボーデンとの戦いでそれを完全に自覚してしまった。

 自分は血飛沫の舞う地獄の中で笑える怪物なのだと、友の死体を蹴り飛ばして笑うケダモノなのだと。


「では、今訊きます」


 そんな少女に対して、カヤは真っすぐに問いただす。


「ジア、貴方は何をしたいですか?」


 何を望むか。

 何を願うか。

 何を欲するか。

 それを彼女は持たぬと、今しがた確認したばかり。

 その上で、カヤは訊いたのだ。

 ジア・エルマという存在は、一体何を欲するのか。


「オレは――――」


 あるはずのない答えを探して、ジアは記憶を辿る。

 欲望は無い。望む未来など存在しない。何かを切望するほどの熱は持たない。

 それでも、明日はやって来る。何も欲しくなかったとしても、何かを選ばなくてはならない。

 多分、何でも良いのだろう。

 どんな明日が訪れたとしても、ジアがそれを拒絶することはない。

 両親が死んでも平気だったように、友達が死んでも悲しくなかったように、その未来を受け入れるのだろう。

 けれど、もし、何か一つを選べるとしたら。

 どれを選んでも構わないけれど、何か一つ選び取るとしたら――――


「オレはまた、ユヒナと一緒に暮らしたいな」


 それが一番良いと思った。

 ユヒナと共に暮らした二年間。

 特に大きな思い出があるわけでもない、普通に過ごしただけの日々。

 両親と共に暮らしていた時のような幸福感も、ボーデンと殺し合った時のような高揚感も無い。

 朝起きて、ギルドで仕事を請けて、家に帰って、ご飯を食べて、寝る。

 ただそれだけの、何の変哲も無い日常の連なり。日々の中に、あの小さくて優しい少年がいたというだけの時間。

 何となく、それが良いなと思ったのだ。


「それでは、兄上を取り返しに行きましょうか」


 カヤが満足そうな顔で言う。


「ああ、そうだな。それが良い」


 返すジアの表情も、どこか晴れやかだった。

 欲も望みも持ち得ない。「これ以外認められない」と切望するほどの未来は無い。

 そんな怪物(けもの)の心でも、ほんの少しだけ「欲しい」と思えるものがあったから。

 今は、そんな未来に手を伸ばしても良いと、そう思えたから。

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