第十一話 死体舞踏会
人間が魔力を生成する部位、というのは未だ判明していない。
魔力の制御に関して脳が大きな役割を担っていることは分かっているが、生成という点で言えば未知の部分が多い。
最も有力視されているのは、特定の部位に依らず肉体全体で生成しているという説だが、これを裏付ける証拠も、さして多くはない。
しかし、ジア・エルマという少女に限っては、魔力の源を特定できる。
心臓だ。
かつて彼女に移植された「■の心臓」によって、ジアは心臓から爆発的な魔力出力を得ている。
今までは膨大に出力される魔力をとりあえず体に流すという形でしか使えていなかったが、先の一撃により、ジアは直覚的に己の魔力の在り方を完全に理解。
雷獣の魔力出力を十全に使いこなすに至った。
血で染まったギルド内。ジアの心臓が響かせる鼓動の音は、ボーデンにも聞こえるほどの大きさで鳴っている。
「来い。獣の如き少女」
「ああ、言われなくても、殺してやるよ」
ニィと笑ったジアは、床を蹴る。
全身に雷を纏うジアは、電流の如き速さで駆け、再び拳を打ち込みに行く。
青緑色の軌道だけを残して、疾走したジアの拳が迫る。襲い来る雷撃に対して、ボーデンは自ら盾を叩きつける。
ジアの拳撃に合わせるように盾を打ち付け、その衝撃を相殺。
カウンターパリィという技術で、先刻は吹き飛ばされたジアの拳を受け切って見せた。
(……来る!)
直感に従って、後ろに跳んだジア。
ボーデンの反撃から逃れたかと思われたが、その右肩には斬撃の痕がしっかり刻まれていた。
(流石に速ぇな。しかも右腕が軽く痺れる。盾で打ち返す技か、アレ? こっちにも衝撃が返ってきやがる)
カウンターパリィ。
盾で相手の攻撃を弾き返す技術だが、卓越した使い手は攻撃してきた方へ逆にダメージを通すと言う。
事実、ボーデンの盾がジアの一撃によって凹んでいない万全の状態だったならば、ジアも手痛い傷を受けていただろう。
(でも、その技も売り切れだ。今の二発で盾はボロボロ。次の一撃で砕ける)
雷撃を伴う拳を二度受けた黒鉄の盾は、既に罅が入っている。
あと一度ジアが拳を叩き込めば粉砕できるほどに、ボーデンの盾は損耗していた。
「盾を砕きたいか?」
ジアの狙いを見透かしたように、ボーデンが言う。
思考を言い当てられたジアは、殺意の視線をボーデンへの返答とする。
そんなジアに対して、ボーデンは左手の盾を投げつけた。
「くれてやる」
盾を投げると同時に、床を蹴るボーデン。
臆することなくジアへと接近していき、黒鉄の剣で斬りかかる。
ジアは投げられた盾を右手でキャッチ。左側面から迫る刃に叩きつけ、その軌道を逸らす。
ジアの胴を両断するかに思われた刃は、服と薄皮一枚を裂くに留まり、ジアは反撃の拳をボーデンの顔にお見舞いする。
黒い兜の右半分が消し飛び、ボーデンの素顔が半分露出した。
「やっと目が合ったな、オッサン」
拳を振り切る勢いもそのまま、ジアはボーデンの腹に回し蹴りを叩き込む。
その衝撃でボーデンは後方に吹っ飛び、テーブルや椅子を砕いて倒れ込む。
尻餅をついたボーデンに対して、ここぞとばかりにジアは追撃をしかける。
「かかったな」
その瞬間、ボーデンの一閃がジアの腹を抉る。
完全に攻撃へと意識が傾いていたジアは、ボーデンの斬撃を腹に食らい、傷口から夥しい量の血を零す。
「獣狩りには罠と相場が決まっている」
倒れ込んだ状態で放った斬撃ながら、ジアに致命傷を与えたボーデン。
すぐさま、立ち上がり、トドメとばかりに大上段から剣を振り下ろす。
瞬間、ジアの身体が低く沈む。低く、地を這うような姿勢で踏み込み、ジアはボーデンの間合いの内側に滑り込む。
そして放たれた拳は、青緑色の稲妻と共に、ボーデンの胸を打ち抜く。
黒鉄の鎧すら砕き、ボーデンの胸を穿ったジアの一撃。吹き飛ばされたボーデンは、壁に叩きつけられた。
「ははっ、はははははははは!」
腹の致命傷を気にもせず、ジアは高らかに笑う。
殺しこそが享楽。戦いこそが充足。怪物として覚醒した少女は、命を奪い合う快楽を謳っていた。
「笑うか。――――面白い」
ボーデンが立ち上がる。
兜が砕けて露わになった素顔は、中年のくせに子供のような無邪気さに満ちていた。
まるで、公園で遊んでいる友達に対して「俺も混ぜろ」と声をかけるように。
戦闘の愉悦を謳歌する少女に、黒鉄の騎士は剣を向けた。
「冥土の土産だ! もらっていくぞ、その命!」
「ハハッ! ぶち抜いてやるよ! お前の心臓!」
両者が床を蹴ったのはほぼ同時。
腹から血を零し続けるジアと胸に穴の空いたボーデン。
互いに命は風前の灯。
これが最後の攻防になると理解していた。
勝負は一瞬。駆動する黒と弾ける青緑が交わった直後、刹那の内に戦いは決着していた。
「笑えるぜ。お前の剣が、臓物一つ潰せないなんてな」
ボーデンの剣とジアの拳。
互いの心臓を貫いた形で静止する二人。
あっけない結末に、ジアは笑う。
■の心臓は臓器ながら異常な硬度を持っており、ボーデンがなけなしの力と魔力を振り絞って放った刺突では貫けなかったのだ。
ジアの言葉に、ボーデンは何も返さない。
否、既に何も返せない。
「って、もう死んでるか」
ボーデンの胸から拳を引き抜き、ジアはその甘い感触を謳歌する。
自らの手で肉を貫く爽快感。敵を殺す痛快さ。戦いの果てに命を奪い取る達成感の甘美たるや、何にも代えがたい喜びに違いない。
「ハハハ! アハハハハハハハ!」
あまりの楽しさに、ジアは踊った。
体から零れる血も気にせず、そこら中に散らばった死体を蹴っ飛ばして、笑い転げるように踊った。
死者への敬意など知ったことか。全てを踏み躙る幸福に勝るものなどありはしない。
興奮するままに踊り狂い、かつて人だった物を蹴散らして笑う。
そうして、次の死体を蹴ろうとして、気付くのだ。
「リーニア……?」
それが、かつての友であったと。
今しがた自分が蹴り飛ばした青年は、踏みつけた受付嬢は、自分にとって何だったのか。
そんなことを思い出して、思い出して、それでも心の奥では思い出せずに。
ふと頭に浮かんだのは、ユヒナに向けて語った言葉だった。
――――分からなくなっちまったんだ、あの日から。何が悲しくて、何が嬉しいのか
分からないと言ったこと。
今は分かってしまった。
何が嬉しいのか、何が楽しいのか、何が幸せなのか。
殺しだ。人を殺すのが嬉しい。殺し合うのが楽しくて仕方ない。血沸き肉躍る闘争の中でしか幸福を感じられない。
ジア・エルマとは、殺し合いを好む怪物でしかないのだと。
友や家族の死に悲しみなど感じるはずがない。悲しむことがあるとすれば、十分に殺しを楽しめないことだ。
そこまで気付いて、やっと自分の胸に剣が刺さったままだと思い出した。
胸に刺さり、されど心臓を貫くことはなかった黒鉄の剣。
自重によって落下する黒の刃。くるくると回って、血を撒き散らしながら落ちていく。
カラン、と黒鉄が音を立てて落ちたと同時、ジアの肉体も度重なる出血により限界を迎える。
倒れ込むは、金髪の少女のすぐ隣。
すぐそこに彼女の死体がある。ついさっき、ジア自身が踏み躙って蹴り飛ばそうとした死体がある。
ジアが冒涜した、彼女がいる。
――――私はジアちゃんと一緒に冒険したいの! 強敵に立ち向かったり、決戦前の夜にしんみりとした会話とかしたいのー!
馬鹿な上に変人だった。けれど、冒険者としての腕は確かな友人。
何度も拒絶するジアに対して、諦めることなくパーティに誘ってくれた友達。
悪しからず思っていたはずだ。友好的に見ていたはずだ。彼女との時間は嫌いではなかったはずだ。
なのに、どうして、彼女の死体を前にしても、何の感慨も湧いてこないのか。
どうして、あんなことができてしまったのか。
「……ごめんな、リーニア」
自分でもよく分からない謝罪を述べて、ジアは瞼を閉じた。
これ以上、意識を保っていることも、リーニアの死に顔を眺めていることも、ジアにはできなかった。
少女は眠りに落ちていく。
血生臭い自らの本性を抱いて、深い眠りに落ちていった。




