第十話 騎士喰らい
一歩、前に出るようにして、ジアは血塗れのギルド内に踏み込む。
「下がってろ、ユヒナ」
ユヒナを庇うような立ち位置で、惨殺現場に踏み込んだジア。
右手でユヒナを制し、ギルド内に立ち入らないように指示する。
「心配せずとも、ユヒナ・アマノミヤは生け捕るように言われている」
相も変わらず、冷めた鉄のような言葉を発するボーデン。
どこまでも冷徹なボーデンに対し、ジアは抑えようのない熱を込めて言った。
「服に血が付くと洗濯が大変だろ。――――オレ一人で十分だ、お前の返り血を浴びるのは」
青緑の瞳孔に灯る、刃の如き殺意。
肌に突き刺さる殺意の視線は、黒鉄の鎧でも防げない。
ジアの煮えたぎるような殺意を正面から受けたボーデンは、一切怯むことなく、むしろ兜の下で不敵な笑みを浮かべた。
「洗濯の心配は要らない。新しい服を買ってやる。立派な死装束をな」
「そいつは…………どうもッ!」
ドン、と鳴り響いたのは、ジアが激しく床を蹴る音。
轟音を伴う強烈な踏み込みと共に、ジアは一瞬でボーデンの目の前に躍り出る。
振りかぶった拳。
疾走の勢いに殺意を上乗せして放つ打撃は――――
「なるほど」
騎士の盾に受け止められた。
完全に相殺された衝撃。ジアの拳を受けた盾は、歪みも罅割れもせず、万全の形を保っている。
(受けられた。いや、それでもまだ――――)
右の拳を防がれたジア。
しかし、そのままさらに一歩踏み込み、盾の死角を縫って左の拳を打ち込む。
狙うは騎士の右脇腹。黒鉄の鎧を砕きにかかる。
「素人だ」
左の拳が黒鉄の鎧を捉える。
しかし、黒鉄の鎧には罅一つ入らないどころか、内部へのダメージもほとんどゼロに等しい。
(硬ぇ。こいつ、どんな鎧着て――――)
不意打ち気味に叩き込んだ、二発の連撃。
そのどちらとも、盾と鎧に阻まれたジア。
さらに連撃を続けるか。一旦、退いて体勢を立て直すか。
刹那の内に迫られた二択に応じる間も無く、ジアの背筋に走った悪寒。
本能的に、後方へと大きく跳んでいた。
直後、黒い刃が鼻先を掠める。
それはボーデンが薙ぎ払った剣の一撃が、ジアの首を落としかけた証左だった。
(危ねぇ。勘が外れりゃ死んでた。なんだ、今の? 気付いた時には切っ先がすぐそこにあった。見てから反応したんじゃ間に合わねぇ)
鼻筋から流れる血を軽く拭いつつ、ジアは九死に一生を得たと理解する。
ボーデンの剣術に全く反応できなかった事実を受け止め、冷静に距離を測り直す。
「並外れた魔力出力。運動センスも抜群。おまけに勘と悪運も良い。お前ほどの才覚の持ち主は、サーガハルトにもそうはいなかった」
ボーデンが口にしたのは、称賛の言葉。
ジア・エルマという少女が秘める潜在能力は、ボーデンからしても称賛に値するものだった。
「だが、圧倒的に足りない。積み重ねが、強者たらんとする足掻きの足跡が」
その上で、不足と断じる。
どれだけポテンシャルが高かろうと、その胸に異常な力を秘めていようと、圧倒的に足りていないのだと。
かつてボーデンを打倒した少年騎士は、もっと積み重ねていた。もっと足掻いていた。もっと強かった。
ジアより才覚で劣っていたとしても、だ。
「依頼主には、強者が標的と聞いていたが……あの山羊面、戦士を見る目は無いらしい」
山羊面。
その一言だけで、ボーデンを雇ったのが誰だか知れる。
「お前を殺す理由が一つ増えたぜ」
「お前が私を殺せる道理は一つも無い」
戦意迸る言葉の応酬。
その後、すぐに両者は戦いのギアを入れ直す。
互いの距離は数メートル。詰めようと思えば、一瞬の内に詰められる距離。
一秒後には、敵の攻撃が自らを襲うかもしれない緊張感の中、ジアは思考を巡らせる。
(まず絶対避けなきゃいけないのが、あの剣。急所にもらえば即死。急所を外しても致命傷だ。馬鹿みたいに近付いて良い相手じゃねぇ)
ボーデンの剣。
その剣筋を一度見ただけで、ジアは本能的に理解していた。
あれは絶対に当たってはいけない類のものだと。
(そんで、あの盾と鎧。盾は掻い潜れば良いにせよ、鎧が硬いのはどうすりゃ良い? ダメージを通す手段が無いんじゃ、どうしようもねぇ。確か、関節部分が脆いんだったか?)
ボーデンが纏う黒鉄の盾と鎧。
その硬度は常軌を逸している。自らの拳で傷一つ付かないというのは、ジアにとって初めての経験だった。
剣の攻撃。盾と鎧の防御。
攻守揃ったボーデンを前に、ジアは勝利の糸口を探る。
(あのクソでかい鎧を着て、派手に走り回れるわけがねぇ。スピードはこっちのアドバンテージだ。足で振り回して――――)
中断されるジアの思考。
戦術も作戦もかなぐり捨てて、ジアの肉体はその全てを回避に捧げた。
咄嗟に上体を反らしたジアのすぐ上を、黒鉄の刃が通り過ぎていく。
その直後、翻った刃が急降下し、ジアの胴体を両断せんと迫る。
床を転がってこれを避けたジアは、ボーデンの足下で体を回し、黒鉄の装甲に守られた脚に蹴りを放つ。
ボーデンが低く跳んだ。
「遅い」
まるで曲芸。
一見回避不可能な角度から繰り出されたように見えたジアの蹴りを、ボーデンは空中で身を捻って躱して見せた。
そのまま、体の捻りで生まれたエネルギーを乗せて、振り下ろされる黒鉄の刃。
恐らく必殺となり得る威力を込めた剣の一撃に、ジアは身構える。その視線は完全に、剣の軌道に注がれていた。
「つ、ゥ――――ッ!」
剣に視線を取られたジアの顔面に、側方からの盾が炸裂する。
剣に視線を集めさせてから、盾の殴打。
ジアを激しく跳ね飛ばした一連の流れは、ボーデンの肉体に染みつかせたセットアップだった。
顔の痛みを堪えながら、ジアは床をバウンドし、設置されていたテーブルや椅子を薙ぎ倒しながら、ギルド内を吹っ飛ぶ。
踏ん張って立ち上がったその時には、ボーデンとの距離は大分空いている――――そう、憶測した。
「クソが……っ」
ボーデンは鎧をものともしない俊足でジアを追い、追撃にしかけようとしていた。
すぐ目の前に迫ったボーデンが振り抜く剣。黒鉄の刃を間一髪で避けたジアは、バックステップで距離を取る。
しかし、ボーデンはジアのマークを外さず、執拗に距離を詰めて攻撃を仕掛けて来る。
(クソ、引き離せねぇ……! ぴったりと付いてきやがる! あの鎧でここまで走れんのかよ!)
揃っていたのは、攻守ではなく走攻守。
守りは硬く、攻めは鋭く、走りも欠かさない。
両者の間にあったのは、絶対的なまでの地力の差。
硬く速く強いボーデンに対して、ジアは脆く遅く弱い。相性など考慮するまでもない、圧倒的な実力差。
(剣! いや、大振りすぎる。盾か!?)
交錯した視線の死角を突き、ボーデンの蹴りが突き刺さる。
蹴り飛ばされたジアは床を転がりながら、すぐさま起き上がる。ボーデンの足ならば、すぐに追撃を仕掛けてくると知っていたからだ。
(すぐに詰めて来る! 早く体勢を…………え?)
倒れた姿勢のまま視線を上げて、ボーデンの攻撃を視認しようとしたジア。
その目に映ったのは、予想外の光景だった。
(遠い。さっきは、すぐに詰めて来たのに……いや、そうか。足を使わせたから、すぐに走り出せなかったのか)
直前、ジアへの攻撃に蹴りを選択したボーデンは、すぐに移動へと移れなかった。
その結果生まれたのが、ボーデンとジアの間にある距離。
(攻めてる時に足を使うと、追撃に遅れる。いや、足だけじゃない。剣を空振りすれば、その一瞬は攻め手が無くなる。あいつはそれを盾で殴ってカバーしてた。オレの拳もそうか。空振れば隙。当たればダメージ。いや、それは相手がその隙を突けて初めて成立する。オレはあいつの剣を避けても、反撃できなかった。避けんのに精一杯だったから。攻撃と防御のリソースが釣り合ってないんだ。だから、あいつは攻め続けられる。あいつはオレが防御に使うリソースよりも少ないリソースで攻撃してくる。守りもそうだ。あいつは盾と鎧でオレの攻撃を受けてから、剣で反撃を取ってきた。攻め方も、守り方も、あいつには隙が無い。最低限の隙と消耗で、最大限のリターンを取れる。だったら、オレは――――)
ボーデンという格上相手の戦闘は、ジアは思考を極度に高速化させていた。
脳裏を駆け巡る電流は閃光のように、黒鉄の騎士が見せる動きを観察し続けたジアの脳は、直感的にその動きを学び始める。
戦うために最適化された王立騎士団の動きに、ジアの脳と体が適応し始めていた。
ボーデンが積み上げてきた騎士としての基礎。それを食らうようにして、ジアの思考は先鋭化され、行動は洗練されていく。
(ただ一点、こじ開ける)
ドン、とまたもや鳴り響いた轟音。
倒れた状態のまま床を踏み砕いたジアは、一気にボーデンへと疾走していく。
ボーデンが追撃の体勢を取っていた所に、倒れた状態からそのまま反撃に転じて来たジア。
ボーデンは即座に意識を攻撃から防御へと切り替え、盾でジアの拳を受け止めにかかる。
ドクン、心臓が鳴る。
(技と経験値じゃ到底敵わない)
ドクン。
(総合力では劣勢も良い所)
ドクン。
(だから、たった一つで良い)
ドクン。
(オレが上回れる何かを)
ドクン。
(目の前の敵を殴れる拳を――――!)
脈動する心臓は、絶えず魔力を放出している。
心臓から放出され、普段はジアの体内を巡っている特殊な魔力流。
ジアは無意識的にその流れを束ね、拳の一点に集約させる。
防御を擲った魔力の一点集中。極度に濃縮された魔力は、普段は表出せずに眠っている性質を呼び起こす。
それは雷。
「な、に――――⁉」
青緑色の雷撃を纏ったジアの拳が、黒鉄の盾を打ち据える。
火花と電流が弾け、青緑色の閃光を描き出す。
落雷もかくやという轟音が響き渡り、ジアの拳は盾ごとボーデンを吹き飛ばす。
直立姿勢を保ちつつも、ボーデンは激しく後退させられ、彼の靴が床に二条の跡を残す。
カウンターに背中をぶつけて止まったボーデンの盾は、表面が雷撃によって焦げ、ジアに殴られた部分は凹んでいた。
「ふ、あの山羊面め」
ここに来て有効打を叩き込んできたジアを見て、ボーデンは楽しげに笑う。
兜の下に隠された表情は見えずとも、その声音だけで、ジアにも彼の不敵な笑みが透けて見えるようだった。
「とんだ化け物を寄越してくれたな」
ボーデンは盾と剣を構え直し、ジアと向かい合う。
対するジアも構えを取る。しかし、その構えは数刻前の彼女とは全くの別物。
腕はだらりと下げ、膝を曲げた前傾姿勢。ともすれば四足歩行にも見える構えは、どこか獣じみていた。
亜麻色の髪から覗く、青緑色に光る双眸。
その雷光の如き輝きは、どこまでも怪物的であった。
「ああ、らしいぜ。今なら、誰だって殺せそうだ」
呟く口元は、凶悪に吊り上がっている。
心臓の音が響いていた。




