第93話 沈黙の臨界者
場内が騒然となった。
ゼルは息を呑んだ。
(まずい…この話題に触れられるのは、非常にまずい)
ムビがこの話題に触れてくることは、ゼルも覚悟していた。
だが、そのときは――“性犯罪者の妄言”として押し切るつもりだった。
報道の空気も、公安も、ギルドも味方につけている。
少々荒れたところで、流れは自分に都合よく収束するはずだと思っていた。
――けれど、現実は違った。
この場を動かしているのは、ムビだった。
証拠と論理を重ね、空気を変えていったその言葉には、誰もが耳を傾けている。
今この瞬間、最も“信じるに値する人間”は、間違いなくムビだった。
「冷静に考えてみてください。『白銀の獅子』の行動、どこかおかしいと思いませんか?彼らのレベルはせいぜい40前後。そんなパーティが、推奨レベル240のデスストーカーが潜むダンジョンに、なぜ真っ先に突入できたのでしょうか?いつ、どこで襲われるか分からない極限の危険地帯を、彼らはなぜ“警戒ゼロ”で走り回っていたのか――その理由は明白です。もし、『白銀の獅子』とデスストーカーが繋がっていたとすれば?すべてが、完璧に説明がつきます」
「で…でたらめもいい加減にしろ!名誉毀損だ!」
「何言ってるの。デスストーカーとダンジョン内で会って、裏ルートの地図を渡して救助隊との合流地点を教えたんでしょ?そのせいで、ルミノールの冒険者たちはデスストーカーに遭遇して全滅したんだ」
(な……なんで、そのことを知っているんだ!?)
記者席からのどよめきがさらに大きくなる。
「ふ、ふふふ……ふざけるな!本当に名誉毀損で訴えるぞ!」
「デスストーカーと会ったのは本当でしょ?」
「遭遇したさ!その場で討伐した!」
「へぇ。誰が?」
「俺だよ!俺がトドメを刺したんだ!」
「ふーん。ゼルが、トドメを刺したんだね?」
「そうだよ!……お、お前こそ、嘘ついてんじゃねぇぞ!?」
ゼルの言葉を聞いて―――ムビは静かに荷物を探り始めた。
ゼルは悪い予感しかしなかった。
(おい……あいつ、また何か取り出す気か……?)
ムビが取り出したのは―――ステータスウォッチだった。
「デスストーカーの討伐推奨レベルは240。討伐すれば、間違いなくレベル上限に達する」
ムビは自らの腕にウォッチを装着し、ボタンを押す。
空中に映し出されたステータス画面の“レベル”欄には、確かに――100の数字が輝いていた。
部屋の空気が一変する。
「り、臨界者だと……?」
「そんな、まさか……」
ムビは静かに言った。
「これが、僕がデスストーカーを討伐したという証拠です」
そして、ゼルの目の前にステータスウォッチを置く。
「さぁ、ゼル。表示してごらんよ。君が討伐者なら、当然レベルは100、だよね?さっき公安の方も言ってた。嘘だったら、偽証罪が成立するって」
ゼルの手が震える。ステータスウォッチには触れられない。
レベル100など、到底届いていない。
しかし、触れなければ――嘘を認めたことになる。
「どうしたの?付けないの?」
ゼルは沈黙する。指一本動かさず、硬直した。
なんとか逃れる方法は――。
「付けろォッ!!」
ムビが突如、怒鳴った。
ゼルはビクンと体を震わせ、涙目でムビを見た。
逃げ道など無い。
その目に、絶対に逃がさないという意志を感じた。
(どうする……付けるしか、ないのか……)
ゼルの手が震えながら、ゆっくりとステータスウォッチへと伸びる――。
「はい、そこまで」
パンッ、パンッ。
公安の男が、手を二度叩いた。
「全く、見ちゃいられねぇ。これじゃあまるで喧嘩じゃねぇか。あ〜あ、今日はとても真実なんて分かりそうにねぇな。今日のところはお開きだ」
ムビは思わず詰め寄る。
「何言ってるんですか?今まさに――」
「うるせぇ!俺がお開きって言ったら、お開きなんだよ」
公安の男は記者席に視線を向けた。
「おたくら、いつまで座ってんだ?とっとと帰ぇりな」
記者たちはざわめいた。
「帰ぇれっつってんだろ!潰されてぇか!!?」
男の怒声が場を切り裂いた。
その瞬間、マスコミたちは凍りついたように動きを止め、顔をこわばらせる。
張りつめた沈黙のあと、記者たちは互いに目を交わしながら、足早に立ち上がる。
その場に居ることすら危険だと悟った彼らは、次々と出口へ向かい、部屋を後にした。
ゼルとゴリ、ギルド長、職員たちも同様に部屋を出て行こうとする。
ムビがゼルを追おうと一歩踏み出す――。
「坊や、ちょいと待ちな」
公安の男がムビの前に立ちはだかった。
「くっくっく。おめぇ、なかなかやるじゃねぇか。こんな大立ち回りは初めて見たぜ」
もう一歩のところで邪魔をされた。
公安も――やはり『両面宿儺』の影響下なのか。
ムビは静かに、嘘探知魔法を発動した。
「『両面宿儺』から、ゼルの味方をするよう言われたんですか?」
男は低く笑う。
「いいか、坊や。世の中うまく渡りたきゃ、その話題には軽々しく触れない方がいいぜ?」
その目が、圧力を込めてギラリと光る。
上手い返しだ。
嘘探知魔法でも情報が得られなかった。
「お前も臨界者だ。望めばこっち側――“上級国民”として迎えられるぜ。長いものに巻かれながら、賢く生きてみたらどうだ?」
ムビは、その目を真っすぐ見返した。
「それは“賢い”って言うんじゃない。“臆病”って言うんだよ。そんな風に得た力は、必ず誰かを不幸にする。俺は、そういうのが一番嫌いなんだ」
男は肩をすくめながら、喉の奥でくっくっくと笑った。
「そうかい。せいぜい、お優しく生きてみるんだな」
そう言って公安の男は背を向ける。
他の公安たちも、無言で部屋を去っていった。
残されたのは――ムビ、ひとり。
カメラの光は消え、ステータスウォッチの青い光だけが、静かに輝いていた。
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