第65話 底の底
あれがデスストーカー
詰んだ
神様お願いなんとかして
もう見てられない
終わった
同時接続者数は130万人。
コメント欄は、その全員の、絶望の声で埋め尽くされていた。
正面には討伐推奨レベル240の禁忌指定の魔物。
後方は行き止まり。
逃げ場はない。
死ぬ、死ぬ、死ぬ!
早鐘のように鳴る心臓が、一拍毎に脳に全力で警鐘を鳴らしていた。
デスストーカーとの距離は20メートル。
確実な死が、悠然とこちらに迫っていた。
ユリは頭を抱えて泣き叫んでいる。
シノは呆然とした表情で立ち尽くしている。
ルリは膝を地面に付けてへたり込んでいる。
サヨは鬼気迫る表情でデスストーカーを凝視している。
ムビは―――ただ、カメラをデスストーカーに向けていた。
ユリの絶叫とガエンの怒声が鉱道内に響き渡るが、誰も意に介さない。
目の前に迫る絶対の恐怖。
それ以外、何も見えない。
何も聞こえない。
ペタッ
デスストーカーの動きが止まった。
フードの中から、水死体のように白くブヨブヨした両手が現れる。
―――殺される。
誰もが同じことを思い、蛇に睨まれた蛙のように動けずにいた。
デスストーカーの両腕が掲げられ―――フードを掴み、顔を露にした。
「―――ひぃっ」
誰の発した悲鳴か分からない。
或いは自分だったかもしれない。
デスストーカーの顔には、何もなかった。
青白いのっぺらぼうが、じぃっとムビ達を見つめていた。
「お願い……許して……何でもします……」
ルリは涙を流しながら、独り言のように呟いた。
目の前の化物に、果たして人語が通じるのか―――。
そんなことを考えた訳ではない。
ただ、言わずにはいられなかった。
全身の細胞が、目の前の恐怖に許しを請うていた。
ミチッ
肉が裂ける音が聞こえ、デスストーカーの顔に亀裂が走った。
ちょうど口のようなものができて、悍ましく動いた。
『―――駄目ダ。こちらモ仕事ノ依頼ヲ受けた』
意思疎通ができるのか―――。
Bランク冒険者の声で―――しかし、機械が音声を読み上げるような、抑揚のない、無機質な声だった。
シノが全身を震わせながら化物に話しかける。
「依頼……!?誰がそんな依頼を……!?」
『白銀の獅子』
衝撃のあまり、『四星の絆』は全員目を見開いた。
「は……『白銀の獅子』……??」
『本来、両面宿儺ノ仕事ハ、コロして終わり。だが、今回ハ、魂ノ消失ヲ依頼されタ』
ミチミチ―――
口のようなものが、広がっていく―――
―――亀裂の両端が頬にまで達し、ゾッとするような笑みを浮かべていた。
『お前達ハ、死ヲ恐れる。だが、私に言わせれば、肉体の苦痛など物の数ではない。魂ノ消失ノ苦しみハ、肉体ノ死ノ比ではない。死ノ苦痛ノ何万倍……いや、何億倍、何兆倍にも達する。魂ガ、腹ノ中デのた打ち回ル―――それガたまらなく美味いんダ。お前達モ、とても美味そうダ』
絶望という言葉すら生ぬるい、底の底。
シノは嘔吐し、ルリは失禁した。
『四星の絆』から、戦意すら失われた。
デスストーカーは、スルスルと近付いてくる。
5人の魂を喰うために。
数分後には、全員、あの化物の腹に収まるのだろう。
ムビは頭が真っ白になっていた。
激しい鼓動の音が脳に響き、頭が痛い。
思考は停止し、本能のみが其処にはあった。
ムビは『四星の絆』を一瞥する。
少女達の絶望の表情を見て、ムビの決心は固まった。
「サヨさん。これを」
ムビは持っていたハンドカメラをサヨに渡した。
呆然としていたサヨは、何も考えることができず、言われるままにカメラを受け取った。
「皆さん。俺が食べられている間に、逃げてください」
デスストーカーを凝視していた『四星の絆』は―――初めてムビに視線を移した。
「な―――何言ってるの、ムビさん―――?」
「幸い、ここは道が広いです。1人が食べられている間に、4人が散り散りに逃げれば、誰か生き残れるかもしれません。」
体が痺れる程の絶望。
成功する確証も無い。
だが、何もしないよりは―――遥かにマシだ。
「無理だよぉ!!できっこないよぅ!!皆消えてなくなる―――いやあぁぁぁぁぁ!!!」
ユリがパニックを起こした。
あんなに笑顔で溢れていたユリの顔が、止めどない涙で濡れている。
皆を力強く鼓舞していた口からは、絶望の言葉しか出てこない。
ムビはユリの手を取って―――スキルを発動した。
『エンパワーメント』。
ステータスを対象に移し替えるスキル。
例えそれが、状態異常や呪いであっても。
其処は暗く、底は暗かった。
ムビの心が、これ以上ないどん底まで沈む。
これが、心の底。
これが、ユリに掛けられた呪い―――。
ユリの心の痛みが、恐怖が、みるみるうちに和らいだ。
暗く絶望に染まり切っていた瞳に、微かに光が宿る。
「あれ―――?」
「ユ……ユリさん」
ムビは震えながら、ユリの手を握り締める。
「ユリさん……なら……だ、大丈夫です……。必ず生き残って、み……皆に、笑顔を届けてください……」
気を抜くと、一瞬で泣き叫びそうだ。
それでも―――。
「ぼ……僕が死んだら、呪いは……また、ユリさんに……も、戻ってきます。でも……ユリさんなら……か、必ず……乗り越えられます……。どうか……元気で……」
ムビは精一杯の意識を動員して―――震えながら、ニコッと笑った。
「ムビ君……」
サヨは、その様子をカメラに収めていた。
コメント欄に、大量のコメントが流れていた。
こいつ……ムビっていうのか
いやだ
消えないで
ムビさん死ぬな
同時接続者数は、150万を超えていた。
ムビはフラフラと立ち上がり―――デスストーカーに向かって歩き出した。




