第199話 耳かき配信
21時30分。
配信開始まで、あと30分。
ムビとルリは静かな部屋で打ち合わせをしていた。
「ASMR配信の概要は理解したかな?」
「はい。ルリさんの過去配信、全部見ました」
「ぜ、全部!?……相変わらず、すごいね」
ルリは苦笑しながらも、どこか誇らしげだった。
ムビは短時間でASMRの基礎から、ルリの配信スタイルまで徹底的に調べ上げていた。
ASMR——ここ1年ほどで『Mtube』を席巻し始めた新興ジャンル。
自然音や生活音を扱うチャンネルもあれば、配信者がロールプレイでリスナーに語りかけるスタイルも人気を集めている。
特に、バーチャルMtuber、通称『Vtuber』界隈では急速に注目度が高まっていた。
ムビの調査によれば、顔出しでASMRを行う配信者は、登録者10万人以上の規模ではまだ数えるほどしかいない。
アイドルとして活動するルリは、その中でも唯一無二の存在だった。
(ルリさん、着眼点が鋭いな……。これが当たれば、かなり熱いぞ)
ルリは三ヶ月前から週一でASMR配信を始め、すでに八本のアーカイブを残している。
どれも好評で、波に乗っていた矢先の一ヶ月休止は、さぞ悔しかっただろう。
(少しでも配信したい気持ち、分かるな……。今日の配信、絶対成功させないと)
「今日の配信は“形式的メイド”さんだよ」
「“形式的メイド”?」
「うん。ご主人様に対して、事務的にそっけなく対応するメイドを演じるの」
「要は、ツンデレみたいな感じですか?」
「そうそう、そんな感じ。配信画面には、メイド服を着た私の写真が表示されるよ。まぁ、ムビ君はじっとしてればいいから♪」
ルリはPCを操作しながらSNSで枠の告知を済ませると、立ち上がった。
「さーてムビ君、ちょっと準備するから待っててね♪」
そう言い残し、ルリは部屋を出て行った。
(なんだろう?トイレかな?)
ムビは魔力回路でPCと接続しているため、画面を見ずとも同接数やコメントの流れが把握できる。
(ふむふむ。順調に人が集まってきてるな)
待機画面をぼんやり眺めていると、ドアが開いた。
「お待たせ〜♪」
メイド服に着替えたルリが、満面の笑みで戻ってきた。
スカートは膝上、肩や胸元の露出も高め。
ムビは思わず目を見張った。
「ちょ、ちょっと……!ルリさん、その服……!」
「だって〜。この方が、気持ち入るでしょ?」
ルリはくるりと回ってみせる。
その姿は、サムネイルよりもずっと大胆だった。
「サムネより露出、高くないですか?」
「いいの、いいの。そこはムビ君へのサービス♪」
ルリがウィンクする。
「もうすぐ開始だけど、ムビ君、トイレ行くなら今のうちだよ?」
「そうですね、ちょっと行ってきます」
ムビはトイレを済ませて部屋に戻る。
21時55分。配信開始5分前。
なんだか緊張してきた。
「じゃあ、そろそろ準備しようか。“音遮断”」
ルリは防音魔法を部屋全体に施した。
(ここまでやるのか……こだわりがすごいな)
「じゃあ、最終確認ね。配信が始まったら、まずは私が挨拶するから。その後“形式的メイド”始めて、終わったら私の挨拶で配信終了。分かってると思うけど、絶対声を出しちゃだめだよ?」
「もちろんです」
「それから、配信の進行の妨げになる行動もダメだよ?例えば、私が喋ってるのに離れようとする、とか」
「OKです」
「いよーし!それじゃあよろしくね♪」
配信が始まった。
「みんなー!久しぶりー♪元気にしてた?」
コメントが次々に流れる。
わこつー
始まったー
久しぶりー
ルリ様ー
ルリはスパチャを読み上げながら、テンション高く配信を進めていく。
ムビはベッドに座ったまま、その様子を眺めていた。
(これが配信かぁ。思ったよりも、かなり声を張り上げるんだなぁ)
しばらくすると、ルリがムビに合図を送る。
「それじゃあ、“形式的メイド”始めるね♪」
マイクをオフにしたルリが、ムビの元へ駆け寄る。
「それじゃあお願いね、ムビ君?」
「はい」
ムビは自分の聴覚をPCに接続し、オンにする。
「——失礼します」
耳元で、いつもより低いルリの声が響いた。
(うわっ……いつもと声が全然違う。声優さんみたい……)
「ご主人様。就寝前に、生姜湯を持ってまいりました」
耳元でカップを注ぐ音が響く。
(うわ……この匂い、ほんとに生姜湯じゃん)
ムビは生姜が苦手だ。
体に良い、安眠効果がある、とは聞くが、苦味がどうしても受け付けない。
「どうぞ。早く飲んで寝てください」
ルリが冷たく促す。
「飲まないのですか?……ああ、苦手でしたね——生姜」
ムビはドキッとした。
一瞬、本当に話しかけられているのかと思った。
「——情けない。大人なのに、恥ずかしくないんですか?」
本当に生姜嫌いのムビに、ルリの言葉がグサグサと刺さる。
ぶひぃ
良い罵倒
もっと言ってください
一方、コメント欄はルリの冷たい態度に盛り上がっていた。
(リスナー、調教され過ぎだろ……)
「では、私はこれで……。えっ?寝る前に耳かきして欲しい?……はぁ。なんで私がご主人様に構わなきゃいけないんですか?残業代請求しますよ?」
辛辣な言葉の合間に、色気のある吐息が混じる。
「しょうがありませんね。ほら、寝てください」
ルリがベッドに座り、太ももをポンポンと叩いた。
右手には耳かきが握られている。
(えっ……これ、本当に耳かきするの……?)
ムビはベッドの淵に横になり、ルリの太ももに頭を乗せる。
ルリが髪をかき上げ、耳の中を覗き込む。
「うわっ……なんでこんなに汚れているんですか?」
顔から火が出るかと思った。
確かに、ここ最近耳の掃除をしていない。
(こんな大勢の前で指摘されるなんて……)
コメント欄はさらに盛り上がる。
ムビは恥ずかしさのあまり、涙目になっていた。
耳かきが耳の中をなぞる。
ガサガサ……ガサガサ……
あーいい音
音質がいい
なんかいつもよりリアル
コメント欄の反応は上々だった。
それもそのはず。だって本当に耳かきしてるのだから。
(やばい……耳掃除の音聞かれるの、思った以上に恥ずかしい……)
「ふー」
ふいに、耳に息を吹きかけられる。
(……ふわぁっ!?)
耳掃除としては何の意味もないが、ASMRとしては定石の一手。
耳の中を掃除されては、繰り返し息を吹きかけられる。
(ちょ……これヤバイ!)
「何をビクビクしているんですか?」
耳元で低く囁かれ、ムビは思わず声が漏れそうになる。
(これ……わざとなんじゃ……)
そっとルリの顔を見上げると、ルリは明らかにムビの反応を楽しんでいた。
目元に浮かぶいたずらな笑み。
その表情に、ムビは言葉を失う。
(ひ、ひどい……早く終わってくれ……!)




