第198話 ASMR
ムビ、シノ、ルリは病室で二時間ほど談笑していた。
ルリが語る三日間の地底生活はあまりに過酷で、ムビもシノも思わず吹き出すほどだった。
「シノさん、晩御飯ですよー」
十九時。病院食がシノに配膳される頃には、外はすっかり夜の帳に包まれていた。
時計を確認したルリが、隣のムビに声をかける。
「そろそろ帰ろっか。ムビ君、ちょっと相談があるんだけど、このあと時間ある?」
「あっ……えっと……」
ムビはちらりとシノの表情を伺う。
シノは「行っていいよ」の顔をしているように見えた。
「分かりました。大丈夫です」
病室を出るムビとルリを、シノは手を振って見送った。
二人は並んで廊下を歩く。
「さぁてムビ君。とりあえず、ご飯でも食べ行くか」
「あっ、いいですね。行きましょう」
ムビとルリは病院近くのレストランに入店し、向かい合って座った。
「そういえば、ムビ君と二人でご飯って初めてだねぇ〜♪」
「言われてみれば、確かにそうですね」
ルリはメニュー表を開き、目を輝かせる。
「プロデューサー!ご飯代、経費で落ちないですかね?予選突破祝いに、パーッといきましょうや♪」
「ダメです。うち、カツカツなんですから」
「ちぇーっ。いいじゃんか今日くらい」
自腹が確定した瞬間、ルリは高額メニューのページを悔しそうにめくった。
真剣にメニュー表とにらめっこし、ハンバーグセットを注文する。
「ところで、相談って何ですか?」
「よくぞ聞いてくれた。実は今夜、私の個人アカウントでASMR配信をしようと思ってるんだ」
ASMR配信。
リスナーの聴覚を刺激し、心地よい感覚を与える配信だ。
ルリは個人の『Mtube』アカウントで、定期的にASMR配信を行っていた。
ムビにはピンとこないが、音フェチにはたまらないらしい。
「大会期間中は活動休止って告知してるけど、できるときにはやっておきたくてね」
ルリはかなりのリスナー思いで知られている。
配信が3時間を超えることも多く、稼いだ収益の多くを動画や配信の予算に回している。
おかげで口座はいつもすっからかんだとか。
「で、昨日SNSで告知をしたんだけど、マイクの調子が悪いみたいなんだ。悪いんだけど、うちでちょっとマイクを見てくれないかな?」
「それは大変ですね。分かりました、見てみます」
「サンキュー、ムビ君♪」
◆ ◆ ◆
夕食を終えた二人は、ルリの家へ向かった。
「散らかってるけど、どうぞ〜」
「お邪魔しまーす」
案内されたルリの部屋は、アニメポスターに囲まれ、ベッドにはぬいぐるみ、本棚には漫画がぎっしり。
机の上にはPCとフィギュアが並び、意外にも整頓されていた。
「どうだ、女子の部屋だぞ。緊張するだろ?」
「あれ、おかしいな?ルリさんの部屋は汚部屋で有名なはず……」
「お……汚部屋!?失敬な!ちゃんと片付けるときもあるの!」
どうやらつい最近、部屋を掃除したようだ。
予選から帰ってきてから片付けたのだろうか。
「さっそくなんだけど、マイクを見てもらってもいいかな?」
机の横には、人の顔を模したスタンド型ASMRマイクが鎮座していた。
「これ、めっちゃ高いやつじゃ……」
「うん。140万円するやつ」
「140万円!?」
最高級のマイクだ。
ルリのチャンネル規模からすると、かなり背伸びし過ぎである。
「だって、皆に負けたくないんだもん」
ルリの個人チャンネルの登録者数は58万人。
『Mtuber』としては大成功している部類だが、『四星の絆』の中では登録者数は最も少ない。
ちなみに他メンバーの登録者数は、ユリが83万人、シノが67万人、そしてなんとサヨは100万人である。
「サヨはほんと上手いよなぁ。お嬢様キャラとか、流行の最先端だもん」
ルリが溜息をつく。
「でも、ここ半年くらいの伸び方は、ルリさんだってすごいじゃないですか。努力が実ってる証拠ですよ」
「確かに、差は徐々に詰まってきてるけど、それはこっちが“実った”おかげ」
ルリは胸を寄せ上げる。
「貧乳時代は辛かったなぁ〜。サヨとユリにぶっちぎられて、私とシノは泣いてたもん。巨乳アピールした途端、リスナーの反応が全然違うんだよ」
「わ、分かったから、胸を触るのやめてください!」
「なによ〜?散々揉んだくせに♪」
ルリは意地悪な笑みを浮かべながら、胸を揺らし続ける。
「も、もういいですから!」
ムビは目を逸らし、マイクの確認に集中する。
PCに接続し、音量をチェック。
「あー、あー」
右耳、左耳と順に確かめるが、音を拾っている様子が無い。
「ねっ?全然反応が無いでしょ?」
「うーん、マイクの問題なのかPCの問題なのか……ちょっと切り分けますね」
ムビはPCに触れ、体内の魔力回路を介して自身とPCを接続した。
「あー、あー」
PCが音声を拾って反応する。
「相変わらず、すごいことやってんねぇー」
「あはは。PCは問題無さそうですね。次は、マイクのチェックを」
ムビはASMRマイクと自身を接続する。
「ルリさん、マイクに話してみてください」
「わかった。あー、あー」
マイクからの音声がムビに届かない。
「どうやら、このマイクが壊れているみたいですね」
「まじかー……。ムビ君、直せない?」
「うーん、さすがに機材は専門外で……。買い替えるしかありませんね」
「くそー、いっそPCが壊れてる方が安上がりなのに!」
ルリは頭を抱える。
「とりあえず、今日の配信は別のマイクを使うしかありませんね」
「無いよ。マイクはそれだけ」
「えっ?」
数秒間、沈黙が流れる。
「いや、前使ってたマイクとか……」
「ないよ。初めて買ったマイクがそれだもん」
ルリが壊れた140万円を指差す。
「本当に背伸びしたんですね……」
「なっ、何よ!?そんな目で見ないでよ!」
涙目で抗議するルリ。
「いつも配信で使ってるマイクはどうですか?」
「だめだよ、ASMRに対応してないもん」
「うーん……それじゃあ、マイクを買いに行きますか?」
「でも、配信まであと1時間しか……」
そのとき、ルリが何か閃いたような顔をした。
「ムビ君さぁ、さっきPCと接続してたじゃん?もしかして、ムビ君がASMRマイクになれるんじゃない?」
「えっ……俺!?」
「ちょっと、録音させてよ♪」
ルリの指示に従い、ムビは魔力回路をPCに接続する。
「テス、テス、マイクテス」
ルリがムビの耳元で話しかける。
直後、PCに録音された音声を再生する。
「おぉー!いつものマイクより音質いいじゃん!本当に耳元で話しかけられるみたい♪」
ヘッドフォンを装着したルリが歓声を上げる。
「よし!今日のマイクはムビ君で決定ね♪」
「いいですけど……ASMRって何するんですか?俺、あんまり詳しくなくて……」
「大丈夫!私が全部するから、ムビ君はマイクみたいにじっとしてればOK♪」
「はぁ……」
困惑しながらPC画面に目を移したムビは、ルリの怪しげな笑みを見逃した。




