第140話 薔薇は血を喰む
昼下がり。
ムビが修行に励んでいると、リリスがやって来た。
「ムビ様。お一人にしてしまい、申し訳ありません」
「ううん、大丈夫。王女様は忙しいもんね」
「昨日と一昨日は時間が取れましたが、普段は一日中予定が組まれておりまして。できるだけ時間を作って、ムビ様の修行のお手伝いをと思います」
「ありがとう。無理しないでね」
「ムビ様が優勝するためですもの」
リリスは剣を手に取り、ムビと向き合った。
(今日、リンさんに決めた技、早速使うぞ……!)
ムビは一気に距離を詰め、強烈な一閃を放つ———
———が、リリスはその剣を受け止め、螺旋を描くような動きで剣を弾き飛ばした。
「……ああっ!」
ムビは悔しそうな声を上げた。
「今のは、縮地を使った奇襲ですか。起こりが読みやすく、縮地をするまでに若干のタメがあります。肩甲骨の可動域もまだ狭いですし、私の剣を弾くには闘気がまだまだ足りません」
リンには通じた技が、リリスには全く通じなかった。
そしてたった一撃で、ものすごくたくさんの指摘を受けた。
「あはは……。姉弟子には成功したのに……。やっぱり師匠はすごいや」
「姉弟子?」
「リンさんです。今日、少し立ち合い稽古をしてもらったんです」
「ふーん。そうなんですね。あの子が……」
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「リリス様、失礼します」
夕方。
リンが紅茶を持ってリリスの部屋を訪れた。
「ありがとう」
「2時間も修行に付き合われていたんですね。大丈夫ですか?」
「大丈夫。仕事は何とか終わらせるから」
リリスの机には書類が山積みになっていた。
「どうかご無理をなさらずに。お体を壊されては大変です」
「そうね。あなたの入れてくれた紅茶で回復するわ」
リリスの細やかな気遣いに、リンは嬉しそうに微笑んだ。
「ところでリン。今朝、ムビ様と立ち会ったそうね」
リンはピクリと反応する。
「申し訳ございません。リリス様のご友人に、無礼を働いてしまって……」
「いいのよ。で、結果はどうだったの?」
リンは数秒間固まった。
「負けました……。正直、何をされたのかも分かりませんでした」
「あら、そうなの」
リリスはクスリと笑った。
「気にする必要はないわ、リン。あなたは十分天才よ。ムビ様が特別なだけ」
「リリス様。私は、リリス様の修行にも耐え抜きました。リリス様には遠く及ばずとも、それなりの剣の技量はあると自負しています。修行初日でボロボロになったあんな男に、遅れをとった自分が許せません」
「やっぱりね。そんな風に思ってると思った」
リリスは紅茶を一口飲み、口を開いた。
「単純なこと。あなたや他の騎士たちに課した修行とは、別メニューというだけ」
「べ……別メニュー……?」
「そう。仮にあなたがあの修行をしたら、恐らく死ぬわ」
リンは言葉を失った。
「総合的な剣の技量、闘気の扱い方はまだあなたの方が上よ。でも、ムビ様とあなたには埋めようが無い程の大きなパラメータ差がある。今日の敗北は忘れていいわ。……でも、ムビ様は、とてつもない速度で剣の腕を上げている。恐らくあと数日もすれば、剣の技量でも敵わなくなると思うわ」
「……あの男は、何者なのですか……?」
「さぁね。だから、すごく興味があるの」
リリスは窓の外を見た。
修行に励むムビの姿を見て、嬉しそうに笑った。
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18時。
ムビはヘトヘトになりながら修行を終えた。
(きょ……今日も体が限界……早く休めないと……)
風呂に入り、夕食を済ませ、離れへ向かう。
「ムビ様」
後ろから、呼び止められた。
振り返ると、そこにいたのはリリスだった。
「ふふ。今日は私が不在でしたが、その様子なら変わらず鍛錬に励んだようですね」
「あはは……。早く上達したいから、手を抜いてる暇なんてないよ……」
ムビは疲労と眠気でフラフラしていた。
「明日からは今日のように、少ししかお付き合いできないと思います。初日教えたことを、きちんと守ってくださいね」
「分かった……。まかせて……」
「ふふふ。では、あまり引き留めては悪いですね。おやすみなさい」
「おやすみ~……」
ムビはフラフラした足取りで、離れの中へ入っていった。
「ふふ。ムビ様も頑張っているみたいですね。さて、私も、仕事に取り掛かるとしましょうか」
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部屋に戻ったリリスの前には、拘束された男がいた。
「ひいいいいっ!!」
リリスの顔を見るなり、悲鳴を上げる。
「あらあら可哀そうに。何か怖いことでもあった?」
そう言うなり、リリスは鞭で男を叩く。
「ぎゃああああああああっ!!」
男の悲鳴が部屋に響き渡った。
男の皮膚が剥がれ、血が流れる。
「はぁ。もういいわ。セバス、片付けておいて頂戴」
「かしこまりました、リリス様」
リリスは男の血液を採取し、部屋を後にした。
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尋問官。
齢16になったリリスに与えられた仕事の一つ。
リリスは口を割らせるのが上手いと評判で、どうしても口を割らない強情な捕虜がいた場合、尋問を担当することになっていた。
先程部屋にいた男は、帝国軍の捕虜。
重要な情報を知っている可能性が高いと、リリスに尋問が任された。
(尋問というより、やっている内容は完全に拷問ですが……。それでも、他の変態拷問官と比べたら、だいぶ優しくしていますが)
リリスは月明かりの中庭園を歩き、立ち止まった。
目の前には、〈ヴェルノクの薔薇〉があった。
採取した男の血液を、薔薇の根元に垂らす。
「さぁ、たんと吸って、大きくなぁれ」
伝承で伝わる、〈ヴェルノクの薔薇〉の逸話。
夜になると、吸った血の記憶が微かな囁きとなって風に乗る———。
もちろん、そんな囁きなど聞こえない。
リリス以外には。
血を吸った〈ヴェルノクの薔薇〉は、男の記憶を囁き始めた。
「ふむふむ。———へぇ、そうなの。教えてくれて、ありがとう」
リリスは笑顔で自分の指先をナイフで切り、お礼とばかりに〈ヴェルノクの薔薇〉に血を与えた。
「さて。これで仕事は終わり」
リリスは夜空を見上げる。
見事な満月が浮かんでいた。
「こんなにも月が綺麗だと、たぎってしまうわ……」
リリスは部屋に戻った。
男の姿は既に無く、セバスチャンの姿もない。
部屋の鍵を閉めると、鍵付きの引き出しを開けた。
中には、厳重に封がされた禁書があった。
〈ヴェルノクの薔薇〉に教えてもらった、王家に隠された禁書だった。
(久しぶりに、発散させてもらおうかしら)
リリスは禁書を開くと、転移の魔法が発動した。
リリスが転移した先は———未踏破ダンジョン、「無限迷宮」の深層だった。
目の前には、巨大な狼の魔物がいた。
「禁忌指定……討伐推奨レベル320———フェンリルね」
「Grr……」
フェンリルはリリスに気付くと、強大な口を開け、リリスに飛び掛かった。
ザンッ!
リリスはフェンリルの前足を両断した。
「キャインッ———!」
大量の血液が噴き出し、雨となって滴り落ちた。
「———あはぁっ♡」
強い魔物は好きだ———。
体が大きいから。
体の大きい魔物は好きだ———。
血がいっぱい出るから。
フェンリルは狂気の笑顔を浮かべたリリスに、何度も何度も斬られた。
「グギャアアアアアアアッ!」
斬撃が30を超えたあたりで、フェンリルは断末魔の声を上げて息絶えた。
リリスは血の海の中で、自分の体を抱き締めた。
(なんて温かい血!ああ、体が熱い———!全然、興奮が収まらない———!)
リリスの脳裏にはムビが浮かんでいた。
(それもこれも、ムビ様のせい!修行でいっぱい傷つくから———!いっぱい血を流すから———!捕虜の男を拷問したぐらいじゃ、全然足りない!フェンリル一体じゃ、全然足りない!!)
リリスは灼熱の衝動に駆られ、ダンジョンの奥へ突き進んでいく。
魔物に遭遇する度に、周囲は血の地獄と化す。
(この血がもしも、ムビ様のものだったら———。だめ。だめだめだめ。想像してはだめ。そんなことは、許されない———)
理性で抑え込めば抑え込むほど、本能がマグマのように溢れ出す。
血を見るだけで、いとも簡単に狂える。
「グオオオオオッ!」
大型の魔物の群れに遭遇した。
「いいよぉッ……きてぇぇッ♡♡♡」
リリスは甘く蕩けた顔を浮かべながら、無我夢中で剣を振るった。
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