第139話 姉弟子
翌朝、リンは離れへと足を運んだ。
昨日の様子からして、今日あたりあの男は限界を迎えているはずだ。
もしかすると、すでに逃げ出しているかもしれない。
リリス様の修行は苛烈を極める。
かつてリリス様と共に修行を試みた貴族や騎士たちは、一時間と持たなかった。
中には腕に覚えのある臨界者もいたが、半日が限界だった。
丸一日耐えただけでも、あの男が初めてだ。
見かけによらず少しは根性があるようだが、すでに体は傷だらけだった。
目立ちたがりの『Mtuber』風情が、これ以上耐えられるはずもない。
そう思いながら離れに近付くと———
ビュッ!ビュッ!
昨日と同じ、風を切る音が耳に届いた。
まさか———
そこには、昨日と変わらぬ姿で剣を振るムビがいた。
「あっ、リンさん!おはようございます!」
リンは唖然とした。
「ムビ様……お体は、大丈夫なのですか?」
「あはは、あちこち痛いし、めちゃくちゃ疲れてるけど、これくらいはへっちゃらです」
へっちゃらだと……?
リリス様の修行が……?
「それよりも、全然リリスに勝てなくて。もっともっと修行して強くならないと……」
そう言ってムビは剣を振り続ける。
……この男、今何と言った?
リリス様に勝つ……?
「恐れながら、ムビ様。リリス様は、齢12歳で王国騎士団長を打ち破った天才です。ここ数年は、苦戦すらしたことがありません。勝つというのは、とても不可能かと……」
「ははは。まぁ、少し前の俺ならそう思うんだけど。今は、充分なパラメータがあるからね。これで勝てないなら、単なる俺の努力不足だよ」
そう言いながら剣を振るムビの太刀筋には迷いが無かった。
「パラメータを理由にそう思われるなら、なおさら気にする必要はありません。リリス様には、レベル上限が無いのです。一対一で、太刀打ちできる者はこの世におりません」
ムビは剣を止めた。
「どういうこと?」
「通常、人間のレベルは100が上限となり、そこに到達した者は臨界者と呼ばれます。人間のパラメータ上昇はそこで止まり、それ以上のステータスを求める場合は、希少なステータス上昇アイテムを使用するか、バフを強化する以外に道はありません。しかし、どういうわけかリリス様にはそのレベル上限が無いのです。特殊なステータスウォッチを使い、レベル200に到達したことまでは判明していますが、それも3年前です。今は一体、どれだけの強さに到達しているのか、誰にも分かりません」
「うへぇ……なるほど、あの強さには、そういう理由があったのか。納得したよ」
極一部の者しか知らない情報だ。
たまにリリス様の強さを認めない馬鹿がいるが、これを聞かせると皆顔を青ざめていた。
この男もそれを知れば、馬鹿な妄想を抱くのは止めるだろう。
「なら、なおさら負けてられないな。少しでも差を埋めないと」
ムビはまた剣を振り始め、リンは驚いた。
「ムビ様……私の話を聞いていましたか?」
「聞いていたよ。でも、せっかくなら目標は大きい方がいいでしょう?それに、あの強さはパラメータだけのものじゃないよ。単純に、剣や体術の腕前がまるで違うんだ。だから、その差を埋められるうちは、頑張ってみようと思う」
リンは、無性に苛立ちを覚えた。
この男……。
『動画編集者』ごときが、リリス様の剣を語るだと……?
誰よりもリリス様を見てきた、この私に……?
「———ムビ様。少し、手合わせをしませんか?」
「手合わせ?……って、俺とリンさんが、ですか!?」
「ええ。どうもムビ様は、ご自身の強さを勘違いされているようですので」
「えっと……でも、リンさんってメイドさんでしょ?やめておいた方が……」
「ご心配なく。私も、ムビ様と同じ臨界者ですから」
ムビは驚いた。
「えっ!?リンさんって、臨界者だったんですか?」
「そうです。もちろん、経験値ブーストは一切使っていません。生粋の戦闘職なので、ご安心を。それに私も、リリス様から戦闘訓練を受けています」
リンは近くの剣を手に取り、構えた。
リリス様の修行に耐えたものは、ただの一人もいない———私を除いて。
この男には、現実を教えてやる必要がある。
リリス様と数日もいて、リリス様の強さも見抜けないゴミは、リリス様に近付く資格はない。
「ええっ!あの厳しい修行を耐えたんですか!?す……すごい……!それなら、俺の姉弟子ですね!それなら一つ、胸を借りさせていただきます!」
ムビは目を輝かせ、ワクワクしながら剣を構えた。
「ええ。どこからでもどうぞ」
たった一日の修行でボロボロになったお前と、耐え抜いた私とでは、格が違う。
それを今から———
———ピィン
ムビが剣を構えた瞬間、空気が張り詰めた。
な……何だこの男?構えに隙が———
カァンッ!
———えっ?
ムビの一閃により、リンの剣は弾き飛ばされた。
数メートル先で、剣が地面に落ちる音が響く。
———瞬間、リンの全身に戦慄が走り、冷や汗が噴き出した。
この男———今、何をした?
いつ私に近付いた?
いつ剣を振った?
何も……何も見えなかった……だと!?
「やったぁ!成功した!」
ムビは飛び跳ねて喜んでいた。
「昨日習った動きを朝からずっと練習してて!ほら、リリスがよく使うやつです!縮地で距離を詰めて、肩甲骨と闘気を使った一閃で、相手の武器を弾き飛ばすって技です!」
子どものように喜ぶムビは、リンの青ざめた顔に気づいていない。
「今の動き、どうでした?どの辺が改善ポイントでしたかね?」
———動きだと?そんなもの、まるで見えなかった……。
「ま……まぁまぁ、だったんじゃないですか……?」
「本当ですか?昨日全然修行について行けなくて落ち込んでたけど、リンさんにそう言われたら自信がつきました!ありがとうございます!」
満面の笑顔を向けられ、リンの顔は赤く染まった。
「———ムビ様っ!本日はリリス様はお忙しく、修行を付けられないとのことです!手合わせの時間だけはなんとか作るとのことでしたが!朝食はいつもの場所ですが、お一人でお召し上がりください!以上です!」
リンは早口で言い放つと、足早にその場を去った。
ムビはぽかんとした表情で、ただその場に立ち尽くしていた。




