第129話 激情
ムビは差し出された手を握ることができずにいた。
正直、とても嬉しい。
だが、少女にとってそれが不利益になることは、火を見るよりも明らかだった。
今、周囲の視線は、公爵の息子と踊っていたときとは一変していた。
戸惑い、嫉妬、侮蔑———それらが混ざり合い、ムビと少女に突き刺さる。
「アメリア……嬉しいけど、今日はやめておいた方がいいよ。せっかく皆、君のことを見ているのに……」
「だからこそです。私はムビ様と踊りたいのです」
数百人が集う会場で、少女だけがムビに温かな視線を向けていた。
ムビが躊躇っていると、『栄誉騎士』の8人が少女に歩み寄る。
「リリス様!『栄誉騎士』と踊られるおつもりですか?よろしければ、私どもがお相手いたします!」
主賓である騎士たちが跪き、手を差し伸べる光景は圧巻だった。
女性たちから黄色い歓声が上がる。
(リリス……?何を言ってるんだ?この子の名前はアメリアだぞ……?)
「まぁ。皆様からのお誘い、とても光栄です。ですが、パーティもそろそろ終わりが近付いています。恐らくお相手は一人が限界でしょう。またの機会に、よろしくお願いします」
8人の騎士たちは、えっ、と声を上げ、少女の顔を見上げた。
「恐れながら……この男は『四星の絆』に所属するムビです。リリス様も、一度は聞いたことがあるでしょう?世間を騒がせている、騎士の風上にもおけない人格不適合者です」
「左様。冒険者ギルドへの虚偽報告、ストーカー、性犯罪。栄誉騎士顕彰典の返事の遅れなど、不敬罪も適用されかけました」
『栄誉騎士』達の口からムビの悪評が、矢継ぎ早に発せられる。
少女は微笑みながら『栄誉騎士』達の言葉を聞いていた。
「そうですか。お気遣いいただきありがとうございます。でも、私は気にしません」
騎士達はポカンと口を開けていた。
これだけ言えば、リリスが考えを改めると思っていたからだ。
しかし、実際はどうだ。
リリスはムビに変わらぬ視線を送っていた。
「私は、それらの話は全てデマであると考えます。皆様も、メディアやSNSの情報は慎重に判断されることをおすすめします」
『栄誉騎士』達は、少しムッとした表情をした。
「リリス様。それらの話は全て本当ですよ」
少女に近付く一人の男がいた。
『白銀の獅子』———ゼルだ。
「あなたは?」
「申し遅れました。私は『白銀の獅子』、ゼルと申します。レベル100に到達したため、此度の栄誉騎士顕彰典に招待されました」
ゼルは優雅な動きで頭を下げる。
「この男は私の元パーティメンバーでしたが、断言します。この男は口先だけの詐欺師です。パーティを抜ける前も抜けた後も、散々俺達の足を引っ張ってきました。執念深い男で、うちのリゼも性被害に遭っています。この男を信用すると、美しいリリス様も被害に遭われるかもしれません」
「あら?そうなんですか?」
少女は微笑む。
「それは楽しみですね。ムビ様になら、ぜひ固執されてみたいものです」
場がざわつく。
ゼルの顔に驚きが走る。
「はは……。流石はリリス様、度量の広いお方ですね。しかし、周囲がそのように見るとは限りませんよ。それよりも、よろしければ僕と踊りませんか?」
「申し訳ありませんが、私はあなたとは踊りたくありません。ムビ様だから踊りたいのです」
ゼルは笑顔を崩さなかったが、眉がピクピク動いていた。
イライラしているときに顔に出るサインだ。
「次の機会があれば、ぜひ。さぁ、ムビ様……行きましょう」
少女は笑顔を浮かべ、ムビの手を取り引っ張った。
「リリス様!」
『栄誉騎士』の一人が叫ぶ。
「お考え直しください!周囲の目があります!」
少女は溜息をついた。
「ですから、私はそんなもの気にしないと……」
「『栄誉騎士』と踊りたいならば、我らが立派にお相手いたします!このような者と踊られては、リリス様の品格が疑われるだけですぞ!?」
———ピキッ
テーブルのグラスに一斉にヒビが入った。
「私の品格が……疑われる、だと……?」
周囲が、無数の針で刺すような空気に包まれる。
(これは……殺気!?)
少女は騎士の顔面をつかんだ。
「ぐがあぁッ……!!?」
騎士は振り解こうと少女の腕を掴むが、ビクともしない。
「舐めるなよ下郎。その程度で、私の品格が揺らぐと思っているのか?例えこの場でお前を八つ裂きにしたところで、私の品格が揺らぐことはない。試してみるか?」
少女の手に力が入り、騎士の頭蓋が軋む。
「ぎゃああああっ!!!……お……お助けをッ……!!」
「そもそもお前はどうなんだ?王族に対するその言動———お前こそ不敬罪ではないのか?『栄誉騎士』に選ばれ、浮かれたか?刑の執行を待つまでもない。この場で、私が裁いてやろう」
「ひ……ひいいいいいっ……!」
そのとき、ムビが少女の腕を掴んだ。
「やめてっ!ほんとに死んじゃう!」
少女はムビの顔を見る。
「ムビ様……」
冷静さを取り戻した少女は、騎士の顔から手を離した。
「ひいっ!ひいいいいいいいいっ!!」
騎士は痛みのあまり、顔を抑えて床を転げ回った。
他の『栄誉騎士』達も、先程までの威厳はどこへやら、少女の殺気に縮こまっていた。
「お優しいのですね、ムビ様は。こんなゴミを庇われるなんて」
少女の睨みに、騎士たちは蛇に睨まれた蛙のように凍りついた。
「そもそも、何故お前達は『栄誉騎士』に選ばれたか理解しているのか?帝国に負け続け、報償を与える余裕がないからだ。従来の基準を引き下げ、大量の『栄誉騎士』を生み出し、少ない報酬で満足させる……。お前らはそれに気付かず、犬のように尻尾を振っていただけだ。その程度の慧眼しか持たぬお前達が、私に意見するだと……?身の程を弁えろ」
「はっ……ははぁーーーっ!」
騎士達は頭を地面に擦り付けて平伏した。
(どうなってるんだ?明らかにアメリアがやり過ぎだと思うけど、騎士達のこの反応……。それに今、王族って聞こえたような……。アメリアは、子爵の娘じゃなかったのか……?)
そのとき、王が壇上に上がり、会場全体に声をかけた。
「皆の集、今日のパーティは楽しんでもらえたじゃろうか?名残惜しいが、そろそろパーティを締めくくろうと思う。改めて、『栄誉騎士』の13名に拍手を送ってやってくれ!」
『栄誉騎士』に向け、会場中から拍手が送られた。
そのうち7人は平伏し、1人は床で蹲っていたが。
一部始終を見ていた者は気の毒な表情を浮かべ、今気付いた者は不思議そうに覗き込んでいた。
「さて、パーティはこれで終わりじゃが、最後に余から発表がある!我が自慢の第六王女、リリスの専属冒険者の後任についてじゃ!まずはリリス、壇上へ来るのじゃ!」
王の呼びかけに、少女は壇上へと向かった。
ムビは目を見開いた。
(えっ……!?そういえば思い出した……!確か、第六王女様の名前はリリス……。ちょっと待って、彼女はもしかして……リリス様!?)




