第109話 祈りより先に、土を噛め
目の前にそびえる巨大な建物。
見上げた瞬間、思わず息を呑んだ。
——これが『エヴァンジェリングループ』。
ルナプロダクションの本社とは比べものにならない、圧倒的な規模感。
その威圧に一瞬ひるみながらも、ムビは中へ足を踏み入れる。
「あの、すみません……。ルナプロダクションから参りました、ムビと申します」
受付の女性はにっこりと微笑みながら答える。
「ムビ様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、応接室へ」
案内された部屋には、既に一人の男が座っていた。
葉巻の煙がゆっくりと空気を漂っている。
この人が『エヴァンジェリングループ』代表……ジニー。
「やぁ。君がムビ君だね?座りたまえ」
「失礼します」
ソファに腰を下ろした瞬間、柔らかすぎて沈みそうになった。
あまりの場違いさに、心臓が痛くなる。
「それで、ルナプロダクションの方が、私に何の用かね?」
ジニーが葉巻に火をつけながら尋ねる。
ムビは思い切って口を開いた。
「本日は、お願いがあって参りました。どうか『四星の絆』の公演を許可していただけないでしょうか」
「許可?なんのことだね?」
ジニーは煙を吐きながら、肩をすくめる。
「『エヴァンジェリングループ』が、会場側に圧力をかけていると聞きました」
「ははは、圧力?何のことかね?私は何もしておらんよ?会場を貸してもらえないのは、君らに信用がないからじゃないかね?自分らの問題を、人のせいにしちゃいかんよ」
とぼけたような口調。それでも、ムビには嘘だと分かる。
部屋に入った瞬間から《嘘探知魔法》を発動していた。
……やっぱり反応してる。何度も。何度も。
「あの……何か、『四星の絆』の活動に、お気に障る点などありましたか?もし仰っていただければ、直ちに改善し、二度と繰り返さぬよう……」
「だぁから言ってるだろう? 知らんと。しつこいな、君は」
「お願いします……どんなことでもいたします。ですから、どうか公演を許可していただけませんか!」
その瞬間、ジニーの目つきが変わった。
「どんなことでも……か……」
ジニーは立ち上がり、背後のガラスへ向かってゆっくり歩き出した。
外の景色を眺めながら、ぼそりと呟く。
「君の気持ちはよく分かった。私は何も知らないのだがね、できるだけ協力したい気持ちもある。私に何かできることがないか、検討しようじゃないか」
「ほ……本当ですか!?ありがとうございます!」
「ただ、しかしそうだな……何をしてもらおうか……」
外を眺めていたジニーは振り返った。
「とりあえず、土下座でもしてみるかね?」
は?……土下座……?
「いやね、無理にとは言わないよ?君の誠意を見れば、私の心も動くかもしれんと思ってな。あくまで、君の“自由意志”なんだがね」
ジニーはニタニタ笑いながらムビに歩み寄る。
「それとも、このまま帰るかね?私も忙しい身でな、そろそろ行かねばならない。この辺で失礼させてもらうよ」
「お……お待ちください!」
ジニーは芝居がかった所作で振り返る。
「ほう?何かね?」
「分かりました……土下座します……」
その瞬間、ジニーの口元がゆっくりと歪む。
「そうかね?私も無理をさせたら申し訳ないと思っていたが。そんなに“君が”したいなら仕方ない。さあ、私に、君の誠意とやらを見せてくれ」
ムビは床に膝をつき、頭を下げた。
「お願いします。どうか何卒、公演の許可をください……」
静寂。
そして——ジニーが、ムビの周囲を歩き始めた。
「……君は、そういえば先日、うちの四天王に会ったそうじゃないか」
「……え?」
「随分と気に入っていたぞ?ミナセは君の外見を気に入ったらしい。 セツナは君を“マネージャーにしたい”とまで言っていた」
ジニーの声には、かすかに苛立ちと嫉妬が混ざっていた。
「私は驚いたよ。セツナはね、私がどれだけマネージャーを紹介しても、誰一人として満足しなかった。そんな彼女が……君を“欲しがった”」
ガッ!
———!?
——何が起きたか分からないまま、ムビは視界が真っ暗になった。
ジニーの足が、ムビの頭を踏みつけていた。
「ふざけるなよ?あれらは“私のもの”だ。『エヴァンジェリングループ』のアイドルは全員、私の所有物だ。お前のような薄汚いドブネズミが、気を引こうと努力してんじゃねーぞ??」
「き、気を引こうなんて……!僕はただ……」
「嘘をつくな!」
ガッ!ガッ!ガッ!
ジニーは何度もムビの頭を踏みつける。
「お前のようなッ!三下がッ!私の物にッ!近づくなッ!」
ムビは呻きながら、全身を硬直させる。
ジニーは全体重をかけて、頭を踏みにじる。
「そ……それが、妨害の理由なのですか……?」
ジニーはニヤリと笑う。
「違うぞバカ。本当の理由は……“ミラ・ファンタジア”からの依頼だ」
ムビは目を見開いた。
嘘探知魔法が……反応していない———!?
「お前が欲しいそうだよ。『四星の絆』が邪魔だから、潰してくれとな。全く、どこがいいのか理解に苦しむがな?……こんな情けない男」
バキッ!
ジニーに顔面を蹴り上げられ、ムビは勢いよくテーブルにぶつかった。
「あれ?土下座やめちゃったの?ははは、じゃあ話はこれで終わりだな♪」
ジニーは扉に向かって歩く。
「ま……待ってください!」
「待ちませーん♪そうだ、折角ここまで来たんだ、褒美をやろうか!もっと圧力をかけてやるから、楽しみにしておけ♪お前のせいで『四星の絆』は終わりだ!よく覚えておくんだな♪はっはっは!」
不快な高笑いが残響を引き、ジニーは部屋を去った。
部屋には、ひっくり返ったテーブルと、打ち震えるムビだけが残った。
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