根の迷宮 ― 試練と封印の真実
木霊が開いた門の先は、奈落の底へと続くような螺旋階段だった。 湿った冷気と、肌にまとわりつくような濃密な魔力。三人は言葉を交わすことなく、ただ闇の中を降りていく。 たいまつ代わりのリオの魔法の光だけが頼りだった。
「……おい、何か変だぞ」 不意に、リオが足を止めた。 「階段が……終わらない。それに、いつの間にか霧が出てきてないか?」
気づけば、足元に乳白色の霧が漂い始めていた。霧は急速に濃くなり、視界を奪っていく。 「はぐれるな! 互いの姿を見失うなよ!」 カイが叫び、後ろを振り返る。 だが、そこには誰もいなかった。 リオも、ルナリアも。ただ白い闇が広がっているだけだ。
「幻術か……!」 カイが剣を抜こうとした瞬間、景色が歪み、世界が一変した。
* * *
気がつくと、カイは騒がしい酒場に座っていた。 そこはカルミアンのギルドではない。かつて彼が所属していた、ヴァリスタ帝国の駐屯地の酒場だ。 目の前には、琥珀色の酒が入ったジョッキ。そして――。
「隊長! なに辛気臭い顔してるんですか!」 「ほら、飲みましょうよ。明日の作戦は中止になったんですから」
カイの目が見開かれた。 そこにいたのは、あの湿原の戦いで死んだはずの部下たちだった。若い槍使い、古参の斧戦士、故郷の話ばかりしていた斥候兵。全員が生きて、笑っている。
「……中止? 作戦は、どうなった?」 カイの声が震えた。
「平和条約が結ばれたんですよ。もう戦う必要はないんです」 部下の一人がカイの肩を叩く。 「俺たちは生き残った。これからは故郷に帰って、家族と暮らせるんです。……さあ、隊長も剣を置いてください。もう、背負わなくていいんですよ」
甘美な誘惑だった。 それはカイが心の奥底で最も望み、そして永遠に叶わないと知っている光景。 カイは震える手でジョッキに触れ――そして、静かに首を横に振った。
「……違う」 カイは立ち上がった。 「お前たちは死んだ。俺の命令で死地へ向かい、帰らなかった」
部下たちの笑顔が消え、悲しげな表情に変わる。 「隊長、拒むのですか? この幸せな世界を」
「ああ、拒む。これは俺の都合のいい妄想だ」 カイは腰の剣を抜き放った。その切っ先が、幻影の部下たちに向けられる。 「俺は、お前たちの死を忘れて安らぎを得るつもりはない。その痛みも、後悔も、全て背負って生きていく。それが……生き残った俺の唯一の責務だ!」
カイが一閃する。 剣閃が空間を切り裂くと、酒場の風景はガラスのように砕け散った。 「うおおおおおおッ!」 闇を切り裂き、カイは現実へと帰還した。
* * *
一方、リオは無数の鏡に囲まれた部屋に立っていた。 どの鏡にも自分の姿が映っている。だが、その表情は全て歪んでいた。嘲笑、哀れみ、軽蔑。
『お前は誰だ?』 鏡の中のリオたちが一斉に口を開く。 『人間か? エルフか? いや、どちらでもない。お前はどこにも属さない半端者だ』
リオは腕を組み、不機嫌そうに鏡を睨み返した。 「……知ってるよ、そんなこと」
『誰も愛してくれないぞ。お前がどれだけ明るく振る舞っても、結局は異物だ。孤独に震えて死ぬのがお似合いだ』 鏡像が、リオの深層心理にある恐怖を言葉にする。 幼い頃、石を投げられた記憶。優しかった母が、村八分にされて泣いていた記憶。
リオは目を伏せ、小さく笑った。 「……確かに怖いさ。いつか本当に一人ぼっちになるんじゃないかって、夜中に震えることもある」 彼は顔を上げた。その瞳に、迷いはなかった。 「でもな、それがどうした? 半端者だからこそ見える景色がある。人間とエルフ、両方の痛みを知っている僕にしかできないことがある!」
リオは右手に魔力を込め、鏡の一つを力任せに殴りつけた。 「僕は僕だ! 誰かの定規で測られるのは御免だね!」 パリンッ! 鏡が粉々に砕け散り、連鎖的に全ての鏡が崩壊していく。 光の破片の中で、リオは不敵に笑っていた。
* * *
幻影を打ち破った二人は、霧の晴れた広間で合流した。 そこは、世界樹の根がドーム状に広がる巨大な空間だった。天井から垂れ下がる無数の根が脈動し、中央には青白く輝く巨大な結晶体――「封印の核」が鎮座している。 だが、その核は今、ドス黒い瘴気に覆われ、苦しげに明滅していた。
そして、その前にルナリアが立っていた。 彼女もまた、自身の試練を越えてきたのだろう。その顔には涙の跡があったが、瞳には悲壮な決意が宿っていた。
「……無事だったか、二人とも」 ルナリアは振り返り、儚げに微笑んだ。
「ああ、酷い悪夢だったがな」 カイが剣を納めながら近づく。 「あれが封印の核か。瘴気が酷いな。……ルナリア、どうやって修復する? 手順を教えてくれ」
ルナリアは核を見つめたまま、静かに答えた。 「封印は寿命だ。外部からの干渉で傷つき、もはや魔力の充填だけでは維持できない。……作り直す必要がある」
その時、核を覆う瘴気が渦を巻き、不定形の影となって実体化した。 『無駄だ、無駄だ……! 封印は壊れる。世界は深淵に沈むのだ……!』 耳障りな「深淵の囁き」が響き渡る。
ルナリアは一歩前に進み出た。 「黙れ、古き怨念よ。私が新たな楔となる」 彼女の体が淡い光に包まれ始める。それは魔力を限界まで高め、自らの魂を燃焼させている証だった。
リオが異変に気づき、声を上げた。 「おい、ルナリア! 何をする気だ!? その光、魔力の暴走に近いぞ!」
ルナリアは足を止めず、核へと歩み寄っていく。 「封印を再構築するには、高位のエルフの命を核と同化させる必要がある。……これが、私が守護者として育てられた理由だ」
「なっ……!」 カイとリオが息を呑む。 彼女は知っていたのだ。この旅の終わりが、自らの死であることを。
「短い間だったが……お前たちとの旅は、悪くなかった」 ルナリアは二人を振り返り、本当に嬉しそうに、そして寂しそうに微笑んだ。 「ありがとう、私の盟友たちよ。……後は頼む」
彼女は光の奔流となり、黒い瘴気の中へ飛び込もうとした。
「ふざけるなッ!!」
叫び声と共に、リオが猛然とダッシュした。 魔法使いとは思えない速度でルナリアに追いつき、その細い腕をガシリと掴んで引き止める。
承知いたしました。 エピソード5、そして第1章「エルフの森編」の完結となる**【パート2:第三の選択と、砕け散る運命】**を執筆いたします。
自己犠牲という古い因習を、異分子である二人が「個の力」と「絆」でねじ伏せるカタルシスを描ききります。
エピソード5:根の迷宮 ― 試練と封印の真実
【パート2:第三の選択と、砕け散る運命】
「ふざけるなッ!!」
リオの絶叫が、広大な地下空間に反響した。 彼はルナリアの腕を力任せに掴み、強引に引き戻した。その琥珀色の瞳は、怒りで燃え上がっている。
「放せ、リオ! これしか方法がないんだ! 今行かなければ、封印が――」 「知ったことか! 命を捨てて守った平和に何の意味がある! そんなのただの悲劇だ! 守られる側が、犠牲になった奴のことを笑って話せるとでも思ってるのか!」
リオの剣幕に、ルナリアは息を呑んだ。 今まで見たことのない、本気の怒り。それは、彼女の死を悼む優しさの裏返しでもあった。
「だが……システムが壊れているんだ。誰かが命を燃料にして、無理やり動かすしか……」
「効率が悪いな」 割り込んだのは、カイだった。 彼は剣を抜き放ち、ルナリアと瘴気の間を遮るように立った。その背中は、どんな城壁よりも頼もしく見えた。 「一人の犠牲で数百年もたせるより、システムそのものを書き換えて『永続』させる方が合理的だ。違うか?」
「書き換える……? そんなこと、古代の術式を理解し、再構築するなど、神業に近い! 今この瞬間に行うなんて不可能だ!」
「不可能じゃない」 リオがニヤリと笑った。その額には脂汗が滲んでいるが、瞳は楽しげに輝いている。 「へへっ、パズルなら僕の得意分野だぜ。古代語の解析なら任せな。……ルナリア、あんたは『命』じゃなくて、純粋な『魔力』だけを注ぎ込めばいい。回路は僕が繋ぐ。カイが時間を稼ぐ」
三人の視線が交錯する。 常識外れの提案。失敗すれば全員死ぬ。だが――。
「……信じよう。お前たちの無謀を」 ルナリアは涙を拭い、力強く頷いた。 「私の命、お前たちに預ける!」
その瞬間、黒い瘴気が激昂したように膨れ上がった。 『愚かな! 定めに抗うか! ならば塵となって消えろォォォッ!』 深淵の影から、無数の触手のような闇が放たれた。
「来るぞ! 始めろッ!」 カイが叫ぶと同時に、リオが地面に膝をつき、両手を展開した。 「解析開始!」 彼の指先から幾重もの光のラインが伸び、核を取り巻く複雑怪奇な魔法陣へと侵入していく。
ズガガガガッ! 迫りくる闇の触手を、カイの剣が斬り払う。 一本、二本ではない。百を超える闇の槍が、雨あられと降り注ぐ。カイはその全てを、神速の剣技で弾き飛ばしていた。 「指一本、触れさせん! 急げ!」 カイの腕から血が吹き出す。防御を捨て、攻撃のみで相殺する修羅の剣。
「くっ……複雑すぎる! なんだこのスパゲッティコードは!」 リオは歯を食いしばり、脳を焼き切るような勢いで術式を解読していく。 人間としての柔軟な発想力と、エルフとしての魔力干渉能力。その二つを持つ「半端者」である彼にしかできない、奇跡のハッキング。
「……見えた! ここをバイパスして、エネルギー循環を逆流させれば……!」 リオの指が高速で空を切る。 崩れかけていた魔法陣が、赤黒い色から、鮮やかな黄金色へと書き換わっていく。
『やめろ! やめろォォォッ!』 深淵の影が絶叫し、その本体ごとなだれ込んできた。質量を持った闇の津波。 「させるかよッ!」 カイが咆哮し、真正面から突っ込む。 剣が折れんばかりの衝撃。足が地面にめり込む。だが、一歩も引かない。 「今だ、ルナリア!」
「ああ! 世界樹よ、我らが祈りを受け入れよ!」 ルナリアが両手を掲げる。 リオが繋いだ新たな回路へ、彼女の純粋な魔力が奔流となって注ぎ込まれる。
カッッッッ!!!!
地下迷宮が、目も眩むような閃光に包まれた。 それは破壊の光ではない。再生と浄化の光。 新たな術式が完成し、封印の核が完全な輝きを取り戻す。
『グガアアアアアアッ! 認めぬ、認めぬぞォォォ……!』
深淵の影は断末魔を上げ、光の中に溶けるように消滅していった。 後には、静寂と、青白く脈動する美しい核だけが残された。
* * *
戦いが終わり、三人はその場に崩れ落ちた。 誰もが満身創痍で、魔力も体力も空っぽだった。だが、生きていた。
「……やったな」 カイが大の字に寝転がりながら呟く。
「へへっ……見たかよ。僕の完璧な術式構築……天才と呼んでくれてもいいんだぜ」 リオが乾いた笑い声を上げる。
ルナリアは二人の顔を交互に見つめ、それから堪えきれずに吹き出した。 クスクスと、少女のように無邪気な笑い声。 「ふふっ……ああ、天才だ。お前たちは、世界一の大馬鹿で、最高の天才だ」 彼女の瞳から、安堵の涙がこぼれ落ちた。
* * *
地上に戻ると、森はすっかり浄化されていた。 澱んでいた空気は澄み渡り、小鳥たちのさえずりが戻っている。枯れていた「黒い傷跡」にも、小さな新芽が芽吹き始めていた。
森の出口。 ルナリアは二人を見送るために立っていた。出会った時のような冷たい仮面はもうない。そこにあるのは、友を見送る穏やかな微笑みだけだった。
「本当に行くのか? 長老たちは、お前たちを英雄として迎えたいと言っているが」
「ガラじゃないさ。それに、長居するとボロが出る」 リオが帽子を直しながら笑う。 「また来るよ。今度は仕事じゃなく、遊びにな」
「ああ。いつでも歓迎する。……我が盟友よ」 ルナリアは右手を差し出した。 カイとリオ、それぞれがその手を強く握り返す。種族の壁も、偏見も、そこにはもう存在しなかった。
二人は背を向け、街道を歩き出した。 少し歩いたところで、カイが懐から「黒い石片」を取り出し、太陽にかざした。 封印は修復されたが、この破片は手元に残ったままだ。
「森の異変は解決したが……これをばら撒いた『黒幕』は、まだ野放しだ」 カイの瞳が鋭く細められる。 「深淵の封印を解こうとする勢力。……ガレスの言っていた通り、きな臭い話になってきたな」
「だねぇ。こいつはとんだ厄介ごとの種だ」 リオは肩をすくめたが、その表情はどこか楽しげだった。 「でもまあ、俺たちなら何とかできる気がしないか? 何せ、世界の危機を一回救ったコンビだぜ?」
「……調子に乗るな」 カイは呆れつつも、破片を強く握りしめた。 その感触は、これからの長く厳しい旅路を予感させるものだったが、不思議と不安はなかった。 隣には、背中を預けられる相棒がいるのだから。
「さて、カルミアンに戻ったら、あのタヌキ親父からたっぷり追加報酬を絞り取ってやるか!」 「同感だ。今度こそ美味い酒を奢らせる」
二人の笑い声が、青空へと吸い込まれていく。 大国の興亡、その陰で動き出した小さな歯車たちの物語は、まだ始まったばかりである。
いったん、これでしばらくお休みします。
いいねが増えたら、再開したいと思っています!!!
冬休みの書いた分が全てこれでなくなりました!!!




