五十歳から始める異世界恋愛譚〜手違いで召喚された偽聖女ですが、なぜか王子の世話係に任命されてしまいました〜
「し……失敗だ! 老婆を呼び出してしまった! 偽聖女だ!」
目を開けた途端、そんな失礼な言葉から私の異世界転移人生は始まりました。
「失礼な! まだ五十歳になったばかりよ!」
「しゃ、喋ったあああ!!」
「おばちゃんだって喋ります!」
思わず言い返してしまったけれど、正面にいる人たちはどれもこれも日常とはかけ離れた服装をしていた。司祭服を身に纏った人から説明を受けると、どうやら私はこちらの世界に“召喚”されてきたらしい。
私が召喚された国はハッシュド王国といって、国の繫栄を願うために百年に一度転生者を召喚する儀式があるようだ。
女性であれば子孫繁栄。男性であれば国益安泰。転生者は何かしらの“能力”が付与されていることが多く、儀式は大変だけれど行う価値があるとのこと。
特に女性であれば聖女の能力を持っていることが多く、転生者が国を救うこともあるのだとか。
どう転んでもいいように聞こえるけれど、教会側の人間は誰もかれもが真っ青な顔色である。
私はいつも通り洗濯物を干していただけだというのに、どうしてそんな顔をされなければならないのか。ムッとムカついて、彼らを叱る。
「そんなに嫌なら戻して頂戴! 私だって何がなんだか分からないのよ!」
「ど、どうか静まりください! 国に災いが……」
「失礼な!」
ピシッと述べると、彼らはまた委縮してしまった。人をバケモノみたいな扱いして。どうなっているのかしら。
「マダム。これには深いわけが……」
聞けば、転生者の中で唯一不吉とされている人物像があるらしい。
それが、老婆。聖女とは逆を表す老婆は、王室の後継を止める存在として恐れられている。
「だから、私はまだ老婆じゃ……」
今一度反論しようとして、やめた。
この人たちにはそう見えているのだから、言うだけ無駄よ。
……私、まだ自分が老いてないと認めたくないだけなのかしら。なんだか悲しくなってしまう。
最低限の美容室と、家事がしやすいエプロン姿。肌の張りも潤いもなくて、体形維持も若いときほど気が回らない。とにかく、いかに楽に日常作業をこなせるかに特化した姿では、若く見てくれというほうが無茶なはず。
勢いが消えて目を伏せている私の元に、再び一番偉そうな人が近づいてきた。
「マダム。こちらに呼ばれた際、何か持ってこられませんでしたか?」
「何って、そんなもの……あら?」
適当に体を確認していると、エプロンのポッケに何かが入っているのに気づく。取り出して見れば、砂時計であった。
くびれの部分は随分とキツく作られているようで、目を凝らさなければ砂が落ちている様子が見えない。
砂時計を見た聖職者らは、また悲鳴を上げる。
「終焉を告げる砂時計です!」
「め、滅亡までのカウントダウンだ! この国は終わりだ!」
「大司教様! どうかお導きを!」
助けを請われた男性は、ううんっと頭を捻る。
「転生者を元の世界に返す方法はない。しかし、このままでは国の危機かもしれぬ……」
散々に考えた彼は、苦肉の策ともいうべき表情で言葉を溢す。
「仕方ない。転生者に有効かどうかは分からぬが……生贄に出そう」
■
場所は変わり、私はとてつもなく大きな扉の前に立っていた。
ここはハッシュド王国アーデル城。まぎれもなく、この国の王族たちが住まう城だ。
「ここに勤めるのが……生贄?」
いえ、私自身で選んだんですけどね。
あの後教会側の人間が、それはそれはたくさんの資料を持って私の所へやってきた。
資料の名前は「生贄行先一覧表」と書いてあり。まるでハローワークかのように「どれも収入はないですが、大丈夫ですか?」「なにか得意なことはありますか?」「資格はありますか?」などと、懇切丁寧に生贄としての行き場を探してくれた。
中には「火山に住む魔物に食べられてみよう!」なんておぞましいモノもあったけれど。その中で比較的私の興味を引いたのが、この生贄業務である。
「邪知暴虐王子の世話係……ねぇ」
現国王は、なかなか子宝に恵まれず随分と年がいってから子供を授かった。その反動か、甘やかしに甘やかし。ついには我儘の化身・天上天下唯我独尊な男が出来上がってしまったらしい。
王子は不快なことがあればすぐに世話係やシェフを解雇し、従者の誰もが手を付けられない状態。ついには国中探しても世話係を希望する者がいなくなってしまい、強制的に選ばれた人たちは「生贄になってしまった」と嘆くとのこと。
そんなこんなで、不名誉ともいえる生贄行先一覧表に選抜されてしまったのだ。
扉の前で立ち尽くしていた私は、頬を叩いて軽く気合を入れる。
「死ぬよりマシよ! 主婦歴三十年を舐めないで頂戴!」
簡単にいえば、子守りよね!
なんたって、私はシングルマザー。三つ子を授かったと知った旦那は、家計圧迫を察知して子供が生まれる前に姿を消してしまった。
必死に育てた子たちも、すでにいい大人。なんだったら、私はもうすでにお祖母ちゃん!
あとはゆっくり一人暮らしを満喫……と思っていた矢先に異世界転移ときたものだ。
この年でもう一度子供の面倒を見るとは思わなかったけれど、帰れないならやるしかないじゃない。
「王子の名前は、ヴィクトル様ね。孫の名前と間違えないようにしなきゃ」
よし、と背筋を伸ばして扉を開ける。
「初めまして! 今日からお世話になります、菊池マリ子と……」
部屋に入った途端、私はウっと顔をしかめる。部屋中に充満する香水の匂いが強烈で、昼間だというのにカーテンすら閉めっぱなしだ。
部屋の中央にあるキングサイズのベッドには大きな膨らみがあり、私の声に反応したのかモゾモゾと動く。
「うるさい……何者だ……」
むくっと、布団から一人の男性が起き上がった。暗がりでも輝くような金髪に、碧色の瞳。真っ白な肌と整った顔のパーツ。
若い頃なら悲鳴を上げていそうなほどの美形である。
上半身は裸で、布団があるからいいものの、果たして下は履いているのか分からない。
どうみても、十代後半の青年である。
せ、世話係って……子供じゃなかったの!?!?
唖然とする私を見た王子が、意地の悪そうな顔で笑った。
「はっ。ついに執事長もボケたか。この俺様が女であれば誰でも抱くとでも?」
「な、なんのことかしら……」
「こっちの台詞だ。閨係の募集要項をよく読んでから出直してこい」
閨、係、ですって……?
生贄、生贄って……。あー! っと思考が繋がった時、私はよろけるのを堪えるので必死だった。
しっかりしなさい、マリ子! 間違えたのは自分の責任! かといって今更「生贄就職変更で!」なんて言えるわけもないわ!
なんとか気を取り直し、私は勢いそのままに部屋の中をスタスタと歩く。
まずは、このつけっぱなしの香水に蓋をする! そして、カーテンを開け、換気!!
太陽の光にさらされ、王子が一気に不快な顔をした。
「おい、何を勝手に」
「それこそ、こっちの台詞です! 勝手に閨係認定しないでください!」
「……はあ?」
はあ? ですって? なんて口の利き方がなってない子なの!
こんなの……反抗期の息子と一緒じゃない!
私は怯むことなく、王子の正面に立って腕を組む。
「今日からお世話になります、世話係のマリ子です! シモの世話以外のすべてを行いますので、どうぞご贔屓に!!」
「……帰れ。殺すぞ」
噛みつく勢いで睨まれたが、構わない。ノーダメージもノーダメージ。
なんたって、私が世話係になると国王に進言したとき、国王は泣いて喜んでいたからだ。命の保証だけはすると、確約してもらっている。
実際、私が来るまでの間、ひっそりと王子の部屋から危険物が取り除かれたらしい。
「まずは! 服を! 着なさい!!」
こうして、私と王子の騒がしい日々が始まった。
■
「おはようございます! ヴィクトル様! 朝ですよ!!」
私の朝は、王子を起こすところから始まる。
「クソババァ……何時だと思ってる……」
「朝の七時よ! もうお城中の人、みんな起きてるわよ! あなただけよ、まだ寝てるのは! いいですか、ヴィクトル様! 朝はちゃんと……」
「うるさい!!」
ようやく王子が体を起こしたので、今日着る服を渡す。亀より遅い速度でボタンを締める姿を見つつ、寝ぐせ直しをプッシュして髪を解かす。
「なぜだ……なぜ父上はこのババアを重宝するんだ……」
私が来た日から、ヴィクトル様は私を「解雇しろ」と騒ぎ、国王に進言した。しかし、ここは親の堪えどころ。国王は鋼の意思でヴィクトル様の希望を跳ねのける。
ついには、私に危害を加えれば王位継承権をはく奪するとまで言い切ったので、ヴィクトル様も言葉を飲むしかなかったようだ。
「あら。ほら、イケメンになったわね」
「俺は元々美麗だ」
「そうね、自信があるのは良いことよ。さあ、朝ごはんを食べましょう」
自分より頭何個分も大きい男の背中を押し、椅子に座らせる。
しかしヴィクトル様はシェフが腕を振るった朝食に、見向きもしない。
「食べなさい!」
「いらん。朝食は気分じゃない」
部屋の出入り口では、僅かに開けた隙間から多くの従者らがハラハラとした表情で私たちの様子を窺っていた。
ヴィクトル様がテコでも動かなさそうなので、私は方針を切り替えてみることにした。
「どうして食べたくないの?」
「……硬い。冷たい。量が多い」
確かに。朝食はフルーツやヨーグルトといったさっぱり感を重視したものが多い。スープもあるけれど、今日は冷製スープだ。
そこで、私は部屋の外に待機していた従者らに話しかけに行く。
「このお城には、お米を食べる習慣はある?」
「え、ええ。貯蔵庫にあります」
「良かった。キッチンを借りてもいいかしら?」
従者らは首を傾げながらも、私を案内してくれた。
私がキッチンで作業する間、気が気でないのか従者らは恐る恐る声を発する。
「その、マリ子様はヴィクトル様が恐ろしくはないのですか……?」
「怖くないわよ。慣れているわよ、反抗期なんて」
「いつか暗殺されるのでは……」
「国王が私の住まいに充分な護衛を付けてくれているわ」
本人が良いというなら良いのか。と言いたげな彼らを見て、私は笑みを浮かべる。
「わがままってのはね、なんにもないところからは出てこないの。子供の癇癪には、大抵理由があるものよ」
「は、はあ……」
作ったものを部屋に持っていけば、ヴィクトル様はテーブルにつっぷして二度寝をしていた。皿を置けば、匂いにつられたのか目が開く。
「……今度はなんだ」
「おかゆよ。これならきっと食べられるわ」
ヴィクトル様はゲテモノをみたかのような表情をする。
「あら。食べさせてあげなきゃいけないほど、貴方は赤ちゃんなの?」
「……うるさい」
渋々、という言葉が本当によく似合うほど、ヴィクトル様はゆっくりとスプーンを持つ。
そして、舐める程度の量をすくって口に運んだ。
表情は変わらないし、無言である。しかし、二杯目はさっきより取った量が多かった。
これに反応したのは、従者らのほうだ。
「嘘! ヴィクトル様が二口も朝食を食べられた!」
「もう十年は見てないお姿だ! 国王陛下にご報告しなければ!!」
「きっとマリ子様はとんでもない魔術師に違いない!」
声が聞こえて、ヴィクトル様が扉のほうを睨む。すると、蜘蛛の子を散らすように野次馬は立ち去って行った。
三杯目をすくいかけたヴィクトル様は、口に運ぶ前にスプーンを皿に投げる。
「……何が望みだ」
「え?」
「一体、父上にどんな報酬をぶらさげられた。俺が代わりにやろう。今すぐに……でていけ」
「報酬なんてないわ。自分で選んだ仕事よ」
「不快だ。いつまで俺の視界の中にいるつもりだ」
そういえば、教会側からはいつまでとは言われなかった。
私は悩みつつも、首から下げていた砂時計を取り出す。
「この砂が落ちるまでかしら?」
滅亡までのカウントダウン、なんて言われていたけれど。
たしかに、この王子が国王になった日には国が滅びそうね。
ヴィクトル様は砂時計を見ると、視線を棚に向ける。
「そこに飾っておけ。俺のストレスがいつまでに終わるのかを、俺自身に把握させろ」
「分かったわ」
「それと。その契約が終わり次第……不敬罪で処刑してやろう」
「……分かったわ」
死を了承したわけではないけれど、生贄期間が終わってしまえば、私の命は保証されない。
だったら、どんな返事を選んでも一緒よ。
私をいつか処刑できると決まったことで、ヴィクトル様はどこか諦めがついたのだろう。以降、割と大人しく私の注文に従うようになった。
「起きたらお布団を畳みなさい!」
「お昼は外にでてストレッチでもしなさい! 若者が引きこもって情けない!」
「服は脱ぎ捨てないの!!」
「食べたお皿は片づける!!」
私の声が城に響くたびに、城中の者からの「ひいい! 王子殿下になんてことを!」という悲鳴が聞こえる。
皿を持たせ、背中をグイグイ押してキッチンまで連れてきた日には、料理長が腰を抜かして泡を吹いてしまった。
まるで人形のように言うことを聞くヴィクトル様を見て、ついには私が操ってしまったのではないかという噂話まで流れ始めた。
「や、やりすぎです! マリ子様!!」
そんな苦情が届いたのは、城に来てから一カ月後のことだった。
「王子殿下が可哀想でございます!」
「朝起きてから一つもご自由がない身……どうかお昼寝のお時間を作ってください!」
「まるで傀儡のようになられてしまって……! これでは次期国王としての威厳が!」
「国民に知られたら、どんな笑い者になるか……!」
次々に飛んでくる言葉に、私は屈することなく腰に手を当てて言い返す。
「可愛がるのと甘やかすのは違うわよ!」
私の声に、周囲は一斉に黙り込む。
「彼は国王になるんでしょう! 一つ一つの責任をこれから全部負っていくの! 自分の身なり一つ責任を持てなくて、どうするのよ!」
気持ちはわかるわ。望んで、望んで、ようやく生まれた可愛い王子。
苦労させたくない。悲しませたくない、泣かせたくない。どうかいつだって、充分な満足が得られる環境であってほしい。
親や身内であれば、きっと誰だって持つ気持ち。
でも、可愛さを履き違えて手を差し伸べ続けてしまったら、何一つその子のためにはならないの。
「あの子は、あんなに必死に自分のやるべきことに向かい合っているわ! だったら、貴方達も覚悟を決めて向かい合いなさい!! 逃げ道はそのあといくらだって用意してあげればいいわ!」
私の大演説が終わったと同時に、しかめっ面をしたヴィクトル様がキッチンに顔を出した。
今日も今日とて不機嫌ね。初日以来、彼の笑った顔はみていない。
「どうされましたか、ヴィクトル様」
ヴィクトル様は無言のまま、私に皿を差し出す。時計を見れば、丁度昼食が終わった時間帯だった。
「あら、ありがとう。偉いわねぇ」
プイっと顔を向けるヴィクトル様は、そのまま立ち去ろうとする。
「ちょっと待って、ヴィクトル様」
呼び止めれば、「まだ何か用があるのか」と言いたげな顔が私を睨む。
「食べ終わったときには、ご馳走様って言うのよ」
ここからは、いつもの私とヴィクトル様の意地の張り合い、根気勝負だ。
私は笑顔のまま、お互い無言のバトルを繰り広げる。
嫌だ、ウザい、不快だ、指図するな。と、まあ次々にヴィクトル様の背後から怨念が漂ってくる気分。
「砂時計、少しは時間が進んだかしら? あとで一緒に見てみましょうか」
ダメ押しの一言が、私に勝利をもたらした。
「……ごち……そう……さま」
蚊の鳴くような声でそう言ったので、私は調理長に視線を送る。
「ですってよ、料理長」
「あ、ああ……ええっと……あ、ありがとうございます。光栄にございます……」
どうやら、王子が変わったらしい。そんな噂話が民に広がりだしたのは、そう遠くない日のことだった。
午後のティータイム。のんびりとベランダで編み物をしていた私の所にヴィクトル様が来て、なにやら手紙の束を投げた。
「処分しておけ」
「はいはい」
手に取ってみれば、どれもこれもラブレターである。
生活習慣が改善されたヴィクトル様は、前にも増して麗しくなった。物腰も柔らかくなり、手当たり次第に人に喧嘩を吹っ掛けることもない。
ヤンキー猫理論とはよくいったもので、彼の些細な行動は城中で評価を高めていく。
そんな城の声が貴族へと伝わり、民へと伝わり。無口な金の王子、なんてあだ名までついちゃって、令嬢たちが騒ぎ立てている。
「本当にいらないの? 中身くらい読んであげなさいよ」
「興味がない」
「いつかあなたにぴったりなお嫁さんが見つかるといいわねぇ」
一応読んだ形跡があるので、「やっぱり素直な子じゃないなぁ」と笑みがこぼれる。私が読めと小言を漏らすのを察して先回ったのだろう。
「……随分と老人のようなことをいうようになったな」
「そうね。もうすぐ処刑だからかもしれないわね」
砂時計は、半分をとっくに切ってしまった。ヴィクトル様にとっては待ち望んだ日が近づいており、私は死か滅亡かのどちらかを見ることになるだろう。
手紙を処分しようと立ち上がる。ふいに風が吹いて、私は横髪をかき上げた。
「……貴様」
「え?」
何? とヴィクトル様を見れば、少し驚いたような顔をしている。
「言いたいことがあるなら早くいいなさいよ」
「いや……なんでも、ない」
ヴィクトル様は難しい顔をして考え込んでしまったので、私は「まったく」とため息を吐く。
彼のこの行動に明確な疑問を持ったのは、その日の晩のことであった。
ヴィクトル様が就寝したのを確認した私は、自室へと戻ろうと廊下を歩く。
その途中で、一人の衛兵と出会った。
「あら。どうされましたか?」
「お待ちしておりました、マダム」
三十代中頃に見える屈強な彼は、恭しく私に頭を下げる。
「今日のお勤めは終わりですか?」
「ええ。今晩は寝つきが良かったみたいよ」
「そうですか。それでは……私と庭の散歩にでもいかがですか?」
はい? と首を傾げる。次に、笑いがこみあげてきた。
「あはは! 侍女と間違えられているのかしら。こんなに暗くては仕方ないわよね。私はマリ子、人違いよ」
「いいえ。違わないです。マリ子様をお誘いしているのです」
真剣にそう答えるので、今度は慌てる。
「ちょっと、休暇がもらえてなくて疲れているの!? 私はおばちゃん。この世界の老婆よ! 貴方みたいな若い子にはもっと似合った……」
「俺には、貴方が老婆だなんて信じがたい」
衛兵は一気に私との距離を詰める。これは、危ないんじゃないか。とすっかりどこかに捨て置いたはずの女の勘が騒めく。
「ちょっと、冗談は良し……」
身を引いたついでに、窓ガラスに浮かんだ自分の容姿が目に入った。
「……え?」
疑った。肌の張りも潤いもなくて、体形維持も若いときほど気が回らない。そんなよくいるおばちゃん像だったはずの私の容姿は、写真でしか見返すことのない三十代の頃のような姿になっている。
「どう、して……」
「知っていますか、マダム・マリ子。王子と共に過ごすうちに、日に日に美しくなる貴方の容姿に、城中の男たちが気が気でないと」
「し、しらなかったわ、おほほ……」
「貴女が魔女でも構わない。どうか、俺と共に……」
伸びてきた腕は、誰かによって静止させられた。誰が掴んだのかいち早く察した衛兵は、顔を真っ青にする。
「誰の許可を得て、俺の世話係に手を出そうと?」
顔を上げれば、そこには久々に不機嫌全開のヴィクトル様の姿があった。
「ヴィクトル様、寝たはずでは……」
「部屋の外でこうも騒がれては、寝るに寝れん」
私との話はどうだっていいと、ヴィクトル様は衛兵を睨みつける。
「俺の眠りを妨げた罪も同時に問おう。特別に、貴様一人の命で済ませてやろうか」
「ひ、ひぃ……お、お許しを……!」
「こら! なんてことを言うの!」
私に叱られ、ヴィクトル様は衛兵の手を放す。衛兵が逃げるように立ち去った後、ヴィクトル様は大きなため息を吐いた。
「自分の身くらい自分でどうにかしろ。……貴様が俺にいつもいう小言ではないのか」
「そ、そうね。ありがとう」
言いたいだけ文句を言ったのか、ヴィクトル様は踵を返して部屋のほうへと歩き出す。
「ヴィクトル様!」
「なんだ」
「私、もしかして若返っている!?」
城に来てからも、ずっと自分の容姿なんてまともにみてこなかった。そんなことより、人生二度目の子育てに大忙しだった。
私の声を聞いたヴィクトル様は、一拍間を開ける。そして、意地悪な笑みと共に振り返った。
「はっ。俺の閨係が務まるまで、あと二十歳は足りんな」
久々に見た、ヴィクトル様の笑顔。
思わず見とれてしまったが、ハッと我に返って灯りをブンブンと振る。
「失礼ね!! 貴方のシモの世話は、何歳若返ってもお断りよ!!」
私の文句を無視して、ヴィクトル様は部屋へと帰ってしまった。
残された私は、自分の胸を押さえる。
「ご、五十歳にもなって若い男にドキッとするなんて……なんてはしたないおばちゃんなのかしら」
子供を産んでからというもの、愛だの恋だのとは無縁の世界で生きてきた。そんなことより、愛しい我が子を育て上げるのに必死だった。
昼も夜も働き、少しずつ大人になる我が子を見るのが生きがいだった。
手が離れ、それぞれがそれぞれの人生を歩みだし。ふと、家の静かさに寂しさを覚えるのも、それもまた人生だと納得してきた。
今更……
今更、男にときめくだなんて、惨めだわ。世間様から笑われてしまう。
「……現世に帰れたら、○流ドラマデビューでもしようかしら」
ヴィクトル様が外交に行かれるとの連絡があったのは、それから三日後のことであった。
■
「ハンカチは持った!? 着替えは充分に詰めたの!?」
「……うるさい。うるさすぎる」
馬車の前でげんなりとするヴィクトル様に構わず、私は「持っていくものリスト」の最終チェックをする。
「だって心配よう! ヴィクトル様、初めての外交じゃない!」
そう。いままではあまりにも素行が悪すぎて、他国との交流の場にはとてもじゃないが出せなかった。しかし、今ならよかろうと国王が帝王教育の一環で外交の場に同行させるとのことだった。
「ちゃんと給仕にお礼はするのよ! それから、遅刻をしないように懐中時計はしっかりもってなさい! それから……」
「おい」
ヴィクトル様は私の言葉を止め、視線を合わせる。
「少しは俺を信頼しろ」
「だって……こんな気持ち、息子たちの小学校の入学式以来よう!!」
埒が明かないと、ヴィクトル様は早々に馬車に乗り込んでしまった。
「いつ帰ってくるの!」
「一週間後だ」
「帰ってきたらたくさん褒めてあげるわ!」
「いらん」
そっぽを向くヴィクトル様に寂しさを覚えていると、また蚊の鳴くような声が聞こえた。
「……帰ったら準備しておけ」
「何をよ!」
「……おかゆ」
「え?」
聞き返す間もなく、馬車が出発する。残された私は、何とも形容しがたい気持ちがこみあげてきた。
「……城の人たちが散々に甘やかしてしまった理由が分かってしまった気がするわ」
残された私は暇というわけではない。なんと、国王から「今なら行けるかも!」と使命を預かっているのだ。
私は近くにいた従者らに指示を飛ばす。
「さあ! みんな。時間は一週間しかないわ! いそいで準備しましょう!」
「はい! マリ子様! すでに招待状は用意しております!」
「アーデル城一世一代の大企画……ヴィクトル様婚約者探し舞踏会の始まりよ!」
ヴィクトル様を外交に出したのには、もう一つ理由がある。
それは、アーデル城にて舞踏会を開催するためだ。ヴィクトル様も来年で二十歳。そろそろ婚約者を探さなければと、国王が頭を抱えていた。
かといって、ヴィクトル様の目に付くところで準備をすれば中止になること間違いなし。というわけで、彼がいない間に準備を進め、帰ったと同時に開催というわけだ。
「でも心配ねぇ。不機嫌になって引きこもってしまいそうだけど」
私の杞憂を聞いたメイドの一人が、クスっと笑う。
「大丈夫ですよ、マリ子様」
「そうかしら?」
「ええ。王子殿下は、自室に帰られるより先にマリ子様を探されますでしょうから」
「だといいのだけれど」
私は当日囮役として、会場にいてほしいと頼まれている。私を探してヴィクトル様がくれば、強制的に舞踏会スタートというわけだ。
私は成功するかどうかより先に、次の日の不機嫌をどうやって直そうかいまから考えていた。
「それにきっと……」
メイドは私を見て、少し羨ましそうな顔をした。
「マリ子様に敵うご令嬢はいませんよ」
「どういう意味かしら?」
「ふふ。少しはご自身の容姿を確認くださいませ」
窓ガラスで自分の容姿を見た日以来、私はあえて自分の容姿を確認していない。
若返っていると勘違いしないために。勘違いがもたらす惨めさを実感しないために。
きっとあの日の光景は、異世界が見せた幻にすぎなかったと。
そうやっていつの間にか忘れればいい。
だから……砂時計の残り時間がもうほとんどないことには気づかないフリをしましょう。
一週間とはあっという間で、ついに舞踏会の日がやってきた。
会場は多くの令嬢でひしめき合っており、国が招いた最高峰の音楽団による演奏が鳴り響いている。
ホールに集まった人々の端で、私は会場を見渡す。
「なんとかなるものねぇ……」
ヴィクトル様にバレないよう、仮面をつけてきた。一人だけ仮面舞踏会状態で浮いているけれど、即バレするよりマシよ。
あとは主役待ち。私は近くにいたメイドに声をかける。
「ねぇ、私のドレス、少し派手過ぎるんじゃないかしら?」
「いいえ、お似合いですよ」
「私は会場にいるだけで良かったはずよ。わざわざこんな令嬢の真似事なんて……」
「城の者から、マリ子様への精一杯の感謝と敬意です。お受け取り下さい」
五十歳のおばちゃんが桃色のドレスを着ているだなんて。いい笑い者ね。
実際、いくつもの令嬢からの視線が痛いし、コソコソと会話をしている様子が丸わかり。
壁際に移動してモヤモヤとしていれば、会場の入り口から黄色い歓声が上がった。
ヴィクトル様だ。正装に身を包み、髪を後ろに流して整えた姿は、本当にあの寝起きの悪い小悪魔かと見間違うほどである。
ああ、私も若ければ。なんて言葉がよぎってしまった。
我先にと群がる少女らが羨ましいと思ってしまった。
「ほんと、惨めね……」
ヴィクトル様は声をかけられるたびに、笑顔で会話をされている。長くは話すつもりがなく、次々と断りながら歩いているようだが、その物腰は紳士的だ。
女性に乱雑な言葉を使ってはいけません。外では嫌でも愛想よくしたほうが物事は上手く転がりやすい。
私が教えたことと律儀に実践している姿をちゃんとみるのも初めてだ。
「ヴィクトル様に選んでもらえる子は、きっと幸せね」
ちょっと口が悪いけれど、ちゃんと優しい人よ。
不機嫌なときは多いけれど、押しには案外弱くて素直な人よ。
本当に危ないときは、守ってくれる頼りがいのある人よ。
彼はきっと……いい国王になる。
私に残された時間はもうないけれど、せめてこの国の未来が、滅亡ではなく私の死であることを願うわ。
「さて。私はお役御免ね」
ヴィクトル様に見つかっては、計画が台無し。
そう思って立ち去ろうとした私であったが、私の計画こそが台無しとなってしまった。
「マリ子」
ヴィクトル様が呼ぶ。知らないフリをしなければいけないのに、名前を呼ばれたことがあまりにも珍しくて、思わず振り返ってしまった。これでは、仮面をつけていた意味がない。
こんな大勢の中から、一体どうやって? と聞きたいくらいに、ヴィクトル様は私を見つけて真っすぐに歩み寄ってくる。
逃げられないと悟った私は、困り顔で笑みを作った。
「あら。見つけるのが早かったわね」
「この俺が見間違うはずがなかろう」
「侮ったわ」
「どうだ。俺の振る舞いは、少しは信頼に値したか?」
「ええ。とっても紳士的で素敵よ」
軽快な会話をする私たちを見て、令嬢のうちの一人が声をあげる。
「ヴィクトル様! そちらのご令嬢はどちら様でしょうか!」
「一人だけ仮面をつけての参加だなんて……!」
社交界でも見覚えがない、と言いたいのだろう。
「あはは、ご令嬢だなんて。少し会場の灯りが暗すぎたかし……」
「紹介に遅れてすまない。俺のフィアンセだ」
ギョッとする私とは対照的に、会場から悲鳴が上がる。
慌てて私はヴィクトル様の腕を掴んだ。
「ちょっと! ヴィクトル様! ご冗談はおやめください! 国王陛下がどんな気持ちで今日の日をご用意されたか分かっていますか!」
「俺は真剣だが?」
碧色の瞳に射抜かれ、言葉を失う。
ヴィクトル様が私を? 一体なんの冗談だというの?
私はもう、五十歳のおばちゃんなのよ。歳の差婚が泣いて逃げるわよ!
唖然とする私に、ヴィクトル様はフッと笑う。
「貴様はいつも、俺に自分の容姿はしっかり確認しろと言っていたな。その言葉、そのままそっくり返そう」
「きゃっ……!」
ヴィクトル様の腕に抱えられ、窓際へと連れていかれる。
「外交のときも、今日のパーティも。俺の周りにはいつだって着飾った女が寄ってくる。それでも……」
ヴィクトル様は私の仮面をそっと外した。
「マリ子。お前こそが、世界で一番美しいことを自覚しろ」
「……嘘よ」
窓ガラスに映った私は、五十歳でも三十代でもなかった。
どこからどう見ても、十代のうら若き少女である。黒い髪には艶が入り、桃色の唇は潤いに溢れている。
シミも皺もない白い肌と、人形のように細い手。
若返っていると、嫌でも実感しなければならない姿がそこにはあった。
「どうして……」
「砂時計が進むたびに、若返るお前の姿を見てきた」
「あ、あの砂時計の効果は!」
「滅亡だったか? 確かに滅亡したな」
「え?」
「俺が愚王となり、お前が死ぬ未来は今ここで確かに滅亡した」
転生の儀式は、国の繁栄を祈るためにある。
もしも。もしも私という存在が、滅亡するハッシュド王国の未来を防ぐためにあったとするなら?
「確かにお前は偽聖女であったらしいが、国を救った英雄でもある」
「そんな大げさな……」
ヴィクトル様は「理解したか?」と言いたげに満足げな顔をして笑う。
「褒美をやろう、マリ子。俺の婚約者という、最高の褒美だ」
「まったく……貴方は本当に、自信過剰なのよっ……!」
「良いことだと言ったのも、お前だ」
私は処理しきれない感情の中、ヴィクトル様の頬に手を当てて問う。
「一つ教えて、ヴィクトル様。どうして私を選んだの?」
容姿に惚れたというのなら、それは止めなければならない。中身はただのおばちゃんで、きっと彼が願うような恋模様は届けられないから。
ヴィクトル様は少し目を見開いた後、意地悪そうに笑う。
「飯が美味かった」
想定外の返事に、今度は私が目を丸くする番だ。次いで、笑いがこみあげてくる。
「ほんと、子供ね」
「渋々従っているうちに、いままで見えなかった世界が見えた。誰かに礼を言うと、礼が返ってくることを知った。お前の飯のおかげだ」
「わかったわよ。今日はお喋りね」
「いままで散々我慢したんだ。これからは俺に本気で口説かれる覚悟をしろよ」
「……そうね。今度は貴方に恋愛が何かを教えてもらう番だわ」
愛だの恋だの。そんなものはとっくに忘れてしまった。
持つことすら恥ずかしいのではと思う歳になってしまった。
それは、私がいままで生きてきた世界の常識のせい。人はこうであるべきだという、無自覚な刷り込みが私の未来を狭めてきた。
……ここは異世界。
少しくらい、自分の未来に期待したって、バチは当たらないんじゃないかしら?
【作者からのお願い】
異世界恋愛は自由だ!
これはこれでいい!! 許される!! むしろアリ!!
そんなふうに少しでも思っていただけましたら、ブックマークや高評価★★★★★をいただけますと幸いです。