大和心と「匂う」の考察
テーマとしてはお堅いと思われるかも知れませんが、そこまで深い考察をしているわけでもなく、完全に私のオリジナルだとかいう訳でもありませんので、気楽に読まれてくれたら嬉しいです。
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花
これは江戸時代の文学者である、本居宣長の有名な詩なのですけど、この詩に含まれる「匂う」の表現のがよく分からないのです。
もちろん嗅覚によるものではないのは分かります。
桜の花は香りが弱すぎて「香りが良い」とは言えません。
桜の花に鼻を近付けて「いい香り〜」などやっているのを見たことも聞いたこともありません。
「いい香りだな〜」という感覚での「匂い」から、日本人の心を言い表わしているようには読めませんよね。
この詩で使われている「匂う」に関して、ネットで調べると、昔は「輝く」や「映える」と類似した使われ方をしていたと、それらしい説明が見受けられます。
ですから、現代訳としては、
この大和の国の心というものは、どのようなものかと問われたならば、朝日に映え輝く山桜の花を美しいと思う心だ。
このような解釈がなされている訳なのですが、それだけではどうも納得がいかないのです。
そこで、この「匂う」という表現について考察していこうと思った訳です。
まぁ、ろくに学もないポンコツの戯言のようなものになるので、本格的な学問としての考察を求めている人は、このエッセイをそっと閉じて下さいね。
ただ、タイトルを見て、何となく琴線に触れるというか、ぷぃ〜んと匂ってきて気になったという人がいたら、それなりに楽しんでいって欲しいなという想いで書かせて貰う事にします。
さて、私がなぜ本居宣長のこの詩を取り上げたかというと、「大和魂」とは何だろうか? と思ったことがきっかけになります。
「日本は経済面でも文化面でも、もっと世界に飛躍すべきだ!」
そんな鼻息の荒くなるような声は以前からありましたが、日本語しか話せない自分は海外に行くようなことは無いだろうと思い軽く聞き流していました。
ですが、もし自分が海外に行って現地の人から「オマエ日本人だろ。日本ってどんな国よ?」と聞かれたらどんな風に答えるだろうかと、ふと思った訳です。
実際に、この質問に即座に答えられる人は、けっこう少ないみたいですね。
自虐史観の教育の弊害によるものなのか、自国に対する歴史や文化に対する興味や誇りを持つ事なく、海外に渡った者が受ける最初の審判(?)のようでして、軽くパニックになる方が多いと聞きました。
また、日本は宗教について学ぶことがほぼありません。
社会科の歴史教育で宗教戦争について、ちょっと触れるぐらいですから、現地の人に自己紹介をするときに戦争というものへの嫌悪感から、
「私は無神教で宗教は嫌いです」
などと言ってしまうと、テロリストのレッテルを貼られてしまい、ひどい扱いを受けたという笑うに笑えない事例もあるようです。
海外での自己紹介は真面目に考えて、用意しておかないといけませんね。
そのような話を聞く中で「自分はどう答えるだろう? 日本人とは、日本とは何だろう?」と改めて思い、そこから「大和魂」(大和心)とはいったい何だろうと思うようになったのです。
大和魂という言葉は、幕末から明治にかけてよく言われたように思われます。
吉田松陰の辞世の句が有名ですよね。
(この身をば 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 止めおかまし 大和魂)
その当時としても、外国からの圧力は相当なものがあり。
それから日本を守ろうとするのには、日本人が一体になることが必要だという意識が強く働いていたことでしょう。
この「大和魂」の言い出しっぺはわからないのですが、平安の時代に「大和心」という言葉が書き表されていて、国際感覚としての日本のアイデンティティを最初に言い表していると思われます。
当時、大陸から色々な文化が入って来ていました。
その中に仏教、儒教などの宗教哲学も一緒に輸入されることになります。
その唐の哲学、思想などを「唐心」と称し、それに対して、日本古来の伝統や文化に沿った思想を「大和心」と言ったのが始まりのようです。
その当時の日本人の感覚の一面を大雑把に言うと。
「唐から渡ってきた仏教の教えなどはとても素晴らしいものだと思う。だが、我々はこの土地に住まうものとして祖先を敬い、自然に対する敬意と畏怖の念を持った上で天照大神を最高神とする八百万神々を崇め奉ることが、この日本の古来からの文化であり伝統だ。これを大事にするべきだ」
このようなものに近かったことでしょう。
まぁ、聖徳太子が生きた時代の、物部氏と蘇我氏の争いの歴史から見れば、そんな生ぬるい言葉では絶対に済まない血みどろの状態だったみたいですが……
いずれにせよ、そこで文化衝突が起こったと言って良いと思います。
そこで大きく「自国」を意識することとなり、「自国とは何だ、他国との違いは何だ」という想いが自然と発生していたと推測できます。
日出ずる処の天子 書を 日没する処の天子 に致す つつがなきや
この有名な聖徳太子が隋の皇帝に送った手紙にも、そのような自国とは他国という区分を明確にしようとしている意図がが見て取れます。
私は、あなたから見ると日が昇る方向にある国の天子です。
あなたは、私から見ると国は日が沈む方向にある天子ですね。
お元気でしょうか?
そんな内容になりますが、対等という立場をとっている事が分かります。
隋の皇帝はずいぶんと怒ったそうですが「我が国は自立した一つの国である」と宣言しているわけです。
今の時代に当てはめると日本は多様化を目指していたと言っても良いかもしれませんね。
そのように宣言する事で「自国」をしっかりと認識して、独自の文化と伝統に誇りを持ち得たのでしょう。
それから日本は元寇などの国難にも打ち勝ち、戦国時代という乱世を経て天下泰平の江戸時代を迎えるのですが、その江戸の中期に本居宣長は登場します。
江戸の時代において日本の神話とも言える「古事記」は、記述が古すぎて誰も読めず理解できないものとなっていました。
それを読めるようにしたのが本居宣長です。
そして古事記のほか、源氏物語などを研究し、偉大な功績を残した優れた文学者です。
本居宣長は大陸から来た仏教や儒教を非難していたようで、今で言うところの「アンチ」の気質があったようにも見受けられますが、これも自国を愛する「愛国心」が非常に強かったが故に起こったのでしょう。
この本居宣長の持つ愛国心の強さは彼の研究から来ていると思います。
源氏物語など、その時代に登場する「もののあわれ」という言葉やその概念に対しては、深い理解を持ち合わせていたことでしょう。
当時からして日本の心、もとい、大和の心を深く深く理解し、愛していた人物が本居宣長なのです。
私たち日本人は「もののあわれ」と「桜の花」という言葉だけで「命の儚さ」というものを導き出します。
どうかすれば「散る桜の花を見る」それだけで「命の儚さ」を思い浮かべ、感じさせます。
ここの部分です。
この「感じさせる」をどう表現すれば良いのでしょうか?
目に見えない、聞き取ることもできない、触れることもできない、だが心の内に感じ取ることのできる、この感覚を言い表わす言葉は何が適切なのでしょうか?
本居宣長は、これを「匂う」と表現したのだと思われます。
「美しい」「映える」と言った視覚的な感覚として捉えるのではなく、散る花に「命の儚さ」という心情が湧きあがる様と、そして、その心情もまたずっと続くのでは無く、「匂い」のように消えて無くなっていく事から、このような表現にしたのではないでしょうか。
古くから、日本人の持つ美意識には「儚さ」があると思います。
宝石や絵画などの芸術品を見て単純に美しいと感じ、そこに価値を見いだすこと以上に、私たち日本人は死生観に美しさを求め、それを「もののあわれ」で言い表しました。
桜の花の散り際に「人の持つ生命の儚さ」を重ね、そこに美しさを見出すことが出来るのが日本人の持つ美意識であり、心であると言えるのでは無いでしょうか。
美しいものが美しいままではなく、美しいものが儚く消えゆく様を惜しむ心が「大和心」なのだろうと、そのように思います。
また、「もののあわれ」にある「儚さ」という死生観の他に「あっぱれ」という戦国時代に生まれた「潔さ」も含まれたものが「大和魂」ではないかと思っています。
信念の為には命も惜しまず
生き恥を晒すならば腹を斬る
そのような死生観です。
今ではもうほとんど、そのような死生観を持っている人は居ないと言って良いでしょう。
よくは知りませんが、戦後では三島由紀夫が最後のように思えます。
今の時代にそのような思想は必要かどうかは分かりません。
どちらかといえば怖いですし、否定したいのが本音です。
ですが、そのような死生観を持った先人が居たことで、今の私たちが存在しているということは、心のどこかに留めた方が良いのでは無いかと、そのように思います。
以上が大和心と「匂い」に関する私の考察です。
似たような話を、他でも聞いた事があるかも知れませんが、それに関しては、そっとしておいて下さい。
たぶん、そちらがオリジナルです。
最後に、このエッセイのテーマである「匂い」にかこつけて、臭っさい短歌を一つ唄わせて頂きます。
胸すぐる 薫風にも似た ひと風の 匂いは後に 残るもの無し
ところどころ、誤字、脱字や表現がおかしいところもあるかも知れませんが、そこは脳内修正でお願いします。
短歌や俳句、川柳の違いや、それらを「うた」と表記するのに「歌」なのか「詩」なのか「唄」なのか……
まぁ、いいや(←いいかげん)