【短編】悪役令嬢を演じるだけの簡単なお仕事です?
……おかしい。
アリシアは困惑した顔をとっさに綺麗な扇子で隠した。
今起きているのは想定外の展開。
なぜこんなことになってしまったのか。
悪役令嬢を演じるだけの簡単なお仕事だと聞いていたのに。
◇
「アリシアを宰相様の娘に?」
貧乏男爵邸の狭い応接室にハリス男爵の声が響いた。
お相手はこの国の宰相、ランドルフ公爵。
本来ならこんな場所に現れるはずがない人物だ。
「なぜですか?」
「事情はまだ話せない」
アリシアの生活は保証する、社交界デビューもさせる、男爵家にも援助をするという好条件に、アリシアの父ハリス男爵は驚いた。
ランドルフ公爵家の娘として王立学園へ通うこと。
生徒会に入り、ある女性と取り巻きから王子殿下を守ること。
宰相の息子の頼みを聞くこと。
宰相から告げられた仕事はアリシアではなくてもよさそうな物だった。
「なぜアリシアなのです?」
貧乏すぎて社交界デビューもできていない16歳の娘。
ドレスを買ってやる余裕もなく、この領地は辺境のためアリシアは王都へ行ったこともない。
「息子の指名だ」
「ご子息の?」
ますますわからない。
公爵家からの申し入れは男爵家では断ることができない。
アリシアの父ハリス男爵は困惑しながらも書類にサインをした。
「すぐに連れていくことは可能だろうか? 学園の新学期に間に合わせたい」
「アリシアをよろしくお願いします」
ランドルフ公爵がハリス男爵邸を訪れてからわずか1時間。
アリシアは王都のランドルフ公爵邸で生活することになった。
「ウィル様ぁ~」
ピンクのフリフリドレス、頭には大きなリボンをつけた隣国の王女リリスが大きな胸を揺らしながら駆け寄る姿にアリシアは溜息をついた。
アリシアの仕事は、毎日、いや休憩時間の度に第三王子ウィルフォードに付きまとうリリスを近づけないようにすること。
タイミングを見計らい教室から出るとアリシアはリリスの前に立ち塞がった。
「ごきげんよう、リリス様」
アリシアは綺麗な扇子を広げながらリリスに微笑む。
「ごきげんよう、アリシア様。私、ウィル様にお話が」
「まぁ、リリス様。今日のドレス、胸元が開きすぎでは?」
谷間がはっきりと見え、こぼれ落ちそうなくらい胸元が開いたドレスは品がないと注意するアリシアに、リリスは目をウルウルと潤ませた。
「姫! 大丈夫ですか?」
「姫は可愛いです。そのままで大丈夫です」
数人の男子生徒がリリスに駆け寄り、必死で励ます様子をアリシアは扇子で口元を隠しながら眺める。
悪役令嬢に虐められている悲劇のヒロインの誕生だ。
第三王子ウィルフォードと側近である宰相の息子タイラーが角を曲がったことを確認すると、アリシアは扇子をパチンと閉じた。
「では、ごきげんよう」
ニッコリ微笑むアリシアを数人の男子生徒が睨む。
アリシアは気にすることなく生徒会室へ向かった。
「毎回すまないね、アリシア」
盛大な溜息をつきながら生徒会長席に座る第三王子ウィルフォード。
背も高く、優しい顔、金髪・青眼のイケメン王子だ。
「今日も絶妙なタイミングでしたね。助かりました」
茶髪に眼鏡の側近タイラーは紅茶をウィルフォードの前に置くと、リリスを思い出し溜息をつく。
隣国の王女でなければ無視するだけだが、国同士の関係を思えば無下にもできない。
本当に困ったとタイラーは眼鏡のフレームを押さえた。
2ヶ月前。
突然、この国の宰相であるランドルフ公爵が貧乏男爵家にやってきたのには驚いた。
『悪役令嬢を演じるだけの簡単な仕事だ』
男爵家への支援はもちろん、王立学園にも通わせてもらえるという好条件に『悪役令嬢』とは何なのかよくわからないままアリシアは二つ返事で答えた。
父の署名がされたあとなので、アリシアに拒否権などないのだが。
最低限のマナーしか知らなかったアリシアは1ヶ月で徹底的にマナー、言葉遣い、ダンス、護身術を叩きこまれ、公爵令嬢として恥ずかしくない振る舞いを身につけさせられた。
あまりの厳しさに貧乏領地へこっそり帰ろうかと思ったくらいだ。
もちろんこの国で宰相に逆らったら領地ごとウチがなくなるので、そんな恐ろしいことはできないけれど。
アリシアが選ばれた理由は、この年で社交界に出た事がないから。
誰も顔を知らないので公爵の娘になっても素性がわからない。
そして貧乏なのでお金で何とかなる。
平民では教育に時間がかかるが、貧乏でも男爵令嬢。
最低限は知っているだろうと思ったと公爵からは聞かされた。
そう。
うちは貧乏男爵。
でも母は侯爵家の三女だった。
マナーも文字も計算も全て母が教えてくれた。
母が亡くなる7歳までは。
昔、隣国と小競り合いになったとき、国境にあるうちの領地に多くの兵士が滞在した。
1人の兵士が伝染病を患っており、あっという間に兵士達と街の人々に広まってしまったそうだ。
祖父が私財を使い、病気の人々に衣食住と薬を提供したため、うちは貧乏になってしまったのだと聞かされたが、当時の事はよく覚えていない。
貴族の子供たちは10歳から学園に通い始めるが、祖父と母が伝染病で亡くなり領地管理も上手く回らなくなった貧乏男爵家には、王都へ行く余裕はなかった。
「アリシア、明日も頼む」
「はい、ウィルフォード様」
頑張りますとアリシアは微笑んだ。
「アリシア、学園はどうだ?」
ランドルフ公爵邸の書斎に呼ばれたアリシアは義父になった宰相ランドルフ公爵に淑女の礼をした。
「はい。お義父様。全ての休み時間、リリス様がウィルフォード様に近づけないようにしています」
今のところ大丈夫ですと報告するアリシアにランドルフ公爵は頷いた。
どの授業も楽しく、学べることがとても嬉しいこと。
少ないが友人もできたこと。
アリシアは学園での様子を感謝と共に伝えた。
「ところで、タイラーをどう思う?」
「どうとは?」
「地味な茶髪に眼鏡だが」
「タイラー様はとても真面目で優秀だと思います。周りへの気配りも、安全に対する配慮も感心するばかりです」
アリシアが学圏でのタイラーの様子を伝えると、そうかとランドルフ公爵は笑った。
宰相はとても怖い人だと思っていたが、息子タイラーの話になると一気に父親の顔になる。
「兄達に比べて、あいつは不器用でな。アリシア、タイラーの事もよろしく頼む」
「はい?」
非の打ち所がないタイラーをよろしくされてしまったアリシアは首を傾げた。
ランドルフ公爵の長男は結婚して別邸で生活中。
次男は他国に留学中、三男は騎士のためここには住んでいない。
タイラーは四男だ。
タイラーが不器用だとは思えない。
きっとお兄さん達が全員すごいのだろう。
アリシアはお辞儀をして自分の部屋へと戻った。
辺境男爵邸の部屋よりも倍以上広く、いつでも温かい部屋。
豪華な食事に綺麗なドレス。
学園にも通わせてもらって、ノートも教科書もすべて揃えてもらえて幸せだ。
しっかり働きます!
アリシアは教科書を開き、今日の復習を行った。
「ウィル様がサロンに来たらこの紅茶を淹れるようにメイドに言って!」
フリフリの黄色いドレスを着た隣国の王女リリスが取り巻きの貴族子息に紅茶の缶を差し出すと「わかりました!」と取り巻きは返事をした。
「リリス様、その紅茶は何ですか?」
「私の国の紅茶よ」
ウィルフォードに「今日の紅茶は美味しい」と言わせ、「私の国の紅茶です。ぜひ私と結婚してください」と言う予定なのだと大きな声で作戦を話すリリスにアリシアは溜息をついた。
飲ませない方が良いだろう。
どんな味だったか聞かれて「普通」と答え、隣国の機嫌を損ねても良くない。
アリシアはメモに暗号を書き、一緒に潜入している侍女にそっと渡した。
万が一、誰かにメモが見つかってもルールがわからない者には読めない。
このルールを知っているのはランドルフ公爵家を含め、限られた者だけだと義父に教えられた。
アリシアがランドルフ公爵邸に来て最初に教えられたのはこの暗号だった。
スラスラと読み書きできるようになること。
マナーやダンスよりも1番大変だったのはこの暗号だ。
「何でウィル様がサロンに来ないのよ!」
「きっともうすぐ来ますよ、リリス様!」
「そうですよ。美味しいリリス様の国の紅茶を飲んで待っていましょう」
取り巻き達の言葉に、アヒルのような口で拗ねるリリス。
その日ウィルフォードはサロンに姿を見せなかった。
「助かったよ、アリシア。まさか名産品で攻めてくるとは」
生徒会室があるこのエリアは限られた者しか入ることが許されず、リリスには権利がない。
第三王子ウィルフォードはここがあって良かったと溜息をついた。
「昼もここで食べたらどうだ?」
「教室と生徒会室だけの生活だな」
つまらない学園生活だなと笑う書記のルーベンスと会計のジェームズの頭を副会長のヘンリーがゴンっと叩く。
アリシアがクスクスと笑うと、もう一人の会計ニクソンも豪快に笑った。
「アリシア、ニクソン、笑いすぎですよ」
ウィルフォード様は切実なんですからと叱るタイラー。
生徒会の人達は第三王子を守るために集まった良い人たちばかり。
雑用のアリシアを快く迎えてくれた優しい人たちだ。
「最近、リリス様の取り巻きの男性が増えましたね」
アリシアが初めてリリスに会った日は取り巻きは2人だったのに、最近は10人以上。
「婚約者がいる子息もリリス様に付いているようです」
書記ルーベンスは手帳を開きながら名前を読み上げた。
「おいおい、親の派閥と似てねぇか?」
「そうだな」
会計ニクソンの言葉に副会長ヘンリーが同意する。
「彼らには気をつけましょう」
タイラーの言葉に全員頷いた。
「ウィルさまぁ〜」
今日もたわわに実った大きな胸を揺らしながらウィルフォードに駆け寄るリリスの姿にアリシアは溜息をついた。
「ごきげんよう、リリス様」
「毎回! 毎回! ウィル様と私のラブラブ時間の邪魔をされますけど、何故ですの?」
まだアリシアは何も言っていないのに、すでに泣きそうなリリスを取り巻きの子息達は慰め始める。
「ウィル様は私を好きなんです! 邪魔しないでください!」
大粒の涙をボロボロこぼすリリス。
アリシアは扇子で口元を隠しながら立っていた。
「私の何がいけないんですかぁ!」
今日も悲劇のヒロインは絶好調だ。
ウィルフォードとタイラーが角を曲がった事を確認したアリシアは扇子をパチンと閉じて微笑む。
「リリス様、ドレスと靴のお色が合っておりませんわ」
では失礼と歩き始めたアリシアの背中にリリスの叫び声が聞こえた。
まさか本人は靴の色に気づいていなかったのだろうか?
流石に黄色のドレスに真っ赤な靴は誰が見てもダメだと思うけれど。
それにまたリリスの取り巻きが増えた。
一体なぜ?
「タイラー様、ウィルフォード様は第三王子。それなのに隣国の王女リリス様が執着する理由は何ですか?」
全く相手にされていないのに『ウィル様は私を好きなんです』と言い張るリリス。
アリシアにはずっと違和感があった。
「第一王子も第二王子もそれぞれ他国からお妃を選んでいます。隣国は第三王子でも構わないので我が国と友好関係を築きたいのではないでしょうか?」
生徒会室で紅茶を淹れながらアリシアに説明してくれるタイラー。
「ではなぜ、取り巻きが増えるのでしょうか?」
ウィルフォードが好きだと言っているリリスの取り巻きをするメリットは何だろうか?
例えリリスに好意があったとしても自分だったら取り巻きにはならない。
「良からぬことを企んでいるのでしょう」
品の良い箱からクッキーを取り出し皿に並べると、タイラーはウィルフォードの前に紅茶とクッキーを置いた。
「リリスが国に帰るまで、あと3ヶ月か」
長いなと苦笑するウィルフォード。
「しっかり頼みますよ。アリシア」
「はい。タイラー様」
アリシアは自分の分も用意してくれたタイラーに微笑むと、美味しそうなクッキーを手に取った。
「ところで、お前達は一緒に住んでいるのに進展はないのか?」
「し、進展?」
ウィルフォードの言葉にクッキーを落としそうになるアリシア。
「何もないですよ」
下がってもいない眼鏡を押さえながら淡々と回答するタイラーにウィルフォードはつまらないなと笑った。
タイラーはランドルフ公爵の息子。
確かに一緒に住んでいるがランドルフ公爵邸は広く、屋敷の中では滅多に会わない。
行き帰りも、食事も別々。
特に作戦会議を行うわけでもない。
「アリシア、タイラーは好みではないか?」
「ちょ、ちょっとウィルフォード様! そういうことは本人の前で聞かないでください」
珍しく焦るタイラーを見たウィルフォードはニヤニヤとアリシアを見つめる。
「真面目で優秀なお兄様です」
アリシアはランドルフ公爵の娘として学園に通わせてもらっている。
同い年だがアリシアの方が年上設定という事はないはずだ。
「……そうか、兄か」
必死で笑いを堪えるウィルフォードと、その姿を困った顔で見つめるタイラー。
なぜ笑うのですか?
手に持ったクッキーをなかなか口に入れることができないまま、アリシアは困った顔で微笑んだ。
「ウィルさまぁ〜! お昼をご一緒に〜」
今日も大きな胸を強調しすぎたフリフリドレスのリリスにアリシアは溜息をついた。
「ごきげんよう、リリス様」
いつものようにアリシアが立ち塞がると、今日はなぜかリリスの取り巻きがアリシアの前に立ち、フンッと鼻を鳴らす。
取り巻きの方が背が高く、アリシアを見下ろすような嫌な視線にアリシアの眉間にシワが寄った。
「王女の前に立つな! 平民が!」
取り巻きのあり得ない暴言にアリシアが驚く。
周りの取り巻き達もニヤニヤと薄笑いを浮かべながらアリシアを眺めた。
「……どういうことです? ランドルフ公爵家の娘を平民呼ば……」
アリシアが話している最中だと言うのに、取り巻きの男はアリシアの肩を思いっきり突き飛ばす。
男性に押されたアリシアは床に手をつき、倒れ込んだ。
「平民には床がお似合いだ」
「さぁリリス様、邪魔者は消えました」
「参りましょう」
取り巻き達はアリシアを見下すような目をしながら横を通り過ぎる。
ランドルフ公爵家の侍女がアリシアに駆け寄った。
「公爵令嬢を突き飛ばすなんて」
「ランドルフ公爵に娘はいないんだよ」
バカにしたように笑う取り巻き。
「そうそう。俺の父上が調べてくれたんだ」
「タイラーと同い年ってのも変だと思った」
「よくも今まで威張り散らしてくれたな」
もう騙されないとアリシアのドレスを踏みつけていく。
「やだ、平民だったのぉ」
クスクス笑いながら通り過ぎるリリス。
「アリシア様、怪我はありませんか?」
「えぇ、大丈……痛っ」
立ちあがろうとしたアリシアは足を捻ったことにようやく気づいた。
「医務室に参りましょう」
「大丈夫よ」
「でも!」
「それよりウィルフォード様を守らないと」
リリスを通してしまったと言うアリシアに侍女は首を横に振った。
「タイラー様がいるので大丈夫です」
生徒会メンバーもいるので問題ないと言う侍女。
アリシアの足を確認すると、急いでタオルを濡らし手当てを始めた。
一応、男爵令嬢なんだけどな。
アリシアを突き飛ばした取り巻きは確か侯爵子息。
アリシアの方が身分が低いことは間違いない。
だが身分はどうあれ、男が女を突き飛ばすのはどうかと思う。
……散々、リリスを邪魔したのだから突き飛ばされるのは当然……か。
俯いたまま何も言わないアリシアを侍女は心配そうに見つめた。
そんな侍女に気づいたアリシアは「大丈夫よ」とぎこちない笑顔で微笑む。
「おい、平民。王子をどこに隠したんだよ」
生徒会室に行ったがいなかったとアリシアに言いがかりをつけるリリスの取り巻きにアリシアは苦笑した。
アリシアを見下しながらウィルフォードを追いかけたが見失ったのだろう。
生徒会室は2つ存在することを一般の生徒は知らないからだ。
いなかったということは奥の部屋までたどり着いたということ。
ウィルフォードが無事でよかったとアリシアは胸を撫で下ろした。
「おい! 居場所知ってるんだろ!」
足を痛め、椅子に座ったままのアリシアの腕を取り巻きが掴む。
「触らないでください」
アリシアが腕を払い退けると取り巻き達は二人がかりで無理矢理アリシアを立たせた。
「平民のくせに貴族に逆らうな」
「無礼にも程がありますわ」
睨むアリシアを取り巻き達は笑う。
「やめてください。アリシア様は足を痛めたんですよ!」
ランドルフ公爵家の侍女が止めても取り巻き達はニヤニヤと笑い、アリシアを引きずり始めた。
今は昼休み。
教室に他の人達はいない。
助けてくれそうな貴族もおらず、侍女はギュッとスカートを握った。
「ほら、さっさと王子のところにリリス様を案内しろよ」
「お断りします」
「平民のくせに!」
「私は貴族ですが、貴方達の行動は同じ貴族として恥ずかしく思います」
身分の低い男爵令嬢だが、このくらいの事は言ってもいいはずだ。
アリシアが腕を振り払うと、取り巻きの一人がアリシアを叩こうと手を振り上げた。
「アリシア!」
大きな声に驚き、手を止めた取り巻きは、声の主タイラーの姿に慌てて手を隠す。
「何の騒ぎですか?」
下がってもいない眼鏡を押さえながらツカツカと教室内を歩くタイラー。
アリシアの横に立つと、ぐるっと一通り周りの人物を確認した。
「バスクウェル侯爵子息、これはどういう事でしょう?」
なぜアリシアを叩こうとしていたのかタイラーが説明を求めると、隣のハグリス侯爵子息がニヤッと笑った。
「アリシアは平民だから貴族に楯突いた罰を与えようと思っただけだ」
普通だろ? と笑う取り巻き達。
「……平民?」
あり得ない言葉にタイラーの眉間にシワが寄った。
「俺の父上が調べてくれたんだ。ランドルフ公爵には娘は一人もいないってね」
そうだろう? とニヤニヤ笑うバスクウェル。
「……そうですか。調べたのですか」
人の素性を調べるのは規則違反。
バスクウェル侯爵を捕まえる理由ができたタイラーは口の端を上げた。
「聞こえたかい? ルーベンス」
「はい。しっかりと」
日時も言葉も記録したと書記ルーベンスはタイラーに答えた。
ルーベンスの父は法務大臣。
もう言い逃れはできない。
「平民を調べたって罪にはならないだろ」
「アリシアは貴族ですよ」
「だがランドルフ公爵の娘でもない」
嘘つきである事は変わらないと笑う取り巻き達をタイラーは睨みつけた。
「確かにアリシアは父の娘ではありません」
タイラーの言葉に「ほら、やっぱり」とニヤニヤする取り巻きと隣国の王女リリス。
どんなにランドルフ公爵自身の記録を探ってもアリシアが出てくるはずはない。
なぜならアリシアは。
「私の妻です」
タイラーのあり得ない言葉にリリスと取り巻きだけでなく、アリシア自身も固まった。
「嘘よ!」
そんなことあり得ないと言うリリスにタイラーは「本当です」とアリシアの肩を抱き寄せた。
国に登録しているランドルフ公爵家の記録のうち、許可を得て閲覧できるのは宰相である父の記録のみ。
当然、息子タイラーの名前は記されているが、まだ学生のタイラーを起点とした記録はない。
どんなに調べてもタイラーに妻がいることは調べられないのだ。
「まだお互い学生なので結婚式はしていませんが、すでに教会に婚姻届を提出しています」
未成年のため親の承認を得て婚姻届を出していると言うタイラー。
教会? 婚姻届? 妻?
……おかしい。
アリシアは困惑した顔をとっさに綺麗な扇子で隠した。
今起きているのは想定外の展開。
なぜこんなことになってしまったのか。
悪役令嬢を演じるだけの簡単なお仕事だと聞いていたのに。
見上げると、普段見たことがないくらい優しい笑顔で微笑まれた。
その極上の笑顔にアリシアの顔が思わず赤くなる。
「アリシアを侮辱するという事はランドルフ公爵家を敵に回すということですがよろしいですね」
タイラーがリリスの取り巻き達の顔を一人ずつ眺めると、怯えた取り巻き達は逃げ出した。
「ちょっと! 貴方達!」
とうとう最後の一人までリリスを置いて逃げていく。
「まぁ、今更逃げ出しても遅いですが」
ニヤッと笑うタイラーは悪役顔。
もうすでに手は打ってありそうだ。
「何よ、ズルいじゃない! ウィル様の側にいて、補佐と結婚までしてるですって?」
誰にも相手にされない私が惨めだとリリスは泣き出した。
隣国と共謀し良からぬ事を考えた一部の貴族。
その息子達に担がれた王女。
被害者なのかもしれないが、普段の態度を思えば庇う気にはならない。
「リリス様。早く国に帰られた方がよろしいですよ」
バスクウェル侯爵子息が父親の機密情報の閲覧を自白したので今日にでも取り巻きの父親達は全員捕まるだろう。
「何よ! 言われなくたって帰るわよ! もう二度とこんな国、来ないんだから!」
荷物も持たずドスドスと怒りながら去っていく王女リリス。
「助けてくださってありがとうございます。これでウィルフォード様も自由に学園を歩けますね」
助けるためとはいえ、妻という発言には驚いたが、これで勉強に集中できると喜ぶアリシアの肩をタイラーはグッと引き寄せた。
「……タイラー様?」
邪魔な扇子を閉じながらアリシアが首を傾げる。
「……本当です」
「ウィルフォード様の生活は平和になりましたが、卒業まで学園に通わせて頂けるのですよね……?」
「……結婚は本当です」
噛み合わない会話とあり得ない言葉にアリシアの動きが止まる。
「……は?」
「こんな場所で明かすつもりはなかったのですが……」
アリシアがサインしたのは養子縁組の書類ではなく婚姻届。
「……婚姻……届?」
そういえば養女だなんて一言も言われていない。
ランドルフ公爵の「娘」になると言われただけだ。
学園に通えると聞き、書類もよく読まずに父のサインの下に名前を書いた。
あれが婚姻届だったということ?
「昔、ハリス領が伝染病に侵された時、父と一緒に現地視察に行きました」
懸命に看病をする同い年の女の子に一目惚れしたのだとタイラーは言う。
ずっと会いたかったのにアリシアは王都に来ることがなく、会えなかったこと。
どうしても妻にしたいと父に頼んだこと。
良からぬことを企んでいる派閥を一掃することを条件にアリシアを領地から引っ張り出したこと。
「もう少し親しくなってから結婚を申し込んで、何事もなかったかのように結婚式をするつもりでした」
騙してすみませんと目を伏せるタイラー。
アリシアは思いもよらない展開に唖然とした。
「どうしても私の妻はアリシアしか考えられなくて」
タイラーはアリシアの目をジッと見つめると、困った顔で微笑んだ。
「私の妻になってもらえませんか?」
手を差し出し、アリシアの表情を窺うタイラー。
まるで怒られた後の仔犬のようだ。
『兄達に比べて、あいつは不器用でな』
アリシアは不意にランドルフ公爵に言われた言葉を思い出した。
不器用ってこういうこと?
『何か進展はないのか?』
ウィルフォード様は結婚したと知っていたということ?
「こんな不誠実な男はダメでしょうか……?」
不安そうな表情をするタイラーはアリシアよりもずっと背が高いのになんだか可愛い。
不覚にも助けてもらった時、極上の笑顔にときめいてしまった。
すでに婚姻届は提出済。
貧乏令嬢がこんな素敵な人と結婚できるなんて誰が予想できただろうか。
「よろしくお願いします。タイラー様」
笑いながらアリシアが手を取ると、タイラーは嬉しそうに微笑んだ。
悪役令嬢を演じるだけの簡単なお仕事です。
そう聞いていたのになぜか永久就職となってしまったアリシアは学園卒業後すぐに結婚式を行い、数年後2人の子供に恵まれた。
息子は実家ハリス領の跡取りに、娘は第三王子の息子の妻に。
貧乏領地の男爵令嬢アリシアは少し不器用な公爵子息タイラーといつまでも幸せに暮らしました。
END
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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執筆の励みになります(^^)
書類はちゃんと読んでサインしないとダメですね(笑)
アリシア父は婚姻届と知った上で(貧乏男爵に断る権限はなく)サインしていますが。
わかりにくい設定ですみません(>人<;)
これからも暖かい目で応援していただけると嬉しいです♪