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断罪劇が行われましたが、私は穏やかな学園生活を望んでいただけです。

作者: 稲形 殊

書き切ろう!を目標にしたありきたりなリハビリ作です。温かな目で時間つぶしにお読みください<(_ _)>


6/1 ご指摘いただきタイトル変更しました。これで合ってるかわかりませんが、稚拙な脳みそが弾き出せるタイトルがこれしかなく申し訳ないです(°▽°)

「ステファナ・メルキース公爵令嬢!貴様との婚約は破棄する!!」


王立学園の卒業式後に催された懇親会の席で、この国の第一王子であるアーダム・クラーセン殿下の突然の宣言に周囲は唖然騒然となった。


卒業生である私もまた他の皆様同様に、グラスを手に持ったままポカンと開いた口が塞がらず、騒動の中心へと視線を向ける。


卒業生やその保護者、一部の在校生、給仕の者たちなど大広間には多くの人々が集っていたのが自然と離れたのか、ぽっかりと開いた広間中央の空間には、たった今とんでも発言をしたアーダム殿下と殿下の腕にピッタリとくっついてビクビクと震える小動物のように振る舞う小柄な令嬢、そして名指しされたステファナ様がいる。


ステファナ・メルキース公爵令嬢―――彼女はこの国では珍しい美しい黒髪に、吸い込まれそうな黒い瞳を持つ美貌の公爵令嬢だ。なんでも東洋のお姫様だったお婆様からの隔世遺伝が出ているらしいとのことだが、素の容姿も加わって「黒蝶真珠姫」とも呼ばれている。彼女を真似て毛染めをする者が出るほど、その美しさは憧憬の的なのだ。


ステファナ様の素晴らしいところは容姿だけではない。公爵令嬢として幼い頃から厳しい教育を施され、淑女作法はもちろん、多岐に渡る教養の深さ、戦術的話術などなど上げたら切りがないほど優秀なご令嬢なのだ。ここまでくると彼女を真似ることが出来る令嬢など誰ひとりとしていない。だからこそ尊敬の念は浸透し、彼女が貴族社会で本格的に立ち回る日をまだかまだかと待ちわびている大人たちも大勢いる。


そんな完全無敵素敵美女令嬢であるステファナ様がアーダム殿下と婚約を結ばれたのは、お二人が十二歳の頃だったと聞く。なんでもやんちゃ盛りなアーダム殿下にステファナ様の爪の垢でも煎じて飲ませようと企んだ王家と臣下たちの取り計らいだったとか。


階級的にもステファナ様は公爵令嬢で問題なく、既に美しさと賢さの片鱗が前面に現れていたステファナ様を国内に留めおくためでもあったのだろう。その選択はある意味間違いではなかった。現にステファナ様の評判が社交界から他国へと漏れ始めると、公爵家には夥しい数の釣書が届いたというのは片田舎の私の家まで届くくらい有名な話なのだから。


そんなステファナ様と比べてアーダム殿下は、いつまでもやんちゃ盛りの終えられない駄目王子として有名だ。


家庭教師の授業は悉く抜け出し、護衛もつけずに城下に繰り出しては誘拐されること複数回。階級差別的な発言に、外交目的で来た他国の使者に暴言を吐くなどなど、問題ばかり起こす駄目王子だ。


ステファナ様と婚約することで改善されるかと思われた一連の問題行動は、いくら両陛下やステファナ様、臣下の皆様方が諫めようが、なかなか改善されることはなかった。


故に、第一王子でありながら既に国王陛下はアーダム殿下を立太子させることは皆無だと宣言し、六歳年下の第二王子であるヨハンネス殿下にする心つもりであると臣下たちに公言しているほどなのである。駄目王子の愚行が続くようであれば廃嫡も止む無しと言う話も出ていたようだが、既にステファナ様と言う素晴らしい婚約者がいるため卒業後に成婚し、王籍はそのままに第二王子の補佐とする予定になっている。


だが、その風向きも少しだけ変わった時期が訪れた。


王立学園に入学してからの三年間。アーダム殿下の問題行動は鳴りを潜め、周囲に傲岸不遜に振る舞うことも減り、授業も真面目に受けるようになったのだ。


学園という狭い貴族社会の縮図の中で、ようやく落ち着いてくれたのだろうと両陛下は思っていたに違いない。優秀なステファナ様が側にいれば、従来通り第一王子が立太子する可能性も塵くらいの確率は上がっていた。


だというのに、本日のこの宣言で台無しである。うん。アーダム殿下、ようやく廃嫡のご覚悟が出来たのですね。


「殿下、婚約破棄とはどういうことかご説明願いますか?」


凛と鈴を響かせたような声でステファナ様がアーダム殿下に対峙する。


「説明だと!?そんなものはお前の日頃の態度が証明している!下級貴族を馬鹿にし、横柄な態度を取り、それだけでなく醜い嫉妬心からここにいるアニカ・レイク男爵令嬢を令嬢たちから孤立させ、階段から突き落した!証拠は全て揃っている!そのような醜悪な者を私の妃に迎えることは出来ん!今すぐ婚約を破棄し、私はここにいるアニカ・レイク男爵令嬢と新たに婚約を結ぶことをここに宣言する!!」


シーンと静まり返った広間に、アーダム殿下の声が反響して何とも言えない間が出来た。


アーダム殿下は言い切ってやったとばかりに満足そうに鼻を膨らませているが、周囲では「なに言ってんだ、こいつ。」の雰囲気が漂っている。繰り返せと言われれば何度も繰り返すが、ステファナ様は完全無敵素敵美女令嬢なのである。どこかの駄目王子と違って階級を問わず他者の意見を聞き入れるだけの懐の広さもあれば、休日には孤児院に自ら足を運び子供たちの相手を率先してやられるような慈愛に満ちたご令嬢なのだ。下級貴族を馬鹿にして、横柄な態度を取られているなど誰も信じるはずがない。


………それにしても、と私はアーダム殿下の腕に未だにぴったりとくっついてビクビクと震えている小柄な令嬢へ目を向ける。


アニカ・レイク男爵令嬢。レイク男爵の妾腹の子で、男爵の正妻がお亡くなりになって直ぐに男爵家へと迎えられた令嬢であることは学園でも有名な話だ。


正直、妾腹からの子供だったというだけなら学園でそこまで有名な話にはならない。この学園は貴族であれば誰でも入学できる。妾腹の学生もアニカ嬢の他にも探せばいるし、元平民で優秀さを買われて貴族の養子になったという学生だっている。出自に関して詮索するのが好きな方々ももちろんいるが、下世話な話があまり好きではない私の耳にも届くくらいアニカ嬢のことは有名だった。


一応、男爵家の別邸で過ごしていたらしいのだが、その所作はほぼ平民で、貴族の礼儀や淑女作法など令息令嬢であれば十歳の子供でも出来ることが全然出来ていないこちらも駄目令嬢である。


淑女作法が守れない令嬢をお茶会に招きたい令嬢はいない。そんな令嬢と友人だと思われれば、恥をかくのは目に見えているからだ。故に仲の良い友人はおらず令嬢たちの中では孤立していたが、それは自業自得というものだ。決してステファナ様のせいではない。


それに令嬢たちからは距離を置かれていたアニカ嬢だったが、そのことで困っている様子を見せていると聞いたことは一度もない。まぁ、常にどこかしら誰かしらの令息たちが取り巻いていたのだから寂しいと思うことなどなかったのだろう。


真偽はわからないが、後妻で迎えられた現レイク男爵婦人は元は娼婦として荒稼ぎしていたほどの美貌と手腕の持ち主だったらしい。その血を受け継いだらしいアニカ嬢は令嬢たちからは眉を潜められる不作法も令息たちには「可愛い」「なんて純真な姿だ」と褒めそやされていた。


確かにアニカ嬢は見た目は可愛らしいと思う。春を押し込めたようなピンクブロンドに、丸くて大きな青い瞳は常にキラキラと輝いて見える。小柄で小顔な童顔な出で立ちだが、彼女のお母様の遺伝子なのか豊満である。とても豊満である。本日は、コルセットできつく締めた腰の細さも比例して普段の二割増しで豊満に見える。


あどけない顔立ちなのに、大人な女性の身体を持つアニカ嬢は背徳感やら庇護欲を駆り立てられる存在らしく「放ってはおけない」「孤立しては可哀そうだ」と常に令息たちが周囲を取り囲んでいた。


そんな取り巻き連中の中に、アーダム殿下がいたことも学園では周知の事実だった。アニカ嬢も周りに寄ってくる令息たちの中で一番高貴なアーダム殿下に褒めそやされてまんざらでもなさそうにしていた。


お二人は恋仲にある。なんて、噂が広まるのも当然で、それを否定して回るステファナ様の姿も当然のようにお見かけした。


奇しくも、アニカ嬢の登場で問題駄目王子だったアーダム殿下に変化が訪れたのは間違いない。他の令息たちに後れを取らないように、言動には気を付けるようになったし、少しでも賢く見せようとペンを取る姿も見られるようになった。


もちろんアニカ嬢のことは、両陛下の耳にも届いていたはずだ。駄目王子が学園で問題を起こさないように、監視を常につけていたのだから間違いない。だが、所詮は学生時代の恋のひとつ。一時の感情の昂ぶりは若者なら誰しも通る道であり、令息令嬢であれば分を弁えた期間限定のお付き合いに留めておくのが普通だ。


それに、アーダム殿下にはステファナ様という婚約者がいる。どんなにアニカ嬢と仲良くなろうと、男爵令嬢である彼女が第一王子の婚約者にはなり得ない。ふたりの関係は、学生時代の甘酸っぱい思い出になるだろうと両陛下は期待していたのだろう。駄目王子が改心したと勘違いされるくらいには、改善されたように見えましたものね。


だが、そこはやはり駄目王子。晴れ晴れしい卒業式の懇親会の場で、わざわざ問題を起こして下さったわけだ。


というか、男爵令嬢であるアニカ嬢を婚約者にすると言っているが、どうするつもりなのだろう。この国では廃嫡された王族に対し、監視及び王位簒奪の懸念を払拭するために忠臣とされる最低でも伯爵家以上でないと婚姻が認められないという規定があるのをご存じないのだろうか。ご存じないのだろうな。駄目な上に基本が馬鹿だもんな。


「お言葉ですが、殿下。私は、階級に捉われた言動はしないように常に心掛け、平等な態度を常としています。それに、そちらのアニカ・レイク男爵令嬢を階段から突き落したりなどしておりません。事実無根ですわ。ですが………」

「えぇい!白々しい嘘を吐くな!!見ろ!階段から突き落されたせいでアニカは腕に怪我を負ったんだぞ!人に怪我をさせておいて悪びれもしないのか!」


何か言いかけたステファナ様を遮って、スッとアーダム殿下が横にずれると、現れたアニカ嬢の腕には痛々しそうな包帯が手首から腕にかけて巻かれていた。


「いいんです、アーダム様。わたし、ステファナ様に謝って欲しいとか思っていないです。ただ、こんなひどいことをする人がアーダム様のお嫁さんになるんだと思ったら、わたし………アーダム様が心配で。」

「あぁ!アニカ!君はなんて心が優しい人なんだ!やはり君以外に私の妃は考えられない!!」


溜まらず、と言った態でアーダム殿下がアニカ嬢を抱きしめる。衆目を一体なんだと思っているんだろう、この人たち。


「殿下は、アニカ様を心から愛しておられるのですね。」

「あぁ、そうだ。」

「アーダム様………!わたし嬉しいです!」


溜息交じりに呟くステファナ様に、淀みなく浮気宣言の第一王子、そしてそれを喜んで享受する男爵令嬢。まさに、美女と馬鹿ふたりの構図だ。なんだか見ている方が疲れてきた。いつになったら穏やかな懇親会に戻るのだろうか。


「でしたら、婚約は破棄ではなく解消といたしましょう。さきほども言いましたが、私は事実無根です。アニカ様を貶めたり傷つけたりはしておりません。」

「いいや!破棄だ!婚約解消など生温い方法では、アニカが受けた心の傷までは癒せない!公爵家には慰謝料の請求とお前には北方の戒律の厳しい修道院への追放を命ずる!」


お、そこは知っていたのか駄目王子。


婚約解消と破棄では雲泥の差がある。解消となれば、理由はどうあれ円満解決。お互いの名誉に傷がつくことは少ない。とは言え、第一王子の婚約者であったステファナ様の名誉は著しく落とされるが、そこは相手がこの駄目王子なのであまり問題にはならないだろう。


逆に破棄となれば、一方にとんでもない非があったということになる。多額の慰謝料の請求はもちろん、令嬢が理由とあれば修道院行きは間違いない。仮に修道院行きを免れた令嬢であっても、その後で良い縁談にありつくことは難しいだろう。良くて豪商の奥方か後妻かのどちらかが一般的だ。


「ここにお前がアニカを傷つけた証拠がある!」


そう言ってアーダム殿下の背後から、側近である学生がひとつの水晶玉を持ってきた。


幾何学模様の浮かぶ水晶玉は「画像記憶玉」と呼ばれるもので、映像や音声を記憶し、投影することが出来るものだ。駄目王子の監視のために学園にはいくつも設置されているので見慣れたものである。


アーダム殿下が水晶に手を翳すと、何もなかった空中にぼんやりとした映像が浮かび上がった。そこに映ったのは、この国では他にない色を持つ黒髪の令嬢だった。


『………彼女さえ、彼女さえいなければ、私だって………どうして、あの…ような方…あの方のお心を掴ん…いるの………』


『それでも……令嬢ですか!分を弁えなさい!これだから…は、……がなっていないのです!恥を知りなさい!!』


「………!」


ステファナ様が息を詰めた音が聞こえたような気がした。


皆様方の視線も映像に釘付けだ。まさか、あの完全無敵素敵美女令嬢であるステファナ様の信じられない言動の数々に、どこかでグラスの割れる音がした。


ところどころ音声が途切れているが、間違いなくステファナ様の鈴のような声音だ。その声は、嫉妬心に苦しむ令嬢のように苦痛に満ち、そして怒りが混ざっていた。


映像が切り替わる。学園内の階段で、ステファナ様らしき黒髪の令嬢がひとりの令嬢の腕を引っ張った。令嬢は体勢を崩し、そのまま画面の端へと消えていく。それに驚いた様子の黒髪の令嬢はまるで逃げるように階段を駆け上がって行ってしまった。


「これでもまだ自分が事実無根だと言い張るつもりか!!」


アーダム殿下の叱責の声に、ステファナ様を憧憬し尊敬してきた学生の皆様方からも、よくない騒めいきが生まれ始めた。


搔く言う、私の心も盛大に騒めいていた。


―――だってそれ、やられたの全部私ですけど!!!!


音声は絶妙なところが聞こえなくされており、映像は絶妙に私が映っていないが、間違いなくこの一年半の間でステファナ様に呼び出しをくらったりなんだりで言われたりしたことだ。なんだったら、階段から落ちた時に怪我をしたせいで右踝の捻挫が未だに治りきっていない。


やばい、失神したくなってきた。


ふらりと倒れそうになった私の肩を隣に立っていた元婚約者が支えた。


「フレイ、大丈夫?」

「大丈夫なわけないでしょ………!どういうことなの、ハンネス!?」


小声で叱責すれば、元婚約者であるハンネス・ブレウスマは困ったように眉尻を下げた。栗色の髪の毛に栗色の瞳、まるで栗鼠のような色味なのに可愛げもなく背丈だけはすくすくと伸びた長身のハンネスとは、つい二か月前までは婚約者同士だった。


ハンネスのブレウスマ侯爵領と私のフロタユス子爵領は、階級差こそあるが昔から仲の良いお隣さんだった。両家の両親も学園時代の旧友と言うこともあり、昔からお互いの家の行き来をしては遊んでいた。


ハンネスとは昔から家族のような存在で、婚約を決めた時も両親たちの「そろそろ婚約者決めとく?」という軽い冗談の態で結ばれた政略でも恋愛でもないものだった。


ハンネスも私も「お互いに好きな人がいるわけでもないし。まぁ、いっか。」程度にしか考えていなかった婚約だったわけだが、学園に入園する頃にはお互い思春期に入り、それとなく意識をしてみようとお互いに話し合った。


例えば、ハンネスの贈り物がお菓子から装飾品に変わったり、手紙のやりとりの最後の一言が私の瞳の色に因んだ「可愛い僕の菫」となんとも痒くなるような言葉に変わった。これには耐え切れず抗議しに行ったくらいだ。


逆に私からは、ハンネスのことを「ハンネス様」と敬称付きで呼ぶようにし、手紙のやりとりの最後の一言には「貴女だけの菫より」となんともむず痒くなるような言葉に変えてみた。これには耐え切れずハンネスから抗議が来た。


結果として分かったのは、私たちはこのまま仲の良い友人のような夫婦になっていくのが丁度いいんだろうと言う妥協点だった。無理に恋愛感情を抱く必要もないだろうと、なんとなく一緒に居て、なんとなく手を繋いだりしてみる程度だ。


同学年には問題児の駄目王子や、完全無敵素敵美女令嬢のステファナ様がいたけど、私には無縁の人々だった。私は穏やかに日々の学園生活を満喫していたのだ。


それが一変したのが、一切の関係がなかったステファナ様に廊下で急に呼び止められた二学年の秋口のことだ。なんの前触れもなく制服のタイが曲がっていることを指摘されたのだ。


「ご自身の身嗜みも十分に整えられない方が、この学園にいるなんて恥ずかしいですわ。今後は鏡でよく確認されてから出歩くようになさいまし。」


剣のある声音でそれだけ言って颯爽と去って行ったステファナ様を呆然と見送っていたことだけ覚えている。まさか、あのステファナ様がなんの政略的旨味も苦みもない子爵令嬢である私の身嗜みをチェックされるとは思ってもみなかった。


きっと日々、駄目王子の尻拭いでお疲れなのだろうと、その時は気に留めなかったが、それ以降も度々ステファナ様と鉢合わせをしたり呼び出されては、何かしらご指摘を受けるようになった。


身嗜みは毎回のこと、辞儀の際の角度や、クラス別なので見られるはずのないダンスの授業の失敗、試験の順位などなど。見つけられそうなものなら片っ端からご指摘を受けた。周りの友人たちは「あのステファナ様から直接ご指導を頂けるなんて羨ましい!」と言われたが、そんな生活が半年も続けば、さすがの私もステファナ様から目の敵にされているのだと気付く。


だが、その理由が皆目見当がつかなかった。


あの日、廊下で呼び止められたのが私以外だったら違ったのろうかと首を捻る毎日だった。


「ハンネス。私、ステファナ様に何か気に障ることでもしてしまったのかしら?」


いつもふたりでいることがお決まりになっていたベンチでつい愚痴を零してしまえば、ハンネスは不思議そうに首を傾げた。


いつもぼんやりとしている印象のハンネスだが、それでも彼は侯爵令息だ。子爵令嬢の私では持てない高位階級の友人たちとの情報網がある。彼らの噂の中に私の良くない噂でも流れているのかと、若干の不安を混ぜて聞けば、傾げた首が更に傾いだ。


「フレイの噂なんて一度も聞いたことがないよ。僕の婚約者って知っている人も、君のフルネームを言える人はいないんじゃないかな?」

「え、それは何故なの?貴方、実は馬鹿にされているの!?」

「はは、違うよ、僕がフレイのことをちゃんと“フレイチェ・フロタユス子爵令嬢”と呼ばないから、皆“フレイ・フロタユス子爵令嬢”だと思っているんじゃないかって話。」

「まぁ!ひどい!!」


ちっとも悪びれた様子もなく笑うハンネスに力の入っていない拳で胸を叩けば、「それくらい君に興味のある人はいないってことさ!」と笑ってくるので、今度は本気で叩いてやった。


「けど、あのステファナ嬢がフレイにだけ指摘するなんて本当に不思議だなぁ。殿下のお世話で忙しいはずなのに。」

「そうなのよね。だから、私も分からなくって………」

「今度、会った時に聞いてみようか?」

「え?」


ハンネスの言葉に今度は私が首を傾げる番だった。


「ハンネス、ステファナ様とご友人なの!?」

「まぁ、そうだね。一応?………どうかな、よく図書室でお会いした時に軽く話す程度だから。」

「図書室で………って、貴方。本なんて碌に読まないじゃない。」

「まぁ、うん、そうだね。」


いつになく歯切れ悪く言葉を紡ぎながら、どこか遠くに視線を投げるハンネスの横顔に私はすぐにピンときた。今まで家族のようにしか思っていなかったが、ハンネスもちゃんと男性で、年頃で、高嶺の花に叶わぬ恋心を抱く青年に成長していたのだ。


ハンネスの内面の成長に嬉しい気持ちを抱きつつ複雑な思いで、私は彼の切なそうな横顔をそっと見つめた。


「ハンネス………貴方、」

「言わないでよ、フレイ。ちゃんと分かってる。それに僕は君の婚約者だ。裏切るような真似はしないよ。」

「そんなこと言わないでいいのよ。私たち、ずっと家族のように接してきたじゃない。ちゃんと話してくれればよかったのに。」


全面的に応援は出来ない相手だけど、ハンネスの初恋だ。その心は昔からの友人である私が一番に応援してあげたいと思った。


ハンネスの肩に頭を乗せれば、私の頭に彼の頭が乗る。こんな微かな触れ合いがハンネスの慰めになるとは思わないが、ひとりで抱えるにはあまりにも辛い初恋だろう。まぁ、身の程知らずとも言うだろうが。


しばらく言葉もなくお互いに温もりを分け合っていると、突如カツンと足音を立てた人物が背後からやってきた。


「婚約者同士とは言え、公共の場でそのように接近するのは宜しくないと思いましてよ!」


最近では聞きなれたと思った剣のある令嬢の声音に、ハンネスと一緒にビクリと肩を揺らした。振り返れば、表情を削ぎ落したかのように能面になっていて尚美しさを損なわないステファナ様がいた。


スッと目を細めるステファナ様の剣幕に、私とハンネスはそれぞれベンチの端へと高速で移動した。別にやましいことは何ひとつなかったが、ステファナ様のあまりの剣幕に思わず背筋が伸びる。


「ははは、そうですね!僕としたことがすみません!フレイと居ると自宅を思い出してしまって!」

「そうそう!私も!ふたりでホームシックになってしまっていただけですわ!」

「………本当に仲がよろしいのですね。」


さらにスッと目を細められたステファナ様に、私たちは立ち上がって急いで弁明をした。


「昔からの仲ですからね!兄妹のように育ってきたせいでしょう!」

「そうそう、姉弟の仲ですものね!」


ハンネスの恋心を知ってしまったからには、少しでもステファナ様に誤解を生むような言動は控えなければ―――その時は、自分たちが婚約者同士であることも、ステファナ様がアーダム殿下の婚約者であることも、すっぽり頭の中から消えていた。突然のステファナ様の登場にふたりして動揺してしまっていたのだ。


「フレイチェ様はもう少し淑女としての振る舞いを身に着けるべきですわ。軽はずみな行動は、ブレウスマ様の名誉に関わりましてよ。」

「ご指摘下さいまして、ありがとうござ………いま、す?」


その時、私はふと違和感に気付いた。さきほどハンネスは、高位階級の学生たちは私の名前を愛称である“フレイ”だと思っているだろうと語った。だが、ステファナ様はいま確かに“フレイチェ”と私を正しく呼んだ。なんの政略的旨味も苦みもない子爵令嬢であり、親同士の軽い冗談のような会話だけでハンネスの婚約者になった私のことを―――


あれ?あれれ?


ステファナ様の美しい御尊顔は今も能面のように無表情だが黒い瞳の奥を覗き込むとメラメラと燃えるような怒りが窺える。それは、ただ単に公共の場で婚約者同士が肩を触れ合わせていたのを見かけただけで覚えるようなものには見えない。


その時、私の中で猛高速で点と点が繋がった。


突然、私に指摘するようになってきたステファナ様。ステファナ様と図書室で何度も会っている様子のハンネス。ふたりでいる時に割り込むように声を掛けてきたステファナ様の瞳の奥に隠された感情。その正体はもしかして―――


あまりに信じられない結論に、ついハンネスを見上げてしまったほどだ。ハンネスは不思議そうに見下ろしてくるだけだったが、ステファナ様には私たちふたりが見つめ合っているとでも見えたのだろう。


「程ほどになさいませ!学園の風紀を乱すことは認められませんわ!!」と言って、耐え切れないとばかりに駆け出していってしまった。


「あぁぁぁぁぁ!ステファナ様!!お待ちください!!ていうか、追って!ハンネス!!」

「え」

「いいから追って!そしてちゃんと説明するのよ!婚約のこと!」

「え、どの婚約?」

「あぁ!もう!いいから今すぐステファナ様を追い掛けるのよ!」


ハンネスの尻を蹴る勢いで、私はステファナ様を追い掛けるように言った。言われて駆け出したハンネスを見送って、「これも青春ね!」と目を細めて微笑んだ。


後になって、そう言えばステファナ様はアーダム殿下の婚約者だったことを思い出したわけだが、ふたりとも高位階級の令息令嬢だ。その辺はうまく落としどころをつけるのだろうと思っていた。


その後どうなったかと言うと、………ステファナ様からのご指摘の量が以前よりも増した。


「そんな為体で侯爵婦人が務まると本気でお思いになっておられるの?ブラウエル様にご迷惑が掛かりますわよ。」が常套句だ。


正直、ハンネスの両親からは社交界はそこそこに領地でのんびりしてくれればそれでいいと言われてきたので、淑女作法から教養まで私は一般淑女並みだ。それでも悪い方から数えるほど悪いわけではない。中間も中間にいるわけだ。私は、今のままで十分だと思っているが、それをステファナ様は許せないらしい。


私の穏やかな学園生活がステファナ様という厳しい家庭教師付きに変わってしまった。そのことに、いち子爵令嬢である私は早々に根を上げた。


「あの、ステファナ様………私、ステファナ様のような完璧な令嬢にはなれません。」

「そんな言葉は求めておりません!全く、これだから子爵と言う立場に自ら甘んじて教育がなっていないのです!それでも次期侯爵婦人を名乗る令嬢ですか!分をを弁えなさい!恥を知りなさい!!」


………ステファナ様、恋を拗らせておいでですね。その拗れを私に当たりつけるのは止めてください。


ステファナ様が聞く耳を持ってくださらないので、私は仕方なくハンネスからステファナ様にそれとなく家庭教師を辞めるように言ってもらうことにした。


いつものベンチでハンネスに相談すると、彼の眉は見るからに下がった。


「それは無理だよ、フレイ。」

「え、なんでよ!?貴方たち恋人同士になったんでしょ!?」

「ぶふっ………!な、なってないよ!!」

「えぇ!?なんで!?あの後、ちゃんと追い掛けて説明したんでしょ!?私たちの婚約は、親が冗談みたいな話で決めて、私たちには家族愛みたいなものしかないって。それで貴方の想いを告げたんじゃないの!?」

「い、言えるわけないだろ!相手はアーダム殿下の婚約者だよ!?それに、君との婚約の話?したけど、それは卒業したら直ぐに結婚するって話をしただけで………それ以降、図書室でもあまり会うこともなくなってしまったし………」

「はぁあああ?」


ハンネスの話で、ステファナ様の拗れた理由が分かった。


ステファナ様は、卒業と同時に結婚するから今回の件は大目に見て欲しいと追い掛けてまで告げてきたハンネスに行動をそのまま受け取ったのだろう。だから、残り僅かな学園生活で私が次期侯爵婦人としてステファナ様が納得できる令嬢になることで、その心を鎮めようとしているのだ。全く迷惑な話である。


「ねぇ、ハンネス。悪いけど今すぐステファナ様に告白してきてくれないかしら?骨は拾うわ。」

「え、だ、駄目だよ。だって、僕は君の婚約者で………」

「えぇ、そうよ。その婚約者の私がいいって言っているんだから、今すぐ行ってきなさい。そして、私への家庭教師を辞めてくださるようにお伝えして。」

「無茶言わないでよ、フレイ。僕は………」


煮え切らないハンネスに、私は深く溜息を吐いた。


「よく考えてよ、ハンネス。ステファナ様はアーダム殿下の婚約者だけど、そのアーダム殿下はアニカ・レイク男爵令嬢と恋仲だと噂じゃない。ステファナ様の学園生活がこのままアーダム殿下の尻拭いで終わって本当にいいと思うの?少しは貴女の味方です、って心から言ってくれる人が必要だと思わない?貴女の心が晴れるように、って話し相手になってくれる人が必要でしょ?貴方ならなれるわ。大丈夫。好きです、って一言いえばいいだけよ。」

「それが言えないから悩んでいるんだろう………」


この意気地なしめ。………あ、


「じゃあ、いいわ。ひとまず練習。ステファナ様の好きなところを教えてよ。そこから台詞を考えましょう。」

「だから、どうして僕がステファナ嬢に告白することを前提に話を進めるのさ。」

「いいから、早くしなさい。貴方のことなら、貴方のお母様より分かっているつもりよ。」


うぅ、と情けない声を出しながら、ハンネスは大きく息を吐きだして喋り始めた。


「………最初は単純に綺麗な人が居るんだな、って思ったんだ。神秘的な黒髪もだし、本当に黒曜真珠みたいな瞳をしていて、遠目からでも彼女を見るとなんだか得をしたような気になったんだ。それから、何度か彼女を目で追っている内に、休憩時間の合間を図書室で過ごしていることが分かって………別に話したいとか思ってたわけじゃないんだ。ただ、少しでも彼女を見ていたいと思ったから。言い訳になるように課題を手に持って行ったら、彼女が机に肘をついて眠っていたんだ。まるで女神が眠っているのかと思ったよ。思わず課題で持ってた筆記用具を落としちゃって、そしたら彼女がパッと目を覚ましたんだ。僕と視線が合うと恥ずかしそうにはにかんで「内緒にしてください。」って。その瞬間、雷に打たれたように動けなくなったんだ。………あぁ、これが恋に落ちる瞬間なのか、って思ったよ。それからも彼女の姿を見たくて図書室に通ったんだ。いる日もあればいない日もあったけど、少しずつ会う回数が増えて行って、好きな食べ物や劇や勉強の話とか、そんな普通の話をしていたんだよ。………ずっと高嶺の花だと思っていた。だけど、彼女も僕たちと同じ年の令嬢なんだって思ったら気持ちが抑えられなくなりそうで………」

「ハンネス………」

「わかってる。身分不相応の恋だって!だけど、想うことだけは止められないんだ!フレイ、許してくれ!」

「ハンネス、先に行っておくわね。」

「………ごめん、フレイ。だけど、君だけだ。僕の彼女への気持ちを告げられるのは―――」


初恋の苦しみに藻掻きつつステファナ様への愛を熱弁に語ったハンネスの肩をそっと叩き、私はベンチから立ち上がった。そして、去り際に立ち尽くしていた令嬢に一言。


「後は、よろしくお願いいたします。ステファナ様。」

「え」

「え」


驚いてベンチから立ち上がるハンネスの気配がする。その栗色の瞳には今頃、白磁の肌を真っ赤に染めた美しい黒髪黒眼の令嬢が立っていることだろう。


その後ふたりがどうなったのかは知らないが、私とハンネスの婚約は解消されることになった。


そのままの私で嫁いできても問題ないとハンネスの両親は言ってくれていたが、ステファナ様の厳しいご指導を頂いたお陰で、高位階級の貴族社会で生きていく気が失せてしまったのだ。私には、伯爵家の次男か三男か男爵子爵家くらいの階級が丁度いい。


ハンネスは申し訳なさそうにしていたが、どこか浮足立っており、ステファナ様と両想いになれたことは間違いないようだった。学生時代しか味わえないかもしれないが、今はふたりが幸せならそれでいいと思っている。とは言え、ステファナ様はアーダム殿下の婚約者に違いはなく、ふたりは仲のいい友人同士を装っているようだった。


ステファナ様からの家庭教師も終わりを告げ、ハンネスとの婚約も無事に解消され、ようやく戻ってきた平穏な学生生活を満喫していたある日、学園の階段でステファナ様に呼び止められた。


声を潜めるようにして階段を上がってきたステファナ様が私の腕にそっと手を振れ「フレイチェ様、お話が………」と彼女が言ったところまでも覚えている。


私は振り向きざまに階段から足を踏み外し、そのまま階下へと落下した。


落ちていく中で、ステファナ様が青い顔で悲鳴を上げているのが見えた。そして、すぐに階段を駆け上っていく。


ここから保健室までは遠い。近くの職員室に先生を呼びに行ってくれたのだろう、とすぐに理解し肩の力を抜いた。


………それにしても階段から落下したにしては、あまり痛くない。強いて言えば、足首がぐにゃりと一瞬変な風になったのが心配なくらいだ。まるで柔らかなクッションでも敷いてあったかのように頭も背中も守られている感じがある―――


「そのまま動かず、しばらく待っていてください。」

「え」


頭上から突如聞こえた声に視線だけ動かす。


そこに居たのは、アーダム殿下の周りで何度か見たことのある側近の学生だった。いつもアーダム殿下の八つ当たりを受けて可哀そうだなぁ、と遠目に何度か憐れんでいたから覚えている。


その彼がどうやらクッション代わりになっていてくれたようだ。


「申し訳ありません!すぐに退きま………ッタ!」

「足を痛めているかもしれません。辛いでしょうが、先生方が来るまでこのままで。」

「………は、はい。」


耳殻に直に響くテノールボイスに首筋の裏がぞくぞくとした。ちらりと見える彼の髪の毛は、ハンネスと同じ栗色なのに全然違う色に見える。艶やかでまるでミルクチョコレートのようだ。瞳は少し赤みがかっており、長い睫毛が影を作っている。


あれ、この側近の人ってこんなに格好良かったっけ………?


ドキドキと落ち着かない心境に首を傾げつつ、待つこと数分。ステファナ様が先生たちを呼んで戻ってきてくれた。ステファナ様は、何度も私に謝罪をしてくださったが、事前に呼びかけられていたにも関わらず足を踏み外した私が悪いと謝罪合戦になってしまった。


先生たちも私たちの意見を聞き、目撃者である側近の学生の発言もあり、これはただの事故だった、ということで終わった話だった。


それが、何故、今この場で―――


「この映像がなによりの証拠だ!これでもまだ自分に非はないと言うのか!!」


アーダム殿下の声がこれでもかと響き渡る。顔面蒼白で今にも倒れそうなステファナ様の側にハンネスを向かわせるべきか迷っていると、当のハンネスは「たぶん大丈夫だよ」と呑気なことを言っている。貴方、自分の恋人が大事じゃないの!?と今すぐ首を揺すぶってやりたいくらいだ。


広間中央で今尚断罪に晒されているステファナ様は、ご自身を落ち着かせるように胸に手をおき一呼吸おいてから、毅然とした表情でアーダム殿下へと視線を投げた。


「………確かに、この映像の人物は私で間違いありませんわ。」


ステファナ様の一言に、周囲の人々から再び騒めきが広がる。


これ以上はいけない。それは、ハンネスとステファナ様の学生時代の甘酸っぱい思い出になるはずだったものだ。大事な友人と、いつか思い出して笑っていられるようなキラキラと輝く初恋なのだ。それを壊されたくない一心で、私は痛みが残る足を一歩踏み出した。


だが、それと同時に凛とした声が響き渡った。


「ですが、何度も言いますが、私はそこのアニカ様を貶めたり傷つけたりはしておりません。」

「まだ言うか!では、この映像の相手は誰だと言うのだ!!」


アーダム殿下に詰められ、ステファナ様が一瞬躊躇いを見せた後、視線を私たちがいる方へと向けた。そして声もなく口を動かした。


―――ごめんなさい。


それが誰に対しての謝罪だったのか分からないまま、ステファナ様はアーダム殿下へと視線を戻した。


「殿下もご存知の通り、この学園にはいくつもの画像記憶玉が設置されております。バルトルト様、この映像を他の角度から記録している水晶玉もありますね。そちらを映してください。」


ステファナ様の指示を受け、アーダム殿下の側近の学生が別の水晶玉を幾つか持ってきた。彼は、そのまま水晶玉に手を翳すと様々な角度から撮影されたと思われる映像を空中に投影させた。


そこに映し出されていたのは、さきほどと同じく黒髪の令嬢であるステファナ様と、アニカ嬢の特徴的なピンクブロンドからは掛け離れた平凡な焦茶色の髪の毛の令嬢だった。


新たな令嬢の登場に周囲からはざわめきが生まれたが、私はギョッとして顔を強張らせた。


言うまでもないが、その平凡な焦茶色の髪の令嬢は間違いなく私だ。だが、この国で焦茶色の髪色の令嬢は珍しくもなんともない。学生の半数は染料でも使用していない限り、皆似たり寄ったりな焦茶色だ。映像だけでは、新たに登場した令嬢が私だと気付く人はいないだろう。


出来れば巻き込まないで欲しいと願う私の気持ちとは裏腹に、次々と映像は流されていく。身嗜みの指摘から始まったステファナ様との関係。一年半に及ぶ一部始終は、映像に慣れてくるとどこか懐かしさすら覚えた。


映像の中では、一方的にステファナ様のご指導を粛々と受ける私の姿が映っている。仲のいい友人たちは流石に映像の令嬢が私だと気付いたようだ。「なんでフレイが受けたご指導の映像がこんなに流れているの?」と不思議そうな視線を送られた。


周囲の学生の反応も大抵は同じようなもので、階級もよくわからないが、とりあえず学園在籍のとある令嬢に指導しているだけのステファナ様の姿が延々と流されている。


あぁ、このまま「アーダム殿下の勘違いでした。」とかで終わらないかな、と仄かな期待を抱いていた時、映像がパッと切り替わった。


投影されたのは、教室の床に四つん這いで蹲る私と、それを上から睥睨し叱責を飛ばすステファナ様の姿だった。


『あの、ステファナ様………私、ステファナ様のような完璧な令嬢にはなれません。』

『そんな言葉は求めておりません!全く、これだから子爵と言う立場に自ら甘んじて教育がなっていないのです!それでも次期侯爵婦人を名乗る令嬢ですか!分をを弁えなさい!恥を知りなさい!!』


それは先ほども流れた、絶賛拗れ最中真っ只中のステファナ様時代の映像だ。だが、今度は音声が一文字一句きちんと聞き取れる。


「子爵」「次期侯爵婦人」という単語にバッと高位階級の令息令嬢たちの視線が私たちに集まる。残念なことに子爵位の令嬢は何人もいるが卒業生の中で侯爵位はハンネスだけだ。さすがに、ステファナ様が相手にしていたのが私である可能性に気付いたのだろう。言い逃れは出来………あぁ、出来ないだろうなぁ。


そしてまた映像が切り替わる。アニカ嬢が階段から突き落されたと言った問題の映像だ。


別の角度から撮影された映像にも同じく焦茶色の令嬢―――私が映っており、そのまま階下に転落し、側近の学生を下敷きにした後、先生方と戻ってきたステファナ様までしっかりと記録されている。


「これは………」


呆然としたアーダム殿下の声が、映像の消えた空間に木霊する。


ステファナ様は一呼吸おいて、静かに語り始めた。


「確かに、私は醜い嫉妬心から()()()()()を、下級貴族だからと言って馬鹿にし、横柄な態度を取り、それだけでなく階段から突き落した。………ですが、それはアニカ様ではありません。」

「だ、だが………!アニカはお前に突き落とされたと言っているんだぞ!それに、たとえアニカが相手でなくともお前がしたことは許されるものではない!!」

「えぇ、仰る通りですわ。ですから、私を断罪できる理由はただひとりの令嬢に限定されます。………アニカ様。」

「ぅひゃい!」


ステファナ様から矛先を向けられたアニカ嬢が令嬢らしからぬ声を上げた。それに一瞬、顔を険しくさせたステファナ様だが、溜息を深くついて心を落ち着かせているようだ。


「貴女が心を痛めるように、私のような者がアーダム殿下の妃になるのはご不安でしょう。ですが、私は貴女に謝罪をしなければならないようなことをした覚えは一切ありません。私が謝罪をするべき方は別にいるのですから。」

「で、でも………アーダム様ぁ」


涙声で助けを求めるアニカ嬢の肩をアーダム殿下はギュッと抱き寄せた。


「私はアニカの言葉を信じる!どうせ、汚いお前のことだ!映像の改竄でもしたのだろう!!」

「それは出来ませんよ、殿下。画像記憶玉の記録は全て王宮で管理保管されています。いくら殿下の婚約者であるステファナ嬢であっても立ち入ることは国王陛下がお許しになっておりません。」

「バルトルト………!貴様、私とステファナのどちらの味方なのだ!」


側近の学生の発言に、アーダム殿下は青筋を立てて怒鳴り散らしている。だが、いつもは抵当平身の姿しか見せてこなかった彼は、今日に限ってはアーダム殿下を真っ直ぐに見返していた。


「殿下、ステファナ嬢からも発言があったように、この学園にはいくつもの画像記憶玉が設置されております。学園の学生の日常はもちろん、殿下とアニカ嬢の仲睦まじくお過ごしになられる姿もまた同様。………そして、アニカ嬢。貴女が他の令息とも関係を持っていたことや、ステファナ様の私物を破棄していたこと、ステファナ様の不利になるよう殿下を誘導しようとしていたことも全て記録されているのですよ。」

「え」


「今、この場でその映像をお見せしましょうか?」と側近の学生はまた別の水晶玉を取り出す。


それを見た瞬間、アニカ嬢はアーダム殿下の腕の中から飛び出したかと思うと慌ててその水晶玉を側近の学生から奪い、そのまま床に叩きつけた。けたたましい音と共に水晶玉は割れたが、あまりの行動にアーダム殿下は「アニカ?」と呆然と目を瞬いている。


アニカ嬢も床に散乱する水晶玉の破片を見て、自身の行動にハッとなったようだが時すでに遅し。その行動は側近の学生が言っていたことが正しいと証明してしまったようなものだ。


「残念ですが、こちらは全て複製です。元の画像記録玉は王宮にて保管されております。私が持っている水晶玉の全てを割ったとしても貴女のしてきたことは、国王陛下には筒抜けですよ。」

「な、なんで………!だったらなんで早く私とアーダム様を引き離さなかったのよ!!」


分が悪いと判断したのか、さきほどまでのビクビク小動物姿とは打って変わって、衆目も気に留めず盛大に喚き散らすアニカ嬢。さすが駄目王子に並ぶ駄目令嬢だ。それがさらに自身の立場を悪くしていることに気付いていない。


「それは、良くも悪くも貴女が殿下にとって薬になったからです。この三年間、殿下は問題を起こすことなく勉学にも以前より前向きに取り組まれておりましたからね。このことに関しては、両陛下も私も深く感謝しているところです。ですが、欲を出し過ぎましたね。学園時代の恋人ごっこで済ませておけばいいものを、まさか本気で妃の座を狙っているとは思いもしませんでしたよ。」


冷笑を浮かべる側近の学生に、アニカ嬢はいつもの庇護欲をそそられると言われる顔を般若のように歪めてきつく睨み返した。


「それの何が悪いのよ!そこの女だってアーダム様を放って浮気してたってことでしょ!それにアーダム様はいつも仰っていたわ!ステファナの黒髪は死神のようだって!結婚は墓地に入るようなものだって!そんな女よりも私と共にいるほうが癒されるって!!私のほうが妃に向いているのは誰から見ても明らかじゃない!!」


そう公言したアニカ嬢に大広間に集まっていた人々の視線が急速に冷え切ったものに変わった。まぁ、ここまでやらかしたらそうなりますよね。


側近の学生の深い溜息が離れている私のところまで聞こえてきそうなほど、今や大広間の空気は冷え冷えとしていた。


「確かに、殿下にはステファナ様よりも貴女のほうが余程お似合いですね。才に富み、社交的で非の打ちどころのないステファナ様は言わば我が国の至宝と言っても差支えがありません。その宝を殿下にお預けするのはあまりにも勿体ないことだと誰もが思うところですから。」

「バルトルト!王子である私に向かって不敬にもほどがあるぞ!!」

「そうよ!貴方、なにを言って―――」

「頭の出来が悪い貴方がたは知らないようですが、殿下が王籍から抜かれないのは、ステファナ様という婚約者がいるからなんですよ。」


「「え」」


駄目ふたりの間の抜けた声に、周囲からも呆れた声が散見した。


そう、これもまた有名なお話。駄目王子の愚行が続くようなら廃嫡も止む無しという話は、学園の三年間で問題を起こさなければそれでいいというわけではないのだ。すべては完全無敵素敵美女令嬢のステファナ様がアーダム殿下と結婚することが最低条件になっているのだ。


それなのに何を勘違いされたのか、アーダム殿下は公然と最低条件であるステファナ様へ婚約破棄を言い渡した。これは即ち自ら王籍を抜けると表明しているに過ぎない。だから、私も最初「ようやく廃嫡のご覚悟が出来たのですね。」と思ったわけだったのだが、様子を見るに殿下はそのことを知らなったご様子。やはり駄目王子ですね。


まだこれがステファナ様のご提案されたように、婚約解消なら学園での三年間を考慮して救済処置を設けられたかもしれないが、その可能性もアーダム殿下本人が却下された。


それに長年駄目王子の尻拭いをさせられてきて婚約破棄を勝手に言い渡されたら、ステファナ様の生家であるメルキース公爵家が黙っているとは思えない。現メルキース公爵当主は王宮の外務大臣でもある。各国との橋渡しをするのになくてはならない貴重な人材を失うのは国としても膨大な損益だ。公爵家を宥めるためにも、アーダム殿下の廃嫡は必須要項。それから賠償金の話になるんだろうなぁ。


「そんなことは聞いていない!」だとか「話が違う!」とか喚き散らしている駄目ふたりは、側近―――おそらく既に元側近になったのだろう学生が軽く手を叩くと、大広間に入ってきた衛兵たちに取り囲まれた。


「アーダム殿下、国王陛下からの招集命令です。ご足労いただきます。」

「陛下は王宮にてこの場の映像を既にご覧になっています。ご覚悟ください。」

「そ、そんな馬鹿な………」


力なくその場で膝をついたアーダム殿下に、ステファナ様が静かに進み出る。


「ステファナ………これも全て貴様の計算のうちか!私を王籍から抜くために仕組んだことだったのか!」

「違いますわ、殿下。私は殿下を長年支えてきたつもりです。力及ばず申し訳ございませんでした。」


アーダム殿下の身勝手な暴言に対し、ステファナ様はゆるく首を横に振ったあと深く謝罪をした。そんなことする必要ないのに、どこまでも完璧で尊敬できるステファナ様らしかった。


「ですが、最後にひとつ訂正をお認め下さい。画像記憶玉でもご覧いただいたように、私はアニカ様を貶めたり傷つけたりはしておりません。確かに私は殿下の婚約者という立場にありながら、一時の恋心に惑わされ愚かな振舞をいたしました。ですが、そのことを謝罪する相手は―――」


そう言って、ステファナ様の視線が公衆の中で風景と化していてもおかしくない平凡な子爵令嬢である私を捉える。


あ、………やめて。やめてください!!ステファナ様ぁぁぁぁ!!


「あちらにいるフレイチェ・フロタユス子爵令嬢です。」


私の心の声も虚しく、ステファナ様は一言一句間違えずに私の名を告げた。


まぁ、あの映像を見た後で、ほとんどの方が私であることを分かっていたと思うが、ステファナ様の視線の先を追って一斉に向けられる瞳の多さに今すぐ失神したい。


「フレイ、大丈夫?」

「大丈夫なわけないって言ってるでしょ………どうなるのよ、これ。」


こそっと耳打ちしてくるハンネスに小さく悪態を吐く。ふたりの恋を応援してあげただけなのに、どうして私がこんな仕打ちをうけねばならないの!?カムバック!私の平穏な学生生活!!あ、もう卒業だけど。


「心身ともにアーダム殿下をお支えしようと幼心に誓ったにも関わらず、不義理を働いてしまい申し訳ございません。ですが、私は本当に殿下をお支えしたかったのは紛れもない事実でございました。………“婚約破棄”、謹んで拝命いたします。」

「ふん!今さら殊勝な態度で謝ったところで貴様の罪は消えることはないだろう!この裏切り者めが!」

「先にステファナ様を裏切られたのは貴方でしょう。これ以上は聞くに堪えません。衛兵、陛下をお待たせするのはここまでです。早くこの者たちを連れて行きなさい。」

「ちょっと!どうして私まで連れていかれないとならないのよ!!」


わーわー、ぎゃーぎゃー、と最後までけたたましく騒ぎながらアーダム殿下とアニカ嬢は衛兵に引き摺られるようにして退場していった。


ようやく駄目ふたりが去ったものの、懇親会は既に穏やかなものに戻る雰囲気ではなくなっていた。第一王子の婚約破棄騒動の影響なのか、完全無敵素敵令嬢であられるステファナ様が嫉妬心故に子爵令嬢に厳しくご指導されていた衝撃のせいなのか、あるいはそのどちらもの反響のせいで皆様どう振る舞えばいいのかわからない様子だ。


静かに騒めく喧騒の中で、ステファナ様は柳のような眉を下げて私たちのほうへ歩み寄ってきた。


広間の視線は今や、ステファナ様と私たちに集まっている。


「ハ、ハンネス………」

「巻き込んでごめんね、フレイ。だけど、彼女なりにけじめをつけたいらしいんだ。」


不安に押しつぶされそうな私はハンネスを見上げたが、彼も申し訳なさそうに眉を下げている。この様子を見るに、恐らくこうなることを知っていたのだろう。恋人が断罪されかけているというのに、やけに余裕だった態度にも説明がつく。とは言え、他に方法はいくらでもあったはずだ。こんな公衆の面前でステファナ様を断罪するのが、実は私なのよ!とかそんな展開を望んではいない。


どうにか逃げ道はないかと周囲に目を巡らせるが、誰も彼もがこの後の修羅場を期待して興味深そうに見守っている。友人たちにも「助けて」と視線を送ったが、「がんばって」と小さく頷きを返されただけだった。あぁぁぁ!逃げ道も味方もいないぃぃぃぃ!!!!


「フレイチェ・フロタユス子爵令嬢。」


私があわあわしている内に、ステファナ様は私たちの目の前まで来て深く膝を折った。


「この度は、誠に申し訳ありませんでしたわ。私の醜い嫉妬心から、貴女には酷い仕打ちを多くしてしまったこと深くお詫び申し上げます。」

「か、顔を上げてください!ステファナ様!!」

「いいえ、私は狭量な心の持ち主なのです。このくらいの言葉ではフレイチェ様に謝り切れませんわ。画像記憶玉にも多くの証拠が残っております。言い逃れはいたしません。フレイチェ様のお心のままに如何様にも罰してくださいまし。」


そんな加虐趣味持ち合わせていませんからぁぁぁ!


「それに、私は………貴女とブラウエル様を引き裂いた悪女です。北方の修道院へも自ら赴き、贖罪とさせていただく所存です。」


粛々とご自身を罰するステファナ様に私は背筋が凍る。北方の修道院は、修道院とは名ばかりの女性用牢獄のようなものだ。厳しい寒さを凌ぐ防寒具もなければ、飢えを凌ぐ食料もあまりない。公爵令嬢であろうが平民であろうが十年と命が持たないと言われているような場所だ。


「だだだだ、駄目です!!!!」

「ですが………」

「やめてください!!そんな場所に行ってほしくて、ステファナ様を応援したわけじゃないです!!」

「え………」

「確かに、ステファナ様からのご指導は私の平穏な学生生活に厳しい家庭教―――ごほん。ステファナ様からのご指導は子爵令嬢の身では受けきれないものでしたが、ステファナ様は間違ったことは何ひとつ仰っていらっしゃりませんでした!」


自然と声が大きくなってしまった私の声は広間中に響き渡ったようだ。どこからともなく「確かに。」「高位階級だと割と普通かも。」などなど肯定的な声があがる。


「それにハンネスを焚きつけたのは私です!お二人が仲良くなればいいと思ったのは、他でもない私自身です!!」

「でも、貴女方は私が理由で婚約を解消なさって………」

「違います!私はハンネスを家族のように慕っていますが、侯爵婦人になりたいだとか、ハンネスの妻や恋人になりたいだとか、そういう感情は一切持ち合わせておりませんし、今後もその予定はございません!!」


私がはっきりと言うと、ステファナ様はポカンと目を丸くし、隣ではハンネスが「そこまで言う?」と苦笑している。


「私たちが婚約解消したことにステファナ様自身は関係ありません!逆にご指導のお陰で高位階級のお付き合いに自分が向いていないことに気付けたので感謝しているくらいです!もうこれ以上、お二人の恋の焚火になるつもりは一切ありま、せ………んので、悪しからず。」


声を張り上げていたせいか要らぬことまで口走ってしまい、苦し紛れに最後の方は尻すぼみになったが、恐らくステファナ様にも近くにいた観衆にも聞こえていただろう。まぁ、でも紛れもない本心ではあるんですけどね。勝手に盛り上がってくれるのはいいんだけど他所でやってくださいよ、って話。


「はは、本当にフレイらしいな。だから言ったでしょう?必要以上にご自身を責める必要はないんですよ、ステファナ嬢。」

「ブラウエル様………」


未だに深く膝を折ったままのステファナ様に手を差し出すハンネスを見て、ようやく溜飲が下がった。そうよ、最初から騎士らしく淑女を守ってやるのが貴族令息というものでしょう!


「許して下さるんですか?」


ハンネスに手を引かれ立ち上がったステファナ様は未だに申し訳なさそうに私を見つめてくる。まぁ、ステファナ様が恋を拗らせていた一年半を考えれば致し方ないのかもしれない。


「ステファナ様、ハンネスは昔から鈍くさいヘタレですが、どうぞ末永く可愛がってやってください。」

「フレイ、君は僕をなんだと思っているんだ。」

「あら?そんなもの決まっているでしょう。親愛なる弟よ。」

「えぇ?僕の方が早く生まれたんだから、君が妹だろう?」


ハンネスといつものようにやりとりしていると、ステファナ様が瞳に薄っすらと涙を溜めながら微笑んだ。


「ふふふ、本当に仲がよろしいのですね。」

「兄妹の仲ですから!」

「姉弟の仲ですから!」


最終的に穏やかな幕引きとなったことで、修羅場を期待していた人々が徐々に懇親会へと戻って行く。止まっていた演奏もいつの間にか再開したところを見るに、どうにか断罪劇(原告)を切り抜けられたようだ。


「フレイチェ様、本当はあの日―――階段で呼び止めてしまった時にすべてを謝ろうと思っていたのです。お怪我をさせてしまい申し訳ありません。」

「そのことはもうお互いに謝りつくしたではありませんか。気にしないでください。」

「それに、このような卒業式の懇親会と言う場を借りて、貴女を困らせてしまった事も謝罪いたしますわ。申し訳ありませんでした。」

「もう謝罪はお腹いっぱいですよ、ステファナ様。」


謝りっぱなしのステファナ様に苦笑で返しつつも、確かに卒業式の懇親会まで待たずともステファナ様から呼び出されれば子爵令嬢の私は素直に応じるしかないのだから、卒業までの間に謝罪などいくらでも出来たはずだ。


………あれ?


そう言えば、おかしな点は他にもある。アーダム殿下が意気揚々として証拠の画像記憶玉が最初に投影された時、一度目の映像ではステファナ様の声や私の姿は途切れたり死角的に見えない角度になっていたが、二度目の時はステファナ様の声は明瞭で、私の姿もしっかりと映し出されていた。何故、証拠となる画像記憶玉を二度に分けて投影する必要があったのだろうか。


「ちょっと待ってください。あの、これって………一体どこからどこまでが仕組まれていたことなんですか?」


私の挙手に、ステファナ様とハンネスが顔を困ったように見合わせて二人仲良くに頭を下げた。




***



まず、そもそもの諸悪の根源はやはりアーダム殿下だった。


学園での三年間大人しくしていたかのように見えたアーダム殿下だが、実際は国庫を勝手に使ってアニカ嬢に高額な贈り物を何度となく贈っていたらしい。立派な横領である。


それに対し幾度となく諫言した側近の言葉など聞く耳を持たず、アニカ嬢に傾倒していくアーダム殿下についに側近は耐えきれなくなり、国王陛下に相談したのが始まりだったようだ。


国王陛下もこれには怒り心頭で直ぐにでも廃嫡の流れになったが、そこで待ったをかけたのがこれまた側近だった。


アーダム殿下の廃嫡は貴族議会や国民からの非難は皆無に等しいが、婚約者であるステファナ様が自由の身になると隣国他国からの釣書の嵐が吹き荒れること間違いなしだ。現メルキース公爵当主は王宮の外務大臣を務めている。愛娘を長年駄目王子の尻拭いに使っておいて、王子が廃嫡だからと婚約も白紙に戻しましょう、で納得するとは思えなかった。国内の貴族に嫁がせてくれればいいが、もし他国となるとステファナ様という貴重な人材を流出させてしまうことになるし、メルキース公爵家もどのような態度に出るかわからない。


であれば、メルキース公爵家が納得する次の婚約を用意するのが最善策だ。メルキース公爵はステファナ様を溺愛しているが、立派な貴族でもある。並大抵の相手では納得しそうになかった。だからと言って、立太子予定の第二王子にも既に婚約者を設けてしまっている。兄王子が駄目だったからと、その婚約者がいかに有能でも下げ渡すような真似は関係各所からの反発は簡単に予想がいった。


誰かいないものか、と頭を抱える日々が続いたある日、側近が学園に設置されている画像記憶玉でいつものように映像の確認をしていると、ステファナ様がとある令嬢に度々注意している姿が散見されるようになった。


令嬢を調べれば、すぐに子爵階級の至って平凡な令嬢であることがわかった。公爵令嬢であるステファナ様が駄目王子の尻拭いの時間を割いてまで彼女の元に注意しに行くのはあまりにも不自然だ。その理由にもすぐに調べはついた。


どうやらステファナ様は子爵令嬢の婚約者である侯爵令息に淡い恋心を抱いているらしい。


そのことを側近が国王陛下に告げれば、すぐさま侯爵令息と子爵令嬢の婚約を解消し、新たにステファナ様と婚約させようと息巻いた。だが、それに再度待ったをかけたのも側近だった。


貴族の意識が高いメルキース公爵は、いくら溺愛する娘のためとは言え政治的に旨味が薄ければ侯爵領との縁続きを望まない可能性がある。ステファナ様は他国の王家に嫁がせても遜色ない令嬢なのだ。恐らく納得はしないだろう。


メルキース公爵を納得させるには、それ相応の理由付けが必要になる。


そう、例えば公爵がどうにも出来ないくらい公の場で、ステファナ様に有責があったという公開断罪劇とか――


「じゃあ、卒業式の懇親会を選んだのも、事を大きくするためだったんですか?」

「そういうことです。」

「アーダム殿下の婚約破棄騒動はその余興だったと。」

「仰る通りです。」

「アニカ嬢がステファナ様から虐められてたり、階段から突き落されたと言っていたのは………」

「事前に私が映像を改竄して見せて、活用するよう促しました。」

「すべてはステファナ様を悪役に仕立てて、国内に留めておくためだったと。」

「やはりフレイチェ嬢は察しが良くて助かります。如何にメルキース公爵でも、ご自慢のご息女が嫉妬心から下位貴族の令嬢に厳しく接していたことが公然とされれば、一考していただけると思ったものですから。」


………腹黒いなぁ、この人。


にっこりと微笑んで紅茶のお代わりを侍女に頼む姿は貴族令息として申し分ないのだが、語っている内容があまりにも腹黒い。長年駄目王子の側近をしていたせいで心が病んでしまっているのかもしれない。


卒業式から一か月が経った。あっという間にアーダム殿下は廃嫡され、子供が出来ないように処置された上で王領の僻地に幽閉されることになった。ステファナ様とはアーダム殿下の有責により婚約破棄の流れになり、王家から膨大は賠償金が支払われることになったそうなのだが金額が金額なだけに目下話し合いが行われていると言う。


賠償金問題もあり、アニカ嬢へはアーダム殿下からの貢ぎ物をすべて王宮に返還するように要求されたが、それを拒否したために問答無用で修道院行きとなった。因みに貢ぎ物は父親であるレイク男爵が必死に探しては少しずつ返還しているらしい。


その辺が落ち着いた頃合いを見てなのか、私はステファナ様からお茶会の招待状を頂いた。そして今、メルキース公爵邸の美しい庭園を眺めながらテラスでお茶を頂いている。


懇親会の夜、困ったように頭を下げたステファナ様とハンネスは結局あの場では詳しい説明をしてくれなかった。まぁ、この話を聞けば聴衆のいる場では出来る話ではないとわかる。だが、それならそうと事前に言っておいて欲しかった。何事も心の準備が必要というものだろう。


そうと知っていればもう少しうまく立ち回ったし、協力できることもあったと思う。そう告げれば、ステファナ様は「貴女になら断罪されても本当に構わないと思っていたの。今も思っているわ。」と恐ろしい返事をくださった。いや、北方の修道院送りにするとか冗談でも言えませんよ!!


ハンネスはと言うと、特にあまり考えていなかったようで「フレイは丈夫だから問題ないって言ったんだけど、ステファナ嬢がけじめをつけたいから黙っていて欲しいと仰られるから黙ってた。」と過ぎたことは気にするな態で言ってきたので爪先を踵で踏んづけてやった。それでも昔からの友人か!友情よりも恋人なのか!この薄情者!!


むぅ、と顔を唇を尖らせる私に、アーダム殿下の側近だった彼―――バルトルト・クロンメリン伯爵令息が柔らかく微笑んだ。その微笑にドキリと胸が騒めく。うぅ、腹黒い上に心臓に悪い人だな。


どうしてクロンメリン伯爵令息とメルキース公爵邸で一緒にお茶を飲んでいるかと言うと、まぁ彼がアーダム殿下の側近だったので説明役に適していたという点と、ステファナ様とは殿下の尻拭い隊として長年協力してきた為、ステファナ様が招待されたからに他ならない。


因みに、一緒に招待をされたハンネスはステファナ様と仲良く庭園を散策中だ。


ハンネスは、家族でも見たことのないような間の抜けた愛情あふれる笑顔をステファナ様へ降り注がせている。その笑顔に蕩けるような微笑みを返すステファナ様はまるで女神のように神々しくも美しい。正直、なんでハンネス?と思わないでもないが二人が幸せそうなら問題はない。


出迎えてくれたメルキース公爵夫妻も今回の騒動をお詫びしてくれたし、ハンネスに対する印象も悪くない様子だった。爵位も釣り合いが取れているし、きっと二人が婚約するのに時間はかからないだろう。


姉のような気持ちで二人を微笑ましく見つめていると、クロンメリン伯爵令息がクスリと笑ったのが聞こえた。


「幸せそうですね。」

「まぁ、結果的にはハンネスの初恋が実ったので本当に良かったと思っています。」

「フレイチェ嬢の初恋はいつだったのですか?」

「え」


突然の唐突な質問に、一瞬頭が真っ白になった。次に脳裏に現れたのは階段から足を踏み外した日―――クッションとして下敷きにしてしまった彼のこと。


耳殻に直に響くテノールボイスに、ハンネスと同じ栗色なのに艶やかでまるでミルクチョコレートのように見える髪色。瞳は少し赤みがかっており、長い睫毛が影を作る。


そう、目の前にいる彼のことが―――


「あはは、私はまだそういうのはちょっと………」


うまく誤魔化せているだろうか。だけど、まだ本当によくわからないのだ。恋とか愛とか。そういうものに憧れはあるし、そういう類の小説も好んで読んでいるが、自分のこととなると今はまだ遠くにある出来事のように思えてしまう。


「実は、私は伯爵家の三男なんです。第一王子の側近として長く宮仕えの経験を買われて、今後は第二王子の側近となることが内定しています。」

「は、はぁ………おめでとうございます。」

「優良物件だと思いませんか?」

「思いますけど、え?」


間の抜けた返事を返せば、バルトルト様はカップをソーサーに音もなく戻すと、ゆっくりとした仕草で腹黒く微笑んだ。


「では、後日ご挨拶にお伺いしますね。」

「え、ちょっとまって、それって何の挨拶ですか!?」

「フレイチェ嬢はお察しが良いので助かります。」

「いや、あの!これ、きっと察しちゃいけない類ですよね!?一歩間違えれば自意識過剰的な!」

「ふふふ」


こっわ!!笑顔だけど怖い!!!


その後、ステファナ様とハンネスが無事に婚約をしたり、バルバルト様が本当に我が家を訪れたりしたけど、少しずつバルバルト様の策略に嵌っていってしまうわけだけど、それはきっとまた別のお話なのだ。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

6/1 感想評価他ありがとうございます!拙い想像力・語彙力にここまで親身になっていただき「なろう」の読者の皆様の温かさと叱咤激励を感じました。やっぱり「なろう」いいですね!感想の返信、今しばらくお待ちいただければ幸いですm(_ _)m

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