そして断罪は続く
その夜は学院の卒業パーティーだった。
主役たちは卒業式まで着ていた制服を脱ぎ捨て、燕尾服や騎士服、ドレスをまとった。
パーティー会場である学院の講堂近くに設けられた控室。
そこに集まったのは、この国の王太子である私をはじめ、高位貴族や留学生からなるクラスだ。
つい先ほど従僕から、都合で30分ほど開会が遅れると伝えられた。
盛り上がった気分に、なんだか水を差されてしまった。
「…もう、ここでいいか」
私はさっさと用事を済ませることにした。
「ミナミ王女、話がある」
応えて前に出たのは、遠い小国からの留学生。
王女の身分であるミナミだ。
「なんでございましょう、シルヴェストロ殿下?」
「ただ今をもって貴女との婚約を破棄する」
ストレートの黒髪を結い上げ、自国の簪で飾ったミナミ王女は扇子で口元を隠したまま目を瞠る。
エキゾチックな魅力を存分に活かしたドレスは、彼女の国の民族衣装であるキモノをアレンジし、ダンスも踊れるように改良した特別なものだ。
「王太子殿下、失礼ですが、ミナミ王女殿下に婚約破棄されるような瑕疵がございましたでしょうか?」
しゃしゃり出てきたのは、ミナミが自国から伴った伯爵家令息だ。
留学中、ミナミの護衛と執事を兼ねてきた彼は、名をカゲナギという。
黒目黒髪の国から来たにしては髪も目も色素が薄めの彼は、細身ながらも鍛え上げた長身の、忌々しいほどの美形であった。
そもそも留学に来て半年後、美しいミナミに魅了された私から婚約を申し込んだのだ。
納得できる理由が聞きたいだろう。
「本人が分かっているはずなのだがな。仕方がない。
チェレスティーナ、こちらへ」
呼べば男爵家令嬢のチェレスティーナがいそいそと私の隣に来る。
本来、身分的に彼女はこのクラスにふさわしくない。
しかし、学院に入ってから聖属性魔法の力が開花し、三年生になる時にこのクラスに移ってきたのだ。
「ミナミ王女、貴女は私がチェレスティーナに目をかけていることに嫉妬し、彼女に嫌がらせを繰り返していたようだな」
「嫌がらせとは、どのような?」
カゲナギの問いに、私は呆れた。
「従者に会話を任せるとは、やはり、後ろ暗いのか? まあいい。
辺境の小国でも、嫌がらせのやり方は我が国と同じようだな」
小国の文化など、我々先進国の模倣でしかないだろう。
「チェレスティーナの持ち物やドレスの損壊。
顔を合わせれば、嫌味を繰り返す。
そして、極めつけは階段からの突き落としだ」
「証拠はありますか?」
「ああ、いずれもクラスメートが証人になってくれる」
チェレスティーナが言っていた。
巧妙な嫌がらせで証拠は残せなかったが、証人は押さえてある、と。
この部屋にいる他のクラスメートたちも、全員がミナミとカゲナギに蔑みの目を向けているはずだ。
「卒業後は聖女となられるチェレスティーナ様が王太子妃にふさわしい」
「辺境の小国の姫ごときが、王太子の婚約者にしていただいたにも関わらず、手も握らせなかったとは、身の程をわきまえろ」
「エキゾチックな見目が物珍しいからと取り立てていただいたのに、何を勘違いしたのやら」
「役立たずは、さっさと国に帰れ!」
令息たちの罵倒は、私にとって、なかなか耳触りの良いものだった。
チェレスティーナも私の庇護と聖女の名のもとに、今後の立場は安泰だろう。
勝ち誇った笑みも可愛いらしく見えた。
身持ちの堅いミナミの態度は、私の下心と折り合わなかった。
軽く付き合って、合わなければ学生時代の遊び相手と割り切るつもりだった。
「お話はわかりました。謹んで承りますわ」
側近が差し出した書類に、ミナミは迷わずサインした。
側近が持ったままの書類を、私が目だけで確認して頷いた後だった。
胸の膨らみを私の腕に押し付けて、所在なく身体をゆすっていたチェレスティーナのスカートの裾が、サイン用に置かれたミニテーブルを倒した。
テーブルに置かれていたインク壺が投げ出され、ミナミのドレスを酷く汚す。
「あら、わざとじゃないのよ」
もちろん、聖女となるチェレスティーナに悪意があろうはずがない。
「なに、ダンスの相手もいないだろう。問題ない。
さっさと帰国するがいい」
私の追い払う仕草を避けようとして、ミナミは倒れたミニテーブルに躓きそうになる。
カゲナギがすぐに身体を支えたが、そのせいで彼の燕尾服にもインクの汚れが付いたようだ。
気の毒なことだが仕方ない。
控室から出て行く二人を気遣う者は一人もいないだろう。
卒業パーティー開始の案内があり、最後に入場した私はチェレスティーナを伴って壇上の国王陛下のもとへ挨拶に向かった。
国王は訝しげに
「シルヴェストロ、ミナミ王女はどうなされたのだ?」と訊ねる。
「父上、先ほど彼女との婚約を破棄しました」
「……!?」
父上は絶句してしまった。
すると、同じ壇上にある椅子に座っていた堂々たる様子の初老の男性が笑みを浮かべた。
「おや、ミナミ王女は婚約者がいなくなったのですな。
それは結構」
「…シルヴェストロ、ご挨拶を!
こちら、帝国の前皇帝陛下であられるアレクサンドル様だ」
私は固まった。
前皇帝アレクサンドルといえば、今でも大帝と呼ばれている。
若い頃に大陸の北にある国々を武力でまとめ上げた英雄だ。
皇帝となってからは身分を問わず人材を集め、善政を敷いたという。
生きながら、既に歴史に名を遺すカリスマであった。
一見にこやかな顔から向けられる眼差しは、全てを見透かすように冷たい。
チェレスティーナは前皇帝の威厳に圧倒され、小さく震えながら私の腕にしがみついている。
「シルヴェストロ、なんという失礼を…」
一言も発することが出来ない私に、父上は焦っている。
「いやいや、私は飛び入り参加ですからな。
本日の主役である卒業生たちの邪魔をするつもりは、ありませんぞ」
前皇帝の気遣いに、父上はますます恐縮している。
そんな中、正面扉が再び開かれた。
堂々と入ってきたのはミナミとカゲナギ。
先ほどのドレスより美しいミナミの装いに、令息たちの喉が鳴る。
一目で最高級と分かるシルクのドレスには細かな刺繍が施され、金糸銀糸がシャンデリアの光を反射して煌めく。
ドレスと揃いのデザインであろう正装姿のカゲナギに、令嬢たちの視線は釘付けだ。
二人が会場の中央に歩み出たタイミングでワルツが始まり、一組だけで踊り始めた。
格の違う主役の登場に不満を言える者はいなかった。
見事なダンスに拍手が沸き起こる中、ミナミとカゲナギは国王たちの前に進み出た。
「卒業おめでとう。ミナミ王女、カゲナギ殿」
「ありがとうございます、国王陛下」
二人は美しい礼をとる。
「久しいな、二人とも」
「アレクサンドルおじ様、お会いできて嬉しゅうございます。
素敵なドレスを、ありがとうございました」
「おじい様、外遊されていると聞いておりましたが、こちらにいらしてくださったのですね」
親し気な様子の三人に、私はひどく驚いた。
その時『身分を超えて、留学生たちとしっかり交流せよ』と学院入学時に父上から何度も言われたことを思い出す。
カゲナギは前皇帝アレクサンドルの孫だった…
普通に交流を進めていれば話題に出たかもしれないし、興味を持って少し調べればわかったのか?
私は彼を、教室でミナミを護衛するために派遣された、ただの伯爵令息だと侮っていた。
アレクサンドル大帝の娘である皇女が、ミナミ王女の国の伯爵と恋に落ちて嫁ぎ、二人の間に生まれたのがカゲナギだそうだ。
かの国では皇女を歓迎し、同じ年に生まれたミナミとカゲナギは幼馴染として育った。
ミナミに留学の話が出た時、カゲナギは実力でミナミの護衛の座を勝ち取ったそうだ。
「おじい様、私はミナミ王女との婚約を望みます」
「カゲナギ様…」
「私も大賛成だ。
ミナミ王女、カゲナギと共に私の国に来ていただけますかな?」
「おじ様…カゲナギ様はこれまでもわたしを慈しんでくださいました。
誰よりも信頼できる殿方です。
ですが、婚約を破棄されたばかりですし、少し時間をください」
「ミナミ王女殿下」
ミナミは答えを保留したが、愛し気にカゲナギを見つめていた。
「今の皇帝陛下にはご子息がお一人だけだ。
カゲナギ殿はその皇太子補佐として、帝国に行かれるそうだ」
父上が言う。
血筋を受け継いだ者でありながら、皇太子補佐という身分。
万一のことがあれば皇太子、さらには皇帝になる可能性もある。
王太子である私よりも、カゲナギのほうがずっと身分が高いのだ。
チェレスティーナが私の腕を離し、ふらりと前に出た。
「カゲナギ様、わたし聖属性魔法が使えます。
帝国へご一緒して、お仕事のお手伝いを…」
一瞬遅れて、彼女が乗り換えようとしていることに気付いた。
カゲナギはチェレスティーナを冷たく一瞥すると
「冤罪三点を、どう謝罪しますか?」と訊いた。
チェレスティーナが言ったミナミの罪は、冤罪なのか?
青ざめて黙ったままのチェレスティーナに、カゲナギは重ねた。
「そして、冤罪ではない、私の目の前で起こったことを謝罪できますか?」
控室での出来事が脳裏に蘇る。
ドレスと燕尾服をインクで汚した損壊。
令息たちによる罵倒。
そして、私の不注意のせいで怪我をしかけたミナミ王女…
あの場で一番身分の高いのは私だった。
しかも、主導したようなものだ。
故意ではないにしても、謝罪すらしていない。
挽回のチャンスはないだろう。
断罪は免れまい。
本当に身の程を知らなかったのが誰なのか…
やっと分かった時には、もう遅すぎた。
チェレスティーナには荷が重すぎる。
私は彼女の前に出た。
「カゲナギ殿、全て私の不徳の致すところです。
責任は私が取ります。
謝って済むことではないが、嫌な思いをさせて大変申し訳なかった」
私はやっと、それだけを言った。
カゲナギはミナミ王女を見る。
彼女は小さく頷いた。
「謝罪を受け入れます。これまでのことは水に流しましょう」
器の大きさが、まるで違っていた。
いや、私への断罪など、彼等にとっては何の意味もないのだろう。
アレクサンドル大帝は、最後まで黙って様子を見ていただけだった。
その後、チェレスティーナは聖女として承認され、所属する聖堂から出て来ない。
パーティーでの出来事から立ち直れないようだった。
そして、父上が選んでくれた優秀な私の側近候補たちは、そろって帝国へ行ってしまった。
カゲナギに心酔し、彼の下で働くそうだ。
私の味方だと思っていたクラスメートは、手のひらを返してカゲナギを褒めそやす。
独りぼっちになった私は、それでもこの国唯一の王子。
王太子の位から逃げることは出来なかった。
それから二十年の月日が経った。
あれから私なりに、国王である父を支え、出来る限り奮闘したつもりだ。
だが我が国は、変わりゆく国際情勢に太刀打ちできない状況に陥っていた。
我が国は帝国の傘下に下ることを決めた。
王家の首を挿げ替えても国を残そうとする決断に、意外にも帝国は寛容だった。
大まかな条件は二つだけ。
体制が変わる証として現国王が退位し、王太子、つまり私が即位すること。
そして、政治の要になる役職に帝国から派遣される人材を据えること。
自身が王位につくことに躊躇いはあったが、国際情勢を知る人材の派遣には感謝しかなかった。
問題は山積みだが、わずかな光明でも縋っていかねばならない。
調印式の日。
それに先立って帝国からの使者の立会いの下、簡素な戴冠式が行われた。
皇帝の代理としてやってきたのはカゲナギだった。
彼が補佐していた皇太子は、数年前に皇帝に即位している。
その後もカゲナギ自身は宰相や大臣にはならず、皇帝の手足となり身軽に動き回っているという。
調印式や晩餐会では時間がとれなかったので、翌日、お茶会の名目で話す機会を作った。
帝国の公爵という身分のカゲナギは、夫人であるミナミを伴っている。
「この度は、いろいろとお骨折りいただき、感謝しています」
と挨拶すれば
「いえ、こちらとしても手を打てる状況での申し出が有難かったです」
と答えがあった。
人払いをして四人だけの席なので、お茶を用意しているのは私の妻だ。
彼女は伯爵家出身で、元は母上の侍女をしていた。
私より二つ年上の穏やかで落ち着いた人だ。
「美味しいです」
妻の淹れたお茶を飲んだミナミが、ほっとしたように呟く。
妻は優しく微笑んだ。
「…実は、シルヴェストロ陛下には感謝しているんですよ」
話をする中で、カゲナギがそんなことを言い出す。
思わず苦笑が漏れる。
「恨まれこそすれ、感謝していただくことなど…」
「今だから言えますが、ミナミと一緒になれたのは陛下のお陰に他ならない」
留学してきた時、二人ともに恋心はなかったという。
幼馴染として、ミナミが心配でついてきただけだと言うカゲナギ。
「陛下とミナミがすれ違ったからこそ、自分の思いを育てられたようなものです」
ミナミが口を開く。
「わたしは、国から出るのが初めてで、何もかもが珍しくて。
陛下から婚約を打診された時も、世界が広がったような心持ちでした。
…下心、なんていうことも全然わかっていなくて。
ただただ子供で。
婚約破棄されたことすら、なんだか面白がっていましたわ」
「…貴女を傷つけるほどの何かは、私にはなかったのですね」
「傷つきはしませんでした。
なかなか大人にならない私に、カゲナギがその後も苦労したようですわ」
カゲナギとミナミは顔を見合わせて笑う。
「卒業パーティーの騒動で、大帝には断罪されてもおかしくなかった。
可愛がっていたお二人にあれだけのことをしたのですから」
「祖父から見て、三人ともがあまりに子供だったのでしょうね」
アレクサンドル大帝は、まだまだお元気だそうだ。
「祖父は相手に可能性を見つけたら、命を奪うより『生きて苦しめ』と言う人です。
『苦しめ、そして幸福を知れ』と」
カゲナギの言葉にミナミが続けた。
「シルヴェストロ陛下が、あの時、パーティーの衆目の中で謝罪されたことで、貴方の可能性を見たのですわ」
取り切れない責任ではあったが、あのギリギリの謝罪が、私の命を救ったようだ。
「大帝にお礼を伝えていただけますか?」
「もちろんです」
カゲナギは笑顔で請け負った。
私たちは、今初めて友人になったかのように握手を交わした。
私の即位と共に、帝国から提示された条件である
『政治の要になる役職に帝国から派遣される人材を据えること』だが、やってきたのはカゲナギと共に帝国に行った、私の元側近候補たちだった。
帝国から派遣された者ならば身分にかかわらず、こちらが譲歩し教えを乞う覚悟だった。
しかし彼らは私の前で臣下の礼をとり、
「帝国で学んだ全てを祖国のために活かします」と誓いを述べた。
彼らの礼に対して相応しくはないが、私は思わず首を垂れていた。
立ち上がった彼らは、私を囲むと優しく肩や背中を叩いてくれた。
中には照れたように、やや乱暴な叩き方の者もいた。
断罪は続くのだ。生きている限り。
小さな行いも、大きな行いも、全ては結果として跳ね返って来る。
国王となった私の行いの結果は、全て国に、国民に跳ね返る。
一人では持ち切れるはずもない責任を、分かち合ってくれる仲間がいることに、少しだけ安堵した。