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【没詰め】滅亡の花  作者: .六条河原おにびんびn
【没】晶魚大陸異聞
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晶魚大陸異聞 2

 水の都ロレンツァから王都はそう遠くなかったが、学園都市テュンバロのように日帰りというわけにはいかなかった。幼馴染が手紙を書いてよこした町が、王都に寄った区間にある。アルスは一晩そこに泊まった。久々の郷里に胸が躍り、無理をして飲まず食わず眠らず王都を目指すつもりですらあった。

 宿の寝台で手紙を読み返す。数度、目を通すと、次第に汲み取れていなかった幼馴染の事情が拾えてきた。そうすると仄かな息苦しさが訪れる、彼女は王都に着いただろうか。日輪の(かんなぎ)の役目を降りるのは、彼女が自身のためだけを考えた末の結論ではなかった。アルスはそのことを知っている。

 彼は溜息を吐いた。静かな夜である。他に宿泊客はいないようだった。忙しい王都や賑やかなロレンツァとは時の流れが違う。

 横になっていると、いつの間にか眠っていた。期待による興奮状態が疲労を忘れさせていた。目が覚めたのは、青みを帯びた薄暗い明朝だ。予定よりも早い時間に発ち、王都でしっかり休むのも悪くない。

 城にはアルスの実家ともいえる部屋がある。宿の枕は固い。

 彼は身支度を整えて外に出た。まだ出発のつもりはなく、帳場の店主も起きてはいない。すると物好きなことに彼は散歩をはじめてしまった。また歩かねばならないというのに。

 この町には森林がある。朝の心地良い風がその瑞々しい朗らかな香りを運んでいる。アルスの行動は、まるでその匂いに誘われるかのようだった。散策用の道を辿る。草木が薫る。やがて円を描くように広がった場所へ出る。人工物が目についた。それは自然に溶け込むような色をしていない、ひと一人分ほどの天幕であった。そう古く草臥れた布地ではない。何者かがここで寝泊まりをしているらしい。焚火の跡もまだ新しかった。だが気配がない。

「よお」

 真後ろから人の声があった。アルスは胸が痛くなるほど驚き、その場で両の踵を浮かせかけた。咄嗟に振り返ると、そこには30代半ばといった頃合いの男が立っていた。首元と袖に飾襞のある服が妙に小洒落ている。野宿に適した風采ではなかった。

「この町の(もん)かい?そう警戒なさるな。町長さんの許可は取ってあるんでね」

 アルスはまだ話を受け入れる体勢に切り替わらない。相手の男は剽軽に笑っている。

「ここの南っ(かわ)にある大学校で、地質学を教えてるんでさぁ。そう怪しいもんじゃねぇ。名刺要るかぃや」

 地質学者を名乗る男はアルスの奥にある天幕に行くと、膝をついて中へ上半身を突っ込んだ。

「大学珈琲でも飲みやっせ。これは、大学校のお偉い先生が、研究に研究を重ねて、いかに効率よく―……」

 黒褐色の液体を入れた硝子製の容器は、学園都市テュンバロの商店街で見たことがある。実験器具だ。

 やたらとよく喋る小奇麗な身形の男はぼうっと突っ立っているアルスに気付き、言葉を切った。

「何か質問は?」

 実験器具に入った黒褐色の液体を問答無用で押しつけられ、アルスは思わず受け取ってしまった。

「ここで何をしているんですか?」

 苦味と香ばしさのある匂いを放つ液体を口に運びかけ、しかし口に含む前に訊ねた。果たして飲んでいいものなのか、アルスは判断に迷う。嗅覚はそれを珈琲だと告げているが、相手は見知らぬ怪しげな人物である。

「ふむ、何をしているか」

 自称地質学者は復唱する。

「時に坊主、王都では大きな祭りがあるのは知ってるかぃや」

 それが、アルスが王都に向かう目的である。王位継承の儀に伴い、王都民たちの文化祭も催される。多くは王位継承の儀よりもこの祭りを期待している。

「はい」

「ふん。あれで、種上げの儀式ってのがあるのは?」

「知っています」

 自称地質学者は感心したように自身の頬を撫でた。

「そら話が早い。波動がいかにして―」

「詳しくは知りませんが……」

 学園都市テュンバロの学生たちに対するのと同じ基準で喋り出すのを遮った。そこまでは理解できていない。アルスが知るのは、儀式の流れだけである。

「なるほど」

 相手の男はその辺りに落ちている適当な長さの枝切れを手にすると地面に絵を描きはじめる。

 まずは円形が描かれたが、円として完成しなかった。下から日が昇るように引かれた線は描きはじめた地点と結ばれない。代わりに尖った雲のようなものが描かれる。

「これが”大陸フェメスタリア”。こっちが”約束の地”。まぁ、森だな。格式ばった本にはザナンドゥとか書いてあったが、まぁ覚えなくていいです」

 彼は説明書きを加える。この”約束の地”とつけられた尖った雲のような絵は、この男なりに木々の茂みを表しているらしい。

「で、だ」

 自称地質学者はアルスを見た。改めた視線に不安になる。様子を窺うような眼差しだった。

 尖った雲の絵、もとい”約束の地”から下向きに生えるように太さのある錐のようなものを描く。

「これが大陸クリスタル。または地下核クリスタル。吾輩たちの生活の基盤だな」

 “大陸クリスタル”と脇に書き添えられる。

「坊主、クリスタル信仰か?」

 男はアルスを胡散臭そうに問う。何かそう思わせる振る舞いがあたかと、狼狽してしまった。

「その反応は、大陸信仰じゃなさそうなんよな」

 自称地質学者はまた頬を撫で摩り、ぶつぶつと独り言ちる。

「オレは別に……何信仰とか、考えたこともないです」

 深刻げだった男の表情がふと緩んだ。

「なるほど。いやぁ、よかった、よかった。解釈の違いというやつで、場合によっちゃっちゃ、これからの説明が変わってくるもんだから」

 地質学者を名乗る男は図を描くのを再開する。枝切れは魚の形を地面に彫った。

「晶魚リヴァイアトラウト。大陸信仰のお輩は、そんなものは存在しない、なんて(のたま)いやがっていらっしゃるわけですがね。そしてここも存在しない、これはこの中にあると……新説を説くのがお好きなようで」

 枝切れが魚の絵に没印をつけ、"大陸クリスタル"または”地下核クリスタル”から引いた線は”大陸フェメスタリア”の円の中に繋がる。

「前置きはここまでよ。この、大陸クリスタルってのが、まぁ、便利だが、やっぱり吾輩等には危ないわけですわな」

 枝切れが”大陸クリスタル”を叩く。

「ありがたいことに我々は、"約束の地"という名の森があるわけだが、おたくさん、見たことは?」

 教鞭代わりなのか、枝切れの柄の部分を彼はアルスの口元に近付けた。

「ないです」

「我々庶民には、見えないわけなんですな。王族様方が、各地の精霊さん方と協力して、ここに結界を張ってるってこってす。ちなみに、王立研究機関の連中は見せてもらえるとか、もらえないとか」

 地質学者と名乗る男は”大陸フェメスタリア”で”約束の地”もとい森の境界を塗るように彫った。

 精霊との契約というのは漠然とアルスも知っていた。王子は形式的に行われる王位継承の儀を経ると、新たな王として再契約をする。それが種上げの儀式だと教わった。

「種上げの儀式に使われるのが、この”約束の地”とは名ばかりの森なんだが、ここの木の種っていうんだから、吾輩はそんな摩訶不思議な種が上げられる前に、各地の土を見ておきたいってことですわ。これが、おたくの”ここで何をしているのか”に対する回答なんだけれども、いかがでしょうか。何か質問は?」

 そしてこのテュンバロの大学の教員らしい男は、ふっと思い出したことがあるようにここで待てとばかりの挙措をして、天幕にもう一度上半身を突っ込んだ。手には草が握られている。

「これはフェメスタリア絹蛾蘭で、土に敏感なんですわ。そういう理由で綺麗に育てるのは難しいが、これで色々なことが分かる」

 絹蛾蘭は上手く育てれば純白の大ぶりな花をつける。何にでもロレンツァの名を冠したがる水の都ではロレンツァホワイトオーキッドなどと呼ばれている。

「これを植えて、種上げの儀式がいかほどの波動を持つのか、魔力濃度を―……」

 そう語る男は嬉々として、草を眺めている。アルスは渡された黒褐色の液体を呷った。

「ああ、課外授業のつもりで楽しくなってましたわ、失礼」

「いいえ。楽しかったです」

「興味が湧いたら、テュンバロ工業農業大学に来てくれや。奨学金もあるんでね。ときに……」

 今更になって地質学者らしいのはアルスの脳天から爪先までを眺め回した。

「おたくさんは、王族の縁者かぃ?染めてんのかぃ」

 王族の関係者ではあるまいか。アルスはこれを聞いたとき、ぎくりと肩を跳ねさせた。この男は驚かせるのが上手い。

「赤毛は王子にしか許されないって噂じゃないの。それか、よほどの鼻摘まみ(もん)か……」

「お、王子に憧れているだけですよ。それに、赤毛だって赦してくださるでしょう、寛大な御方、だそうですから……そんなのは、単なる噂です」

「ほう、そうけ」

 納得したのか否か、相手の剽軽な態度は崩れない。

「それより、珈琲、ごちそうさまでした。勉強になりました」

「そんなことを言って、森を出る頃には忘れるでしょうな。でないなら、才がある。ぜひともうちの莫迦大を贔屓にしてほしいね」

 アルスはそこで、このテュンバロの大学教授と別れた。宿に戻ると、帳場の店主が開店の準備をしていた。荷物という荷物はなかったが、出立の支度をしてから彼はこの町を後にした。

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