一期一会のすれ違い
303号室、ここだ。
扉の先のベッド。そこにあいつはいた。
あいつは白衣を着て、仰々しい管付きマスクを着けて、点滴をしていた。
俺が家を出たのは何年前だったか。
顔を見るのは本当に久しぶりだったけれど、あいつだとすぐに分かった。
細く閉じている目を見ると、ただ寝ているようにも見えた。
だけどそんなことはないと知っている。
ガンだかなんだかの末期で、もう長くないんだと聞いた。
そんな状態でも穏やかに寝ているように見えるのは医療の発達ってやつの成果なんだろうな。
ふと、どんな顔をしているのか気になった。
そういえば、短時間ならマスクを外して顔を見てもいいと言われていた。
そっと顔に手をやり、ゆっくりと外した。
怒っている印象ばかりのあの頃では考えられない、穏やかな顔をしていた。
こんな状態だけど、こいつは今が一番幸せなのかもしれない。
いや、いくらなんでも安直すぎた。
俺のことを分からなかった奴だけど、俺だってこいつのことは分からない。
なんだか居辛くなって、休憩所を探した。
ミネラルウォーターを買って、ベンチに座って、意識しながら息を吐く。
頭の中がごちゃごちゃだ。
急に病院から電話が来て、何年も会っていないあいつが危篤だと聞いて。
仮にも親だし仕方ないと思いつつ、一応急いで来たんだから当たり前か。
正直会いたくなかった。
でも最後の機会かもしれないと思うと、やっぱり会っておく方がいい気がして。
結局、会いに来てよかったのかは分からない。
でももう一度くらい会ってから帰るか。
しかしなんだか、病室の方が慌ただしい。
行ってみると、赤いランプが点いて病室が閉まっていた。
医者が来て、あいつの容体が急変したと言って、入って行ってしまった。
そういえば、あの時俺はあの仰々しい管付きマスクを付け直しただろうか。
あいつに俺の食事を忘れられてしまったことを思い出す。
あの時はあいつが何を考えているのか本当に分からなかったが。
強い方のミスで、弱い方は簡単に死んでしまう。
あいつの方が強かった今までと、立場が逆になってしまった。
近くのナースにあいつのマスクが外れていなかったかと聞く。
「マスクは外れていませんでしたよ」
そうか。
良かった。
いや、そうでもないのか。
そうか。
もう会えないか。
もう一度、ベンチに戻る。
そこにはミネラルウォーターが置かれていた。
なに寝惚けてやがる
あいつの口癖を思い出した。