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03

 

「あっ」

 下校中、七海ななみは前を歩く章悟しょうごに気付いた。

 こちらに向かって歩いている。

 それなりに離れているが、残念な事に目が合った。

 先に気付いていたふしさえある。

「っ」

 すぐにきびすを返して逃げた。

「あ、おい!」

 呼びかけも無視して走る。

 昨日と殆ど同じ状況だ。

 杏子きょうこ抜きで会ってもいじめられるだけだと思った。

 遠くから響く足音が、あっという間に背後に迫る。

「待てや!」

 後ろから抱きしめられる。

「ひああああ!」

 足が浮く。腕ごと抱えられているせいで身動きが取れない。

「何で逃げた?」

「こ、怖いから」

「俺が怖いわけ、ねーだろ!」

 拘束が強まる。

「ぎゅぅぅ」

 息が出来ない。

 やはり怖い。

 軽く左右に揺さぶられてから降ろされた。

「次からは俺を見ても逃げないように」

「……はい」

 呼吸を整えながらうなずく。

 拒否権はなかった。

「よし、ついてこい小娘」

「はい」

 腕を掴まれたまま連行される。

「言う事を聞いてれば痛い事はしないからな」

「はい」

 警告には名状しがたいいかがわしさがあった。

 というか既に掴まれた腕が痛い。

 これも昨日と同様、自販機で紅茶を買ってから近くのベンチへ。

「逃げた罰として前髪上げの刑に処す」

「そんなぁ……」

 それだけは勘弁してほしかった。

 面と向かって目を合わせられないからこそ伸ばしているのだ。

 それでも恐れは大して希釈きしゃくされない。

 他人は怖い。

 とても顔など上げていられない。

「ヘアピンとかねーの?」

「な、ないです」

「チビが」

 雑な悪態。

 身長は関係ないだろうに。

「しゃーないから左右に分けるか」

「うぅ」

 されるがままだ。

「よし」

「あの、いつまでこうしていれば?」

 地面しか見ていられない。

「一生」

「うぇぇ」

 終わった。

 七海にとっては死刑判決に近い。

「冗談だ。今だけでいい」

 それでも辛い事に変わりはない。

 そわそわする。

 落ち着かない。

 身がちぢこまる。

「姿勢が悪い。胸を張れ。その平らな――」

 言いながら、そのふくらみを見る。

 数瞬すうしゅんの間。

「言うほど平らでもないな」

 繁々しげしげと。

「そ、それ、セクハラですから」

 交差させた腕で胸を隠しながら、ささやかな抗議。

 確かに学年の中でも大きい方ではある。

 しかし同時に、これは七海のコンプレックスでもあった。

「そんなもん付けてるのが悪い」

 無茶苦茶いう。

「みみみはさー」

「なな、みです」

 危うくなななと言いそうになった。

 巧妙な誘導である。

「お前らって、いつもあんな事してんの?」

 昨晩、結局通り魔はどこにも現れなかった。

「いつもじゃ、ないです」

 自分のひざを見ながら。

「ああいう、危なそうなホルダーが出た時だけ」

「ご苦労なこったな」

 七海もそう思う。

 尤も主な苦労は杏子が殆ど受け持っている。

 七海は散歩しているだけだ。

「昨日は聞きそびれたけど、通り魔を見つけたらどうする?」

「私に聞かれても」

 決めるのはいつも杏子だ。

「それでも全くわからないって事はないだろ」

「まぁ」

「適当に痛めつけて終わりか?」

「いや、痛めつけるというか……」

 七海の時もそうだが、過度の暴行はない。

 盛大にしかられはするが。

 七海が杏子と行動を共にしているのも、懲罰ちょうばつの延長に近い。

「警察に突き出すか?」

「それは」

 ない、と断言していいものか。

 これまで杏子が制裁を加えたホルダーも、幾何いくばくか法を逸脱いつだつしてはいた。

 だが今回は人死にさえも出かねない。

 そんな相手を一喝いっかつ程度で済ませるか。

 理由にもよるが、問題は猟奇りょうき趣味の延長で犯行を重ねていた場合だ。

 これは道具を取り上げた所で何の解決にもならない。

 七海などは、やはり警察に連れて行くしかない気がする。

 結局杏子の裁量さいりょう次第ではあるのだが。

「何か、考えでも、あるんですか?」

 両膝をそわそわと左右に揺らしながら。

「ない」

 きっぱりと。

(ないのか……)

 ならなぜ聞いたのか。

 口出しするための詮索ではなかったのか。

 指摘するだけの勇気が、七海にはなかった。

「ないから、一緒に考えてもらおうと思ってな」

「……?」

 考えるのはこちら、というか杏子だ。

 しかしそういう意味ではなかった。

「お前らの探してる通り魔、実は俺の家で預かってるんだ」

「は……?」

 とんでもない事を、言い出した。




 章悟の姿を見るなり、杏子は足早に詰め寄ってきた。

 殴り飛ばさんばかりの剣幕けんまくだ。

「きょ、杏さん」

 七海が慌てて前に出る。

「落ち着いて。落ち着いて」

「落ち着いてるよ」

 とてもそうは見えなかった。

「落ち着いてるから黙ってな」

 抱き締められる。

「んぎ」

 というかかなりきつめの拘束だ。

 身動きが取れない。

「満足のいく言い分があるんだろうね?」

 静かながらも低い声。

「まぁ、見てくれればわかるよ」

 行こうぜ、とうながして歩き出す。

 行き先は章悟の家だ。

 杏子に連絡を入れたのがおよそ一時間前。

 案内のため、一旦駅前に集合したのだ。

 短い道中ではあったが、章悟はその間色々話した。

 昨日はあくまでの様子見の顔合わせであった事。

 信頼に値するのかしないのか。

 幸い問題なさそうなので打ち明けた。

 昨日の説明には虚実取り混ぜていたらしい。

 四日前に出会ったという話。

 これは本当だった。

 ワンパンで伸した話。

 これも本当。

 しかし逃げたというのは嘘だった。

 ちなみに失禁したというのも嘘。

 これに関してだけは言われるまでもなかった。

 あからさまに怪しい風体の子供である。

 犯行時の様子もおかしな点は多々あった。

 気絶したまま放置する訳にもいかず、担いで持ち帰ったらしい。

 ほとんど誘拐だが、仕方ないだろう。

 ただの大人に任せておける相手でもない。

 自室に戻ると、少年は程なく目を覚ました。

 しかし何やら要領を得ない。

 結局三墨みすみ翔太しょうたという名前以外はわからぬままだとか。

「四日かくまっててそれ?」

 杏子から非難がましい問い。

「仕方ないだろ。昼間は学校で夜は姉さんら探してたし」

「一旦自宅に帰すとかしなかったの?」

「あいつ、家はないんだって。ずっと変な施設にいたって」

「ずっとって、生まれてから?」

「さあ、俺も尋問みたいな事は苦手だから、詳しくは聞いてない」

 杏子の顔が思案にくもる。

「人を斬ってた理由は?」

「それが、記憶にないらしいぜ」

「はあ?」

 そんな都合のいい話があるのか。

「やりあった俺からすると、あながち嘘とも思えないんだよな」

「どゆこと?」

「いや、俺を襲ってきた時はなんか、動物みたいっつーか、そんな感じ?」

「二重人格?」

「いまどき?」

 心因性の病に流行などないだろうが。

佯狂ようきょうの線は?」

「ない。多分だけど」

 そこで章悟の家に着いた。

 男の家。

 これは七海にとって忌避きひの対象である。

 今更になってのこのこ付いてきた事を後悔した。

 杏子は構わず進んでいく。

 七海も続かぬ訳にはいかない。

「お邪魔しまーす……」

 あなたの息子が犯罪者になるかもしれませんよ。

 そんな気持ちを込めた挨拶。

 自宅にいながら子供の強姦を容認する親はいない。

 いたとしたら狂気の家族である。

 章悟もまさか血迷った行動には出ないだろう。

「親はいねーぞ」

「え……」

 七海の防衛本能が大音量で警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 このままでは杏子の貞操さえ危うい。

 男は狼なのだ。

 七海達は羊。

 男の部屋に入った瞬間に食べられてしまう。

 通り魔捕獲ほかくも家に誘い込むための嘘だったのだ。

 やはり男は恐ろしい。

 七海は決めつけた。

「か、帰りません?」

 杏子の袖を引きながら。

「何で?」

「危険な感じがします」

「まぁ、話が本当なら通り魔がいるからねぇ」

 そういう事ではないのだが。

「ほら、ちゃんと守ってやるから」

 差し伸べられた手を、これほど払いたいと思った事はない。

「いえあの、私の手より鞭を握ってて貰えると」

 助かるんですが、と尻すぼみ。

 せめて臨戦態勢には入っていてほしかった。

「確かに。偉いよ七海」

 杏子の方でも思う所はあったらしい。

 恐らく通り魔に対する備えだろうが、警戒は促せたのでよしとする。

「今のあいつは何もしてこないけどな」

 その手に乗るかと思った。

 最後の一瞬まで気が抜けない。

 杏子の背中に隠れながら二階にある章悟の自室へ。

「翔太、帰ったぞー」

 返事はない。

 明かりをつける。

 すると、いた。

 部屋の隅に、膝を抱えて座っていた。

 確かに小さい。

 パジャマ姿というのも本当だった。

 前も後ろも伸びっぱなしの長髪。

 肩まで伸びて顔を隠している。

 辛うじてその隙間から瞳が覗く。

 確かに異様な風体の子供ではある。

 事前に聞いてはいたものの、いざ目にすると驚かされた。

「誰?」

 頭髪越しに少し不安げな高い声。

「俺だよ」

 少年は首を振る。

 長髪が左右に波打つ。

「後ろの人」

 七海達の事だ。

「昨日話したろ? 専門家の人達だ」

 どんな説明をしたらそうなるのか。

 少年を安心させる方便にしてもいささか無理がある。

 この場では最年長とはいえ杏子も大学生だ。

 確かに大人びてはいる。

 だがあくまでもそれらしいというだけだ。

 社会人に見える程ではない。

「それに見ろ。お前の仲間も連れてきたぞ」

 杏子の後ろに隠れていた七海を引っ張り出す。

 仲間といっても前髪で顔を隠している所しか共通点はない。

 冗談のつもりだったのだろうが、誰も笑わなかった。

 杏子が前に出て膝を突く。

 少年はわずかに首をすくめた。

「君、名前は?」

 すぐには答えない。

 杏子も急かしはせずにじっと待つ。

「三墨、翔太」

 一分近く経ってから、ようやく答えた。

「何歳?」

「十」

 声からただよう幼さにも納得がいった。

「学校は?」

「前は、行ってた」

 今は通ってない事は、見ればわかる。

「何て名前の学校?」

 少し間を置いて、少年は学校の名前を答えた。

 この近くにある学校だった。

「家はその近くある?」

「普通」

「通学には何分くらい掛かってた?」

「十分ちょっと」

 子供の足である。

 離れていても一キロはないように思えた。

「住所は?」

「わかんない」

「学校に行かなくなってからは、どこにいたの?」

「わかんない」

「誰かの家?」

「わかんない」

 わからない事だらけだ。

 話したくないから知らぬ振りをして、切り抜けようという目論見もくろみか。

 自己申告だけの現状では、真偽の程もさだかではない。

「狭かった? 広かった?」

「広かった」

「お父さんとお母さんはいた?」

「いない」

「君以外の人はいた?」

 しかし意外にも優しい態度に、七海は胸をで下ろす。

 子供とはいえ通り魔容疑の掛かっている相手だ。

 多少なりとも当たりがきつくなるのでは。

 そんな懸念けねんも、少なからずあったのだ。

 少年が小さく頷く。

「どんな人がいた?」

「大人の人」

「何人くらい?」

「たくさん」

「君くらいの子供は、いなかった?」

「いた」

「あたし達くらいのは?」

「いた。少しだけ」

「みんなと仲は良かった?」

「うん」

「そこの名前や場所は、わかる?」

 再び沈黙。

「山が、あった」

 この市内やその周囲に山はない。

 一番近くともそれなりに距離がある。

 どこかの施設に入り、最近になって戻ってきたのだろうか。

「君はそこから抜け出してきたの?」

「……わかんない」

「大人に運ばれてきたとか?」

「わかんない」

「気付いたらこっちに来てた?」

 頷く。

 弱弱しく。

 気になる事は聞き終えたのか、杏子が短めの吐息を漏らした。

 なるほど確かに要領を得ない。

 わからない事だらけだ。

 地元の人間らしいのがせめてもの救いか。

 名前で探せば身内なり知人が見付かるかもしれない。

「姉さん、どうだ?」

「んー」

 うなり声にも似た返答。

 何をすべきか決めかねている。

 やがて膝を叩く。

「取り敢えず、この子の通ってた学校に行ってみる?」

「連れ出すのか?」

「問題ある?」

「服が……」

「あー」

 まさかパジャマ姿の子供を連れ回す訳にもいかない。

「ないの?」

「一番古いので俺の中学時代の服だな」

 それでも大きすぎるだろう。

 ただでさえ章悟は長身だ。

「仕方ない。買いに行くか」



 買い出しは杏子と七海で行った。

 サイズは七海より一回り程小さいものを選択。

 靴は事前に計っておいた。

 金は章悟から出た。

 最初は渋っていたが、

「あんたが拾ったんだからあんたが面倒みな」

 という杏子の圧力に負けた。

 ペット感覚で語って良いものか、七海にはわからなかったが。

 自宅待機の章悟にも役割はあった。

 翔太を風呂に入れて綺麗にしておく事である。

 部屋に入った段階で気付いていたが、それなりに臭ってはいたのだ。

 数日同居しておいて章悟もよく耐えられたものである。

 部屋に戻ると、翔太はぶかぶかのTシャツを着ていた。

 恐らくは章悟のもの。

 身に付けていた衣類は全て洗濯中との事。

 着替えは章悟に任せて女二人は一旦退室。

 幸い服や靴のサイズは丁度だった。

 髪を切っている時間はないので、前を左右に分けて杏子のヘアゴムで後ろで束ねた。

「お、かわいい顔してるじゃん」

 うつむいた年相応のかんばせに、ほのかな羞恥しゅうちが浮き上がる。

「んじゃ行くか」

 ようやく四人揃っての外出。

 もう外は薄暗い。

 翔太の通っていたという小学校は、十五分程で着いた。

 当然というか、門は閉ざされている。

 問題はここから。

「家までの道はわかるよな?」

「うん」

 頷いた翔太が前を歩く。

「何か思ってたよりとんとん拍子に運ぶな」

「記憶がないって部分が気になるけどね」

「だなぁ」

「そういえば、この子の道具って何?」

 部屋からここまで手ぶらのままだ。

「ない」

「は?」

「いや、持ってないんだって。だから俺もそれが普通なんだと思ってたんだ」

 今更疑う事もないが。

「じゃあこの子もあんたみたいになるの?」

「いや、こいつは影の中を自由に移動出来る」

「影の中?」

 そんなものに内も外もない。影は影だ。

「姉さんの言いたい事はわかるよ。でも実際出来るんだ」

 杏子の鞭は伸びるし、七海の傘は空を飛ぶ。

 更に章悟はアメコミの超人ばりの変身をする。

 起きた現実の前には、どの様な理屈も無力である。

「まぁねぇ」

「例えば俺達の影から入って、あっちの壁の向こうから出る事も出来る」

 目撃者がいなかったのはそのせいか。

 それなら一応説明はつく。

 しかしそうなると、いつ姿を消してもおかしくない事になる。

 今この時でさえ。

 本人の同意を得ねば、共にいる事すら叶わない。

 手荒い尋問じんもんは避けて正解だった。

「ここ」

 程なくして立ち止まった翔太が指を差す。

 家の表札には――古谷とあった。

 三人が三人、一様に沈黙を見せた。

 別の家では?

 迂闊うかつに口に出せる言葉ではなかった。

「ここなのに……」

 間違いではない。

 それを示す証がない事へのいら立ちが、呟きの中に込められていた。

 直後、少年の体が地面に沈んだ。

「え?」

「あっ、おい翔太!」

「え、え?」

 浮かんでこない。

 完全に姿を消した。

「どこに行ったの?」

「参った。家の中に入っちまった」

「何でわかるの?」

 杏子の問いに、章悟は怪訝けげんな顔を向けた。

「何でって、気配が伝わってくるだろ?」

 七海達には全くわからない。

 その感覚は、道具を持たない者に共通するものなのだろうか。

「それは知らないけど、どっかに逃げた訳じゃないんだね?」

「あぁ。中を見て回ってるみたいだ」

「みたいだって、そんな事したら」

 家人に見つかったら、たとえ子供でも騒ぎになる。

「いや、そこは流石に影の中から見てるだけだと思うけど」

「あの、ずっとここに立ってるの、まずくないですか?」

 人目に過敏な七海らしい意見が出た。

「いや、でもなぁ」

 翔太を置いて帰る訳にもいかない。

 ひとまず三人は玄関前から離れ、向かいの塀まで下がった。

 待つ事数分。

「あ、出てきた」

 不意に章悟がそういった。

 一見してそれらしい変化はない。

「お、お」

 章悟が横にずれ、杏子との距離が開く。

 少年は、その間の影から現れた。

 沈んでいった時とは逆に、浮かび上がる様にして。

「わ」

 七海が反射的に周囲を見る。

 幸いにして通行人の姿はない。

「違った。ここじゃない」

 物悲しげな呟き。

 表札だけではとても信じられなかったのだ。

 確かめてもなお釈然としない顔をしていた。

「諦めんな」

 その頭を、章悟がくしゃりと撫でてやる。

 まるで気落ちした弟を慰めるように。

「俺達の方でもまた少し調べてみる」

 翔太は無言のまま、小さく頷いた。




 結果から言えば、翔太は間違っていなかった。

 もう二年近く前の話だが、そこは確かに三墨家だったのだ。

 事件の詳細は、彼の名前でネット検索すればすぐに出てきた。

 これは七海もよく覚えている。

 地元での一家失踪事件だ。

 当時は随分と騒がれていたように思う。

 一年かそこらで忘れる方が難しい。

 おまけにこれは、今なお解決していないのだという。

 事件は冬、三墨家からの通報で始まる。

 とはいえこの時点では救急要請のみ。

 深夜になってから息子の体調がおかしい、というものだった。

 それだけ聞くと何ら事件性は感じられない。

 しかし隊員が家に向かうと、何の応答もない。

 対応を決めかねていると、隣家から住人から情報がもたらされた。

 彼らの到着する数分前、激しい物音と悲鳴が聞こえたらしい。

 それが踏み込む決定打となった。

 玄関に施錠はされていなかった。

 明かりはなし。

 内装にはいくつか破壊の跡。

 いくら探しても見つからない住人の姿。

 すぐさま救急から失踪事件の捜査へと切り替わった。

 真っ先に疑われたのは強盗だ。

 これは近隣住民からの証言や室内の破壊を見ても妥当な判断だった。

 しかし家に残された通帳やカード、現金からその線はすぐに消えた。

 次に夜逃げだが、三墨家に経済的な逼迫ひっぱくの兆候はなし。

 第一それでは荒らされた室内の状況が説明出来ない。

 これも除外された。

 となると何者か――外部の人間に連れ去られたか。

 深夜の出来事とあって、生憎と目撃者は殆どいなかった。

 子供もいるとはいえ、人間三人を移動させるのは容易ではない。

 間違いなく車が必要になる。

 しかし悲鳴を聞きつけた隣家の住人ですらエンジン音やライトは確認していない。

 では三人の家族はどこに、どのようにして消えたのか?

 この得体の知れない事件は、連日取り上げられた。

 当時公開された一家の写真も、七海には見覚えがあった。

 何らかの事件に巻き込まれたか。

 憶測はいくつも飛んだが、これといった証拠はなし。

 両親の人間関係にも目立った問題はなし。

 ろくな進展もないまま、やがて人の記憶からも薄れていった。

 そんな事件の、生存者がいたのだ。

 当時の写真を見ても、今と大差ない。

 違うのは髪の長さくらいだ。

 全く別の子供が三墨翔太の名を騙っているのではない。

 そこで七海は、妙な事に気付いた。

 失踪した当時の翔太の年齢が、十歳となっている。

 確か彼は、杏子の問いにも十歳と答えていた。

 数日ならともかく、二年近い歳月を数え損ねる事などあるだろうか。

 本来なら今年で十二になる筈だ。

 月日の経過を忘れるような場所。

 とても想像できない。

 記憶の欠落と関係があるのか。

 一体彼はどのような環境下で暮らしていたのか。

 いつあのような異能を手に入れたのか。

 章悟が相談を持ち掛けてきた理由が、今になってよくわかった。

 彼の処遇は、自分の手には余る。

 ホルダーや通り魔といった事は関係ない。

 事件の当事者なのだから警察に保護してもらうべきだ。

 自分達のような子供の手に負えるものではない。

「まぁねぇ」

 七海の主張に、杏子が異を唱える様子はない。

 それは章悟も同様に。

 昨晩得た情報は、既に全員が共有していた。

 恐らくこれは、翔太の為でもある。

 家出中の非行少年を匿うのとは訳が違う。

 最初に出会った時とは状況も変わってしまった。

 知ってしまった以上、黙ってもいられない。

 本来であればいち早く警察の様な行政機関に届けるべきだったのだ。

 三人は夕方に合流すると、改めて常盤ときわ家におもむいた。

 説明役は昨日と同じく杏子が担当。

 まず、昨日尋ねた家は確かに三墨家であった事。

 しかしそれは二年近く前である事。

 そしてその当時、三墨家で起こった事件の概要。

 当事者である翔太は警察に行くべきである事。

 そうしたら今以上に色々と聞かれるであろう事。

 杏子が順を追って説明するのを、翔太はたまに頷きながら静かに聞いていた。

 これは少し意外でもあった。

 最悪錯乱状態に陥る可能性もある。

 この懸念は章悟から出たものだ。

 二人は一度戦っている。

 その時の事は、七海達は話でしか聞いていない。

 章悟が警戒する程の豹変ひょうへんとは如何いかほどのものか。

 大人しい今の姿からはとても想像出来なかった。

「もちろん、あんたが嫌なら無理にとは言わないよ」

 杏子は話の最後をそう締めくくった。

 無理強いはしない。

 というより、出来ないと言った方がいい。

 翔太は影のある所なら自由に移動出来るのだ。

 拘束は意味をなさない。

 ならば自分の意志で選択するように促すしかない。

「行く」

 少年は、静かにそう言った。

「いいの……?」

「うん」

 頷く。

 幼いながらに決然と。

「そう。よく決めたね」

 言って、杏子は翔太の頭を撫でた。

 警察へは四人で行った。

 あくまでも迷子中の子供を保護したという名目で。

 七海達も発見当時の場所や状況などの聴取に協力させられた。

 とはいえ全て事前に口裏を合わせてでっち上げた証言である。

 まさか道具や通り魔云々の情報をそのまま明かす訳にもいかない。

 翔太の事は公園の茂みで偶然発見した、という事にしてある。

 既に洗ってしまったが、最初に着ていたパジャマも証拠品として提出した。

 失踪事件の解決に繋がるかどうかはわからない。

 しかし少なくとも、翔太は日常に戻れる。

 七海達はそう信じて大人達の手に委ねた。

「あいつ、大丈夫かな……」

 帰り道、章悟が早くもうれいをこぼす。

「あたしらみたいな子供が面倒見るよりずっといいよ」

「落ち着いたら、また会えたりするよな」

 一見粗雑な章悟だが、翔太に対してはやけに親身になっていた。

 実は情にもろいのかもしれない。

 少し意外な一面である。

「さあ。あの子がどこで暮らすかにも寄るんじゃない?」

「何だよ姉さん。つめてーな」

「あんたが情を移し過ぎなんだよ」

「そんな事言ってもよぉ」

 章悟は一週間近く共に暮らしていたのだ。

 親身になるのもわからないではない。

「落ち込むなよ。今日は女二人で慰めてやるから」

「マジで!?」

 目をく。

 極めて下品な期待に満ちた瞳。

 一瞬で立ち直っていた。

 とても嫌な予感がする。

「私帰ります」

 門限なのでと背を向ける。

「逃げんなオラ!」

 後ろから抱き留められる。

「ひゃいやあああ!」

 浮いた足をじたばた揺らす。

 かかとが章悟のすねを幾度も叩いたが、びくともしなかった。

「杏さっ、助けて!」

 泣きつく七海から、杏子はそっと目を逸らす。

「章悟、程々にね」

 事実上の黙認。

「応よ!」

 七海の悲鳴と章悟の哄笑こうしょうが、しばらく夜道に響き渡った。

 そしてその晩、街には再び通り魔が現れた。


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