02
連載中は出来るだけ毎週投稿出来たらいいなと思ってます
夕刻、七海は一人で下校していた。
属する部活もなく、共に帰る友人もいない。
寂しいという感情はない。
それが日常である。
当たり前の事に抱く感慨はない。
あれから三日程過ぎた。
その間何も起きてはいない。
通り魔も、緑の怪人もだ。
かといって三日で何を判断出来る訳でもない。
今晩も巡回だ。
「うー」
少し面倒。
いや、かなり。
普段から引きこもりがちの七海に連日連夜の活動は堪えた。
さっさと終わって欲しい。
大体にして移動手段が徒歩という時点でおかしいのだ。
七海は飛べる。
一人は危ないというが、だったら杏子も乗せれば問題はない筈。
(そうだよ。そう)
なぜもっと早くに思いつかなかったのか。
不安があるとすれば、二人分の重量で飛べるのかという事くらいだ。
いや、無理なら練習すればいい。
杏子ならきっと付き合ってくれる筈だ。
そうすれば今よりずっと効率的にあちこち回れる。
後ろを歩くだけではない。
七海も少しくらいは役に立ちたかった。
沈み掛けていた気持ちも次第に上向きに。
「おーい」
後方からの男の声に、初めは反応しなかった。
聞こえなかった訳ではない。
勿論意図的に無視していた訳でもない。
自分に声を掛ける人間などいる筈がない。
孤独に慣れ切った七海の、それが日常だった。
「おーい」
声が近づく。
自分には関係ない。
「おーいってば」
なおも見方は変わらない。
「聞こえてねーの?」
肩を掴まれ、ようやく間違いに気付いた。
「ひっ!」
七海は飛び上がる程驚いた。
「うお」
その様子に相手の男、というか少年も驚きを見せた。
近所の高校の制服である。
背が高い。
軽く顎を持ち上げた程度では胸しか見えない。
頭二個分の差を感じた。
怖い。
表情など見る余裕はなかった。
男というだけで、年下でさえ怖いのだ。
「なっ、ななななな」
何ですか。
何をするんですか。
どちらもまともな言葉にならなかった。
ただ呼び止められただけで、痴漢にでもあったような態度である。
「ななななななな!」
そんな七海を見て、相手の少年が真似してきた。
ひどく楽しげに。
馬鹿にしている。
そう思った。
七海の側には余裕など一切ないのに。
しかし怒りで恐怖は薄まった。
「ななな、ななな!」
言いながら七海の周りをぐるぐる回る。
傍から見れば少女を襲う変人である。
通報したら言い逃れは利かないだろう。
「あの。な、何ですか?」
お陰というのも癪だが、冷静にはなれた。
「喋れんじゃねーか」
当たり前だ。
かといって苛立ちをそのまま表に出せる程七海は強くない。
改めて向き合えば震えるばかり。
「さ、叫びますよ」
「叫べんのかお前。声出んの?」
「う、うぅぅ」
正直出せる気がしなかった。
傘は小さくして鞄に忍ばせてある。
道具の縮小は最近覚えた。
しかしこんな明るい内から使える訳もない。
相手の少年にも顔を見られてしまっている。
となれば今の七海は無抵抗な少女と何ら変わりない。
「おら、出してみろよ」
脇腹を突かれる。
「うっ」
手加減されているせいか痛みはない。
というかくすぐったい。
「あの、やめ」
困惑の体で半笑い。
もうまともに声も出せない。
周りを見ても助けてくれそうな人はいない。
学生同士が遊んでいるように見えたのだろう。
「おらおら」
このままでは酷い事をされてしまう。
今は平気でも、エスカレートするに決まっているのだ。
それも見ず知らずの男に。
ろくでもない未来を想像して、七海は泣きそうだった。
どうする事も出来ずその場に蹲る。
「おーい泣くなよー」
小馬鹿にしたような声が上から降り注ぐ。
「なーなーなー」
頭を掴んでぐらぐら揺らされる。
「うぇぇぇ……」
本当に泣きだしてから、漸く少年の方が焦り出した。
「ほんとに泣く奴があるか」
頭に置いていた手を離す。
「これじゃあ俺が泣かしてるみたいじゃねーか」
みたいではない。
言い逃れが利かない程に直接的な原因だが、自覚はないらしい。
「ほら、周りの人達も見てるし立てって」
急かされても七海だってそれどころではない。
心が折れていた。
「あーもー」
足と肩を持って抱え上げられる。
「えっ、え?」
「ちょっと一緒に来てもらうぞ」
「や、やー!」
抵抗を試みれどもびくともしない。
拉致される。
それも白昼堂々。
錯乱が加速しかけたその矢先、何事もなく降ろされた。
「え、え?」
自販機の前にいた。
「何飲む?」
「え、紅茶」
状況が呑み込めないまま即答。
「ミルクでいいか?」
無言で頷く。
「ほら」
手渡される。
ぽかんとしたままベンチへ移動。
これもすぐ近くにあった。
「落ち着いたか?」
目の前に少年の顔。
「わっ!」
反射的に仰け反る。
「別におかしなことをしようってんじゃない。わかるな?」
わかってもすぐに受け入れられるものではない。
「あの、顔、近いです」
背もたれに退路を塞がれているため、七海には背ける事しか出来ない。
「おお、悪い」
今度は素直に離れてくれる。
悪気自体はないらしい。
「実は、お前に頼みがあってな」
「うぇ?」
初対面の相手に頼られる。
七海にとっては未知の領域である。
クラスメートに頼られた事すらない。
「無理です」
何をするにも自信がないのが七海だ。
引き受ける訳がなかった。
「いいや、出来る」
少年は言い切った。
「何をすれば、いいんですか」
せめて性的な要素の含まない方向で。
切に願った。
「この前の晩にお前と一緒にいた鞭の姉ちゃん、あの人呼んでくれるか?」
「――え?」
ここで初めて、七海は相手の顔を見た。
一見すると好青年。
直視は続けていられないのですぐ目を逸らす。
杏子と自分の関係を知っている。
見覚えはない。
だが心当たりはあった。
それは緑の――。
「な、出来んだろ?」
そう思って見れば、どこか面影はある。
七海は、今度こそ頷いた。
緑の怪人に捕まりました。
その連絡を受けてから、杏子はひたすら走っていた。
いたずらではない。
添付された画像には、七海の隣に男の姿もあった。
大きな体。
七海は歳の割に小柄なので、大人と子供程の差がある。
竦んだ肩に手を回し、ピースサインを掲げている。
七海に焦点を合わせているせいか、男の顔は写っていない。
可哀想に、震えている。
動画ではないが、杏子の目にはそう映った。
(すぐに助けてやるからね!)
来るように指定された場所は、駅前にある雑居ビルの屋上だった。
密集している区画だったので、現地に着いてからも少し迷った。
馬鹿正直に正面から行くか。
それは下策が過ぎる。
七海の救助を旨とするなら、不用意には踏み込めない。
悪意でもって人質を盾にされた場合、一方的に嬲られるだけだ。
杏子は一旦隣接したビルに入った。
七海の囚われているビルより僅かに高いので屋内から見下ろす形に。
いた。
二人。
並んで座っている。
七海は俯いたままだ。
隣には制服を着た少年がいる。
高校生というのは本当だったらしい。
会話をしているのか、七海がたまに首を振って否定と肯定を繰り返している。
他に誰かが隠れている様子はない。
これなら背後から奇襲を掛けられる。
すぐに屋上に出る。
取り出した鞭を釣り竿の様に伸ばしてから、七海の頭上から垂らしていく。
どちらも気付く様子はない。
(いける)
丁度足元に転がっていた空き缶を投げる。
二人の右側に落ちる。
揃って反射的にそちらを見た。
左側に居る七海が少年の視界から外れた。
同時に鞭を七海に巻き付けて釣り上げる。
「フィッシュ!」
救出成功。
隣に下す。
「杏さん」
「大丈夫だった? 酷い事されてない?」
あちこち触って確かめる。
「はぁ、何とか」
「あー!」
七海の不在にあちらも気付く。
「何で持ってくんだよ!」
「人質なんか取って、恥を知りな!」
中指を立てながら叫ぶ。
「取ってねーよそんなもん!」
「嘘つけ。こんなか弱い子を攫って、画像まで送り付けて!」
「仲良しアピールだよ! 敵じゃないって!」
「うるさい、敵だろ! 敵だよな七海?」
「いえあの、杏さん、それが、敵ではないみたいです」
七海がそういうと、杏子は数秒固まった。
「……はあ?」
気は確かかと言いたげに。
「何言ってんの?」
「すいません。もっとちゃんと説明してればよかったんですけど」
「おーい、俺もそっち行くぞー?」
「くんな!」
杏子の言葉を無視して跳躍。
ビル同士の高低差は一階分とはいえ、それでも数メートルはある。
それを大した反動もなく飛び越えてきた。
杏子が七海を抱きかかえるようにして距離を取る。
「やろうっての?」
「やらないよ。あんたらの事情は大方そのチビから聞いた」
「チビって言わないで下さい」
「そこの、なななちゃんから聞いた」
「七海です」
「いや、でもなななって自己紹介してたし」
「あれは、自己紹介じゃないです」
まるで友人同士の様なやりとり。
それを見て、杏子もようやく警戒心を解いた。
「ちょっと、最初から説明してくれる?」
それから七海は、帰り道からここまでの事を話し始めた。
まずこの少年だが、本名は常盤章吾で間違いないらしい。
学生証も見せられた。
章悟もこの三日間、杏子を探していたという。
別段避けていた訳でもないが、巡回ルートに決まりはない。
大まかな区画では分けているが、その程度だ。
会えなかったのは偶然である。
しかし章悟は困っていた。
何としても手合わせ願いたい。
今日こそはと息巻いている所に七海を発見。
章悟は飛び上がらんばかりに喜んだ。
これで渡りを付けてもらえる。
随分手間取ったが、当初の目的は達成。
呼び出し方については考えがあった。
ただ呼び出すだけではつまらない。
一見して人質に取ったと思わせて焦らせたい。
そうした意図の元撮られた写真だったのだ。
「そうだったか?」
覚えていないのか。
待っている間に忘れたらしい。
馬鹿なのか。
「すいません。この人ちょっと馬鹿で」
「んだとこのチビ!」
「ひっ」
杏子の後ろに隠れる。
計画性とは無縁なのだ。
それはわかった。
「言っとくけど、あたしはもうあんな喧嘩に付き合う気はないよ」
「そんな事言っていいのかなぁ」
意味深な笑み。
「あんたら、通り魔を探してるんだろ?」
「そこまで話したの?」
背後の七海に問う。
「待ってる間暇だったので」
話してしまったものは仕方ない。
困る相手でもない。
「あ、その顔は俺の事侮ってるな」
「だったらなんだよ」
「俺の事、ただの馬鹿だと思ってるだろ」
「…………」
他にどんな評価が欲しいのか。
「あの、杏さん。この人、私達と会った晩に、通り魔とも会ってるらしいです」
「はあああ?」
「相手の特徴とか、知りたいんじゃねーか?」
「情報と交換で一戦て事?」
「そうだ」
満足げに頷く。
「どうします?」
おずおず七海。
悪くはない。
「……わかった。いいよ」
溜息交じりに。
「っしゃ!」
章悟は手を叩いてガッツポーズ。
「こんな楽ならそのチビ人質に取る必要なかったな」
とことん行き当たりばったりだ。
「ただし、あんたが一回でもダウンしたら終わり」
指を差しながら。
「二回はないよ」
「わーってるって」
それで十分だと言わんばかりの自信。
「七海、ちょっと下がってな」
「はい」
屋上はそれなりに広い。
「来な、軽く揉んでやるよ」
今この場でも問題はない。
「っしゃ、来い!」
章悟が構えた。
その瞬間。
パシリと何かを叩く音。
章悟が、呆けた顔で軽く上空を仰いだ。
体が小さく左右に揺れる。
「はい終わり」
それを合図にばたりと倒れた。
七海が見たのは、音がしてからだった。
何事かと杏子の肩越しに覗き込むと、もう終わっていた。
早すぎる。
杏子は全く動いていない。
だらりと垂らした鞭もそのまま。
杏子の鞭には、七海もまだ知らない能力がある。
それは確実だった。
「前回はあんなに耐えてたのに」
「頑丈なら頑丈でやりようはいくらでもあるからね」
「まだ変身も出来てないし」
「変身?」
「そうです。あの晩みたいな」
「あー」
言われてみればという顔。
「え、あれボディペイントとかじゃないの?」
「違うみたいです。体格とかも、全然違うでしょう?」
「あぁ、確かに」
現状でもそれなりだが、あの晩はもう一回り大きかった。
「あ!?」
ここでようやく章悟が跳ね起きる。
すぐに杏子に気付く。
「俺、負けたのか?」
「さっさと通り魔の情報よこしな」
「マジか……」
呆然と。
「納得出来ないからもう一回ってのはなしだからな」
「お、おお」
頷きながらゆっくりと立ち上がる。
まだ少しフラついている。
「座る?」
「あぁ、悪い」
手を引かれながら壁際に座る。
「七海、悪いんだけど三人分飲み物買ってきてくれる?」
「えー」
「お釣りはあげるから」
百円玉を投げられる。
「これじゃ殆ど自腹じゃないですか」
「ごめん間違えた」
追加で五百円。
「俺コーラな」
「はいはい」
いくらなんでも場に馴染み過ぎだと思った。
「私も聞きたいからまだ話さないで下さいよー?」
「おっけー」
一旦室内へ。
杏子の好みは知っているので聞くまでもない。
駅前のコンビニに行ってから戻る。
誰もいなくなっていた。
「…………」
思わず袋を落とす。
「え、え?」
物陰も確認してみるが見当たらない。
呆然としていると、背後で足音。
振り返る。
「ばあ!」
「ひっ!」
飛び退く。
緑色の怪人がそこにいた。
しかし体格は普通だ。
すぐに章悟なのだと気付く。
「あ、え。何?」
「びっくりした?」
その後ろから杏子が覗く。
「しました。ていうか帰ったのかと」
非難がましい瞳も、自慢の前髪に遮られる。
「可愛い七海を置いて帰るわけないじゃん」
「そうそう。可愛いなななを」
「七海です」
落とした袋を拾ってコーラを投げる。
「お、さんきゅ」
杏子にはカフェオレ。
七海も同じものを選んだ。
三人並んで備え付けのベンチに座る。
「あんたの道具って何なの?」
「それチビにも聞かれたわ」
「七海です」
「俺がこの力を使えるようになったのはある日突然で、お前らみたいにその、露天商って奴と会った覚えはないぞ」
「はあ?」
これは杏子を待っている間、七海も聞いていた。
常盤章吾は道具を持たない。
ホルダーの中でもかなり特殊な部類なのではないか。
道具を持っているからホルダーと呼ばれているのだ。
何も持たず、その身が変質するホルダーなどいない。
少なくとも、七海と杏子は知らない。
自身の変化に、前兆らしきものはなかったらしい。
「初めは病気かと思って焦ったぜ。三日くらい緑のまま治らなかったし」
「何それ。そんなの、あるの?」
しかし実物を前にしている以上受け入れない訳にもいかない。
「今じゃほら、この通り」
章悟が言うと、肌の色がみるみる戻っていく。
「色も体格も自由自在だぜ」
「この前あたしが付けた傷もそのお陰で治ったの?」
「んだ。便利なもんだぜ」
あまり自身の変化を気にした様子はない。
元々の性格もあるのだろうが。
「そんな風になったのって、いつの話?」
「先月だな」
「あたしらの他に知ってるホルダーは?」
「名前は知らないけど三人くらい見たな。弱かった」
弱かった。
つまりは見つけて挑んだのだ。
あの晩と同じように。
迷惑な話である。
「それで、通り魔ともやりあったの?」
「やりあったっつーかなぁ」
首を傾げて。
「会ったのは三日前、姉さんとやりあった後だよ。帰り道にいきなり切りつけてきやがった」
刃物での不意打ち。
普通なら致命傷にもなりうる。
しかし章悟に限ってはどうか。
「それで?」
「むかつくからぶん殴った。そしたらションベン漏らしながらどっか行った」
「本当に……?」
絶対に誇張していると思った。
「特徴は?」
「チビだったな。下手したらそこのチビよりもチビ」
「七海です」
「それな」
間違いなく名前を覚える気がない。
「危うく踏み潰すところだったぜ」
それは疑いようもない嘘だが。
「子供?」
七海より小さいとしたら、小学生という事さえありうる。
そんな年齢で非道な犯行を繰り返しているのか。
「何が目的でそんな」
「話したりしなかったの?」
「いやー、話が通じそうな感じはなかったな」
「場所は?」
「向こうにある自然公園の近く」
被害者はまだ出ていない場所だ。
あるいは出たかもしれない場所。
通り魔にとっては相手も悪かった。
「道具は?」
「お前らに言われるまで気にしてなかったけど、包丁くらいしか持ってなかったな」
となるとそれが通り魔の道具か。
「でもそいつ、逃げる時に得物は落としていったぜ」
「じゃあ違うか。顔は?」
「髪の毛で隠してた。あとはなんか、パジャマだったな」
「何それ」
「俺に聞くなよ」
見たままを話してるだけだ、と章悟。
「うーん。他には?」
「そういや靴も履いてなかったな」
ますますわからない。
それが本当なら、まるで夢遊病だ。
そんな子供が夜道を徘徊していれば嫌でも目に付く。
たとえ通行人が放っておいても、警官は黙っていない。
七海の様に空を飛ぶか、あるいは他の移動手段があるか。
「なあ、本当に俺みたいなのは珍しいのか?」
「少なくともあたしは知らないよ」
これは七海も同様だ。
しかし章悟はなおも釈然としない顔でいた。
「まぁでも、外見がわかったのはでかいね」
よし、と杏子は立ち上がる。
「章悟。あんたも見回り手伝いな」
「は? なんで?」
露骨な渋面。
「見つけたらまた相手してやるから」
「行くか」
立ち上がる。
「え、この人と組むんですか?」
不満げに七海。
「何だよ。少なくともお前よりは使えるぜ」
「くっ」
悔しいがその通りではある。
「人手はあるに越した事はないよ」
連絡先の交換を済ませると、一旦解散という運びになった。
夕飯を食べて再び集合だ。
そんな流れで、仲間が一人加わった。
本編にもういないキャラ動かすの悲しい