零れ話 クラインの跳ね馬
「ベルノルト兄上! エルフリーデ様の新しい鍛錬着のデザインが閃いたのでお持ちしました! 作ってください!」
「またか!」
精霊塔の副塔主の執務室にノックも無しに駆け込んできたのは、部屋の主人の妹──シーラ・クラインだった。
彼女は小脇に抱えている、丸めた大判の紙を執務机の上に置こうとして、それを察知したベルノルトは慌てて机上の書類やインク壺や羽ペンを手繰り寄せて退けた。
シーラは丸めた用紙を物が無くなった机の上に広げ、兄が手に持っているインク壺を取り上げると、文鎮代わりに置く。
広げられた紙にはエルフリーデのための鍛錬服の図案が描かれていて、ベルノルトはアッシュブロンドの髪をかきあげながら、デザインに目を走らせた。
シーラがこうやってデザイン画を兄の下に持ち込んで来るようになったのは、エルフリーデが目覚めた日から少し経った頃だった。
勿論、わざわざベルノルトに頼まずとも、宮殿にはお抱えの仕立て師がいる。
けれど、彼らに発注しようとすると、動きやすさよりも装飾や布の格を重視するので、どう擦り合わせをしてもシーラの意向にそぐわなかったのだ。
そこで、白羽の矢がたった──と言うより、目をつけられたのがベルノルトだった。
シーラはベルノルトの”ぬいぐるみ作り”という趣味を知っていたので、ぬいぐるみが作れるのならば服も作れるのではないか、という何とも大雑把な考えでデザインを持ち込み、「兄上なら作れますよね?」と曰った。
ベルノルトはシーラにせがまれるまで、服なんて作った事は無かった。
けれど、期待に瞳を輝かせている妹を前にして、なすすべがあろうはずもない。八つも年が離れている分、余計に。
そんなこんなで──ベルノルトは四苦八苦しながらも、生来の手先の器用さが幸いして、どうにか一着作り上げた。
汚れが目立たない様に紺色を基調としたデザインで、布も動きやすいように収縮性のある布を選んだ。
少女が着るのだから可愛らしい方がいいだろうと、邪魔にならない程度にフリルや刺繍も付け加えた力作である。
シーラも一目で気に入って、「流石はベルノルト兄上ですね!」と上機嫌で衣装を持ち去って行った。
それで満足してもらえたかと思いきや、味を占めた妹は、何かデザインが閃く度に、意気揚々と図面を持って来るようになってしまったのだった。
「それで兄上、いかがでしょう? このブーツ、かっこいいと思いませんか?」
「流石の私も、靴は作れないぞ」
「そうでしょうか? 兄上なら作れそうですが……あ、では、こちらなどいかがでしょう? エルフリーデ様の雪のようなお髪に似合うように、あえて灰色を選んでみたのですが」
「真白の髪……か」
ベルノルトは呟いて、目を伏せる。
彼の眉が下がったのを見て、シーラは言葉が出なくなってしまい、二人して押し黙ってしまう。
──あの姫君の髪はかつて、薔薇色をしていた。
そうでなくなってしまったのは、あの日、自分たち大人が護りきれなかったからだと、ベルノルトは今でも悔いている。
当時はまだ王城に仕えていなかったシーラも彼の気持ちは分かっていたので、何の言葉も掛ける事ができず、きゅっと唇を結んだ。
「ベルノルト様ぁ〜! いらっしゃいますかしら? 出先で手に入れた焼き菓子をお持ちしましたからご一緒しましょ!」
ふいに明るい声とノックの音が響いて、兄妹は顔を見合わせ、思わず笑った。
彼の声は不思議と、陰鬱な気分を力任せに拭い去る様な力があるように、二人は思うのだった。
「いらっしゃいませライネ様!」
「げ、シーラ嬢……!」
扉に駆け寄り、シーラは満面の笑みでライネを出迎える。
シーラのきっちり結い上げられた藍色の髪が目に入るや否や、ライネは顔を引きつらせた。
手に持っていたバスケットが滑り、床に落ちる。
「げ、とは何ですか。失礼な」
シーラは頬を膨らませて拗ねた顔を作ると、ライネの胸に飛び込む。
逃げようと後ずさるライネに食らいつき、そのむっちりとした胸板に頬擦りした。
「はぁ……っ! やはり素晴らしい大胸筋でございますね、ライネ様」
「ちょ、ま、おやめくださ……!」
「程よい広背筋も素敵……」
「た、た、助けてベルノルト様ー!!」
背中に手を這わせるシーラから逃れようとするライネだが、彼女のしっかり組みついた腕を解く事ができず、声を裏返して助けを求める。
ベルノルトは大きなため息をついて二人にツカツカと歩み寄ると、猫にするようにシーラの襟首を掴んで、ライネから引き剥がした。
「やめないか、はしたない」
「おっと、申し訳ございません。ライネ様の程よく均整の取れた筋肉が見事で、つい」
「つい、で男に抱きつかないでくださるかしら!? まったく……心臓に悪い御令嬢ね」
ライネは耳を赤く染め、ぶつぶつ文句を言いながら、床に落ちたバスケットを拾い上げる。
包みを開いて中に入った焼き菓子の無事を確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかった、お菓子は大丈夫だったわ」
「申し訳ありません。溢れ出る愛が止まらなくて」
さらりと何でもない事のように口にするシーラに、ライネはギョッと目を剥く。
「名門貴族のお嬢さんが何を言うんですか! 庶民出の官吏を揶揄わないでいただけます?」
「あら、揶揄ってなどございませんわ。私、ライネ様の筋肉が大好きですもの」
筋肉が、という言葉に、ライネはわなわなと唇を震わせる。
「──ええ、そう。そうよね! アタシの”筋肉”が、ね!」
唇をひん曲げてそっぽを向くと、ライネは大股で部屋の中に入って行って、窓際の丸テーブルに菓子の入ったバスケットを置くと、どっかりとソファーに腰を沈める。
「あら? 私、何か悪いことを申しましたかしら?」
「……お前はもう少し、他者の──いや、男の心の機微に聡くなりなさい」
首を傾げるシーラの頭をポンポンと軽く叩いてから、ベルノルトは部屋の奥にある湯沸かしの精霊具へ向かう。
釈然としないまま、シーラはライネが座っている向かいのソファに腰を下ろし、兄がお茶を淹れるのを大人しく待った。
「……今日はまた、エルフリーデ様の衣装製作のおねだりに?」
頬杖をついたライネが口を開くと、彼の機嫌が治ったと見てとったシーラは格好を崩して彼に向き合う。
「その過去を見る魔眼でご覧になっているとは思いますが、いくつかデザインを思いついたので持ち込みに参りました! ぜひ、ライネ様にもご意見を頂戴したく存じます」
「貴女ってほんと、魔眼で見られる事を厭わないわよね」
呆れ混じりの山吹色の瞳が、シーラの勿忘草色の瞳と交差する。
ライネは実のところ、彼を真っ直ぐに見返す彼女の目が、嫌いでは無かった。
彼女の兄と同じ薄い青で、同じ様に畏怖や忌避の色を感じないところが、特に。
「見られて困る事はしておりませんので」
誠実さがウリです、とシーラは胸を張る。
そういったあけすけな態度はあまり令嬢らしくないのだが、むしろ、そういうところが好ましいとライネは思う。
──ただやっぱり、並々ならぬ筋肉への愛情によって暴走しがちなところは、苦手だ。
「エルフリーデ様は貴女との鍛錬を楽しんでいるようね」
「そう見えますか?」
「ええ、そう見えるわ。あの方が溌剌としている姿が見られて、本当に嬉しい」
「私もです。ずっと眠ったままのお姿を見て参りましたから……」
シーラは頷いて、胸に手を当てる。
「エルフリーデ様の楽しそうなお顔を見ることが叶うなら、王女としては多少お転婆が過ぎるとしても、やりたい事をやらせて差し上げたくなってしまうのです」
「しかし、鍛錬着は増やしすぎだろう」
紅茶を淹れ終わったベルノルトが、ポットとティーカップが乗ったトレイを抱えて戻ってきた。
手伝いもせずにすっかりくつろいでいる二人を尻目に、カップを並べて、紅茶を注ぐ。
湯気と共に柑橘のような爽やかな香りが広がった。
「私は決して、暇ではないのだぞ」
「作ってくださらないのですか?」
「……そうは言っていないが」
「ベルノルト様はほんと、甘いですわよね」
焼き菓子が入った包みを開けながら、ライネは苦笑混じりに呟いた。
む、とベルノルトは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
「そんなつもりはないのだが……」
「あら、シーラ嬢がエルフリーデ様に色々と手解きしている事を、ご実家に黙って差し上げてるんでしょ? 十分甘々だわ」
「私、兄上達の中で一番、ベルノルト兄上が好きです! 優しいので!」
「またそうやって調子の良い事を……」
ベルノルトは額に手をやり、やれやれ、と首を振った。
それでも諦めず、シーラは両手を握り合わせて上目遣いに兄を見る。
「これからエルフリーデ様は学問塔の寮に住われる事になりますから、その前にもう一着作っていただきたいのです! もう一着だけですから!」
「学問塔、ねぇ。懐かしい響きだわ」
ライネは自らの頬を両手で挟んで、はぁ、とため息を吐く。
そこに通っていた時のことはありありと思い出せるのに、随分と時が過ぎてしまった事が信じ難い。
彼の呟きを聞いたクライン兄妹も、遠くを見る目をして押し黙る。
時の流れというものは、悲しいほどに無情なのだ。
「……学問塔か。堅固な場所だから心配は無いと思うのだが、」
ふと、思い出したようにベルノルトは口を開いた。
吊り目がちの瞳を瞬かせ、シーラは首を傾げる。
「何かあるんです?」
「まだ言えることではない。だが……今以上にエルフリーデ様の身の回りに気を配ってくれ」
「わかりました。クラインの名に恥じぬよう、必ずや、お守りいたします」
シーラは不敵な笑みを浮かべると、胸に拳を当て、頭を下げた。
その騎士然とした所作に、惜しいな、とベルノルトは心の中で呟く。
──シーラが男であれば、間違いなく立派な騎士になっていただろうに。
女でなければ、と、彼女は事ある毎に惜しまれてきた。彼女自身悩んでいた事を知っているので、ベルノルトは決して口に出さないようにしていたが、ふとした時に、つい思ってしまうのだった。
「……それはそれとして、ライネ様とお会いできなくなるのは寂しいですわね」
「アタシの筋肉が、でしょ?」
しかめっ面をするライネに、シーラはきょとんとして、首を振る。
「いえ、ライネ様とこうしてお話できない事が、寂しいのです。お慕いしておりますので」
赤面して二の句が告げなくなっているライネと、どうして彼が黙ってしまったのか理解できないでいる妹を見比べて、ベルノルトは顔を引き攣らせた。
──なんだか、砂糖を噛んでいる様な気がする。
すでに角砂糖を入れてしまった紅茶を睨み、入れなければよかったと後悔して、肩を落とした。




