第4話 古屋敷とダークエルフ
「あそこが屋敷だぜ」
ヘンリクスは、道の向こうを指さした。
霧の向こうに大きな屋敷が見える。焦げ茶色の2階建ての建物だ。外観は確かに立派だった。
だが、カベや窓にはヒビが入り、半分以上ツタが絡まっている。ところどころ割れてしまっている窓もある。相当年季が入った建物だった。
「ジョバンニとか言ったな。一晩あそこに泊まって、魔物を退治してくれ。明日の朝、また様子を見に来る。そこで正式に取引といこうや」
ヘンリクスは懐から大きなカギを差し出し、「こいつが屋敷のカギだ」と握らせてくる。
ジョバンニは尋ねた。
「ちなみに、住み着いてる魔物ってどういう奴なんだ?」
「俺は詳しくは分からん。が、こんなとこに住み着くような奴だからそこまで強くはないはずだ。そこらへんの調査もお前に任せる」
丸投げに近い言葉だったが、今はその言葉を信じる他ない。
「不安なら知り合いを呼んできて複数でやってもいいぜ? いればの話だがな」
「あいにく、こっちは1人でやるしかなさそうだ」
「みたいだな。もしダメだったら正直に言えよ。リタイアも許してやる」
「……そうはならないようにしたいね」
「ま、無理はすんなよ。幸運を祈ってるぜ」
ヘンリクスは気楽に言い残して、その場を去っていった。
「しかし、見た目は本当にデカいな……」
ジョバンニは扉の前に立つ。石造りの建物は安心感を与えてくれた。どれほど古くてもボロでも構わない。眠ったり、体を休められる居場所があるというのはそれだけで安心だった。
自分の家がある。それだけで、心が少し落ち着いた。
「お邪魔します」
カギを開け、扉を開く。誰もいない家にお邪魔しますはおかしいと思い、軽く咳払いする。
入ってすぐに広いロビーに出た。目の前には階段があり、左右にドアがついている。
倒れたままのイスや、汚れた机、皮の裂けたソファが目に入る。それぞれ触ってみるが、とりあえずは使えそうだと分かった。古くなってはいるがいい品物だった。
カベにはヒビが走り、落書きがされ、床の絨毯には埃が積もっていた。完全に廃屋であった。
「なるほど、こりゃ確かに気合の入ったボロ屋敷だ」
風魔法で埃だけでも軽く掃除したいところだ――と考えていると、建物のどこからくぐもった悲鳴が聞こえた。
「うぎゃあああああああああああああああッ!!」
聞こえるはずのない声だ。この建物に誰かが住んでいるという説明は受けていない。
不審に思いながら、ジョバンニは声の方向へ走り出した。
東側のドアを開け、廊下を走り、さらにもう一つ向こうにあるドアを開けると、悲鳴の源がすぐに分かった。
そこは倉庫だった。よくわからないガラクタが積み上げられていた。
倉庫の奥に、魔物が固まって蠢いていた。
ジョバンニも話に聞いたことがある類のものだった。スライムと呼ばれる魔物だ。
粘液が固まったような魔物だ。集団で発生して用水路を詰まらせたりする厄介者である。それが3体ほど集まっている。
そしてその奥に、女性がいた。
背丈はあまり高くない。褐色の肌に尖った耳をしていた。いわゆるダークエルフだった。
赤い上着に黒いズボンという、一見整った身なりをしていたが、よく見ると服のあちこちに砂ぼこりが付いている。
「うぎゃあああ!! あああああああああ!! う、ウチは食べてもうまくねーっす!! どっか行けよぉ!! やめてほしいっすよぉ!!」
何だこれはどういう状況だ、と思いつつもジョバンニは即座に風魔法を発動させる。
標的を定め、それを明確に倒すときに使う、真空の刃。
「――テンペスト・グリムエッジ!!」
ジョバンニが叫ぶと、空中に幾重もの刃が出現した。薄い円盤状のそれらは、ジョバンニの意思に従い、スライムを正確に切り裂いていく。
バスバスバス、と軽快な音でスライムたちは細切れになった。それぞれの破片はべしゃりと音を立てて、粘液の塊になって床にこぼれおちた。
「は、はぁぁ……助かった……」
ダークエルフはへなへなと座り込んだ。
「大丈夫か、あんた?」
ジョバンニが問うと、ダークエルフはこくこくと頷く。
「た、助かったっす……」
◆◆◆
「いやあ~~、すんませんねぇ。おかげで命を拾ったっすよ! ほんとにありがとうございますっす!」
玄関ホールのソファに腰を下ろし、ダークエルフは笑顔を見せた。
彼女は「ルチアナ・ザネリ」と名乗った。表情豊かで明るい女性だ。
「ええと、ジョバンニでしたっけ。すみませんね、命の恩人っすよ!」
「礼には及ばない。結果的に、こっちの仕事も済んだしな」
おそらくは、先ほどのスライムがこの建物に住み着いた魔物だったようだ。ならばこれで依頼は完了ということになる。
「それにしてもルチアナ、お前は一体何者なんだ?」
「ウチっすか? いやそんな大した者ではないんすけど」
ルチアナは頭を掻いた。言いづらそうに言葉を濁す。この家と同じで訳ありなのかもしれない。
訳ありそうなダークエルフは、耳をいじりながらゆっくりと話し始めた。
「……私は、「冒険者」なんすよ。依頼を受けて、悩み事を解決したり、魔物を倒したりする仕事をしてるっす」
「ほう」
冒険者。ジョバンニも聞いたことがある。父、クラムから何度も話を聞かされた。魔物を退治する素敵でカッコイイ仕事人、というのがクラムの口癖だった。
クラムは、冒険者になるのが夢だったらしい。だが体が弱くて断念し、結局魔法研究者になった。その憧れも加わった言葉だったのだろう。
「なるほどな。魔物も倒したりするのか?」
「ええ、それなりには慣れてるっす」
「その割にはスライムに後れを取ってたように見えたが」
「う、ウチは後方支援専門なんすよ! 弓で後ろからパーティを援護する役回りをしてたんす! 切った張ったはニガテなんすよ!」
困ったように口をとがらせるルチアナ。見ると確かに、その傍らには弓が置いてある。
ああいう魔物は不得意なんすよ、とぶつぶつ呟くルチアナだったが、ふっと所在なさげに目を伏せた。
「……ウチみたいなのは、複数人で戦うからこそ活躍できるんす。ソロで戦闘なんてのはとても無理っすね」
「そういうもんか」
「ジョバンニには助けられたっすよ。ありがとうございました」
にっと歯を見せて笑った。からりとした明るい表情は朗らかだ。
ダークエルフ、というと怪しげで暗い種族というイメージがジョバンニにはあったが、どうやらそうでもないらしい。
しかしなぜ彼女がこんなところにいたのか、その理由が全く想像できなかった。
「なあ、ルチアナ。お前はどうしてこんな場所にいたんだ?」
ジョバンニが訊くと、ルチアナの表情が一瞬固まる。
「そ、それは……いやあ、まあ、雨宿りをしようと入らせてもらったんす。まさか家の持ち主がいたなんて知らず……大変失礼したっすよ」
朗らかな笑みに、ややぎこちないものが混じっている。
何か隠してるな――とジョバンニは感じた。
もしかしたら泥棒だろうか、と思いを巡らせる。しかし家主とこうやって談笑する泥棒などいるだろうか。
そうやって考えていると、ルチアナが懐から何か取り出した。
「ジョバンニも食べます? 非常食用のクッキーなんすけど」
「クッキー……?」
「うまいっすよ」
気軽にクッキーを渡され、思わずジョバンニは一口かじる。ほのかな甘みが口に広がった。
「確かに、うまいな」
「そうでしょ」
一体何なんだろう、こいつは……。
そんな疑問を胸に抱きつつ、ジョバンニはクッキーを飲み込んだのだった。