4話、少女の困惑
何だろう?
何なんだろう?
この目の前の人たちは。
一体何がしたいのだろう?
何で、この人はわたしの手を取ったのだろう?
何で、この人はわたしの手を握ってくれたのだろう?
何で、この人はわたしをまっすぐと見るのだろう?
何で、この人はわたしに名乗るのだろう?
……何で、この人はわたしに微笑んでくれるのだろう?
少女の混乱した頭に、ぐるぐるとしているのは、たくさんの「何で?」という疑問だけだった。
少女が知っている“人”は、少女の手を取ったり、握ったり、まっすぐに見つめたり、名乗ったり、まして微笑みを向けるなど…………そのような愚かしいことをした者を見たことがなかった。
―――物心ついてからずっと。
今までの自分に対する、最も好意的な“人”の態度は、「無視」であったし、嫌悪、憎悪は当たり前。少女に一瞬でも触れれば穢れが移り、目を合わせれば呪われる。誰もが恐れ、畏怖し、いないものとして扱う。
一瞬でも憐れんだ目をする者などは、それこそを恥じる。
これこそが、“人”が少女に向ける適切な態度であった。
一番長く接していた“人”、少女がいた牧場の女主である、マアムがそうした態度を取る筆頭であり、恐れ、畏怖し、嫌悪し、憎悪していた。
それは何も知らぬ者が見れば、何でそこまでの感情を抱く必要があるのか?
と首を傾げるほどの畏怖と嫌悪、憎悪を。
しかし、この村では……
――いや、この村だけではなく、この村から遠く離れた3つ向こうの村の者でさえ、その感情を訝しむものはいない。
それだけ、少女は畏怖と嫌悪、憎悪の対象とされる悪名高い子どもであり、そんな悪名高い少女を家の一画に住まわせているマアムは、3つ向こうの村からも尊敬される大人物と目されていた。
たとえ、マアムが立場上、否応なく少女を引き受けねばならない身であったため、仕方がないことだったとしても。
そして、受け入れた瞬間から、マアムはその悪名高い子どもを、畏れ、嫌悪しながらも追い出すことができず、忸怩たる思いを抱え、常に緊張を強いられていた。
そのマアムの感情を、少女はいつも感じていた。
だからこそ、【その感情】が少女と、“人”との間にあるべき正しい思いで、適切な態度を生みだしているのだと理解していた。
少女の生活場所は、放牧地の一画にある、使われていない家畜小屋で、申し訳程度の屋根はあるが、風を防ぐ壁は役割を果たせないほど隙間だらけだった。
何もかもをさらう大風が吹こうが、雷を伴う豪雨になろうが、身が凍えるほどの吹雪になろうが、少女の生活場所は変わらなかった。
少女がしていいことはほどんどなく、禁止事項は山ほどあった。特に口を開くことは厳重に禁止されていた。
生きることが許されるのは、足と小屋の柱を繋いでいる麻ひもがピンッと張り詰める範囲までであったし、物心ついてからずっと【そう】だったから、少女はそれが異常だとは思わなかった。そして、道行く者たちが向ける悪感情も。
ある日、マアムと共に神官が現れ、少女に口封じの法を行使した後、足からは麻ひもが断ち切られたが、少女の生活範囲は全く変わらなかった。
どこかに行きたいだとか、何かをしたいといった思いは湧いてこなかったし、何かを【思う】ということすらもしなかった。というより、そんな感情はなかった。
より正確に言うのなら、少女の心には何もなかった。あらゆる願い、あらゆる感情が。
少女は息をしているだけで、“生きていなかった”のだ。
だから、、、
この“人”は、何なんだろう?
“人”が向けるべきものを、キールと名乗った、この“人”は向けていない。
なら、キールというのは“人”ではないのだろうか?
目の前で翼を広げている大きな鳥は、精霊だと言っていた。
なら、キールというのも精霊なのかもしれない?
だから、手を取り、手を握り、目を見てくれて、名乗ってくれて……そして、優しく笑ってくれるのではないか?
――“人”は、決してそんなことは、しないのだから。。。
少女はキールに対して、そう思った。
――そうとしか、理解しようがなかった。
目の前にいるキールを、“人”と思うことが怖かったから。