9話、笑いの先の第一歩
少女が人形に変貌してから、3日経った日の夜。
キールは焚火をじっと見つめ続けていた。
少女は、キールから3メートル離れたところで既に寝ている。
リゼが眠るように促したからだ。
リゼがそっと少女を覗き込む。
その寝顔もどことなく硬いが、起きている時より人であることを感じさせる。
「お姫は寝たぞ。」
リゼは完全に寝入った少女の側を離れ、キールの横へと移動した。
キールは「うん」と頷きはするが、火を見つめたまま動こうとはしなかった。
寝ているときなら、近づいても平気だろうにとリゼは思ったが、声に出すことはやめた。
キールがこの事態に、だいぶ参っていることは分かり切っていたからだ。
だが、だからといってキールを甘えさせることはできない。
だから、
「あの子のこと、どうする気だ?」
解決策を放り投げようとしているキールに意地の悪い質問を投げかけた。
「どうするって……」
「どうする気もないか?」
リゼの単調な声。
「……」
それに、キールは答えることができなかった。
「このままあの子を連れまわすことで、お前が傷つくなら…
あの子を見捨てるのも俺は一向に構わないぞ。」
「っっっ!」
淡々と続けるリゼに、キールが弾かれたように焚き火から隣へと視線を転じた。
そこには、冷めた視線をキールに注ぐリゼの眼差しがあった。
「あの子は、俺の言うことなら聞く。
このまま、この森で置き去りにすることも容易いぞ。
それとも、一層後腐れがないように獣に食わせてもいいな。」
さあ、どうする。とリゼは視線で問う。
お前の答え次第でどうとでもできるんだぞ。といつになく真剣な様子に……
キールはふっと強張っていた肩から力を抜いた。
「ばーか。そんなの、する気もないくせに言うなよ。
冗談ならもっとましなの言えよ。」
小さく口元に笑みを浮かべて、キールは横に座る優しい精霊を小突いた。
「冗談なんかじゃないんだがな。」
真面目腐った声で言うが、
「俺がそうしようとかしたら、絶対ブチ切れるだろうが。
これだから、人間は〜〜〜とか言って、長い説教するんだろ。」
お前のことは解ってんだからと、キールは3日ぶりに笑った。
その笑みに、リゼはほっとした。
やはり、相棒には笑顔が似合うのだ。
そして、笑っていないとリゼの調子も狂う。
「ふんっ、当たり前だ!!」
やっと笑顔を見せた相棒に、リゼもいつものように尊大に胸を張る。
「そもそも、3日やそこらで、しょんぼり落ち込んでいる方がどうかしているんだ!
さらってきたも同然の子に、すぐに気に入られるとでも思っていたのか?」
「うっっ!確かに……」
「お前ときたら、考えなしに連れ出して、あの子に説明すらしない。
名乗りも状況説明も、俺様がいなきゃ、いつまでもしないままだったんじゃないのか?」
「……それはっっ」
「うん? そんなはずはないとは言い切れないだろうが?
最初に名乗ったのは俺だしな。お前は、ぼーとしてただけだろう?」
そう言われると、キールは確かにと頷かざるをえない。
勢いで連れ出したのは、少女からすれば、さらわれたようなものだし。
リゼが言うようにそれで気に入ってくれというのも調子が良すぎる。
しかも、しばらく歩いてリゼが名乗ったから、キールも名乗ることができたわけで…
そして、そのときになってやっと“口封じの法”を解いたわけだが。
もっと早く、それこそ村から出てすぐにでも解いてあげることもできたわけで。
リゼからもっともなことを言われるほどに、キールは何も言い返せなくなる。
だが、それと同時に自分の落ち込み方が可笑しくなってきた。
「ははは。ホント、そうだよな〜。
俺、リゼに任せっきりだし。
自分からまだ何もしてないでやんの。」
少女から拒絶されて、落ち込んで、空回って、勝手に混乱して…
自分のカッコ悪さに笑えてくる。
眦に涙を浮かべるほど、キールは笑った。
自分を励ましてくれたリゼには、馬鹿笑いする様を呆れた顔で見られたが、それすらも可笑しく思えてどうしようもなかった。
「まったく……
それで、どうする?」
笑いの衝動が治まってきたとき、リゼが人の悪い笑みでキールに一番最初の質問を繰り返した。
それに、キールは
「まずは、俺を知ってもらう!」
そこから始めないとなっ!と。満面の笑みで答えた。
リゼは、無限迷路に勝手に嵌っていたキールが、抜け出せたことに優しい眼差しを向ける。
その眼差しに、ちっともキールは気付ず、3メートル離れた場所で寝る少女に視線を向けていた。
そして、「あ〜」と呻いた。
「――そんで、あの子の格好をちゃんとしてあげないとな……」
視線の先にいる少女の恰好は、出会ったときのまんまだ。
つまりは、襤褸を纏った状態ということで……
―ほんと、俺って…
自分のことばっかで、全然少女のことが目に入っていなかったんだと、改めて自覚した。
これじゃ、気に入られたいとか以前の問題だ。と自分の不甲斐無さに嘆息するしかなかった。