舎弟ノ章
ファングは園田と同い年、つまり十八歳。しかし歩んだ道は到達点こそ同じであれ、道のりは大きく違った。
彼の生まれは東京都中心部で、家庭は裕福だった。祖父も父も医師の家庭で、生活も教育も文句無い環境が整っていた。真面目な性格ゆえに勉強もキッチリとこなし、小学校のテストは満点が当たり前、中学の頃は全国模試常に順位一桁を記録していた。
更に体つきも良く、小学校入学から中学卒業まで身長を抜かれた事は一度も無かった。スポーツのセンスもあり、あらゆるスポーツを始める度に代表育成選手として待遇されていた。体格も良く、パワー・スピード・スタミナいずれも一流のものを持っていた。
つまり文武両道で全ての親が憧れる理想の息子であった。学校生活も家庭環境も恵まれている余裕もあり、優しい人物としても男女問わずの人気を集めた。
これらの完全無欠な歯車はある日を境に狂ってしまった。
父は祖父から引き継いだ病院を経営していたが、経営学に関して全く興味を示さなかっあい病院はみるみる内に業績を落とした。近年でこそ大病院は人に溢れるが、当時は必ずしも大きい事が儲かるとは限らなかった。それに加えて、お人好しの父が連帯保証人の判子を複数回押した。その後の顛末はいう必要は無かろう。医師免許を持っていながら、その転落に悲観した父は、子を職で救う事無く自ら命を絶った。加えて母も後を追った。
ファングは悲観した。もし父が自殺をせずに仕事をしていれば、母が後を追わなければ、自分はあの暮らしを手放しても笑顔は作れたのではないか。その悲観はやがて怨恨になり、そして力になった。
ファングは高校へ入らず、独学の道を選んだ。小学や中学では綺麗事しか言わない。高校も同じだろう。ならば、将来稼ぎ、騙されず、何かに負けない強さを学ぶ。それこそが彼の想像した華の生涯に必要な事だった。その道が誤りである事は周りの誰の目にも想像が付いた。しかし、あまりに悲惨な環境に身を置く彼に対し、偉そうな講釈を垂れる事ができる程の人間はそこにいなかった。
そんな彼は今までその実力を見せて来なかった。理由はそれを見せる価値がある者を見なかったからだ。しかし、遂に見つけた。腕っ節一つで全てを収める究極の勝利を手にする男、園田獄矢。ファングは園田に天下を取らせ、そして自らも力を得る為に動いた。
「金至高、作戦があります」
「おう、話せ」
「まず稼ぎですが、今まで通りみかじめで安定した稼ぎを出します。しかし、安定した額だけでは金至高には足りないでしょうから、不安定ながら高回収が見込める場所も作ります」
「ほぉ」
「まずアラクネ地区のごく一部のキャバクラを買収して、直営店にします。次に、風俗店からキャバ嬢を集めます」
「元からいるのじゃダメなのか?」
「そこです。元からいるキャバ嬢はいくら金を払うと説得しても、無理の強い事を進んでやりません。ですが、風俗店勤務の女なら変わらない金を出すとさえ言えば、いくらでも来ます。そして彼女達の力で客を釣ります。彼女達は……金の玉を操るより鮮やかに金の卵を作り出しますよ」
ファングはニヤリと笑った。
「おい、お前……」
園田はどこから集めたか、引き出しから数千万の束をファングの前に出した。
「気に入った。全部任す!安定収入は城島にやらせて、そっちのキンタマをお前がやれ」
「承知しました」
ファングは札束を受け取って部屋を出た。
ファングはその日の内に、アラクネ地区にある二つの店舗を買い取った。金を渡して立ち退くよう言えば、オーナーは喜んで手放した。それは金額が高いからではなく、そうしなければ明日の我が身の保安が分かったものではないからだ。そして二つの店で働いていたキャバ嬢を、一部教育係を除いて解雇あるいは他の店に押し付けた。強引な手法であり、当然労働における法において許された事ではない。しかし、当時は現在ほど労働者に寛容でなく、そもそも相手が真っ当な人間じゃないから法律など関係無い。この歌舞伎町がヤクザの法の下にある事は先述の通りである。
そして、園田への相談前から進めていたアラクネ地区の風俗店から引き抜いた嬢をキャバクラで働かせた。外では舎弟のそのまた子分がキャッチをする。
「あ、お兄さん、キャバどうですか?」
目に付けたのは酔った三十代か四十代の男。
「なんだ?キャッチか?いいよ、もう飲んだから」
「あー、そうですかぁ。悪い時に声掛けちゃいました。じゃ、サービスしますよ」
キャッチは耳打ちした。
「大きい声じゃ言えませんがね、ウチの店、嬢を選べば色々出来ちゃいますよ」
「色々ってなんだよ」
「それ言ったら、俺捕まっちゃいますよ。俺なら店に連絡入れて、色々な嬢を付けますよ?」
男の顔が緩んだ。実の所、全ての嬢が元風俗嬢ゆえ、キャッチがわざわざ紹介せずとも通常よりのキャバ嬢の範囲を超えたサービスを受けれる。いや、受けさせられる。だが「あなたは特別」と伝えるだけで、人は喜び、信じてしまう。それが蛇の牙だとしても。
店に入った男はボーイに案内される。このボーイも勿論舎弟の子分の一人。客を油断させる為に、中でも華奢で見た目は軟弱そうな人を選ぶ。男は「万が一が起こってもこいつからなら逃げれるな」と一人合点する。そして、入り口から死角となるボックス席へ案内させられた。
「飲み放題はこちらになります」
とメニューを出す。飲み放題価格は一時間二千円。勿論それだけじゃすまない。キャバ嬢に客がご馳走する酒が飲み放題ではなくなるのは当然の事。価格は通常のキャバクラの四倍以上に設定され、氷を多めにいれてキャバ嬢がすぐ飲み干せるように注がれている。加えて席料だけで一時間一万円ともう訳が分からない。実はこれらの事は最初にボーイから渡されるメニューに書かれている。ところが気付かない。メニューより先にキャバ嬢が隣に座り、見させる暇を与えないのだ。
「こんにちわぁ。サリーです!お名前を教えて貰えますか?」
「山田です」
そういう男の顔は鼻の下を伸ばしきった実に情け無い姿。しかしキャバ嬢は褒める。
「山田さんは会社役員?」
男は課長。役員にはまだまだ。キャバ嬢は当然そんな事は思ってないが、思った事を言わないのが彼女達の仕事の一つなのだ。
そして、男もまたそれを求めている。
「ああ、そうだよ」
「ええ、凄いね!やっぱ儲けてるの?」
キャバ嬢による褒め殺しが始まる。風俗店にいた頃の彼女達の多くは接客技術は無かった。しかし指導係により、一級品になっている。
誉め殺しが始まって僅か三十分。早くも色仕掛けが始まる。
「ねぇねぇ、結婚してないの?」
妻子持ちの男は二、三秒考えて答えた。
「いや、まだだよ」
「へぇ。そろそろ出来るかもねぇ」
なんて言って体を大胆に摺り寄せる。すると男は「自分の事を狙ってるのかな?」などと的外れかつキャバ嬢の思惑通りの想像をする。そうして彼女に視線を落とすと大胆に胸元が開いた衣装ゆえ、もう僅かで見えてはいけない所まで見える。その誘惑を遂に断ち切る事が出来ずに男は彼女の胸へ手を伸ばす。
通常の店であれば、キャバ嬢がはぐらかせたり、あるいは店のボーイが注意をしたりで止められる。ところがこの店は違う。キャバ嬢もなんだが乗り気で、小さい声で「もっと触って」なんて言い出す始末。気を良くした男はキスを始める。
その後もイチャつきながら過ごす事三十分。入店から一時間半が経った。キャバ嬢が立ち上がって
「ちょっとごめん、お化粧直してくるね」
と言って、奥へ行く。数秒後、同じ場所からやってきたキャバ嬢……ではなく、スキンヘッドの子分。
「お客さん、ウチの子にだいぶ手ェ出したみたいですが。迷惑なんですよね」
男は戦きながらも応える。
「そ、そちらのキャバ嬢から誘ってきたんだろ」
「そらそうでっしゃろ。お客さんが気を良くする店なんですから。でもだからって嫌がる嬢に無理やり触るのはいかんでしょ」
ここまできてようやく男は騙された事に気付くのだ。しかしもう余りにも遅すぎる。この後、嫌がった嫌がらないの論争が少々起こったが、証拠写真と見せられたお触り中の写真、子分の睨み、テーブルに叩きつける音、それらに男はすっかり縮こまった。支払額に迷惑料の請求書。手持ちの金額では全く足りない。その後、訳の分からぬ所へ連れ回されて借金を負わされる。その額は実に百万円以上。つまり、このキャバクラは形はどうあれ、たった一人から百万の売上を上げた。キャバ嬢へのバックはこの二割。少々胸を触られるだけでこの額。元風俗嬢の彼女達にも不満は無かった。
この日の被害者は四人。ファングはとてつもない暴力ビジネスを歌舞伎町の一角に作り上げてしまったのだ。
その頃、もう一人シノギの稼ぎに奮闘している人がいた。かつて池田組の子団体を仕切っていた城島である。最初の頃こそ、拷問を受けた事や池田組組長であり親分の左門に反抗する事へ嫌悪感から経営には消極的な姿勢を見せ続けていた。そこでファングは全上納金の一パーセントと言う破格の給与を城島に渡す事を告げた。アラクネ地区の店舗数や売上金から計算するに、遥かに超える額であった。金の切れ目が縁の切れ目というがその逆もまた然り。金が入ると分かれば親より強い縁など知らず、結局の所、城島は全面的に園田達に力を貸す事に決めた。
アラクネ地区の場所は、歌舞伎町の事務所毎に平等に損な形になるよう、結果的にほぼ中央に位置する事になった。それに加えた歌舞伎町全体の印象をこれまで以上に下げかねない、いや下げるに違いない無理の大きいボッタクリシステム。日を追う毎に、先住民のヤクザ達の収入に近付いていったのだった。