拓海との思い出
私と拓海は、大学で出会った。
初対面の印象は、最悪。
髪はボサボサ、無精ひげもそのまま。
着ているシャツはヨレヨレ。
ゼミで初めて見たときは、あまり関わり合いになりたくないな、と思った。
そもそも、私はこのゼミで優秀な成績を残して、大学院に進んで研究者になるつもりだったから、男には興味もなかった。
「アンタ、その気になれば男の一人や二人すぐできるでしょうに、なんでこんな勉強バカかね」
親友の律子にはよく言われたけど、私は意にも介していなかった。
「高澤さん。今度のチーム研究で、一緒のチームになりたいんだけど」
ゼミの男の子何人かに声をかけられたけど、全部断った。
下心が丸見えだったから。
断り続けているうちに……私はチームを組む相手を失ってしまった。
「高澤さん。よければ、うちのチーム入る?
俺も、一人だから……」
最後に声をかけてきたのが、拓海だった。
「高澤さん、研究熱心だし、いいチームができると思って」
初めて聞いた拓海の声は、凛として、それでいて穏やかだった。
チームに入ってわかったことは、拓海も研究熱心だということ。
どんな小さな疑問も追求するし、下手したら私以上に研究にのめり込む姿に、素直に好感を持った。
見た目で判断して悪かったな、と反省した。
私と拓海は、同じ勉強バカ同士、思いの外気が合った。
「拓海」
「梨央」
お互いを名前で呼び合うまで、さして時間はかからなかった。
毎日参考資料の山に埋もれて、拓海と解釈の違いやお互いの意見を言い合うのは、すごく楽しかった。
研究室に二人きりで真夜中まで研究していても、私達の間には何もなかった。
「梨央」
「なあに?」
「この研究発表でいい評価もらえたら、伝えたいことがある」
ドクンっと胸が鳴った。
「今じゃだめなの?」
「今は、研究に専念したい」
「わかった」
自意識過剰かもしれないけど、拓海が何を言おうとしているかは、なんとなく予想がついた。
トクントクンと鳴る胸を押さえる。
私は、拓海からの言葉を、期待していた。
研究発表の日。
各チームが研究発表をしていく。
私は緊張で胃が痛くなっていた。
昔から、人前で何か話すのは苦手なのだ。
「梨央」
顔を上げると、拓海のボサボサの前髪の隙間から、綺麗な目が見えた。
「発表は俺がするから、梨央はスライドお願い」
「いっ、いいよ。私もちゃんと発表するし!」
「顔、真っ青だよ。無理しなくても大丈夫だから」
そう言って私にパソコンを渡すと、拓海は堂々と教壇に立った。
二人でしてきた研究だ。
拓海が何を言うのか、どのシーンでどのパワポが必要なのか、アイコンタクトを取るまでもなく、わかった。
拓海が一度も私にアイコンタクトを取らなかったことが、拓海も同じ気持ちなんだと思って、嬉しかった。
全チームの発表が終わり、教授が教壇に戻る。
「みんな、よく出来てました。
特に、黒崎・高澤チームは人員も二人と厳しい中、なかなかに興味深い出来でしたね」
ザワッとゼミ室がどよめくなか、チラリと拓海を見ると、平然と前を向いていた。
と言っても、前髪でほとんど表情が見えないから、照れているのか喜んでいるのか、周りの視線を鬱陶しいと思っているのか、全くわからないけど。
『研究発表で、いい評価がもらえたら……』
拓海の言葉を急に思い出して、頬が熱くなる。
「今日はここまで。解散」
後半の教授の言葉は、ほとんど耳に入っていなかった。
「ここでいいのかい?」
「彼」が言う。
連れてきてもらった場所は、私達の通った大学の中庭。
拓海が私に告白してくれた場所。
研究発表が終わった翌日、拓海に中庭に呼び出された。
最初、誰かわからなかった。
今風に整えられた髪。
ヨレヨレの服じゃなく、アイロンをちゃんとかけたシャツ。
スラッとした立ち姿は道行く女の子たちの視線を集めていた。
「拓海?」
「あぁ、梨央」
これまで長い前髪に隠されていた顔は、優しげに整っていて、モシャモシャだった髪は緩やかなウェーブがかかって、少女マンガに出てくる王子様的イケメンだった。
通りすがる女の子たちが振り向いてもおかしくない。
「どうしても、伝えたいことがあるんだ」
「うん………」
胸が高鳴って、うるさいくらい。
「梨央と一緒に研究するの、すごく楽しかった。
僕は研究オタクだし、オシャレとかも全然わからないけど、こんな僕で良かったら、付き合ってください」
まっすぐにこちらを見る色素の薄い瞳は、緊張からか少し震えていた。
「僕なんて、梨央に似合わないのはわかってるけど……」
「そんなことない!私こそ、研究オタクだし、目立つようなことは苦手だけど、それでも良ければ、付き合ってください」
お互いの顔が赤くなった。
最初に沈黙を破ったのは、私だった。
「髪、どうしたの?」
「告白するって友達に相談したら、少しでも見た目を良くするために髪くらい切れって言われて……その、似合わないかな」
「ううん。似合ってる。なんか、王子様キャラみたい」
「王子様は褒め過ぎだけど、梨央にそう言ってもらえて嬉しい。この後、予定ある?」
「今日の講義は全部終わったから、この後は空いてるよ」
「じゃあ、その……お茶でもしない?」
少しはにかんだその顔に、私は見事に撃ち抜かれた。
それから、私たちは順調に交際を重ねた。
いきなりカッコよくなった拓海は女の子たちに言い寄られることも増えたけど、拓海自身は変わってなくて、生真面目に一人一人告白を断って、合コンに誘われても「そういう場所は苦手だから」と断っていた。
少し弱気で、研究オタクな拓海が、私は大好きだった。
やがて私たちは就活の時期を迎え、私は予定通り院に進み、拓海はそれなりの有名企業に就職した。
入社して数ヶ月は定時で帰らせてもらっていたけど、やがて忙しくなり、休日出勤も増えて、私達が会える日は減っていった。
会える日が減ったのを気にしだしたのは私よりも拓海の方だった。
それまで、お互い独り暮らしのアパートを行ったり来たりしていたけど、拓海はそれじゃあ寂しい、と言った。
「まだ稼ぎも少ないけど、毎日梨央の顔が見たいし、梨央が一緒なら頑張れると思うから、結婚してほしい」
プロボーズは、告白されたのと同じ、大学の中庭だった。
拓海の貴重な休みの日。
「私はまだ院生で、アルバイト代くらいしか家に入れられないけどそれでもいい?」
「それでも、一緒にいたい。絶対、大切にするから。
帰りが遅くなっても、帰れない日があっても、絶対梨央の側にいるから」
私たちはお互いの両親に挨拶に行った。
私が院生で、拓海も入社して1年ということをそれぞれの両親は心配していたけど、私達の意志は変わらなかった。
結果として、プロポーズされて半年後に、私たちは入籍した。
親族と、拓海の直属の上司、大学の教授だけを呼んだ、ささやかな式も挙げた。
結婚してわかったことは、拓海が本当に寝る間も惜しんで働いているということ。
お弁当を持たせていたけど、食べられなかった日もあったし、帰りはいつも終電か、始発だった。
休日出勤も当たり前で、拓海に休んでる暇なんて全然なかった。
それでも、帰ってきて私を見ると、拓海はいつもホッとした顔をした。
「全然休みが取れなくてごめんな。本当は買い物とか付き合ってあげたいんだけど」
「そんな事より、私は拓海の体の方が心配だよ」
「これくらいは平気。体だけは丈夫だし」
それにしたって、どう考えても労基法に違反しているとしか思えないほど、拓海は働き詰めだった。
サビ残が暗黙のルールらしくて、拓海が身を粉にして働いても残業代は微々たるもので、拓海のモチベーションが上がるわけもなく、結婚して1年たった頃には、「疲れた」と言う日が増えた。
学生時代、どんなに研究で徹夜が続いても決して弱音を吐かなかったのに。
心配だったけど、私にできることは何もなかった。
その頃には私も就職して、家計は少し落ち着いていた。
だから、無理して働かなくていいと拓海に伝えたけど、部署のみんな、同じように働いていて、仕事量は減らないのだと拓海に言われてしまった。
転職も勧めたけど、「もう少し頑張れば、楽になると思うから」と言うのが拓海の口癖だった。
初めての夏季休暇が取れたのは、入社して3年目。
二人で箱根の温泉に行った。
少しでも、拓海の疲れを取りたかったから。
「温泉か。いい場所だね」
「彼」が言う。
大学に行ったあと、箱根につれてきてもらっていた。
数少ない、拓海との思い出の場所。
私が思い出に浸っている間、「彼」は特に何か話しかけてくるわけでもなく、私のしたいようにさせてくれた。
「はー、疲れが取れるなぁ」
「働き詰めだもんね。この数日はゆっくり過ごしてね」
「まだずっと先の話だけど、いつか定年を迎えたら、こうやって温泉巡りするのもいいね」
「その頃にはもうおばあちゃんだから、あんまりあちこち行けないかも」
「それなら家でのんびり過ごしてもいいよ。僕は、理央がおばあちゃんになってもずっと一緒にいるから」
「私も、ずっと一緒にいるよ。もし、拓海が先に旅立つことになったら、ちゃんと私も連れて行ってね」
「そうだね。理央が先になったら僕を連れて行ってね」
二人で約束をかわした場所。
拓海はいつだって約束を守ってくれたけど、この約束だけは、守ってくれなかった。
私はもっと、拓海の体調に気を付けるべきだった。
毎日の睡眠不足に、休日出勤。
拓海の体も心も、悲鳴を上げていたはずなのに、私はその声を聞き逃してしまった。
拓海と一緒に過ごした温泉宿でゆっくりお湯に浸かっているうちに、私は眠ってしまったらしく、夢を見ていた。
ガラスの向こうから、拓海が必死の形相で何かを訴えている夢。
泣きそうな顔で、私に何かを伝えようとしていた。
けれど、どんなに耳を澄ませても、拓海の声は聞こえなかった。
目覚めると、空は茜色に染まっていた。
そろそろ、時間だ。
私は温泉から出ると、「彼」の待つ場所に行った。
「もう一箇所、連れて行ってほしい場所があるの」
「うん。いいよ」
「彼」は私を抱き寄せると、私の行きたい場所に、飛んだ。




