7th.異世界で見つけるレゾンデートル
今回はちょっと短め?
「そう、か」
リゼリアの告白、それに対するアマネの思いはその一言に全て込められていた。
分かっていた、貴族であり、一国の王にも匹敵する権力を持つ辺境伯の娘がその庇護を受けることもできず、親戚縁者に匿ってもらうことすら出来ずに逃げ回るしかない状況が何を意味するかは。
淡い希望は抱いていたのも事実ではある。もしかしたら病気でそれどころではないのかもしれない、もしかしたらゴルド王に囚われているだけで助ければ何とかなるのかもしれない。
だが、真実は簡潔で、そして何よりも残酷だった。
「私には父も母もいなかった。
私が生まれた時には既に亡くなったのだと聞かされていたわ。だから私は祖父であるアバーフォース・エルダベリー辺境伯と祖母のアリアナ・エルダベリー夫人に育てられたの。
アバーフォースお祖父様は領地を見て回るのに私を連れて行ってくれたし、アリアナお祖母様は私に精霊術や魔術を教えてくれた。
二人は私をとっても愛してくれた。私も二人をとっても愛してた。両親がいないのはやっぱり寂しかったけど、それでも二人はそれを補って余りあるほどに私に愛を注いでくれたの」
懐かしい日々を思い出すように目を細めるリゼリア。
口元には僅かに微笑が浮かんでいる。しかし次の瞬間、彼女の瞳は負の感情に澱む。
「でもね、二人は死んじゃったの。半年くらい前、アリアナお祖母様に言われて森にエリンと精霊術の練習に行ってた時だったわ。
黒い煙が高く高く上がって、大切なものが焼けてくみたいな臭いが遠く離れた森にまで届いて。嫌な予感がして、エリンと一緒に屋敷に戻ったの。そしたら……」
そこまで言ってリゼリアは口元を押さえて一瞬うずくまる。
その肩は隠しきれないくらいに震えていた。その姿は先ほどまでアマネやリゼリアに啖呵を切って、脅迫しにかかったときの毅然とした印象は影を潜め、そこにはただか弱い少女がいるだけだった。
そんな彼女の頭をその小さな手で撫でながらエリンがアマネに視線を向ける。その目は先ほどまでの敵意は鳴りを潜め、今はただ哀しげにこちらを見つめるだけだ。
「その先は、必要なのかしらン? アマネ君」
「ーーいや」
「いいえ、ぼかすのは良くないわ。ちゃんと伝える。私は大丈夫」
話をうち切ろうとしたアマネとエリンを制し、リゼリアは再び顔を上げる。その姿からは弱々しいながらも先ほどまでの凜とした雰囲気が戻ってきているのが見て取れる。
「屋敷が燃えていたわ。
それも屋敷の一部というわけじゃない。屋敷そのものが大きな炎に文字通り包まれていたわ。
何も分からないまま、私は逃げたわ。
エリンが私はエルダベリー領に居たら危険だって、きっと王位を奪われるのを恐れたゴルド王の仕業だって、そう言って……ここまで逃げて来たの。その途中で、エルダベリーの辺境伯夫妻が死んだって聞いたの。
途中何度も襲われたわ。さっきみたいに、クレマティス王国兵にね」
そこまで言い終わるとリゼリアはその潤んだ目を閉じた。
壮絶な経験だ。
ささやかながらも幸せな日々を突如として奪われ、半年間も強大な敵と戦い続けていたのだ。並大抵の精神ではそんな苦痛からは耐えられない。
そんな彼女にルーシーは静かな声で尋ねる。
「改めて聞こう、リゼリアちゃん。
君の目的は何だい?
もし逃げ延びることだけが目的ならクレマティスに留まるべきじゃなかったはずだ。王国を挙げてゴルド王が君を狙っているわけじゃなく秘密裏に行動している今ならすぐにこの国から出てクリザントなりアラク法国なりに行けばいい。
波止場も国境も簡単に越えられるだろうに。どうして君はここにとどまった?」
先ほどまでと同じように鋭い目でリゼリアを見つめるルーシー。しかしその中には先ほどまでの疑念や非難の感情は無い。ただ、じっとリゼリアを見つめている。
そんなルーシーにリゼリアは目を再び開き毅然と言い放つ。
「ゴルド王が王位に拘って、その身勝手な被害妄想で罪のないお祖父様、お祖母様が殺されたなら私は絶対に彼を許せない。だから復讐する」
憎悪と悲しみ、苦悩と恐怖。
彼女の言葉からはそんな感情が伝わってくる。しかしそこにはそんな負の感情の荒波に飲まれない厳然たる彼女自身があった。
アマネはリゼリアに問う。
「どう、するつもりなのかな」
「彼を否定する。彼の行いを否定して、彼の有様を否定して、彼の悪徳を否定する」
どうやって?
彼を敵として殺すのか?
彼の罪を世に晒すのか?
彼の愛するものを自分がされたのと同じように奪うのか?
彼女にはその全てをする権利があるとアマネは思う。
しかし、こうも思う。
そんな害意が、そんな怨念が本当に彼女を動かしているものなのかと。
そんなアマネを見つめながらリゼリアは言う。
「そのために、私はゴルドに代わって最高の王さまになるの」
※ ※ ※
「最高の……王さま?」
リゼリアの言葉に困惑を隠せないアマネ。彼女の話は飛躍が過ぎる。
ゴルドを玉座から放り出し自分が成り替わるならば分かる。だが、「最高の」と言うのはどこから出て来たのか。
「そう、それが私の復讐。
ゴルドを王位から引き摺り下ろし、私が王になる。でもそれだけじゃ足りない。
私が最高の王になって最高の統治をすれば、あらゆる人は王としてのゴルドを否定するようになる。彼の悪行の果ての栄光を貶められる。それが私の復讐。
この半年の間に色んな話を聞いたわ。ゴルドが王になってからのこの国の現状をね。
王家直轄領とユニフォラム領の税、徴兵、全て過剰といえるまでに増やされているし、他の辺境伯領や元老院への干渉も増えてる。今までの平穏なクレマティス王国からの変貌に苦しむ人も多かった。
彼らの心に付け入るようでいい気分ではないけど、それでもこれが私に出来る最高の復讐だと思う」
そう言うとリゼリアは頭の上のエリンを突っつきながら、少し表情を緩ませて笑う。
「それに、無責任でしょ。私の復讐は国を揺るがし多くの人間を巻き込むものなんだから、それを顧みずに殺すだけの復讐なんて。もし復讐するならその分だけ彼らに埋めあわせするべきでしょ?」
「突飛な話だね。まあ、ただの復讐よりは幾分か興味深いが。
それで? 最高の王になるために、君は何をしたくってボクらにこんなことを頼むのかな?」
ルーシーは呆れたように微かに口元を綻ばせながら問いかける。リゼリアは挑戦的な目をルーシーに向けて笑顔で言い切った。
「決まってるわ。第一に生き抜くためよ。ゴルド王の追っ手から逃げ延びて生き延びて、良き王になるためにこの世界を生き抜いて学ぶ。それが私の復讐の第一歩よ」
不敵な笑みで言い切るリゼリア。
はっきりと笑顔で宣言した彼女にアマネは見惚れていた。
元々彼女自身見目麗しいというのもそうだが、それ以上にアマネは彼女の内面にこそ心を奪われた。
愛する人を突如として奪われた過去、強大な敵に命を狙われ逃げ続ける生活。言葉にしてしまえばシンプルかもしれないが、こんな経験は常人であれば心が壊れてしまってもおかしくないし、ともすれば自ら命を絶っても不思議はない。
「さ、私の話はこれでおしまい。次は貴方の番。
私を受け入れるか、面倒ごとはゴメンだって言って断るか。
どちらでもいい、とは言い難いけど……貴方の判断はそのまま貴方の人生に繋がるものだもの、恨みはしないわ」
リゼリアは小さく笑いながら言う。
その目には断られる可能性が大きいという不安と、それでももしかしたらという僅かな期待が入り混じっている。
アマネは考える。
合理的に考えれば此処は断るべきところだ。
復讐、それも国を相手取ってする復讐など成功するわけがない。
例え成功したとしても、そこに生じる損失は計り知れない。
部の悪すぎるギャンブルだ。無論、自分の手元にはルーシーという切り札がある。
だが、ルーシーだって人並み以上に優れた能力を持っているだけであっても全能ではない……はずだ。彼女さえいればそれだけで損失を免れる保証があるわけではない。
何より見ず知らずの、会って2時間も経っていないような少女だ。そんな彼女に義理立てをする必要などあるのか……
「アマネ、好きなように選びたまえ。ボクは君の味方だ。今も、これからも。君がどんな選択をしようと、それが君の心からの決断だというのなら君に従う」
ルーシーが静かにそう言った。その目は心の奥底まで見通すような真っ直ぐさで彼を見ていた。
「リゼリア、俺は君を……」
分の悪いギャンブル、勝ち目のない戦い、大きな損失。その全ての最悪のビジョンがアマネの頭の中を駆け巡る。
しかし、
「ーー君を受け入れる。君を死なせない」
アマネはそう言い切った。
※ ※ ※
夜風の吹き込む宿屋の一室で、アマネは窓の外を眺めていた。
頬を撫でる風、空に輝く星、地に灯る営みの光、静かな街並み。その全てがアマネにはどうしようもなく新鮮で美しいものに見えて、心地よい静寂の中、アマネはぼんやりと外を見続けていた。
「どうしたんだいアマネ? 黄昏時でもないのにたそがれちゃって」
「たそがれるのは別に黄昏時じゃなきゃいけないわけじゃないと思うんだけど?」
「ふむ、一理あるね」
そう笑いながら寝巻きに着替えたルーシーはゆったりとアマネの隣へと歩み寄る。
先ほどまでの男装も様になっていたが、ゆったりとした隙のある寝巻き姿にも一味違う視覚的な良さがあるものなのだとアマネは無意識に胸部から目を逸らしながら思う。
「悪魔も睡眠って必要なの?」
「必須、ではないけどあったほうが良いのは間違いないね。嗜好品のようなものさ。少なくともボクは大好きだ」
「そ。ところでリゼリアの様子はどうだった?」
ルーシーには先ほどまで隣の部屋でリゼリアのそばにいてもらった。折り合いが良くないのは分かっていたが、今後のことも考えるとそれを放置しておくわけにもいかない。
そういう訳でリゼリアが眠るまでルーシーに側にいてもらっていたのだ。
「よく寝てる。仲間ができて安心したのかな。すぐに静かな寝息を立ててたよ」
「そっか、なら良かった。でもまぁ一応ルーシーには今晩はリゼリアと同じ部屋で寝てもらうかな。万一のこともあるし」
「えぇー」と唇を尖らせ、子供っぽい不満げな顔を見せながらルーシーはアマネの側に歩み寄る。
そしてアマネの眺めている窓枠に腰掛けて彼の顔をその白く細い指で撫でながら問いかけた。
「どうして、彼女を受け入れたんだい?」
「やっぱりルーシーは嫌だった?」
ルーシーは途中何度もリゼリアやエリンに突っかかり、彼女らに敵意を見せていた。
アマネのことを思っての行動だとは思う。
実際彼女の読み通り、リゼリア達は到底太刀打ちできるはずのないような巨大な敵に闘いを挑もうとしていた。アマネの命を守り、生かそうとする彼女からすればそんなリスクを抱え込むのはナンセンスにも程がある。
しかしルーシーは微かに笑みを浮かべながら首を横に振る。
「いいや。言っただろう? ボクはこれから先ずっと君の味方だって。いつだって君のそばにいて君を守る……それがボクらの契約だからね」
「そう」
「だからこれは純粋な好奇心。いや違うな、興味、かな?……なんだろ?」
「疑問、じゃなくて?」
「そうそれ。何が君にそうさせたのかを知りたいのさ。君のお得意の理屈で考えれば彼女を受け入れるのはあり得ない選択のはずだ。
なのに君は受け入れた。それはどうしてかな?」
ルーシーは真っ直ぐアマネを見つめている。
本当に疑問以外の他意はないらしい。そのきらめく視線を見れば、彼女の疑問は好奇心や興味に類するものであったのではと思えてくる。
そんなルーシーに苦笑しながらアマネは答える。
「簡単だ。疑問を覚えたんだ。そしてその答えが彼女と共にいる中で分かるんじゃないかと思ってさ」
「疑問、ね」
ルーシーは静かに復唱しながら片目を閉じる。
「そう、疑問だ。
彼女はとんでもない絶望的な今を生きている。
最愛の家族の死、命を狙われる日々、心が砕けてもおかしくない人生だ。
俺とは違う理由だけど、それこそ自殺を図ってもおかしくない。でも———」
「彼女は違った。そんな逆境にも挫けることなく、生き抜き戦い抜くことを決めた。復讐を糧にして」
「あぁ、そしてその復讐も終われば燃え尽きるようなありきたりのものじゃない。
復讐の先を見据えた生への希望に満ちたものだ。人生の中で絶望的な経験をしながら、その人生への希望を失わない。
だからこそ俺は思う。
何が彼女を前へと進ませているんだ?
何が彼女を生かしているんだ?
そして、彼女にあって俺にないものは何なんだ?」
アマネは滔々と語る。しかしその中には隠しようもない熱が、本人の意思とは関係なくこもっていた。
「それを見つけ出すために、か」
ルーシーはアマネの言葉を引き継ぎそう結ぶ。
そう、アマネは知りたいのだ。それを知ればアマネは生への希望を持って生きられるのではないか?
それは長い間アマネの中にあった疑問。
答えが出ることなく、最後にはアマネに死を選ばせた禁断の問い。
綺麗事ではない、真なる自分の、自分だけの答え。アマネはそれを今度こそ手にできるのではないかと、手にしたいと願っている。
「そうだ。俺が否定し、お前が俺に見つけろと言った生きる理由、生きる意味、生きる価値。それを見つけるために俺は彼女を助ける」
「……全く。ボク、本当は君にはこの世界での穏やかな日常の中でそれ探してもらおうと思っていたんだけどね」
「非日常的な出来事の中でこそ見つけられる普遍の真理ってのもあると思うけどな」
「あぁ全くその通りさ! だからボクは反論できないんだ。
だが覚悟したまえよアマネ。君の進む道は険しいぞ。
もしかすればゴルド王以上の敵だって現れるかもしれないんだ。今更決断したことを後悔するんじゃないぞ?」
「反省はするかもね。でも後悔はしない」
アマネはそう言いきる。
魔法や悪魔の跋扈する異世界でゴルド王だけが立ちはだかる敵な筈もない。きっと恐ろしい目にも悲しい目にも出会うだろう。
リゼリアと共に行くことを決めたのを省みる時も訪れるだろう。
でも、この時の覚悟を後悔はしない。間違いだったなんて否定もしない。それだけは絶対だ。
アマネの目を見ながらルーシーは微かに笑い、そしてアマネの肩をいい音を立てながら一発叩く。
「いったぁ⁉︎」
「いい答えだ! 偽りも驕りもない真っ直ぐすぎる君らしい。
未だに理屈至上主義が感じ取れるのが残念ではあるが、そこは今後に期待するとして……
ではボクは全力で君たちを助けよう!
だから君も全力で探したまえ。君の生きる理由、生きる価値、生きる意味を」
ルーシーはそう言って晴れやかに笑いながら扉へと向かって歩き出す。その途中でひりひり痛む背中をさすりながら自分を睨むアマネに向って振り返りウインクをして白い悪魔は言った。
「この異世界で探すんだ、君の答えを!」