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異世界で見つけるレゾンデートル〜死を希う少年は最強悪魔に拐かされる  作者: えすとっぺる
第一章~Boy meets the White Devil
3/57

2nd.悪魔と望み

「君は一体……何を、言っているんだい?」


ルーシーは震える声でそう言う。

その目には先ほどまでの余裕も嗜虐的な輝きもない。ただ目の前の理解できない存在へのある種の恐怖のようなものに思考をかき乱されている。


「悪魔にそんな目で見られると流石の俺も傷つくなぁ。

でもまぁ分からないっていうなら何度だって言うよ。俺を殺してくれ、俺は俺を殺して欲しいんだ」


トドメを刺すように、アマネは言葉のナイフを肉に刺し込むようにルーシーに言い放つ。


ルーシーはその絹糸のように輝く白い髪を静かに掻き乱して頭を抱える。

ぶつぶつと何事かを呟いていたが少し経って落ち着いたのか立ち上がって先ほどまで寄っかかっていた鉄柵に再びもたれかかる。

そして不機嫌そうな目でこちらを見ながら口を開く。


「理由を聞かせてもらえるかな?」


先ほどまでの高くよく響く声とは打って変わって、心臓を掴まれるような低い声。

その変わりようにアマネは思わず身震いする。しかしそれを押し殺して目の前の悪魔に向かって言葉を投げかける。


「できないのか?」


「そんな訳ないでしょ。

さっきボクが散々エッグいこと言ってたの忘れちゃった訳? ここならその気になれば街一つ潰せるんだ、君を殺すなんて造作もない」


「なら何でだ? 魂でも何でも欲しいものならくれてやる。

むしろその方がありがたいくらいだ。

それともここまで仲良く話し込んでたから情が湧いちゃって出来ないとかか?」


「茶化さないでもらえる?

これは必要なことだ。契約は双方の合意があって初めて結ばれるもの。

今のボクは君の望みの真意が分からない。だからそんな妙なものに関わるのはゴメンなんだ。

だから、もし本当に殺して欲しいっていうならまずはボクの不安を晴らしておくれよ」


低い声で刺々しく言い放つ。

そこには先ほどまでノリよく突っ込んだり煽ったりする明るさも、人を弄ぶことを最高の愉悦と言わんばかりの邪悪な喜色もない。


ただ冷徹にこちらを見据えている。そんな彼女に観念したと言わんばかりに両手を上げてアマネは口を開く。


「さっきお前は自殺を図る奴は世の中が思い通りにならないから、外的要因によって生きていけないから、死にたくないけど死ななくてはならないから、自殺を選ぶって言ってたな。

20年も生きてない分際で年齢不詳な悪魔サマに言うのも身の程知らずかも知れないけど言わせてもらう。それは間違いだ」


「へぇ……続けてみたまえよアマネ」


悪魔は幾分かアマネの言い分に興味を惹かれたように先ほどより少し声を高くして試すような視線を彼に投げる。

アマネもそれに負けることなく挑戦的な目で彼女を見つめながら言葉を続ける。


「世の中には他の所為に出来ない理由で死ぬ人間もいるんだ。

そいつらの一部はお前の誘いに乗るかもしれない。

でもそれに乗らない人間もいる、ただ死ぬことだけが、自分の生を終えることだけが目的の人間もいる。

俺はその中の一人って訳」


「確かにそうだね、ただ死を望んで自殺する人間もいる。

だが、そう言う人間の多くはボクを前にすれば殺して欲しいなどとは言わない。

恋人に死なれて一人になってしまった世界に生きてはいけないという女、図らずも人を殺め罪の意識に苛まれ自らを責め続ける男。

他者の死、という取り返しのつかないものに縛られる人間によくある兆候だ。

だが彼らは君みたいに淡々と殺して欲しいなんて頼まない。彼らの心の奥底には自らを縛る呪縛からの解放への希求があった。

それをすっ飛ばしてみんな死にたいと咽び泣きながら縋ってくる、だから彼らはボクがその記憶を消してあげると提案したときには迷いながらも皆そっちを選択したよ。

嗚呼、今うっかりボクは新しい選択肢を君に提示した訳だが、君の願いに変更はあるかな?」


「変わらない、俺を殺してくれ」


短く即答するアマネにルーシーは顔を強張らせ悔しそうに眉間に皺を寄せる。

だが彼女の中でもこの返答は予想できていたのだろう、すぐに表情を元に戻して腕を組み再び口を開く。


「じゃあ聞こうじゃないかアマネ、君はなぜ死を望む? 欲望に身を任せた輝く汚れた望みでも、忘却による安寧な生でもなく何故死を望む?」


「ーー生きることに失望したから」


「何だって?」


ルーシーは自らの鼓膜がとらえた彼の言葉の理解を拒絶するように聞き返す。


「冗談だろう? はは……四半世紀も生きていない分際で? 笑わせるね」


その顔には呆れとも嘲りともつかない困惑の笑みが浮かんでいる。

そんな彼女の表情に心の中で何かがぷつりと切れた。

アマネは立ち上がりルーシーの元へとつかつかと詰め寄り、互いの息遣いが感じられるほど近くにまで迫ってその目を見つめる。


先ほどのアマネの言葉、そして突然詰め寄ってきた彼に動揺を隠せないように僅かにその身を震わせながらもルーシーは毅然と不敵な目でアマネを見続けている。


そんな彼女の姿がどうにも気に食わなくて、心の奥底からどす黒いものが煮えくり返ってくるようで、アマネは思わず声を荒げて言い放つ。


「聞こえなかったのならもう一度言ってやるよ悪魔ッ!」


アマネは立ち上がり、ルーシーに掴みかかりながら叫ぶ。


「いいかよく聞け!俺は生きたくないんだ! 」


感情に任せるままに唾を飛ばしながら罵るように叫ぶアマネ。心の中のリミッターが外れていくような感覚。

これ以上はマズいと心が警鐘を鳴らす。

だがそんなものではこの激情は止まらない。ルーシーの肩を乱雑に掴み爪を喰い込ませるように服越しに柔らかな彼女の肌に強く指を突き立てる。


「ーーッ!?ちょっ、痛ッ!痛いよアマネ。落ち着いて。落ち着いてくれ!」


彼女は悪魔だ、痛みなどありはしないだろう。だが、彼女は本当に苦痛に悶えるように表情を歪めている。


「そうだよ! 俺は何かに追い詰められているわけでもない! 誰かを失った喪失感からでもない!

ただ俺は生きていたくない! だから死にたいんだ! 終わりを望むんだよッ!

理解できないか悪魔?そうだろうなぁ、だってーーー」


「ーーー落ち着いてくれ、アマネ。

君の言葉に真摯に向かい合えなかったことは謝ろう。だが頼む、落ち着いてくれ。それではボクは何も納得できない。落ち着いて、そして話をしよう」


彼女の震えるような優しい声にアマネは我にかえる。知らず知らずのうちに自分は彼女の肩をかなり強く掴んでしまっていたらしい。


慌ててその手を離し「ごめん」と頭を下げる。自分で思っている以上にこの話題は口に出せば出すほどに、考えれば考えるほどに自分の理性すらも蝕んでいくような感じがする。


ルーシーは目を閉じ深く息を吸い込んで静かにアマネと向き合った。


「落ち着いたようで何よりだ。さて、では話の続きをしよう」


ルーシーは出会った時と同じようにガラス玉を転がすような涼やかな声で優しく問いかける。


機嫌はもうすっかり治った、というよりは先ほどのことで毒気が抜けてしまっただけのようにも思える。


人懐こい笑みを浮かべて彼女はアマネを責めることなくこちらを見ている。その優しさに思わず心を許してしまいそうになる自分に喝を入れながら改めてルーシーを見据えてアマネは喋り始める。


「いつの頃からだったかははっきりしない。でも、そんな大昔の話でもないと思う。多分、中学の後半から高1の初めくらいだったんじゃないかな。

経緯は……もう忘れちゃったけど、ある時俺は思ったんだ。

俺が生きてる意味って何だろうって。そこから俺が生きてる理由は何だろう、俺が生きてる価値って何だろうって芋づる式に疑問が湧いてきた。それが始まりだ」


ある時アマネは自分がこの世界に生きていて何か意味があるのかとふと考えてしまった。

多分自分の限界とか、個人にできる範疇とか、社会の遣る瀬無さとか、発端はそんなことだったと思う。


自分が生きていて誰か救われるのか、誰か幸せになるのか、何かが変えられるのか。

自分の生に意味はあるのかと。自分には誰も救えないのに、誰も幸せに出来ないのに、何を変えられる訳でもないのになぜ生きているのだろうと。


こうも考えた。この世界は苦しみに満ちている。

それは二千年以上前から仏教でもキリスト教でも言われていることだ。多くの宗教は苦しみに満ちたこの世界ではなく死後の世界でこそ救われるために現世では徳を積もうと人々に説いて信仰を勝ち取ってきた。


つまり、この世界が苦しみに満ちているのは人類の歴史が認めた共通認識といえる。

もちろんアマネもその例に漏れず彼は体験を以ってその説を正しいものと考えていた。


楽しいこと、嬉しいことはもちろんあった、それを否定するつもりはない。

だが、人生はそれを覆い尽くし、黒く染めるだけの苦痛に満ちていた。

そんな苦しみが続くだけの世界で何故自分は生きているのだろう。

苦しみながらも、そこで懸命に生きる自分が誰かの役に立てているならそれもありだろう。

だが、それすらないのなら、意味もなく襲い来る苦しみをただ甘受するしかない人生なら、本当にそんな苦行を続ける理由はあるのかと。


それ以前に人間は生きているだけで周りに害をもたらす。

犯罪や自然破壊も顕著な例だが、そうでなくても人間は他者を蹴落としそれを糧に生きている。

つまり生存するだけ犠牲が増えていくということだ。

そうであるならば、生きる意味も理由も見出せずに生きているのならば、自分に生きている価値などないのではないかと。

生きているだけでも悪なのではないかと。


死ぬことで起きる損害は何もなく、死ぬことで世界を害することもなくなる。そして死ぬことで自分も苦しさから解放されるなら、それは最適解なのではないだろうか。

生きる意味も、生きる理由も、生きる価値も見失ったーーそもそもそんなものはないのかもしれないがーーそれらがただの幻想だと知ってしまった自分は死を選び消えてしまうべきなのではないだろうか。


「そう考えれば自殺に至るのは当然の帰結だと思わないか?」


自分の考えを、狂気的なまでのその理性からの結論を、アマネは淡々と、つとめて冷静に悪魔に語り聞かせる。


「ーーその考え自体を消すことだってできるかもしれないよ?」


「それはダメ。確かにそれをすれば俺はこの考えに至ることなく平穏に生きていくかもしれない。

でも、今この場にいる俺は、生きているべきでないと判断した自分が生きている未来を許容できない。だからその提案は受け入れられない」


「ーーーそれが、君の言う生への失望……かぁ」


ルーシーは空を仰ぎ降り注ぐ午後の太陽の光に手をかざす。アマネはそんな彼女の様子に肩をすくめながら小さく自嘲的に笑う。


「頭のおかしいイタイ奴だなって思った?

まぁ、きっと自分でも同じような奴が目の前にいたらそう思うかもだけどね」


「いや、恐ろしく理論的だ。理論的過ぎて客観的過ぎて、自分の生命に関する懸案に対して本能と主観に一切付け入る隙を与えないかのような思考だ。

だが、それ故にボクは君を恐ろしく思う。

正直ボクとしてもおかしいとは思っていたんだ、君は余りにも自殺前の人間としては余裕があり過ぎる。

自殺前の人間はどうあれ悲観的で絶望的な表情を浮かべるものだ。

それなのに君はそんなそぶりを見せやしない。

さっき激昂してたのも、さしずめボクの態度に自分の導き出した文字通り命をかけた答えを侮辱されたと感じたからだろう?

それはまた、彼らの見せる悲観や絶望とは少しばかり別の次元のものだ。むしろ君は先ほどまでのボクとの会話で饒舌すぎるくらいだった。

だが、それも君が自らの死を単なるタスクとして理解していることを踏まえればおかしなことでもない」


「タスク、か。端的だが的を射ているかもね。

俺は生きていても誰の役にも立てないなら、害を撒き散らす前に消え、あわよくば自分も苦しみからも解放されるっていう仕事(タスク)をただ淡々と、ある意味事務的に消化しようとしているだけなのかもしれないな」


そう言ってアマネは静かに笑う。

そう、彼は別に狼狽しながら死を選ぶのでも、生きることを諦めて死を選ぶのでもないのだ。


ただそれが正しいと、冷徹な理論で導き出したから死を選ぶのだ。狂ったように正気。


例えその理論を導き出す人間がいたとしても、それをそのまま実行する人間などいるはずがない。


それを考えるのなら彼はやはり狂っているのだろう。

人間が、いやあらゆる生命体が何より大切にし、何をおいても中心に考えるべきものであるはずの自分自身の命を、彼はその他のものと同列に扱っているのだ。そんなのは生き物として破綻している。


目を伏せ悲しげな光を宿しながらルーシーはかぶりを振る。そんな彼女を見ながらアマネは淡々と彼女に問いかける。


「ここで、俺の願いに戻ろうか。

俺はここで死んでここで終わりたい。だけど、どうにも死のうとした時に足が震えて最期の一歩が踏み出せなかったんだ。

本能って奴なのかな。なまじ追い詰められてないから本能が死を拒絶してるのかもしれない。

だけど俺は死ぬべきだと確信していて、死ぬことを望んでいる。

だから俺は、君に俺を殺して欲しいんだ、ルーシー」


アマネの言葉にルーシーは答えない。


だがそれが無視しているわけではないことはアマネにも分かる。彼女は考え込んでいるのだ。何を考えているのかは分からない。


アマネの願いを叶えるかどうかだろうか、だとすればそれに先立つ対価のことを考えているかもしれない。

それとも既にアマネをどうやって殺すかを考えているのかもしれない。


悪魔に対してこれだけ失礼な口を叩きまくったのだ細切れの肉片にされても文句は言えないだろう。それともーー


「うん、決めたよ。アマネ」


そう言って一人頷くルーシー。決断したのだ彼女は。

静かに右手を差し出し目を閉じるルーシー。


彼女の掌中の空間から不意に青白い炎が現れ横一線に燃え広がる。

その炎が霧散するように消えた後、彼女の手には細身の剣が握られていた。


細やかな銀細工の装飾が施された鞘は剣に興味のない人間でも思わず息を呑むほどに美しい。

ルーシーはその鞘から刀身を抜き、ピッとアマネの目の前に刺し出す。


———この剣が自分の命を奪うのか、そう悟ってアマネは目を閉じる。刃が首筋に撫でるように当てられている感覚。

薄く白い皮膚を静かに切り裂き、毛細血管に刃が達し微かに血がゆっくりと流れ出ているのを感じる。

これが頸動脈に達せばすぐに自分の意識は搔き消え苦しみなく死ねるのだろう。

目の前の悪魔の優しさに感謝し、僅かに頬を緩ませる。


しかし次の瞬間、ルーシーはその刃を彼の首筋からそっと外した。


予想外の行動にアマネは思わず目を見開く。


その瞬間彼は見てしまった。目の前の悪魔の顔がこれ以上なく美しく、それでいてひどく恐ろしい喜色に歪んでいることを。


「決めたよアマネ。ボクは君を死なせない」


「———は……え?な、何をーーー」


「対価をもって人の願いを外法で叶えるのが悪魔だとボクは説明したね。

でもね、それだけなら神様だって生贄だとか信仰という対価をもとに奇跡というある種の外法をもって願いを叶える。ボクらと変わらない存在だ。

じゃあ、何故ボクらは『悪魔』なんて呼ばれるのか? 考えてご覧よアマネ」


ルーシーはそう言って笑いながら剣の切っ先を二人の足元に向ける。刀身を伝いアマネの首筋から流れ出た血がぽたりぽたりと床に落ちていく。


「ーー『此処に開くは異形の門、賓を引きずり招く傲慢の門。いざや開け神聖にして魔性の門。

与えられた権能を我が諱のもとに振るおう。

その腕は世界の壁をも引き裂き私と賓を攫うだろう。開け開け異界の門、開け開け遺物の門』」


彼女が言葉を紡ぐにつれて、屋上の床に落ちた血は物理法則ではありえない動きで広がっていく。

それは唐草の蔓が伸び行くように手を伸ばし、ルーシーとアマネを囲むような巨大な紋様が紡がれる。

そしてその血は僅かに、でも確実に、神秘的でそれでいて禍々しい赤い光を放ち始めた。


彼女の言葉が進むにつれて紋様は光を増す。

突然の出来事にアマネは目を見開きルーシーに駆け寄ろうとする。


しかしその禍々しい紫の瞳の輝きに射止められその足は彼の意思とは裏腹に彼女への抵抗を止めてしまう。


動かない足に代わり、アマネは絞り出すように目の前の悪魔に非難と疑問の声を投げかける。


「ーールーシー、君は……何を?」


「質問に質問で返すなんて悪い子だなぁ君は。まぁこの状況でそれを咎めるのも酷な話か。

じゃあ答えをあげるよクロサワ・アマネ。何故ボクらが『悪魔』なんて呼ばれるのか。答えは簡単だ」


そこで言葉を切ってルーシーは血の光に照らされながら邪気のない満面の笑みを浮かべる。


それがあまりにも美しくて、アマネの全身の血液が凍りついたように硬直する。


ふと思い出すのはギリシャ神話のゴルゴーンの逸話。見たものを石に変えるという彼女の能力は一説にはその容貌があまりにも醜い顔をしていたために見たものの血液を凍りつかせるほどの恐怖を与えたのだという話。


しかし、彼は知ってしまった。人は美しさに対しても血が凍るほどの恐怖を覚えるのだと。

いまや彼は四肢はもとより思考すらも石になったように硬直している。


光が極大になり、もはや手の先すらはっきりと見えない。

意識が遠のく。

自分は死ぬのか? だがこれは死に至るそれではないという確信が自分の中にある。


彼女は何を企んでいるのだ。

自分はどうなるんだ。

これから何が起こるんだ。


目まぐるしく彼の頭の中では様々な疑問が噴出していく。しかし答えが出ることはない。世界に融けていくかのように自分の存在すらも曖昧になっていく。消えゆく意識の最後に悪魔が笑ってこう言った。


「ボクらは『悪意』の権化だからさ」


アマネの意識は消失した。




※ ※ ※




鳥の声が聞こえる。


頬を撫でる風は暖かく、土と草の強い香りが鼻腔をくすぐる。目蓋をうっすらと開けると強烈な日の光が彼の網膜を刺激し視界が白く染まる。その光が強すぎて思わず強く目を閉じた。


自分はどうなったのか、何をしているのか。背中に当たる柔らかく温かい感触を感じながらアマネはそんな疑問を頭に巡らす。


「ーーーここは?」


アマネは頭を掻き、髪に絡まった草の葉を払いながら起き上がる。

視界に広がるのは見渡す限りの大自然。


風に揺れる草原、少し離れたところにはさらさらと葉のかすれる音を立てる木々の生い茂る森、はるか遠方には薄絹のような雲を纏い高く聳える連峰が見える。


「やぁ、目が覚めたかい、アマネ」


玲瓏な声が快活にアマネの鼓膜を揺らす。背後からだ。

寝起きの気だるい体を引きずるようにしながら背後の大木を見上げる。


青々とした葉がさらさらと風に揺られて音を立てる大樹の枝の上に、白い女性が手を振って笑っていた。女性はその場からいたずらっぽい視線を投げかけながら言葉を紡ぐ。


「とりあえず状況の説明はいるかな?」


「うん、お願いしたいところだ。とりあえず君がいるからには天国じゃあないってことは確かだよな?ルーシー」


「あはは、そりゃあそうだ。まぁ地獄って可能性もあるかもだけどね」


「こんなのどかなところを地獄とは言わない」


「まぁね」と言って笑いながらルーシーは枝からひらりと降り立ち、胡座をかいて座っているアマネの横に足を投げ出して座り込む。


アマネは少し嫌そうな視線を送ってみたが彼女はどこ吹く風と気にすることもなく、くつろぎ始める。


特に話を続けるでもなく鼻歌を歌いながら笑っている彼女にしびれを切らしアマネは努めて不機嫌そうに問いを投げる。


「それで? ここはどこなんだ? 少なくとも俺のいた街じゃないだろ。まずそもそも日本か? あんな山見たことない。ヨーロッパ? アメリカ? オーストラリア?」


「うーん、残念。あえていうならここは異世界だよ」


「イセカイ? 伊勢の海? 伊勢湾のことか? いや、でも海は見えないしなぁ。それともイセカイなんて国あったっけ?」


「いやいやいや、分かってるでしょ流石に! 伊勢湾だったらちゃんとボクだって伊勢湾だって言うし、そもそもイセカイなんてややこしい国名あったらそんなん話題沸騰、超有名だよ」


それもそうか。

たとえ地域名とか都市名だったとしてもそんなややこしい名前があればそう言うところはやたら有名になってしまう。

「ん」から始まると言うだけで異様なまでに日本では「ンジャメナ」の知名度が高いのと同じだ。

アマネも小学校の頃友人がそれを言い訳にしりとりの続行を迫って来たことがある。

突っぱねたが。


それはさておいて、イセカイと彼女は言った。それが伊勢神宮を臨む「伊勢海」でも指定暴力団丸々組系「伊勢会」でもないとするならその意味はーー


「正真正銘、アナザーワールドな異世界ってことかーーー」


「そういうことさ」


絶句。


正直目の前に悪魔が現れた後だから割合インパクトは薄いが。疑問はいくらでも噴出する。


どうやって自分はここに来たのか。

この世界に人はいるのか。

いるとしたらどのくらいの文明度なのか。

科学は発達しているのか

それとも魔法的なサムシングが発達しちゃってる感じなのか。


疑問は尽きない、尽きないがーーー

何より第一に目の前の悪魔に問うべきことがある。


「おいルーシー」


「何かなアマネ」


すぅと息を吸い込んで胸の中で暴れ回る感情の数々を一旦鎮め、そしてそれを一気に解き放つように口を開く。


「ーーーお前ホントに何してくれちゃってんのかなァ!?」


「あはは、アマネってば顔こわーい。その怖さ、悪魔が太鼓判押したげるよ」


「ふざけてないで説明してもらえませんですかねぇ!?」


笑うルーシーに怒鳴るアマネ。

最早嘆くようにアマネが必死で怒鳴れば怒鳴るほどにルーシーは笑い転げる。


ここ数年で最大級に怒鳴り散らしたアマネは肩で息をしながら地面に手をつく。


散々笑い転げてようやく満足したのかルーシーはお腹を抑えて涙を指でぬぐいながら一息つく。

そして、アマネに向かって言った。とても無邪気で、それなのに嗜虐の喜びに満ちた顔で。


「嫌がらせ、だよ。アマネ」


単純明快、五音の言葉でその意図を伝えられたアマネは酷使しすぎた喉から血が出るのではないかと言うくらいに再び頭を抱えて絶叫する。


この日、一人の少年が異世界に誘拐された。

うっかり言い忘れてました。明けましておめでとうございます。

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