第8話 歪ノ悔恨ト郷愁
「まずは近う寄らんか」
ほれほれと、手招きをしてくる男。
その手を収める袋は、俺が見たことないレザーのようだ。
素早くリアと視線を交わす。彼女も男を信用していないようだ。
どこからどう見ても、この男は怪しい。
本来なら人が住んでいないはずの宮杜の奥地にいる上に、どう見ても地元の人間には見えない。
それに、男のたたずまいは無気力に見えて全く隙が無い。
武器は持って無さそうだが、要注意した方がいいだろう。
「……その前に、アンタ誰?」
「吾はビルデじゃ」
予想に反して簡単に名乗った。
ビルデと名乗る男は不敵に笑みながら言った。
「わざわざ溜めても益はないからのぉ、これでも色々学んでいるわ。それで貴様らは何者じゃ? 見たところ剣術屋敷の者ではないか?」
「そうだけど……なんで分かった?」
「先に名乗るのが礼儀じゃろぅ」
しれっと正論を言われた。この場で一番怪しい人に正論言われた。
しかし名乗らなければ何も答えなさそうなので、こちらも一旦名乗る。
ビルデは依然として敵意を示さない。
互いに名乗り終わったことで僅かながら警戒心が薄れた俺は構えを解いた。
それを見たリアも短剣を下げる。
「ふん、賢明な判断じゃな。貴様ら程度なら本気でやるまでもないじゃろうが、いらぬ手間は省くに限るのでな」
「随分と余裕そうじゃん。さっきの魔物を倒すところ見てたんだろ?」
「はっ、あの程度の魔物を倒せて誇るでないわ。元々アレは吾が偵察用に放ったものじゃからな」
「……魔物を放った?」
リアの呟きに俺はまたすぐに構えなおした。
通常、人間が魔物を使役することは無理なはず。というか聞いたことない。
なのに、目の前の男は今まさに「魔物を放った」と言った。
間違いなく普通ではなさそうだ。
もしや、この男が――――
「宮杜の主……?」
「はあっ?」
ビルデが露骨に「何言ってるんだコイツ」と言いたげな顔をしてくる。
だが、もし宮杜の主が村ひとつ消したのなら、魔物を操るくらいの能力はあっても不思議じゃない。
寧ろ、それくらいの力を持っていなければ説明がつかない。
それに、人間の姿をした魔物なら村の人々に紛れることも不可能ではないだろう。
あと、古臭い喋り方がなんか魔物っぽい。
考えれば考えるほど、目の前の男が怪しく見えてきた。
「なんじゃ主とは……そもそも吾が宮杜に来たのはつい最近じゃ! 主などと呼ばれる理由はないわ!」
「魔物を放ったということは操れるんでしょう? それはどう説明するんですか」
「それは吾がマノ……ああとにかく面倒じゃ! 吾は魔物を操る不思議な男、それでいいじゃろぅ!!」
「「よくないよ」」
思わずふたり同時に言った。
ビルデは頭をかきむしりながら踵を返す。
「おい、まだ話はっ」
「知るか。そもそも吾にはやることがある。貴様らに割く暇はないわ。ついてくるなら好きにせよ」
「ついていくのは許してくれるんですね」
リアの言葉に反応せずにそのまま来た道を戻っていくビルデ。
どうするかと一瞬リアと視線を交わしたが、そのままついていくことにした。
・・・・・・
家屋が並ぶ道を抜けると、大きく開けた空き地に出た。
昔はここで集会をしたり祭りを行ったのだろうか、中心に大きな焦げ跡があり、その周囲を座れるように丸太が置かれている。
「ここは……?」
「吾にとっての郷愁の場、と言えばいいかのぅ」
ビルデはそう言うと、丸太のひとつに腰を下ろした。
「ここでは大きな祭祀が行われておった。親切な人間達が新参の吾に言い伝えやら伝統やら語ってくれた。それから……あぁ、ここが惨劇の場となったのじゃ」
「……! あの、ビルデさん。それって8年前の宮杜祭祀襲撃事件のことじゃ……?」
「アンタ、ここにいたのか!? まさか……」
「冗談でもその先は口にするな。彼らは人間と関わったことがなかった吾にとても友好的に接してくれた。守りたいと思うことはあっても滅したいと考えるはずがなかろぅ」
その時のビルデの眼は俺では想像もできないような後悔で揺れていた。
その眼だけで、彼は本当にこの村の人々を守ろうとしてできなかったんだと分かった。
「…………ごめん」
「いや、よい。実際に守れなかったのも事実じゃ。吾はその場にいながら何もできなかった。大切な親友すら救えなかった。すべて吾の過ちじゃ。久しぶりにここに来たが、この記憶はいつまでも色あせてはくれぬ」
「もし襲撃事件がビルデさんの犯行ではないのなら、どうしてビルデさんは生き延びたんですか?」
「吾は特異な存在故な。この場に繋がれただけで事は終わった。あれ以来しばらくは人間との関りは久しく絶っておった。……それも半年前に終わったがのぅ」
俺は中央の焦げ跡を見つめた。
8年前の襲撃事件の時、ここで祭りがあった。きっとここで火を起こしたのだろう。
それを囲みながら、村人は踊ったり祈ったりしていたに違いない。
ビルデのような得体の知れない男が心を許すような優しい人たちが、一夜にして消えた。
その現場を目撃したビルデは、どれだけ辛かったのだろう。
「さて、貴様らは何故ここにいるのじゃ? 剣術屋敷の者には会ったことはあるが、師公がいないというのにこの宮杜の奥地に何故存在している?」
「私達は屋敷の講技の一環で野外での魔物討伐訓練をしているんです」
リアがチラリと俺を見たが無視する。
今はそこは重要じゃないと思う。
「なるほどのぅ、それで貴様らは他の者より強者故にこの奥地まで来てしまったと。そういうことじゃな」
「今の一言でそこまで理解できたの。すげぇ」
「それは吾じゃからなっ」
何故だか胸を張って言い切られた。
「なるほどのぅ。しかし貴様らを見てると懐かしい顔を思い出すのぅ……気に入った。貴様らがどれだけ強いのか、改めて見せてもらうとしようかのぅ」
ビルデは突然立ち上がるとバンッと手を合わせた。
そして、レザーの手袋を着けた手で目の前の空間を思い切り殴りつけた。
唖然としていた俺とリアだったが、すぐに違和感に気づいた。
ビルデが殴ったのは空気のはずなのに、まるでガラスを殴ったような音が響いたのだ。
「帰ってきた時から薄々感じてはおったが、干渉してこないのであれば捨て置いても構わぬと思っておった。だがやはり目障りじゃ。吾があぶり出してくれる」
目の前に割れ目が広がった。それは瞬く間に細かくひびを入れ始め、やがてビルデの拳を中心に渦を作っていく。
「これが、違和感の正体よ」
渦が消えると、目の前には広場の向こうに切り立った断崖が現れていた。
枯れ始めのような薄い緑を残した木々が道を囲み、その最奥地には祀られているかのように地面が円形に盛り上がっている。
そこにはまさに純白の山犬が眠っていた。遠くからでも分かるくらいの巨大さと荘厳さに思わず息を呑む。
「あれが……宮杜の主?」
ビルデはやはり不敵な笑みを崩さない。
頬から汗が滴るのがやけに敏感に感じる。
リアの呼吸が詰まるのが感じる。
そして、宮杜の主は結界を破った進入者を歓迎するかのように
眼を開いた。