私思った、死にたいのかなって
フランとミシェルはそっと扉を閉めた。
2人顔を見合わせ頷き合う。
彼らはそのままゆっくりと、しかし足早にその場から去っていった。
「こらこら、どこにいくんだい」
しかしケイトに首根っこを掴まれ阻まれた。
ケイトの顔はいつもと変わらないにこやかな笑顔であった、そこにはデカデカと「君たちの管轄だよ」と書かれていた。
「無理です」
「正直言って、怖いです」
「先生だって顔引き攣ってますよ」
「素直に言ってみてください、あれの相手、嫌でしょ?逃げましょ?俺たちだけなら無理でも先生が一緒なら大丈夫ですよ」
甘い言葉で唆す、しかし残念ながら大きな音を立てて扉が開かれた。
今まで見たこともない死にかけた顔をしたテユは、フランとミシェルをみて地獄に仏と光を初めて見た人間のような顔をした。
その後ろ、学長室は先日の姿は跡形もなく嵐でも通り過ぎたかのような荒らされようで、表情が抜け落ちたアイリスと倒れ伏したジェット、テユと同じ顔をしたエイトと植木鉢に刺さったロメルスがいた。
話は数分前に遡る。
エイトはグラスフィール学園の学長室を訪れていた。
用件は親善試合の打ち合わせだった。
本来ならばグランツ学院の副学長でもあるモリンシもここにいるべきだが、打ち合わせといってもその本件は帝国の動きの報告を受けるためだった。
この日、エイトがやってきていたことこそグラスフィール学園の幸福だった。
学園に貼られた結界を通じ背筋が凍るほどの魔法を感じ取ったエイトはその出所を探り、魂が抜け出す心地だった。
エイトも見たことのない、すとんと表情を落とし膨大な魔法を展開しているアイリスがそこにいたからだ。
空気を伝った殺意的な魔法に気がついたケイトとジェットも、エイトを通じそれを“視て”頭を抱えた。
彼らが急速に取った行動はまず留学生とフラン、ミシェルの仲介にケイトを向かわせること、そして最重要タスクはアイリスをこの場から離れさせ魔法を抑えることである。
作戦は計3段階。
いち、アイリスに声をかけて一瞬の油断のうちに空間転移魔法をかける。
に、空間転移の移動先は学長室に指定し、座標をぐるりと囲う形で事前に強制解除的封魔結界の事前詠唱を全て完了した状態にしておく。
さん、アイリスが転移してきたその瞬間に結界を起動、大量に展開している魔法陣の全てを破棄。
そして作戦は開始された。
「はーい、そこまでー」
思いもよらない、そして一切敵意を感じる必要のないエイトの声。
アイリスは隙があるようですきのない少女だ、しかしそれが災いし言い方は悪くなってしまうが当たっても問題ないものには回避行動が追いつかない場合が多い。
即死級やそれに近い効果がつけられたものは無意識外からでも避けられるが、そうでなければするりと当たってしまう。
必死に止めるテユとともに、ぱちんと姿が消えて視界が変わる。
「ロメルス、結界は最大強化しろ。強制解除的封魔結界、発動!」
コンマ1秒すら許さずに、アイリスの魔法の全てを破壊する。
そも、強制解除的封魔結界とは魔法陣に小さな小さなラグを発生させる結界魔法である。
例えどれほど強力な魔法であろうとも、ほんの少し、小さな不具合ひとつで発動できなくなる。
精密機械が僅かな電磁波で壊れてしまう現象のようなものだ。
しかし、それと同時に発動される魔法そのものが強力であればあるほど、その術者の魔法制御が線密であればあるほどそのラグへの抵抗力を兼ね備えている。
結界の強度自体が脆ければ、ラグを生み出すよりも前に結界自体が瓦解し魔法を解除するどころではない、ということ。
アイリスの理性はいっとき、ぶちとんでいる。
エイトの結界は決して脆くない、更にロメルスによる強化も施されている。
トーリスやユリウスのそれを、事前に用意し固めたとはいえ弾いた結界は、しかし一瞬のうちにばちりとヒビが入った。
「うそぉ」
空間をねじ切るような穴、硝子を破るように簡単に、結界は瓦解した。
結界の中に閉じ込められていた全ては外に出て、アイリスを中心とした歪んだ衝撃は嵐のように学長室内を吹き荒らす。
アイリスの表情はすとんと落ちて、強力な魔法をせにゆぅりりと、光の入らない青い瞳がエイトを捉えた。
(あいつ、まだぶっ飛んでやがるのか?本気でキレると、あぁなるのか、あーやっべ、無理だなこれ)
「…………えーくん?」
しばらくの沈黙の後、ぱちくりと瞬きをした一瞬でアイリスの瞳はいつもの、空を映した海色となり落ちた表情は彩を取り戻した。
そして、今に至る。
「おいで、“片付け上手の兵隊”」
練り上げらた魔力からぽん、ぽん、ぽぽん、弾けた音と共にマーチングバンドの姿をした人形兵隊が十数隊現れて、ガシャンガシャと音を立てて動き始める。
人形兵隊たちはひとりでに動いてめちゃくちゃに荒らされた学長室に散乱した家具などを軽々と持ち上げては元に直していく。
しかし室内にはその、兵隊たちの動く音と家具がなおされる音だけが響くばかりでそれ以外は一切の静寂に襲われていた。
いつもならば花が綻ぶような笑顔でふにゃふにゃと話を広げるアイリスが、すとんと表情を落として黙りこくっているからだ。
萎縮した様相でこそりとテユがフランに耳打ちする。
「な、なぁ俺帰っていいか?なんで王子がこんなとこにいるんだよ…!」
「アイリスがアイリスだからっすよ先輩」
「あ帰るんなら俺も連れてってくださいね」
「アイリス」
ここで、エイトが動いた。
「…お前は、何がそんなに腹が立った?確かにあれらの口にしたことは耳にも入れたくない醜悪な悪意が込められていた。だが最初こそ、お前はそれでも耐えていただろう」
「………思うんだけどね、えーくん」
エイトの問いかけに、アイリスはぽそりと言葉をつなげていく。
「私は、まず、友人への罵詈雑言は許したくない。それでも、大きな問題を起こして逆に迷惑を巻き散らかしたいわけでもない。だからね、まぁ、我慢しようかなって思った。そうせ親善試合があるから、そこでやればいいかなっても思った」
「あぁ」
「けどね、思ったの」
親善試合で“やれば”いいかな、のその漢字変換はあえて伏せておく。
アイリスはなんてことない事を話すかのように、ただ当然の事実として口にした。
「たかが生まれ持っただけの個性を侮辱するような、周りが言っていたからという確固とした意思も持たないような若造が、私の仲間を侮辱したの、生まれた事を罪だと言ったの。それって、私に取って喧嘩を売っているんだよ、そんな意味を込めてなくても、確かに私に喧嘩を売ったの。だからね、思ったの。……あぁこいつら、死にたいのかなって」
部屋の温度が10度は下がった心地がした、と、後にテユは語る。
未だなお苛立ちを溜め込んでいたアイリスの目は一切嘘偽りも冗談も含んでいなかった。
眉間を抑えて深く深く息を吐いたエイトは、わかった、と頷く。
「…その怒りを抱くのは、最もだ。俺も途中から聞いたがあれは不愉快極まりない、例え子供であろうとも、言葉には責任を持つべきだ。けどな。」
遠い遠い目をしたエイトは散乱した、とはいってもアイリスの創造魔法によって生み出された修理部隊によって既に元の形を取り戻しつつある部屋をびしりと指差し、叫んだ。
「やりすぎだ!!最後に発動させてた魔法に関しては、学園ごと捻り飛ばすようなものだっただろう!!」
あぁそれは、確かにもっともだと、だんまりを維持していたフランたち3人は大きく頷いた。




