“ツヴィリング” 2
「…は?」
「…え?」
一瞬、何を言われたのかわからず呆けた声をあげた双子にアイリスはむっつりと顰めた顔で指をびしりとむけた。
その外見から誤解されやすいが、アイリスは自分勝手で気まぐれで好奇心旺盛でお人好しでもあるけれど、聖人でもなければお優しい性質でもない。
善人か悪人かと問われれば善人に見えるだけの自由人、人助けだって趣味じゃない。
目の前で死にそうになっていれば助けるかもしれないがただそれだけ、命は奪うのも救うのも責任が伴うことをよぅく知っている。
遠いところに手は伸びないし、自分の大切なものが何より大切だ。
残念ながらアイリスは、助けなんていらないと言う人に、それでも助けるよなんて言ってあげるヒロインじゃない。
ただ自分勝手に楽しいことのためだけに生きるだけ、助けるんじゃなくて一緒に歩くくらいしか出来ない、なにせアイリスはアヤメの頃からずっと、勇者でも女神でも聖人でもないただの”旅人“なのだから。
だからこれは、そう、言ってしまえばただの文句みたいなもの。
「私は別に、先輩が学園辞めようと、何しようと、ぶっちゃけ勝手にしてくださいなんですよ。自分の人生なんて自分でしか責任取れませんし、個人の自由ってやつですし。けど、でも、あぁ気に食わない!その目!」
きょととあっけに取られてばかりで、言い返すこともできない双子の瞳を行儀が悪いとわかりながらも指差した。
沈んだ表情、光を閉じ込めた瞳、どうしたって届かないものに手を伸ばすことすらしないくせに未練じみた感情だけは多分に含んだばかりのその”目“。
「決めたことだって差し出された手も全部撥ね付けるくらいなら、その目はやめてください。諦めて、後悔して、口を閉ざして手は下がったまま、そのくせに未練じみた、救ってくれって期待したみたいな目で気にするなとか矛盾しまくってるんですよ」
オブラートに包むこともせず、ずばりと言い切ったアイリスに驚いたのはフランとミシェルもだった。
なにせアイリスは非日常が日常の箱入りじみた自由人で、けれどお人好しだ。
言い過ぎだと言わないあたり、同じ心情を抱いていたのだけれどそれをずっばり言い切ったことに驚いたのだ。
不幸自慢とまでは言わないけれど、悲しみも諦めも後悔もべったりと張り付けた顔で言われた「大丈夫」なんて言葉が何より大丈夫じゃないことを知っている。
(彩芽がそうだったから、知ってる)
少しだけ彩芽と重ねてしまったことは許してほしかった。
残念ながら彩芽には大丈夫と虚勢を張る相手もいなかったし、幸運にも彩芽はアヤメとなり、そうして意図せず救われてしまったからこそ諦めずに済んだのだけれど。
けれど、だから知っている。
例えそれがわざとじゃなくても、少しだけ。
「それは、卑怯です。助けてとすら言わないくせに、助けてほしいと縋るのは、とても、卑怯だ」
「……お、お前に何が」
「……お前に何がわかるんだよ……!」
解る、という言葉は少し違った。
ただ知っていただけ。
口にしなければ誰も何もわからない。
わかってくれと言うのは卑怯で狡い、それは”わからなかった“相手にへと責任を押し付ける行為だ。
偶然でも「たすけて」と口にした彩芽はマーリンに救われたように、あの湖の上、何もできずただ震えていただけならマーリンは気づかなかったし気付いたところで放置していたかもしれない。
湖の上に立っているだけの彩芽が、助けを求めているだなんて、客観的からすればわからないのだから。
助けてと口にするのはとても難しくて怖いことだ、口にしたところで助けの手が差し出されるとも叶わない。
けれど、そう口にしなければほんのひと握りにしか与えられない奇跡を待つしかできないのも、紛れもない事実なのだ。
言葉を紡ぐのは、それは、想像することと同じくらい生き物に与えられた誰からも制限されることなどできない責任の伴う自由なことだ。
「分かるわけないじゃないですか、ただですね、私は諦めきれないのに諦めて期待だけは詰め込んだみたいな顔が“気にくわない”んです」
「っ!なん、だと……!僕らは、別に、諦めてるとかそんな……!」
「だって、それ、以外……どうす、ればいいっていうんだよ!!」
「諦めなきゃ、なんでも叶うなんて、綺麗事でもいうつもりかよ!!」
「諦めなきゃならないときだってこの世にはいっぱい……!」
「あーもう!うるさーい!」
子供の癇癪だ、どちらが?どちらも。
相手の言い分ばかり聞いてやる必要がどこにある?
アイリスはどんな言い分だって一先ずは受け入れる、受け入れて、噛み砕いて、呑み込みやすくして考える。
それが自分が受け入れられないものなら吐き出すけれど、だからって直接それを相手に言う必要はないと思うし、多種多様の十人十色が当然なのだから受け入れ難い思考だってあるだろうとも。
でもそれに対して、意見を求められれば曲げずにいってやるとも、私はそれは気に食わないなぁって。
「諦めなくても叶わないことだってあるし、どうしようもないことだってこの世にはいっぱいある!諦めきれないことだって、当然、いっぱい!でもね、大丈夫だって自分の中で押さえ込む事にしたんなら立ち尽くして誰かに歩かせて貰いたいって顔するな!それが、すっっっごく、気に食わない!」
敬語が外れてついでにアイリスの堰も外れた。
ツヴァイン双子の目が丸くなって言葉が途切れたのをいいことに、一応気を使っていたのか抑えたいた言葉がどんどんと口から放たれる。
不幸とは恐ろしいことに、視野を狭める。
世界中全てが自分の敵と思えて、自分が1番不幸だと思えてしまう。
思うことは自由だし、不幸は不幸、他人からすればそれくらいと思われるようなそれでも本人からすれば自分の人生に刃を突きつけられたみたいな恐ろしさを抱かせる。
助けてのたった四文字は、とても言い出しづらくて恐ろしいから、言えなくなる。
だからこそ、理解を求めることも、解決をねだることも、助けてくれないことに憤慨するのも、それは周りに全て責任を押し付ける。
「何がわかるんだって理解を求めて、どうすりゃよかったのって解決をねだって、諦めきれないのも大丈夫って言い切るんならもっと上手にかくせ!もったいぶってなんにも言わないまま、肝心なことは言わずじまいで中途半端ばっかり!」
「おいアイリス落ち着けって、な?」
「いやさ、まぁ気持ちはわかるけど、お嬢さんとにかく音量落として、ほら、ね?」
怒っているというよりかは、前の模擬戦闘で本気を出すより前に諦めたテユに対する子供染みた癇癪、それに近い感情が渦巻いているらしく頬を大きく膨らませる。
要は、アイリスがただただ気に入らないだけの文句なのだけれど。
2回目ともなると若干慣れたらしいフランとミシェルがどうどうと宥める。
「そりゃあ、どうにもならないことだってこの世にはいっぱいあるし諦めなければ叶うなんて詭弁で綺麗事だよ。助けを求めたってカミサマは不平等だから。でも、何にもしない奴を助けてくれるほど世界は聖人だらけじゃない。ねぇ先輩、諦めきれないなら、残った手全部使い切ってから諦めましょうよ」
最後、口調を柔らかくして言ったアイリスに双子は互いの顔を見合わせながらたどたどしく言葉をつなげる。
「だ、って、うまくいくか、なんて」
「もっと、悪い方に行ったら」
「たらればで勝手にまだ来てもない未来も後悔するのって、10年後くらいにもっと後悔するからおすすめしないなぁ。あの時あぁしてればの後悔は打開策もなんにもない分いつまでたってもどうしようもなくなる。そもそももっと悪い方にって、どうせ今のままじゃそのまま、学園を辞めることには変わらない」
双子が諦めたくても諦められないのは、学園を辞めることだ。
悪い方へ行ったらと足踏みしている間に時間は過ぎて、そうして何にも出来ずに学園を辞めることになる。
「勿論さ、あの時あぁしなければよかったって思わないことがないわけじゃないよ。けど私は、しなかった事に後悔はしたくない。だからこれは私が勝手に文句を言ってるだけだけど…自分がやりたいことがあるなら、どうしたって諦められないなら、やりたいようにやればいい。助けてって叫べる聲があるんだから。何にもせずにどうせ、なんて言うのはちょっと早くない?」
「……ど、ういう理論だよ……」
「いみ、わかんないよ……」
反論もできず俯いた双子にアイリスは自信満々の少しだけいたずらっ子のような顔で笑った。
これは残念ながら先人からのアドバイスだ。
ずるずると転職もせず、数年は無駄にした。
そうして死んだ。
そうしてアヤメになった。
今にして思えばその結果を得たことは柏木彩芽にとっての最大の成果だ。
それでも、少しだけ考える。
柏木彩芽であった頃に、あぁしていれば、こうしていれば、あの時もっと何か変わったのだろうか。
それは決してもう、どうしようもできないことだ。
過去に戻りたいとは思わない、やり直したいとも思わない。
柏木彩芽としての人生よりもアヤメ・カシワギとしての人生を選ぶ、けれどそれは、今だから。
柏木彩芽が柏木彩芽として救われることはない。
昔の偉い人の言葉の引用だが、柏木彩芽の人生は「私はしなかったことにのみ後悔していた」ことばかりだ。
「諦めたくないならいっそ絶望するまであがけ!ですよ!思いつく限り出来ることなんでも手当たり次第やって数打ちゃ当たる戦法、もったいぶって手を隠してる場合ですか?」
思い出したように取ってつけた敬語で堂々と宣言してみせた。
どうなるかわからないドアの向こうが怖いのならノックだけでもいいから、引き返すことすらしないで立ち尽くすよりずっといい。
アイリスにはツヴァイン双子の事情なんてもちろん知らない、大体察してしまってはいるがその憶測があっているかなんて確認する気もない。
けれど、諦めなきゃならないけど諦めがつかない人間のその殆どは、まだしようとはしてないだけで打つ手があることを彼女は知っている、自分が、そうだったから。
本当にどうしようもなくなった人間は絶望した目をして、何にもなくなって、空虚の淵に諦めることを、彼女は知っている。
諦めきれていないなら、それなら勿体ぶる前に打てるだけ手を打ってそれでもどうにもならなきゃそこまで。
けれど、“やらなきゃよかった”よりも“やればよかった”の方がその結果が不確定な分よっぽど諦めがつかないものだから。
「どうせ諦めるならいっそやるだけやって諦めましょうよ、先輩」
自分勝手な言い分だ、だってツヴァイン双子のためを思ってなんかじゃなくて自分が気にくわないからの理由からのそれだから。
けれど、当たり前だ、自分勝手上等、彼女はずっとずっと前から自分勝手なんだから!
「……なんだよ、それぇ……」
「……おまえ、めちゃくちゃだよ……ふつー、そういうのは、さ」
「……だって、お前、気にくわないからって、理由だろ……?」
「……すっげー、自分、勝手だ、よ」
「あー、センパイ、こいつが滅茶苦茶なの今に始まったことじゃねーですよ」
「あは、いやー、流石だねぇお嬢さん」
「えっ、で、でもフランもミシェルも同じこと思わない?ほ、ほら、諦めきれてないみたいだったし」
今までが一転、オロオロしたような顔を浮かべるアイリスにツヴァイン双子はとうとう耐えきれないように破顔した。
「……ありがとうアイリス・オークランド。お前が僕らのあの時の対戦相手でよかったよ」
「……どうなるかはわからないけれど、お前のいうように、最後まで足掻いてみるよ」
「もしかしたら、諦めなきゃならなくなるかもしれないけれど」
「それでも、やればよかったってずっと後悔することは、無くなりそうだ」
ぺこんと律儀に頭を下げたツヴァイン双子はどこか清々したような顔でそのままその場を去っていった。
顔を見合わせて苦笑い、アイリスたちもその場を離れて廊下には元の静寂が戻った。
はてさて、アイリス提案のツヴァイン双子の数打ちゃ当たる戦法のその経緯やらは今回は省かせてもらうが、その結果は翌日の午後、やたらとテンション上がったツヴァイン双子に発言の撤回を申し込まれて困惑するケイトがいた、とだけ伝えておこう。




