非常識の常識人
「アイリス!おまえ、あれ、はぁ!?」
「うわぁ、なに、フラン落ち着いて!」
「あ、あれが落ち着けるか!!おま、はぁ!!?なんだよ妙に世間知らずだから心配した俺が馬鹿みてぇじゃねぇか!つーかなにあれ!!?」
思い切りアイリスの肩を掴んで勢いよくがくがくと揺らすフランの言葉は他の入学希望者や教官たちの心境そのものだった。
他の受験者たちも、アイリスの儚そうな外見や細腕に似合わない剣、貴族の令嬢が受けに来たのかと、内心侮っていた、言い方を悪くすれば受かるはずないだろうと馬鹿にすらしていた者すらいたくらいだ
しかし蓋を開ければこの始末、開いた口が閉じない。
試験官や教官たちはといえば、まさかの出来事にあたふたと、的を直したり設置し直したりと、行ったり来たりと忙しない。
増援にと急遽呼び出された他の教員たちも試験会場で粉々になった1番大きな的を見て呆然自失だ。
なにせ壊されたのは初めてだ。
小さな的ならば直ぐにかわりを用意できるのだが、1番大きな的はそうはいかない。
今までは試験のたびに平等を期すために同じ硬度に補強し直したりはしたが、完全に破壊されて代わりを、なんてなかった。
試験に使われているのは特殊な物質で作られた特別性、じゃあ代わり直ぐに用意して、なんて風にもできない。
ちょっと下世話な話をすると、用意するのが大変なのだ、こんな大きな的。
最近ではどうせ壊されないし代わりは別にいっかと、予備などない、備えあれば憂いなしとはまさしくこのことである。
他の的は直ぐに用意できる、現にそれは最初に用意されていた教官たちが既に設置し終えていた。
忙しなくしているのは、大きな的の代わりをどうしようという困惑からである。
余談だが、アイリスの次に試験を受けることになっていた受験者は軽く絶望していた。
何故って、こんなのの後に自分の番だなんて、想像したくもない。
「もしかして私何かやらかしました…?」
この台詞を言ったのはちょっとわざとだ。
前世では終ぞ使うことのなかった異世界転生にありがちな台詞だなぁなんて頭の隅っこで思った。
生憎とそのネタは通じないが。
「やらかしたどころじゃねぇよ!っていうかなんで一閃であんなに粉々にできるんだよ!魔剣かこれ!?」
「結構簡単な補強魔法だけど、一応付与はあるから扱い的には魔剣かなぁ」
「……ちょっと貸して」
どこにでも売っているようなシルバーソード、特に気にもせずはい、とアイリスから手渡されたフランは瞬間、うぐぇ!?とおかしなこえをあげた。
なにせアイリスがその細い腕で軽々と持ってみせたシルバーソードはフランが想像していたよりも何倍も重かった、というよりも剣の重さではない。
素材何使ってるんだよ、とはフランの心の叫びであった。
「おっも……!!」
別にフランが貧弱なわけじゃない、どっちかっていうと力はアイリスの方がない。
アイリスのいった通りこのシルバーソード、どこにでも売っているような外見をしているくせに付与つきで少々難儀な性質を持っていた。
ならばアイリスが重さ感じていなかったのかというとまた違う。
要するに、筋肉の使い方である。
アイリスはフランよりも力はない、握力だったり打撃の純粋な強さだったりは確実にフランよりは弱い。
けれど、腕相撲や純粋な肉体戦は確実に勝利する。
アイリスは自分の肉体がどうすれば力を最大限に出るか、持ち上げれないような重たいものを持つのにはどんなふうにすればいいか、それを理解していると言うだけの話だ。
「なんでこんなの軽々振り回してあれが壊せるんだよ……!!」
「え?」
「……あ?」
「あれ、壊したら駄目な的だった?」
「…………よーしお前が馬鹿みたいに世間知らずを超えた非常識だって事だけは分かった」
彼女にとっての常識は全て前世の非常識を元に作られている。
アイリスからしてみれば自分よりも何倍もある的を破壊することは、全く不思議なことではない。
例えそれがどんなに堅くても、どんなに大くても、力の流し方と振るい方で壊せるものは壊せるのだ。
つまり、アイリスにはなぜ壊したくらいでここまでフランに詰め寄られる理由が一切わからない。
彼女に前前世に培われたごく一般的な普通はとっくの昔にない。
「あの的はこの学園設立してから“一度も”壊された事がない的なんだよ。この入学試験で過去最高の点数を取ったA級冒険者で王国騎士団の指導もしてる“ユリウス・ヘンベルト”さえ傷をつけれた位だ!」
「へー」
なんという、世間知らずのアイリスに優しい説明か。
呑気にそうなんだぁ、と返事を返すアイリスにフランの眉は釣り上がるばかり。
別に、アイリスが全面的に悪いわけじゃないが勝手な心配とかしていた立場上心境が複雑なのだ。
「へー、じゃねぇよ!」
「でも今は壊せないわけじゃないでしょ?」
「A級冒険者と試験受けに来たやつを一緒に換算して考えるな、馬鹿!」
びし、びし、指で勢いよく額を小突かれてぶすくれる。
暫くしてから1番大きな的の大替品をなんとか用意できたらしく、試験再開の合図が鳴った。
只管に絶望的な顔で試験官の前に立つ試験生はといえば、別に結果は悲惨なわけではない。
少々もたついていたものの半分以上は壊しきったのだが、どうしたって瞬きの間に全てを壊しきったアイリスと比べてしまう。
少しの間話を置いたとはいえ、なにせ一つ前だったので、仕方ないことだ。
どんよりとした表情の試験生のその結果は別段平均的、とても良いわけではないがだめなわけでもない、花丸はもらえなかったけど二重丸はもらったようなものなので悲観する必要はないのだ。
試験官や他の試験生は寧ろエールすら送ったものだ、試験の結果ではなく、試験を挑んだと言うことが何よりもこの試験生はほめられるべきだ。
そのごも試験は滞りなく行われた、つまりはアイリスのように突飛した人物は他にはいなかったと言うわけだ。
はちゃめちゃが悪いわけではないが許容量は限度がある、びっくりするのも大変で困る。
付け加えておくとフランの結果は上々、といったところだ。
1番大きな的は壊せなかったものの全てのうち3分の2を見事に壊しきった。
おつかれさまと労うアイリスが、これでもっと自分を鼻にかけていたらやり易いのだがそうでないのが逆に困りものだ。
さて、場所を移動して2つ目、魔法の実技試験である。
ここで試験官たちは考えた。
何を?アイリス期待と不安のルーキーについてである。
アイリスのような結果を出す人物が入ってくれるのは学園からすれば万々歳だ、
だが考えても見てほしい、剣を使って巨大な的を砕くような人間が魔法を使った場合を想像すれば正直修繕部隊の顔は戦々恐々だ。
別に悪いことではない、全然悪くない。
ただ武器使用の試験でもそうだったように修繕と、それからその次の試験生のモチベーション。
その結果として急遽試験生の試験を受ける順番の変更が変更となった。
変更と言っても簡単であからさまだ、アイリスが1番最後になったというだけだ。
試験生たちは全員スタンディングオベーションで拍手した、何ならアイリスの次となるはずだった試験生はガッツポーズした。
さて、そんなわけで他の試験生は悠々自適に試験をうけることができた。
試験官たちが大慌てで駆り出されるような問題も特段起こる頃はなく、そして問題のアイリスの出番がやってきた。
魔法の暴走、暴発が起こった時の措置として魔法の試験会場にも結界が張り巡らされている。
よっぽどのことが起こらなければよっぽどのことは起こらない。
「魔法、全力で使うのは結構久しぶりだなぁ」
「……いいか、一応言っとくけどな、いや、まさかとは思うから一応だけどな、ここら一体更地にしたりすんなよ」
「そんな事しないよ…?!この短時間でフランの中の私はどんな人物像になったのさ!」
「いや、多分そう思ってるのは俺だけじゃないと思う」
最初に説明されたので当然フランも知っている。
けれどそれでも、心配そうにそう告げたフランにアイリスは憤慨した。
悲しいかな、アイリスは知らないだけでフランの言葉に全員が心の中で同意した。
「最後!アイリス・オークランド!勿論試験なので全力でするように!ただし学園を更地になどはしないでほしいです!」
「だからしませんってば!!?大体結界あるんですから無理だよね!!?」
気弱そうな態度で叫ぶ試験官は武器使用の試験の修繕に駆り出された1人だった。
もう!と地団駄を踏んで吠えるアイリスには悪いが、頬を膨らませたその姿だけ見ればただの可愛い女の子なのだが。
因みにアイリスが呑気に試験官さん増えたかなぁ、なんて思っているがその通り。
あの的を破壊した試験生が現れたと、暇を作り出した学園の教師たちがぞろぞろと集まっていたのだ。
仕事しろよとは誰も言えなかった、実力主義者を掲げている学園は時として自由は止まらない。
試験生たちもじっとアイリスを見つめる、その場全員からの視線を一身に受けたアイリスは少しだけ戸惑っていた。
「では、始め!」
だがそれも、試験が始まるまでの話。
開始の号令とともにアイリスの纏う雰囲気は一変した。
アイリスのあげた手を合図に足元に赤い魔法陣が浮かんだ。
「隕石」
魔力が流れ、物質が形成される。
一才の無駄を許さず流された魔力によってアイリスの上空に形成されたそれ、ごうごうと炎を纏った複数の巨大な岩の礫。
宇宙から溢れた星の欠片を擬似的に作り出した、アイリスの1番お気に入りで得意な魔法。
「せー、の、ほらどっかぁん!」
アイリスがそこから動く事はない。
振り下ろした手を合図に炎を纏った岩の礫はまさしく、隕石と名をつけられるに相応しい速度で飛び交った。
アイリスは試験として置かれた的の全てを把握した、魔法陣に組み込んだ命令は複数、だが全ては一つ。
(ぶちこわせ)
縦横無尽に飛び散った岩の礫はそれぞれが生きた個体であるかのように、リアルタイムで引かれた命令に忠実にそれぞれの的へと的中した。
指揮者のように10は超えるそれらを操ったアイリスは、あっというまに砕けた全ての的に満足げに微笑んだ。
だがここで気づく、武器使用の試験同様に終了の合図が聞こえない。
そっと試験官を見ると少し前に見たばかりの表情がそこにはあった。
「詠唱なしの、同時複数攻撃……しかも……スピードは単発魔法以上……」
呆然と呟く試験官にはアイリスの困った顔など見えていない。
慌ててフランの方へ視線を向けると顔にはデカデカと「やりやがったなてめぇ」と書かれていた。
ではここで、今回はこの世界における魔法について。
魔法とは魔力を使い発動され、その使用時には魔法陣が現れる。
それだけで済めば話は早いがそれだけで済まないから魔法研究者だったりがいるわけで。
そもそも魔法を発動させるためには詠唱を用いるのが主流である。
詠唱とは発動しようとしている魔法を正確に“形取る”為に必要な準備である。
わかりやすく例えるなら絵を描く際に鉛筆などで下書きをするようなものだ。
ボールペンや絵の具など、要するに消せないもので絵を描く際、鉛筆などで下書きをする人間が多いのは複雑なものを書こうとすればするほど少しの線のずれすら後に響き、そして何よりやり直せないからだ。
魔法を詠唱なしで発動させてその魔法そのものを形取りきれなければ、魔法をそもそも発動できなかったり、発動できても威力が格段に落ちたり、魔力が間違った形で放出され暴発したりしてしまうことが起きる。
当然強力で複雑な命令指揮が必要となる魔法ほど詠唱の文言は多く、当然時間も長くなる。
別に魔法を詠唱なしで、威力も落とさずに発動できないわけではない。
けれど前述して例えたように、それは要するに複雑な絵を下書きなしで一発書きで書き上げると言うことだ。
魔法の詠唱を省略して発動できればその分の時間が短縮される、撃ち合いなんかでは圧倒的に有利な点が生まれる。
更にアイリスがしてみせた複数の物質をそれぞれバラバラに操作するというそれ。
魔法は想像だ、つまり、岩の礫1つ、それぞれがどうやって動くかをリアルタイムで命令し続けなければいけないのだ。
1つだって思考から漏れて仕舞えば行き場がわからなくなった魔法はその場で消失、落ちたりすればいい方で最悪明後日の方向に飛びかねない。
もちろん追尾機能を魔法そのものに最初につけたり、事前に設定した線を動くように設定したりができないわけでもないが、リアルタイムで操れる方が当然、戦闘では有利だ。
今回の試験だけでいえば動くわけでもなく、共闘している仲間がいるわけでもない、事前に設定した線を辿る形式でも十分ではあったが、アイリスとしてではなくアヤメとして実践経験が多い彼女はリアルタイムで操作する完全な癖がついていた。
さて話をアイリスに戻すとしよう。
アイリスは無詠唱、完全詠唱破棄で魔法を発動さえた挙句多数の強力な魔法を操ってみせた。
事前に線を引いていたのかリアルタイムかの判断は流石に普通に見ただけでは判断がつかないが、もはやそんなのは問題ではない。
しかし、アイリスからすれば何故理解不能と言われんばかりに見られるかなどわからない。
何度だって言うが、アイリスの日常はすべてかつての友人たちの非日常によって形成されている。
彼女に魔法を教えたのだって、彼らだ。
彼らはただの1人も日常的に詠唱を使う事はなかった、特別な大魔法を使うときに使っていたくらいなので、寧ろアヤメにとっては詠唱を使った魔法の方が非日常だ。
付け加えて、これは完全な余談なのだが。
アヤメとして生きていた数千年前の時代においても、非日常なのはアヤメとその友人たちの方である。