聖都学園ソフトボール部
本来の企画の趣旨とは違いますが、参加していただいている方たちへの慰労の意味で皆さんに贈らせていただきます。
放課後の校庭はクラブ活動に励む生徒たちの熱気であふれている。中でも、ひときわ気合いが入っているのがソフトボール部だ。秋の新人戦ではあと一歩のところで地区優勝を逃した。春こそは県大会へ行くのだと、練習にも熱が入る。
「あの子たち張り切ってるわね」
練習を見ている日下部に保健室の窓から声を掛けたのは校医の神村だった。
「ああ!俺がここの監督になって最強のメンバーだ。全国だって狙える奴らだ」
「へー、全国ね…。でも、新人戦では地区大会で負けちゃったんでしょう?」
「光永がまだ発展途上だったからな」
「光永って?」
「ほら…」
日下部はピッチング練習をしている生徒を指した。
「ふーん…。あの子、そんなにすごいんだ」
「まあな」
「行けるといいわね。全国」
「行くさ。俺が必ず連れて行く」
「カッコいい!じゃあ、頑張ってね。カ・ン・ト・ク」
ダイナミックなフォームから弾き出されたボールは息をつく間もなくキャッチャーのミットに吸い込まれた。
「ナイスピッチ!絶好調だね。芽衣」
奈津はボールを掴むと立ち上がりミットを外し、しびれた手を眺めた。
「奈津がどんな球でも受けてくれるから安心して投げられるよ」
入部早々ピッチャーに抜擢された芽衣はどうにかウインドミルをマスターしたものの、コントーロールが定まらず、四球と暴投で失点するパターンがほとんどだった。けれど、日下部は芽衣を使い続けた。その結果、芽衣のピッチングはようやく本格化しつつある。
「どれどれ、どんなもんだか私が見てあげようではないか」
そう言ってバッターボックスに立ったのはチームで4番を任されているいろはだった。
「面白いわね。芽衣、いっちょうやってやるか」
奈津はミットを嵌めると再び座ってマスクを着けた。
「さあ、来い!」
奈津の言葉に頷いて芽衣は渾身の一球を投げ込んだ。
“パコーン”
奈津は立ち上がり、打球の行方を追った。芽衣も打球が吸い込まれていく空を見上げた。
「まだまだですな」
いろははニヤッと笑った。
「やっぱり、いろははすごいなあ。いろはが同じチームでつくづく良かったよ」
奈津はそう言って、いろはの肩に手を置いた。
光永芽衣、松本奈津、美空いろは、この1年生トリオが聖都学園ソフトボール部の黄金時代を築くことになる。
学校から少し離れたところにあるファストフードの店。聖都学園の生徒のたまり場になっている。ソフトボール部の1年生トリオも練習が終わるとここに入り浸っている。
「ねえねえ、監督とりったんって付き合ってるのかなあ?」
興味本位でいろはが言う。りったんというのは校医の神村律子のことだ。
「うん、怪しいよね。さっきも二人で何か話してたし」
奈津も同調してガールズトークが始まる。
「でも、監督って奥さん居るんでしょう?」
芽衣はその手の話題が好きではない。
「居たっていいじゃない。私だって監督、大好きだもん」
「そうよね。なんか、オトナって感じでいいよね」
「当たり前でしょう!」
「芽衣は解かってないなあ。年くってりゃ大人だってもんじゃないっしょう」
「いろはの言う通りだよ。ただ単に大人って言うんじゃなくて、なんていうか…。そう!紳士」
「そうそう!特に授業中の監督は知性的で物静かで、何かといえばすぐにはしゃぎ出すあいつらとは大違いだよ」
いろははそう言って奥のテーブルで騒いでいる男子生徒の方を見た。
「うん、あいつらは監督に比べたらお子ちゃまね」
「私、日曜日に、監督にチョコあげるんだ」
「そっか!今度の日曜日だね。バレンタイン。私も手作りチョコ作っちゃおうっと」
「二人とも何言ってるの?日曜日じゃ、あげられないでしょう?学校、休みなんだし」
「そんなの簡単よ!おびき出せばいいんだから」
「おびき出すって…。いろは、あなた何を考えてるの?」
「任せときなって!じゃあ、日曜日。芽衣もちゃんとチョコ持ってくるんだよ」
「はい、じゃあ決まり!」
そう言って奈津といろははハイタッチをする。芽衣はあまり乗り気ではないようだけれど、仕方なく頷いた。
翌日の練習後、日下部は部員たちを集めた。
「急な話なんだが、今度の日曜日に青葉高校と練習試合をやることになった。先方がどうしてもと言うので引き受けた。みんなの都合はどうだ?」
「大丈夫です。是非お願いします」
いろはが真っ先に手を上げた。そして、奈津と芽衣に向かってウインクをした。どうやらこの練習試合はいろはが仕組んだらしい。他の部員も概ね了解した。なにしろ、青葉高校といえば新人戦で負けた相手だ。この期にリベンジをと誰もが口を揃えた。
「どういうこと?」
芽衣がいろはに尋ねた。三人は例によって、いつものファストフード店に居る。
「実はウチの母親が青葉の監督なんだ」
「えーっ!」
奈津がいきなり大きな声を出したので芽衣は人差し指を口元に当てて静かにするように戒めた。
いろはの話ではいろはの母は昔、全日本クラスの選手だったらしい。引退後は母校の青葉で監督をしているのだと言う。
「じゃあ、なんでいろはは青葉に行かなかったの?」
芽衣は冷静に話を戻した。
「母は青葉に入れたがっていたけど、親が監督だなんて、やりにくくてしょうがないっしょう」
「じゃあ、いろはのセンスはお母さん譲りってわけね」
奈津はなるほどと頷いた。
「そんなことはどうでもいいじゃない。それより、二人ともチョコ忘れないでよ」
翌日。国語の授業中。国語教師の日下部が教科書を朗読している。いろはは教科書には目もくれず、日下部を見つめている。
「ちょっと、いろは!ちゃんと教科書を見てないと…」
後ろの席の芽衣がいろはの背中をつつく。
「ほっときなよ。こういう時のいろはには何をやっても無駄なんだから」
隣の席の奈津が芽衣に耳打ちをする。
「高千穂、続きを読んでみろ」
高千穂絵麻は学年一の成績でクラス委員を務めている。特に文系の成績は抜群で日下部も一目置いている。そんな絵麻がいろはにとっては最大のライバルだった。
「はい」
絵麻が教科書を持って立ち上がると、一瞬、日下部が微笑んだように見えた。
「うー」
突然いろはがうなり声をあげた。
「どうした、美空。具合でも悪いのか?」
いろはは無言で立ち上がると教室を出て行った。
「先生、ちょっと見て来ます」
奈津は日下部に言うが早いか、いろはの後を追って教室を出た。
保健室のベッドに潜り込んだいろはを奈津は必死でなだめている。
「あらあら、おサボリ?」
校医の神村がカーテンを開けて声を掛けた。
「そういうわけじゃないんですけど…」
途端にいろはが毛布をはねのけて起きあがった。
「りったんって、監督と付き合ってるんですか?」
「ちょっと、いろは!何を急に…」
奈津は焦っていろはを制止しようとしたのだけれど、いろははかまわずに神村に詰め寄った。
「どうなんですか?」
「ははーん、あなた、良くんにお熱なのね」
「良くんって…。やっぱり、りったんって監督とそういう仲なんだ」
「ふふふ、どうかしらね」
「ちくしょー!ぐれてやる!」
いろはは再びベッドに潜り込んだ。
「ちょっと、先生!」
「ごめん、ごめん。安心して。私、妻子持ちには興味ないから」
「本当に?」
いろはは急に目の色を変えてベッドから飛び出した。
「よし!こうしちゃいられないわ。練習、練習。勉強じゃ絵麻にかなわないけれど、私は私の得意なところで監督のハートを射止めてやる」
いろははそう言って保健室を出て行った。
「ちょっと待ってよ、いろは!まだ授業中だってば…。あ、すいません。失礼します」
奈津は慌てていろはの後を追った。
「若いわねえ…」
二人を見送った神村が微笑んだ。
日曜日。三人は思い思いにチョコレートを用意して学校へやって来た。やって来てから驚いた。どこで嗅ぎつけたのか、試合の応援にかこつけて色とりどりのリボンが付けられた、いかにもバレンタインチョコだという包みを手にした聖都学園の女子生徒たちがグランドの周りに群がっている。
「こいつら何なんだ?」
目を丸くしたいろはが言う。
「少なくとも、いろはのファンでないのは明らかだね」
奈津がいろはをからかう。
「えーっ!じゃあ、こいつらみんな監督目当てだって言うの?」
「そうみたいね」
芽衣は苦笑しながら答えた。
「よーし!こうなったら試合で目立って、監督にアピールするしかないな」
「そうね。そうしてもらえるとありがたいわ」
試合が始まった。ホームの聖都学園が初回の守備に着く。芽衣と奈津のバッテリーが投球練習を始めると相手ベンチからどよめきが起こった。けれど、それも一瞬ですぐに失笑が漏れ始めた。芽衣の投球が荒れていたからだ。
「いろははすごいと言っていたけれど、早いだけね。あんなノーコンじゃ、すぐに自滅するわ。新人戦の時から進歩していない」
いろはの母親でもある青葉の監督は芽衣の投球を見て、そんな分析をした。
先頭打者の齋藤が左バッターボックスに入った。初球、ど真ん中のストレート。見逃し。二球目も同じ球。芽衣は二球で齋藤を追い込んだ。三球目チェンジアップ。空振りの三振。続く二番、三番も三振に打ち取った。ベンチに引き揚げる芽衣に奈津が声を掛けた。
「いいわね。その調子よ」
その裏の聖都の攻撃。先頭打者が四球で出塁。送りバントで二塁へ。ここで三番の奈津が登場。力んでどん詰まりの内野フライ。
「芽衣、ごめん。返せなかった」
「大丈夫!私が何とかしてあげよう」
そう言って、四番のいろはが打席に向かった。ワンボールツーストライクからの4球目。いろはは相手投手、水無月の勝負球をいとも簡単に捕えた。左中間へ上がった打球はフェンスの向こう側まで飛んでいった。2ランホームラン。聖都が2点先制。いろははダイヤモンドを回りながらガッツポーズをした。
芽衣が自滅すると決め込んでいた青葉打線はじっくりボールを見て行く作戦だった。それは奈津の計略がまんまと成功した結果だった。試合前、奈津は芽衣にこう言った。
「投球練習ではストライクを投げないで」
案の定、相手は芽衣がノーコンだと思い込んだ。そして、追い込まれてからの変化球に凡打の山を築いていった。味方打線も初回の得点以降、相手投手の水無月に抑えられていた。四番のいろはは二打席目以降、全て敬遠の四球だった。
迎えた最終回。先頭打者はここまで全て三振の齋藤。齋藤はボール球に手を出して内野ゴロ。しかし、内野手がエラーして出塁。続くバッターにはこの試合初めての四球。その後、何とかニ死までこぎつけたが、そこに登場してきたのが相手の四番バッターだった。ここまで、ヒットを2本打たれている大橋だった。
「タイム!」
奈津はタイムを取り、マウンドに行った。
「どうする?歩かせる?」
奈津はたとえ、満塁になっても次の5番なら確実に打ち取れると踏んでいた。試合前に「今日は全部お前が判断してやれ」と日下部に言われていた。
「勝負させて!ここで逃げてちゃ、先へ進めないわ」
「芽衣、よく言ったね。じゃあ、ストレートど真ん中よ」
「うん」
芽衣は奈津の構えるミットだけを見て投球動作に入った。相手打者の大橋もバットを強く握り直す。ダイナミックなウインドミルから芽衣はボールを弾き出した。大橋がバックスイングに入る。芽衣の投げた球が奈津のミットに吸い込まれる直前、ボールは左中間へ弾き飛ばされた。大きい!抜ければサヨナラホームランになる。レフトとセンターが必死にボールを追う。二人の頭上をボールが越えて行った…。その瞬間、いろはが飛んだ。飛んだ勢いで、いろはは派手に転倒した。万事休す。誰もがそう思った。しかし、立ち上がったいろはが高々と掲げたグラブの中にボールはすっぽりと収まっていた。ゲームセット!
チームメイト全員がいろはのもとに駆け寄った。日下部の顔には満足そうな笑みがこぼれる。
「驚いたわ。新人戦から間がないのにここまでになるなんて」
青葉の監督が日下部に声を掛けた。
「ええ、でも、まだまだです」
「今日はいい収穫になったわ。ありがとう」
試合後、芽衣と奈津、いろははいつもの店に居た。
「あっ!」
いきなりいろはが声をあげた。
「監督にチョコ渡すの忘れちゃった!」
「あら、私たちはちゃんと渡して来たよ」
芽衣と奈津は口を揃えてそう言った。
「えーっ!裏切り者」
いろははそう言うと店を飛び出した。
「どこへ行くの?」
「決まってるでしょう!学校よ」
駆け出したいろはの背中を眺めながら、芽衣と奈津はカバンから出したチョコをテーブルに置いて笑った。