*** 15 瑞巌寺病院建設 ***
首席補佐官が龍一所長に聞いた。
「ところで患者さんたちのガン治療の費用はどのように請求されるのですか」
「三尊光輝氏と崇龍上人の行為は、ガン患者さんへのお見舞いですので無料です」
「お、お見舞いっ!」
また官房長官が仰け反った。
首相が官房長官を見やると官房長官は少し小さくなった。
「それからさすがに入院費は実費を頂くつもりです。
そうですねえ、食費や看護師さんの給料分として、一日に二十ドルほど頂きますか。
つきそいの家族の為の宿泊施設も格安に、そうですね、やはりひとり一泊二十ドルにでもしますか」
また枢機卿と首席補佐官が顔を見合わせて微笑んだ。
「それでは利益が出ないのではありませんか」
「利益は要りません」
「どうしてですか」
「寄付された資金を元手に行う事業ですから利益を出すことは必要無いからです」
枢機卿と首席補佐官は立ち上がって龍一所長に握手を求めた。
二人とも実に嬉しそうだった。
二人が座り直すとまた枢機卿が言った。
「他に我々にご要望はありませんか」
「ございます」
「それはどんなご要望ですか」
「世界中からがん患者さんを運んで来てやっていただけませんでしょうか。
治療施設に運んでさえいただけたら、あとはわたくしたちが治します」
またしても枢機卿と首席補佐官は顔を見合わせて微笑んだ。
「それはあなたからわたくしたちにされる要望ではありませんね。
それは本来わたくしたちの仕事ですよ。
そしてそれはもう既に決定済みです。
バチカンは、一部アメリカ政府の協力を得て、航空会社を設立する準備に入っています。
ガン患者輸送専門の航空会社です。
世界中に散らばるキリスト教会の聖職者たちが、世界中からガン患者を集めることになっています。
今日のこの会談が終わって私が法王様に報告すると、その航空会社が正式に設立されます。
名称はエンジェル・エアーになる予定です」
今度は龍一所長も微笑んだ。
次は首席補佐官が続けた。
「そしてすぐに航空機と乗務員の確保が始まります。
これにはアメリカ合衆国が協力します。優秀なパイロットの確保は重要です」
枢機卿も言う。
「客室乗務員兼看護師には、世界各国の言葉を話し、看護師資格を持った全世界のシスターたちが当たるでしょう。
もうすでに有資格者の名簿づくりは終わりつつあります。
名誉な仕事なのでみんな張り切っています」
龍一所長が聞く。
「重篤患者はベッドや生命維持装置ごと運ばなければならないので、最新鋭の大型機でも一度に運べる人数はあまり多くないと思われます。
運賃はどうされますか」
「無論無料です」
「さすがですね」
また龍一所長が微笑んだ。
「日本政府にはなにかご要望はありませんか……」
ようやく首相が口を挟んだ。
「ございます」
「うけたまわります」
「瑞巌寺の最寄りの県内の空港の拡張工事を始めていただけませんでしょうか。
少し広げれば大きな航空機の離発着が可能になります。
あと、大型機五十機分の駐機場も必要になると思います。
それから二十四時間離発着可能な機器類の整備と、近隣住民への騒音対策と補償もお願いいたします。
ああ、あと、出来れば空港から瑞巌寺治療施設までの患者さん専用道路の建設もお願いいたします。
道路が渋滞して患者さんが間に合わなかったりしたら可哀想ですので」
「わかりました。早急にとりかかります」
外務大臣も官房長官も首相の顔を見た。
まあ、それぐらいなら他の空港整備費や道路整備費を回せば新たな予算案の必要も無いだろう。
今の日本政府にこのような超巨額の予算を支出する余裕は無い。
会談が終わると全員が笑顔で握手を交わした。
全世界を救うための超巨大プロジェクトが動き始めた瞬間だった。
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翌日、瑞祥研究所に瑞祥総合病院、瑞祥建設、瑞祥グランドホテル、それから国立がんセンターの担当者らが集められて会議が始まった。
みなそれぞれの分野では精鋭である。
龍一所長はチームの面々を前にいつものあまりヤル気の無い声で言った。
「え~事業内容は簡単です。
日本中、世界中から集まって来るガン患者を受け入れて、五年間で一億人の患者を治します」
みんながどよめいた。
「ついでにこの治療方法のメカニズムを研究してもらって、五年後には三尊くんや崇龍上人がいなくても治療が出来るようにします。
メインの治療施設は野球場ぐらいのドーム病室にして、真ん中に三尊くんや崇龍さんに座ってもらいます。
あ、回転する台座に乗せたらみんなに公平に光が行き渡るかなあ。
皆さんには、それに必要な施設を考えてもらいます。
施設が出来上がるまでの臨時の施設についても考えてもらいます。
とっても急いでください。遅くなるとその分だけ患者さんが死にます」
みんなが蒼ざめた。
「その代わりおカネはたくさんあります。
初年度予算は一兆円で、翌年から四年間、毎年五千億円ずつの計三兆円です。
足りなくなれば追加も可能です。
だから別に最低のコストで作る必要はありません。
最高のコストでかまいませんから最高のものを急いで作ってください」
またみんながどよめいた。
「総監督は瑞祥誠一先生ですが、病室の建設などはプロに任せたいので皆さんにお願いします。
僕は単なる相談役ですので直接はタッチしません。
ここに座っているだけです。
え~、三週間後に三尊くんと崇龍さんが帰って来ると同時に、改造の終わった瑞祥グランドホテルのガラスピラミッド病室で治療を始めたいのでよろしくお願いします。
あ、施設の設計や建設なんかは明日から始めたいので今日中に青写真を作っておいてください。
最終的な施設の稼働は六カ月後とします。
治療施設の名称は瑞巌寺病院といたします。
それではよろしくー」
あまりと言えばあまりの指示にまたみんな蒼ざめていた。
しかしよく考えたら、これほどやりがいがあって面白そうなプロジェクトもそうそうないことに気づいてみんなにっこりした。
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三週間後、瑞祥グランドホテルのガラスピラミッド病室での光輝と崇龍崇人の「お見舞い」が始まった。
あまりの突貫工事に関係者一同は疲労困憊していたが、とうとうやり遂げたという喜びに表情は明るかった。
毎日自宅に帰れる光輝の表情も明るかった。
そして……
一度に二百床のベッドを収容できるガラスピラミッド病室は、全国から続々と集まって来るガン患者を、最初から一日に一千人のペースで治し始めたのである。
看護師や救急車の搬送員らが慣れていくにつれて、そのペースはどんどん上がって行った。
ここでのノウハウが大規模施設の設計にも取り入れられた。
そして、すぐに近隣の病院に入院していたガン患者はいなくなり、代わって遠方から連れて来られたガン患者が収容された。
彼らもよほど衰弱の激しい者を除いて驚異的な回復を見せるので、すぐに退院して号泣する家族に連れられて帰っていく。
もちろん命を救われた患者も号泣している。
この様子は、日本国内はもとより全世界に報道された。
全世界が狂喜した。
そして全世界八千万人と言われるガン患者が、そこに行ける日を渇望した……
瑞祥研究所、瑞巌寺、大規模治療施設建設本部、大規模病室兼宿泊施設建設本部、そして国立がんセンター瑞巌寺近郊研究本部に設置されたモニターには、龍一所長の指示で、快方に向かい始めたガン患者の数が最初からの通算でリアルタイム表示され始めている。
激務に疲れたメンバーらは、その表示を見て勇気が奮い起されるのだ。
実質的に命を助けられた人の数が、みるみる増えていくのである。
彼らが必死で作っている施設が完成すれば、その増加ペースは十倍以上になるだろう。
瑞巌寺に近い空港周辺では、地元住民への説明会が開催され始めた。
空港周辺の土地の多くは白井一族のものだったが、それ以外の住民たちも多数いる。
それらの地域で市町村単位での説明会兼お願い会が開催されたのである。
なんといっても空港の二十四時間発着体制である。
その騒音は実際に地元住民の健康被害すら危惧されるものであった。
だがその説明会には、瑞祥一族の筆頭様はじめ重鎮たちが全員出向いてくれた。
ここはわしが出向かんでどうすると言った御隠居様まで出てくれた。
白井一族の御隠居様や現当主、次期当主も一族の重鎮を引き連れて出向いてくれている。
さらに新田代議士や、その地域選出の代議士も出向いてくれた。
首相に指示された国土交通大臣すらやってきた。
そうして地元住民たちの前で、瑞巌寺が全世界一億人のガン患者の命を助けようとしていること、アメリカとバチカンが全世界の気の毒なガン患者たちをこの地に運んでこようとしていることなどを語った。
そうして多大な迷惑料だけでなく、希望する住民には、空港から離れた地に無償で移転することまで提案されたのである。
決定打になったのは、治療の合間に駆け付けた崇龍上人や光輝だったかもしれない。
もともと地元住民たちにとっては、ただでさえ瑞巌寺はおらが地域の誇りである。
その中心にいる崇龍上人の巨体を目の当たりにし、光輝が座禅を組んで皆にお釈迦様の尊いお姿を見せてあげると、高齢者の多い地元住民たちはもうひとたまりもなかった。
もはや皆ひれ伏してありがたやありがたやと祈るのみである。
ある説明会の会場では、一人の老人が立ちあがって言った。
「わしらの村には二人ものガン患者がいたのじゃ。
ひとりはわしの親戚で、もうひとりは幼なじみじゃった。
二人ともそれぞれ十人以上もの孫に囲まれ、それはそれは幸せに暮らしていたのじゃが、相次いでがん宣告を受けてしまっての。
村中で泣き暮らしていたものじゃ。
それがつい先月、あの瑞巌寺病院で見事に命を救われたのじゃ。
村中総出でガン完治お祝いの宴会を開いたものじゃ。
あんたがたはあの御恩を世界中に広めようというのじゃの。
そのために空港がうるさくなってしまうので、わしらに我慢するか引越しするかして欲しいというのじゃの」
「はい。ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません」
国土交通大臣が頭を下げる。
「それにさっきあんたがたは、空港がガン患者専用空港になると言ったよの」
「はい」
「ということは、着陸する飛行機には死にかけたガン患者が満載されていて、離陸する飛行機には命を救われた患者ばかりが乗っているということなのじゃな」
「はい。そうなります」
「わかった。わしは我慢する。
どんなにうるさくなろうとも絶対に文句なぞ言わん。
このうえは、どうか世界中の人々に、わしらが味わったあの喜びを分け与えてやって欲しい」
「誠に、誠にありがとうございまする」
国土交通大臣はじめ、皆がいっせいに頭を下げた。
会場を埋め尽くす老人たちも皆一様に頷いていた……
政府の行うことにはなんでも反対し、またその反対運動に対する寄付金を集めることでその勢力の拡大を図り、ついでに生計も立てているいつもの連中が大量にその地域に入り込んで来た。
きっと莫大な金の匂いを嗅ぎつけたのだろう。
だが……
連中が地元住民を集めて空港拡張反対運動を起こそうとすると、激怒した住民たちに追い出された。
地元住民たちは、「おらが村の誇りを愚弄する気かっ!」と言って連中を追い払った。
しまいには馴染みのない顔が村々に入ろうとするだけで、商店は彼らになにも売らず、ガソリンスタンドはガソリンを売らず、民宿は泊めず、寒空で野宿を余儀なくされた連中は、ほうほうの体で逃げ帰っていった……
(つづく)




