*** 14 官房長官と外務大臣が仰け反った…… ***
光輝たちが命を救った重篤ガン患者が一千人を超えるころ、事前に十分な打ち合わせを終えたバチカンとアメリカ合衆国は秘密裏に特使を日本に派遣してきた。
バチカンからはロマーニオ枢機卿が来日した。
枢機卿で特使ともなれば、外交上外務大臣級である。
しかも法王の側近中の側近で、次期法王の有力候補のひとりでもある。
アメリカからは大統領首席補佐官が来た。これも実質的に閣僚級である。
秘密裏なので歓迎行事も行われず、すぐに首相官邸での打ち合わせに入った。
日本側の出席者は首相と外務大臣と官房長官である。
もちろん龍一所長も呼ばれている。
挨拶が終わるとロマーニオ枢機卿が切り出した。
「三尊光輝氏と崇龍上人さまのご偉業についてはお聞きおよびでしょうか」
首相が答える。
「はい。最近では毎日詳細な報告を受け取っています」
首席補佐官が言う。
「本日は大統領の特使として、日本の皆さんにお願いに上がりました」
枢機卿も頷いている。
首相も真剣な表情で頷きながら言った。
「うけたまわります」
「この偉業の成果を貴国のみならず、全世界に分け与えてやっては頂けませんでしょうか」
「もとよりそのつもりです。本日閣議でもそう決定いたしました」
それでもそうなれば、全世界が日本に感謝するだろう。
日本の国益は計り知れない。
首席補佐官も枢機卿もにっこりと笑った。
「ありがとうございます」
「いえ。これを我が国のみが独占するのは歴史が決して許さないでしょう」
枢機卿が言う。
「それではもうひとつお願いがございます」
「なんなりと」
「この奇跡の治療を受けることの出来る患者は、人種性別はもとより、国籍、信条、そして宗教に至るまで完全に平等とさせていただくようお願い申し上げます」
宗教、と枢機卿が言ったところで首相の眉がぴくりと動いた。
(キリスト教徒を優先する気は毛頭無いということか。
バチカンともあろうものが。これは相当に本気だぞ……)
「そしてその治療の優先順位は、唯一その症状の重さと治療の緊急性ということにして頂きたくお願い申し上げます。
たとえ法王様といえども優先扱いは不要であります」
「大統領でも不要です」首席補佐官がつけ加える。
「そうしなければ、やはり世界が、そして歴史が許さないでしょう」
日本側出席者の顔が紅潮し始めた。
(バチカンとアメリカにここまで言わせたか……)
「そしてもうひとつ、最後のお願いです」
「どうぞ」
「我々にもこの御偉業を手助けさせていただきたいのです。
日本側の主権を侵すつもりは毛頭ございませんが、世界各国との調整、資金援助など、われわれにも秘密裏にお手伝いさせてください。
もちろん手柄はすべて日本の皆さまのものでけっこうです」
「これはバチカンとアメリカ合衆国が合意の上で貴国にお願いすることであります」
また首席補佐官がつけ加える。
(うううっ、ま、まさか本当にここまで言うとは……)
首相が真剣な表情で言った。
「畏まりました。
皆さまのご要望は、首相として全責任を持って了承させていただきます」
枢機卿と首席補佐官は微笑んだ。
「ありがとうございます」
「いいえ。当然のことであります」
「それではお許しを頂いて、こちらにいらっしゃる瑞祥所長さんとご相談させていただきたいのですがよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「瑞祥さん。まずは素晴らしい奇跡におめでとうを言わせてください」
「ありがとうございます」
「単刀直入にお伺いします。
今あなた方はどのような治療体制をお考えですか。
そうして我々バチカンとアメリカ合衆国にどのような協力をお望みですか」
「はい。目標は、今後五年間で、全世界一億人のガン患者の方々を治療させて頂くことといたしました」
官房長官が仰け反った。
枢機卿と首席補佐官が微笑んだ。
「それは私たちが希望している目標と完全に一致しますね」
「そうですか」
「つまり全世界のガン患者すべてということですね」
「そうなると思います」
「その治療拠点はどこにしますか」
「ある程度交通の便がよく、広い土地を確保出来る場所が望ましいですが、なによりも確実な警備態勢が整っている場所が望ましいと考えました。
つまり瑞巌寺の隣接地です」
また枢機卿と首席補佐官が微笑んだ。
「それも我々の希望と一致します。それで土地の確保は出来そうですか」
「はい。十二平方キロほどの土地を借りられることになりました」
「それほどの広大な土地を誰から借りるのですか?」
「実はわたくしです。賃借料は格安です」
龍一所長が微笑んだ。
今度は外務大臣も仰け反った。
枢機卿と首席補佐官は、その言葉が通訳されると同時に満面の笑みになった。
「好奇心からお伺いしますが、賃貸料はおいくらですか」
首席補佐官の目は笑っている。
「そうですねえ。全部で年間一ドルにしておきます」
龍一所長の目も笑っている。
また官房長官と外務大臣が仰け反った。
枢機卿と首席補佐官が大きな声で笑った。
「それはまた格安ですねえ」
ひとしきり笑い声が続いた後、また枢機卿が聞く。
「その土地にどういった治療施設を作ろうとお考えですか?」
「最初は今ある施設を改造してなんとかやりくりしますが、半年以内に三千床のベッドを収容できるドーム病室を作りたいと思っております。
これはちょうど野球場ほどの大きさになるでしょう。
このドーム病室は、三尊光輝氏と崇龍上人の御光を浴びていただくための場所ですから、入れ替え制になります。
現在彼らの御光は二時間ほどで効力が現れますので、二十四時間で最大五万人の患者さんを治療することが出来るでしょう。
彼らの御光の治療に要する時間は徐々に短くなってきていますので、最終的には一日最大八万人を治療可能になることと思っています」
「それでは病室もたくさん要りますね」
「はい。近隣の病院の病室も使わせて頂くことになると思いますが、治療施設の隣に、最低でも八万人を収容できるだけの病室を持った病院が必要です。
また、患者さんの家族の方が泊まるためのスペースも必要です」
日本側出席者の額に汗が浮かび始めた。
さすがに首相だけは冷静だったが、その眉間には深いしわが浮いている。
「加えて、この治療のメカニズムを明らかにするための研究所も必要です。
それから研究者の方々や病院のスタッフのための住宅も必要です」
「それだけの施設を作るには相当な資金が必要ですね」
「はい」
「それらの資金をどのように確保されるおつもりですか」
「実はバチカンとアメリカに寄付していただけないものかと思っております」
枢機卿と首席補佐官はお互いを見て微笑んだ。
「初年度の投資額はいくらぐらい必要ですか。
それから最終的にはいくらぐらい必要だとお考えですか」
「これだけの施設建設を始めるためには、はっきりと資金を確保しておかなければ建設会社が動いてくれませんので、初期投資額は百億ドル程度必要と考えております。
二年目以降は年間三十億ドルから五十億ドル程度で間に合うでしょう」
日本側出席者は蒼ざめている。首相ですらも。
また枢機卿と首席補佐官は顔を見合わせて微笑んだ。
「畏まりました。初期投資資金としてバチカン・アメリカ共同基金から、今週中に瑞祥研究所に百億ドルの寄付を送金させていただきます」
「よろしいのですか」
「はい。実はこの金額さえも我々の見積もりと見事に一致しました。
来年以降も四年間、毎年五十億ドルずつ送金させていただきますのでそのように御予定ください」
「ありがとうございます」
「実はここだけの話ですが、イタリアでの快挙が実際はキリスト教会の関与が大きかったという噂が立ちましてね。
教徒たちの善意の献金が、昨年だけで全世界から例年より百億ドルも多く集まっているのですよ。
これまでそうした教徒たちの献金は、いざというときの為に蓄えられていました。
そして今こそそのいざというときであると、枢機卿会議で公式に決定しています。
ですから必要とあらば追加の寄付のご要望もすぐにお伝えください」
「ありがとうございます……」
「アメリカでは皆さまのご協力により、組織犯罪が激減しつつあります。
また今年の麻薬の押収量は、昨年の二十倍、末端価格にて五十億ドルになりました。
来年はもっと増えるでしょう。
大統領はこの金額の範囲内であれば、即座に寄付を承諾する権限を私に与えられました。
でももしもっと必要とあれば、直接わたくしにご連絡ください」
枢機卿が真剣な声で言う。
「バチカンもアメリカも、この事業が金銭的な理由で制約を受けることは絶対に許されないとの認識で一致しております」
「ありがとうございます……」
外務大臣と官房長官の手が震え始めた。
この金額は為替相場にすら影響を与えて円高になりそうだ。
だが、もしそれが国内で使われるようなことがあれば、それだけで日本のGDPを毎年10BPから20BPずつ押し上げるだろう。
乗数効果を考えればもっとだ。
そして…… 来日してガンを治癒してもらった外国人達が日本に落としてくれるカネのことも考え合わせれば、低迷している日本の景気すら上向くかも知れないのである……
(つづく)