*** 7 あらゆる点で不思議な力 ***
翌日朝、国立がんセンター東京本部本部長室。
昨夜の修行のおかげで心身ともにさっぱりした光輝は、対照的にドス黒い顔した本部長やがんセンターの医師たちの前に座っていた。
何故か医師たちは疲労の色が濃いだけではなく、顔色もすぐれない。
何故かマリアーノくんの顔色もやや悪い。
佐藤本部長が振り絞るような声で言った。
「昨日三尊さんたちに座禅を組んで頂いてから、順に患者さんたちの検査を行いました……」
瑞祥院長が先を促すように頷く。
「途中から予定を変更して深夜まで検査を続けました。
今も検査は続いています……」
そこで言葉を切った佐藤本部長は、まじまじと光輝の顔を見つめた。
「すみません、三尊さん。我々は…… その…… 信じておりませんでした」
光輝がきょとんとした顔をする。
そのあまりにも若く純真そうな顔を見て、佐藤本部長はますます苦しげな顔になった。
「いくら尊い御光でも、まさかガンを治すなんて……」
「それで検査の結果はどうだったんだ?」
瑞祥院長が口を挟む。
佐藤本部長は友人の顔を見て言った。
「ああ、全員のガンが直前の検査時に比べて明らかに縮小を始めている」
「やったぁっ! よかったぁっ!」
光輝が快哉を叫んだ。
崇龍さんと厳勝さんだけが満面の笑みを湛えて光輝を見た。
瑞祥院長の顔は変わらず、がんセンターの医師たちの顔はますますドス黒くなった。
やっぱりなぜかマリアーノくんの顔色は悪い。
「それも検査が後になればなるほど、つまり三尊さんの座禅の御光を浴びてから時間が経った患者ほどその縮小率が高い。
つまり、全員があの光を浴びた直後からガン細胞の縮小を始めている。
だから、検査が後になった患者ほどその縮小率が高く見えるものと思われる」
「そ、それで、皆さんは助かりそうですか?」
佐藤本部長はまた光輝を穴のあくほど見つめた。
「ええ…… 体力の落ちている方が多いため予断は許しませんが、このままであれば確実に快方に向かうでしょう……」
「よかったですねー」
相変わらず光輝には屈託が無い。奇跡を奇跡とも思っていない。
「それで、ガン細胞は死滅しているのか、それとも……」
また瑞祥院長が口を挟んだ。
佐藤本部長がぎょっとした顔で友人を振り返る。
「そ、そうか…… おまえのところでもそうだったのか……」
「うむ」
「ガン細胞は死滅して体外に排出されているのではなく、元の細胞に戻っているものと思われる。
欠損や排出の跡がまったく見られない…… ま、まるで……」
「まるでなんだ?」
「ガン細胞がガン細胞になったのを反省して自ら元通りになっているかのようだ……」
「うむ。我々はそれを、『説得』と呼んでいる」
「説得?」
「そうだ。三尊氏の御光の中心におわすお釈迦さまが、ガン細胞に説教して悔い改めさせ、元の細胞に戻るよう説得した結果だそうだ……」
「…… せ、説得 ……」
「おかげで異常なまでに患者の回復が早いのだ。
ガン細胞が単に死滅しただけでは切除手術と変わらず患者の負担も大きいが、元の細胞に戻ることで患者の負担がほとんど無いのだ」
「そ、そうか……」
「ならば今日も引き続き、重篤な患者のガン細胞を説得していただこうではないか……」
「我々ガン研究者はもう失業ということなのだな……」
本部長の憂愁はますます濃い。
本部長の後ろの医師たちの落胆ぶりも激しい。
瑞祥院長は優しく言った。
「我々の本分は、ガンを研究することではなく、気の毒なガン患者を治療して差し上げることだったと思うが……」
本部長は友人の顔を寂しげに見つめて言った。
「そうだったな…… お前の言うとおりだ……」
「それに失業どころかもっともっと忙しくなるぞ」
「どういう意味だ?」
「我々の目の前には今、非常に重要な四つの仕事がある。
ひとつは、急いで全国の重篤ガン患者を三尊氏と崇龍上人様の前に連れて来て、全員を死の淵から引き戻して差し上げることだ。
もうひとつは、この奇跡が他の病気にも効くのかどうかを確認することだ。
さらに次には、全世界のお気の毒ながん患者を三尊氏と崇龍様に治して頂く体制を作り上げることだ。
そうして四つ目は最も重要な仕事、すなわちこの奇跡のメカニズムを科学的に解明することだ。
三尊氏と崇龍上人様には申し訳ないが、お二人がいつまでもこのままでいらっしゃるかどうかわからないからだ。
三尊氏が万が一にも事故か何かで亡くなられたらどうする。
崇龍上人様がご成仏為されてしまったらどうする。
我々はこれからガンが治る、それも百%治るという天国の扉の前に立っているのだ。
だが三尊氏と崇龍様に万が一のことがあれば、またガンの恐怖に怯える暗黒の時代に戻ってしまうのだぞ。
もしそのときまでに科学的なメカニズムの解明が終わっていなければ、後世のひとびとは我々の怠惰と無能を謗るに違いない。
そして……
いつの日にか我々の後進が、そのメカニズムを応用して他の重要疾患の治療法をも確立してしまうかもしれないではないか。
我々は今、そういう医学界の大変革の扉の前に立っているのだ。
我々の今までの研究努力が無に帰してしまうことなど、どうでもよいことではないか」
考え込んでいた佐藤本部長の顔が徐々に晴れやかになってきた。
後ろにいた部下の医師たちの顔も輝き始めた。
「昔からお前は、この手の洞察に抜群の力を持っていたな。
きっと今回もお前の言う通りになるだろう。
我々は途轍もなく忙しくなるぞ」
「うむ。間違いなくそうなるだろう。
そして今それが出来るのは全世界で我々だけなのだ。
それでは早速今日の実験を始めようではないか。今日はまず……」
光輝はまた、昨日ほどではないもののそれでも重篤な三十名の患者さんたちのいる大病室で座禅を組んだ。
今日の患者さんたちは、最も症状の軽い人から順に、三十分、一時間と、三十分おきに病室から外に出されて検査室に行き、検査を受ける。
そうして、何分御光を浴びればガン細胞の説得が終わるのかを検証するのである。
まあ、瑞祥病院でもやった実験だった。
今日も六時間、明日も六時間の実験が予定されている。
瑞祥病院での実験によれば、三時間で全員のガン細胞が説得に応じ、あとは放っておいても治癒が進むはずである。
明日は同じ実験を光輝の座禅だけで行って結果がどう変わるか確認することになっている。
その後の予定は光輝には知らされていなかった……
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その日の座禅が無事終わり、光輝たち一行が遅い昼食を取っているときに、光輝はマリアーノくんに聞いてみた。
「どうしたのぉマリアーノくん。なんだか元気が無いよぉ」
マリアーノくんは箸を置いて膝の上に手を揃えた。
前に置いたうな重にはほとんど手がつけられていない。
というか箸でつついただけで食べていない。
「わたしは怖いのです」
「なにがぁ?」
光輝は特上のうな重に猛然と取り組みながら気の抜けた声を出した。
「わたしたちは、もともと霊というものの存在を信じていました。
死後の世界の存在こそはキリスト教の中心的な教義のひとつだからです」
「うん……」
相変わらずパクパクうな重を食べながら光輝が答える。
「ですから瑞巌寺の皆さんが霊の方々との意思の疎通に成功したことにも違和感はありませんでした。
三尊様の御光は驚異的なものですが、それでも僧侶の方々の修行という努力の結果、霊の方々のご協力を得られて日本でもイタリアでも大きな成果が挙げられたのは、人の努力の成果だと思っています」
「うんうん。それで?」
「ですが、この御業は…… 今回のこの偉業は……
これはもう奇跡としか言いようがありません。
もしも三尊様がキリスト教徒であらせられたなら、バチカンの奇跡認定官たちは、間違いなくこの偉業を奇跡として認定することでしょう」
「へぇ~、そうなんだ」
相変わらず光輝の声には緊張感と言うものが無い。
「おわかりになりませんか? もしも奇跡と認定されたら……
三尊様はキリスト教における聖人に列せられる可能性があるのですよ。
聖KOUKIになられて子供たちのミドルネームになるのかもしれないのです。
そしてもしも生きているうちに聖人認定されるとしたら、それは確か五百年ぶりのことになるはずです……」
「ふぅ~ん。じゃあ日本人のキリスト教徒の子でこうきっていう名前の子だったら、こうき・こうきになっちゃうんだぁ……」
光輝には緊張感は無かったが、瑞祥院長や厳勝には事の重大性が分かり始めてきた。
「それからわたしは不安なのです」
「なにがぁ?」
「これはもはや人のわざではありません。神のわざです。
しかし、神の摂理に反しているかもしれないわざでもあるのです。
なにしろ運命に従って神に召されようとしているひとびとを、現世に引き戻してしまっているのですから……」
「ああ、そういう考え方もあるんだぁ」
瑞祥院長と厳勝には、マリアーノくんがなぜ蒼い顔をしているのかわかってきた。
キリスト教会が、この偉業を神の摂理に反するものとして糾弾してしまうかもしれないのだ。
「あ、マリアーノくん、ちょっとごめんね。あの、瑞祥さん」
「なんだね三尊さん」
「あの、うな重もう一人前頂いてもいいですか? なんだかお腹が空いちゃって……」
「はは、もちろんだ」
瑞祥医師は苦笑しながら答えた。
今日もまた三十名もの重篤患者の命を救ったエネルギーが、たったのうな重二人前で補給されるとは……
そう思った瑞祥は苦笑せざるを得なかった。
マリアーノくんはふっと表情を緩めて自分のうな重を光輝に差し出した。
「もしよろしければこれをお召し上がりください」
「いいの?」
「はい、もちろん。箸はつけましたが口には入れておりません」
「ありがとー」
光輝はまた猛然とうな重に取り組み始めた。
そしてむしゃむしゃ食べながら言う。
「でもさー、それ決めるのって、本来は神様かイエス様なんでしょお」
「は、はい、もちろんです……」
「だったらマリアーノくんが心配することじゃあないんじゃないのぉ」
「は、はい、ですが実際に判断されるのは枢機卿様や法王様ですから……
その御判断の元になるのは私の書く報告書かもしれません。
それを考えると食事ものどを通らないのです……」
マリアーノくんの顔色を見、話を聞いた瑞祥院長と厳勝は、マリアーノくんが本当に光輝の偉業を素晴らしいものに思い、心からそれを助けてあげたいと思っていることがわかった。
だが、彼の書く報告書によって、キリスト教会はこの偉業を神の意志に背くものと考えてしまう可能性があるのだ。
これこそがマリアーノ司教の苦悩の原因だった。
また光輝が言う。
「でもさー、可哀想な子供たちの命が助かるんだったら、それでもー充分じゃあないのかなあ。
別にそれが誰かに認められようが、ダメって言われようがどーでもいいことなんじゃないのかなあー」
「そ、そう割り切れればいいのですが……
さ、最悪の場合、バチカンから引き上げ命令が……」
「あっ、そうだっ! だったら直接イエス様に聞いてみたら?」
「は?」
「天界では、イエス様とブッダ様って仲のいいお友達なんだってさ。
だからお友達のブッダ様がやってることを、イエス様がどう思われているか直接聞いてみたらどうかなあー」
「うううっ! ち、直接ですか……」
「だからさ、マリアーノくんも自分が書いた報告書でエラいひとがどう動くかなんて気にせずに、起こってることをありのまま書くだけでいいんじゃないかぁ。
それなら簡単じゃあない?」
ようやくマリアーノくんは気がついた。
自分はこの三尊さんの奇跡を大声を上げて讃えたかったのだ。
その大偉業に涙していたのだ。
だからバチカンにも全力を上げて支援して欲しかったのだ。
万が一にも神の意志に背く行為だなどと認定して欲しくなかったのだ。
だからバチカンへの報告書も、三尊さんを支援する方向に誘導するものにしたかったのである。
だがそれはありのままを詳細に報告せよという命令に反する行為でもあった。
故に自分は苦悩していたのだ。
だがそれは一介の司教たる自分が心配することではない。
お決めになるのは神様やイエス様なのだ。
三尊さんが言う通りイエス様に聞いてみればいいのだ。
そしてイエス様はすべてお見通しであられるのだ。
自分の報告書などはまったく必要無かったのである。
きっとイエス様はご友人のブッダさまに毎日お話をお聞きになっておられるに違いない。
そう思い至ったマリアーノくんの顔が晴れ晴れと輝いた。
「なんだか急にお腹が空いてきました……」
「ええっ! キミのうな重、もう食べちゃったよおうっ!」
瑞祥院長は、また苦笑しながらうな重特上をもう一人前注文した。
(それにしてもこの三尊光輝という若者……
あらゆる点で不思議な力を持った男だな……)
瑞祥院長は心からそう思った。
(つづく)




