*** 3 武装機動隊即応部隊緊急出動***
光輝たちも朝食を済ませた。
新たに崇龍さんの担当に任命された厳勝さんは、お弟子さんと共に常に崇龍さんに影のようにつき従っている。
光輝は崇龍さんにもお供えしましょうかと聞いたのだが、現世の人と違って毎日三食食べるわけでは無いので大丈夫だと言われた。
ふいに崇龍さんが言う。
「ところで光輝殿」
「はい?」
「お気づきになられているだろうか……」
「なんでしょうか?」
「い、いや、お気づきになられていないのならどうでもいいことだ……」
「は、はい……」
「それより光輝殿。
お疲れのところ誠に申し訳ないのだが、あと二、三日、いや一日だけでもかまわんから、また厳上僧正の枕頭にて座禅を組んでやってもらえんじゃろうか」
「もとよりそのつもりですよ。厳上さんの迷惑にならないんだったら何日でも」
「かたじけない」
「いえ。厳上さんは確かに崇龍さんの担当かもしれませんけど、私にとっても大切な友人です。家に遊びに来たことだってあるぐらいです。
ですからこれはわたしの意思です」
「いや、さすがは光輝殿だのう」
その日はまた厳上の病室で午後いっぱい座禅を組んだ。
夕食後にも座禅を組んだ。気がついたらまた朝になっていた。
厳上と美樹ちゃんはさらに恐縮していたが、別に迷惑そうでもなかったので、翌日も同様に座禅を組んだ。
不思議なことに光輝はいっこうに疲れなかったのである。
むしろだんだん力が漲ってくるような気もしていた。
三日目の昼。
厳上が検査を受けた後に光輝は誠一院長に呼ばれた。
またもや院長室での面談だったが、誠一院長の顔は疲労でドス黒くなっている。
眉間のしわもさらに深い。
光輝は最悪の知らせを覚悟して緊張した。
「…………した…………」
「えっ、な、なんですかっ。す、すいません、聞えませんでしたっ!」
誠一院長は顔を上げ、光輝を正面から見据えながらはっきりと言った。
「厳上さんのガンが治り始めました……」
「えっ、ええええ~っ!」
「間違いありません。
ガンに侵された部分が明らかに縮小し始めています。
しかもガン細胞が壊死して体外に排出されているのではなく、元の細胞に戻っているのです。
こ、こんな現象は見たことがありません。
ですが確かに快方に向かい始めています……」
「うわああああああーっ! やったぁやったぁっ!」
光輝は喜びのあまり崇龍さんとハイタッチしようとして空振りした。
さすがの光輝もまだ霊体に触れることはできない。
その場にいた崇龍さん担当の厳勝僧正はただ呆然としていた。
不思議なことに誠一院長の顔色はまだすぐれない。
「こ、こんな、こんなことが起こり得るとは……」
「で、でも実際に起きているんですよね……」
「はい。それは間違いありません」
ふいに崇龍さんが口を挟んだ。
「やはりそうじゃったか……」
光輝と誠一院長が崇龍さんを振りかえる。
「いやの。三日前の夜、初めて厳上の病室に来て座禅を組み始めたとき、光輝殿の後上方のお釈迦様の御尊顔が、難しく険しいお顔であられたのは覚えておられるか?」
「は、はい。あんな厳しいお顔を拝見したのは初めてでした」
「それがの、翌朝には元通り穏やかなお顔になられていたのじゃ。
そうしてその翌日には晴れやかなお顔、そうして今朝は嬉しそうなお顔になられていた」
「そ、そそそ、そうだったんですか。気がつきませんでした……」
「うむ。拙僧ごときがお釈迦様の御心を御推察申し上げるなど僭越の極みではあるものの……
きっとお釈迦様も初めてのことゆえご不安だったのではなかろうか」
「ど、どういうことでしょう」
「光輝殿はお釈迦様に、ガン細胞を説得して途を説いてやって欲しいとお願いされておられたよの」
「は、はい。このまま勝手に増殖しても、生みの親の厳上さんだけでなく自分も死ぬのだから、元の細胞に戻れと説得してやってくださいとお願いしていました」
「それよ。
さすがのお釈迦様も、ガン細胞相手にそのような説得を試みられたご経験は無かったのじゃ。
だから最初はあのような険しいお顔をされていたのじゃろう。
じゃが、その説得が功を奏し、ガン細胞たちが素直に元の細胞に戻ろうとし始めたのを見て、お釈迦様も御安心下されたのじゃろ。
それゆえまたもとの柔和なお顔に戻られたことと思われる」
「説得が成功したから、嬉しそうなお顔に戻られたんですね……」
「うむ。
それに大切な仏教徒をひとり、救ってやれたことも嬉しく思われたのであろう」
「…………」
光輝と崇龍の会話を黙って聞いていた誠一院長が口を開いた。
「説得…… ですか……」
そしてようやく晴れ晴れと微笑んだ。
その後誠一院長は光輝に、念のためまだ厳上夫妻にはこのことは伝えていないと言った。
万が一ぬかよろこびに終わったとき、可哀想だからだ。
だからあと数日厳上の枕頭にて座禅をお願いしたいと頭を下げた。
それに加えて、もうひとつお願いがあると言う。
「三尊さんも御存じの瑞祥真二郎君が、やはりガンで当病院に入院しています」
「はい……」
「治療の甲斐無くガンが進行し、余命はあと半年ほどでしょう」
「は、はい」
光輝はようやく誠一院長の言いたいことがわかった。
「お疲れのところ誠に申し訳ございませんが、厳上さんにもお願いして真二郎君も厳上さんの病室に入れてやっていただけませんでしょうか」
「は、はい、もちろんです」
「真二郎君には特にお願いをして、可能な限りあらゆる検査を受けてもらうつもりです。
レントゲンも法律が許す限りたくさん、そうですね二時間おきに撮りましょう。
そういうことをしてお釈迦様は御気分を害されないでしょうか」
光輝は崇龍さんと顔を見合わせた
崇龍さんは微笑んだ。
「大丈夫だと思います。なにしろ慈悲深いお釈迦様のことですから……」
光輝もまた嬉しそうに微笑んだ。
瑞祥真二郎は検査漬けを快諾した。
「どうせすぐに無くなる命ですので、お役に立てるだけでも光栄です」と喜んでいた。
そうしてなんと、今度は一日で真二郎のガン細胞が無くなり始めたのである。
厳上の場合とまったくおなじ経過であったが今度は早い。
またお釈迦様は晴れ晴れとしたお顔をされていた。
きっともうコツを掴まれたのだろう。
瑞祥誠一院長は、厳上僧正と瑞祥真二郎に、二人が奇跡的に快方に向かい始めたことを伝えた。
その理由は、もはや光輝たちの座禅によるものとしか考えられないとも言った……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「三尊様たちの献身的な座禅により、厳上僧正が死地を脱して快方に向かい始めた」
との報は、瑞巌寺を大歓喜で揺るがした。
まだ予断は許されないものの現時点では確実に治癒しつつあると言う。
ただでさえ毎日の読経でのどを鍛えられている僧侶たち一千人の、心からの大歓声は、文字通り周囲の山々にこだました。
留学生たちのイタリア語や英語の大歓声もこだました。
瑞巌寺に隣接した武装機動隊駐屯地の即応部隊が緊急出動したほどである。
二十秒で瑞巌寺に駆け付けた即応部隊の隊長は、後にその大歓声の中で部下たちの鼓膜が破れるかと心配したと語った。
そして……
大歓声を上げた僧侶たちは、次第に沈黙してその場に低頭し、光輝がいるはずの方向に向かって長い長い平伏を始めたのである。
その一千人の僧侶たちの無言の平伏は、夕闇が濃くなるまで続いたという。
平伏を続ける厳真の体は震え、目からはとめどもなく涙が地面に落ちていた……
「瑞祥真二郎が三尊様の座禅の御光により、奇跡の回復を始めた。
このまま行けば快癒の可能性が高い」
との報も瑞祥一族全体を大歓喜で揺るがした。
あの御隠居様ですら、涙を流しながら光輝がいるはずの方向を向いて平伏したという。
光輝はもはや彼らの税務顧問などではなく、彼ら一族の守護神となったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ふたたび厳上の病室を訪れた光輝と奈緒と崇龍上人の前で、厳上と美樹ちゃんが抱き合いながら、床に額をすりつけてお礼を言上した。
もう二人とも顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
何を言っているのかもよく聞き取れない。
光輝がいくら止めようとしても聞かない。
そう言えば奈緒も大泣きしている。
つられて滅多に泣かないひかりちゃんまで泣きだした。
瑞祥真二郎も号泣しながら床に頭をすりつけている。
真二郎の家族もおなじ姿勢でこちらも号泣しながらお礼を言上している。
もうみんな何を言ってるんだかもよくわからない。
光輝は閉口しながらも、「ああ、こんなに人に感謝されるのって、僕の人生で最初で最後だろうな……」と思っていた。
だが光輝は大いに間違っていたのである……
(つづく)




