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【初代地球王】  作者: 池上雅
第二章 【成長篇】
68/214

*** 37 地道で堅実な努力 ***


 現代の爆薬であるC4やセムテックスは、意外なことに爆薬のままであればかなり安全な物質である。


 たとえ火にくべても爆発はしない。燃えることもない。

 まるで粘土のような物質である。


 だがこのC4やセムテックスに信管を着けると恐ろしく危険な物体に変わる。

 なにしろ五百グラムの爆薬を上手く使えば、小さな警察署ぐらいなら完全に倒壊させることが出来るのだ。


 時限装置に繋いでも改造した携帯電話に繋いでも信管は起爆させられる。

 その携帯の番号に電話するだけでいいのだ。もちろん無線でもいい。


 だがしかし万が一ということもある。

 その携帯にもし間違い電話がかかってきたら……

 その周波数の電波が偶然流れてきたら…… 

 時限装置すら危険である。

 水でもこぼしたら即座にショートして起爆するかもしれないのだ。


 故に全ての爆弾取扱者は、実際に爆弾を使用する直前まで爆薬と信管は必ず分けて保管することと教えられる。

 よって、爆薬の保管場所を特定できても、まだ爆弾の工房は見つかっていない。

 爆弾の製造係も掴まっていない。


 地道な捜査が続けられた。




 イタリア警察対マフィア諜報局の本部に近いある教会では、バチカンからの指令により、捜査に協力して教会を貸し出していた。

 昼でも薄暗い教会である。


 今は別の容疑で逮捕されたマフィアの幹部とその弁護士が、祭壇前の机に向かって座っている。


 弁護士はアルマーニに身を包んだキザな野郎だ。

 マフィアの弁護によってファミリーから莫大な報酬を受け取っている。


 幹部の顔つきは見るからに凄まじい。

 暴力と犯罪の坩堝の中を生き延びて、ここまでのし上がって来た男である。

 銃撃を受けたことも一度や二度ではないだろう。

 この男を論理や暴力で従わせることなど誰にも出来ないだろう。


 その幹部の顔つきはそうしたことを如実に物語っていたし、対マフィア諜報局で三十年以上叩き上げて来たリッツイアーノ警視にもそのことはよくわかっていた。



 だが……

 そうした人生を歩んできた男だけに、迷信にはヨワかった。

 目の前を横切ったというだけで黒ネコを撃ち殺すほどの男である。


 ましてここはイタリア、つまりカトリックの総本山を抱える地である。

 神やらその罰やら使徒やら悪魔やら悪霊やらという話を、子供のころから毎日聞かされ続けていたせいで、実はそうしたこの世ならぬものを心の底から恐れている男でもあった……



 彼らと机を挟んで対峙しているのは、リッツイアーノ警視とまたあの司教である。

 後ろの方ではキーガン警視と調査官も見学している。


 リッツイアーノが言う。


「さて、そろそろ爆弾製造工房の場所を教えてくれないか」


「そんなものは知らん」


「困ったな。教えて欲しいんだがな」


「知らんもんは知らんな」



「司教さん」


「はい警視さん」


「この容疑者だが、もし本当は工房の場所を知っているのに嘘をついているとしたらどうなるのかな」


「はい。その場合はその嘘で人が死ぬかもしれませんから、神から重い罰が下されるかもしれません」


「どんな罰なんだい?」


「そうですね。まずは悪霊に取り憑かれるかもしれません。

 その後は地獄に落とされるかもしれませんね」


「おお、恐ろしい。

 そんな恐ろしい目に遭う前に、もし工房の場所を知っているなら言っちまったほうがいいぞ」


 容疑者のマフィア幹部とその弁護士は、完全に馬鹿にした表情で警視たちを見下して笑っている。



 と、そのとき、机の上に置いてあったリッツイアーノ警視の鉛筆が、誰も触れていないのにすっと容疑者の方を向いた。

 ぎょっとする容疑者と弁護士。


 もちろんポルターガイスト現象を起こすことのできる聖戦霊団の上級霊がやっていることである。


「悪霊に取り憑かれるなんて怖いですよねえ、司教さん」


「ええ、恐ろしいことです」


 二人は鉛筆にまるで気づいていないかのようにのんびりと会話している。


 するとこんどは机の上の消しゴムが、誰も触れていないのにころころと容疑者の方に転がって行った。


 やはり実験台になってくれた、なにも知らない志願者の若い警察官のひとりは、この段階でわんわん泣きだしていた。


 だがさすがはマフィアの幹部である。

 脂汗を流しながらも耐えている。

 弁護士の方は固く目をつぶって震えている。

 まるで見えなければそこには何もないと思っているようだ。


「ことん」と音がした。

 思わず弁護士が目を開ける。

 弁護士のすぐ前に弁護士を向くように、鉛筆が移動していた。

 思わず恐ろしい顔つきで自分が弁護している容疑者の方を振り返る弁護士。

 容疑者は蒼白な顔で首を横にぶんぶん振る。


 そのとき、容疑者の目が見開かれた。

 髪の毛が逆立った。弁護士の後ろを凝視している。


 もちろん上級霊のやったことだ。

 どんなに驚いても実際に人間の髪の毛が逆立つことはない。

 人間の髪の毛が実際に逆立つと、それは猛烈におかしな顔になる。


 リッツイアーノ警視はそれに慣れて笑わなくなるまでにたいへんな訓練を重ねていた。


 弁護士が恐る恐る首を回して後ろを見た。

 弁護士から一メートルほど離れたところに浮かんでいたのは、猛烈に怖い顔をした霊の姿だった。


 五千人の霊の中からオーディションで選ばれた、最も怖い顔をした低級霊である。


 そのオーディションの審査員をやらせた警察官たちは全員体重が減っていた。

「このひとが優勝です」と言ってげっそりした審査員たちが連れて来た霊を見て、リッツイアーノ警視ですら部屋から逃げ出しそうになったほどである。


 その霊は生前とてもやさしい聖職者だった。

 だがあまりにも顔が怖かったので、ミサに来る子供たちが泣くのに悩んでいた。

 彼はいつもそんなことで悩むのを告解して神に謝罪していた。


 しかし、霊となった今、その怖い怖い顔が教会のお役に立っている。

 感動したその神父の霊は、全身全霊を込めて仕事をした。


 つまりさらにさらに怖い顔になっていたのである。



 容疑者と弁護士の目には、霊の姿は半透明で後ろの景色も見えたが、だんだん姿が濃くなってきた。

 隠れているマリアーノ司教も芸が細かい。


 その霊の顔は本当にこの世のものとも思えないほど怖かった。

 まあこの世のものではないのだが……



 弁護士のアルマーニからじゃーじゃーと音を立てておしっこがほとばしった。

 本人は自分のおしっこにも気づかずに怖い怖い顔の霊から目が離せない。


 弁護士は突然立ち上がって狂騒的な声で叫んだ。


「きっ、脅迫による自白強要は、きっ、ききき、禁止されていりゅっ!」


「誰がどんな脅迫をしてるんですかあ」


 リッツアーニがのんびりした声で言った。

 まるでなんにも気づいていないかのような声である。


 弁護士は「こ、こりぇ!」と言って霊の方を指差したがそこには誰もいない。

 机の上の鉛筆ですら元の位置に戻っている。


 弁護士はようやくまだ流れ続けている自分のおしっこに気がついた。

 慌てておしっこを止め、乱れたスーツをキザな仕草で直して座ろうとする。



 そのとき横にいた容疑者の体が硬直して跳ねた。

 目だけで周囲を見渡している。


 容疑者のヴェルサーチからじゃーじゃーと音を立てておしっこがほとばしり始めた。


 弁護士は座ろうとしていた中腰姿勢のまま周りを見る。


 そこに見えたものは……


 惜しくもオーディションで優勝は出来なかったものの、堂々の入賞を果たした怖い怖い顔の霊百人が周りを取り囲んでいる姿だった。


 中には体中に空いた銃撃による穴から血を流したままの霊もいる。

 頭が半分吹き飛ばされた姿の霊もいる。


 取り調べの場所を教会にした理由がこれだった。

 百人の怖い顔を一度に見せるには相当に高い天井がいる。

 薄暗い教会の内部装飾も背景として申し分無かった。



 弁護士のアルマーニからプリプリという不名誉な音がした。

 しばらく経ってさらに不名誉な臭いも立ちこめる。


 隣の容疑者がごとんと大きな音を立てて机の上に倒れた。

 弁護士はそのままの姿で硬直している。


「やれやれ、それでは一旦休息を挟んで午後からまた取り調べを行うこととします」


 リッツイアーノはそう言うと、隅に待機していた警察官たちに合図して教会から出て行こうとした。

 霊たちの姿はもう見えない。


 警察官たちは鼻をつまんで近づいてくると、意識の無い容疑者を担架に乗せて急いで連れ出して行った。

 一刻も早くこの場から離れたいようだ。


 弁護士がリッツイアーノに叫んだ。


「おっ、おいっ!」


「なんですかあ、弁護士さん」


「ずっ、ズボンを貸せっ!」


「そんなもんは教会には置いてありませんよお」


 そう言うとリッツイアーノ警視は弁護士をそこに残したまま、司教と一緒に教会を出て行った。

 キーガンと調査官たちも一緒に逃げ出した。


 教会の清掃係のおじさんがぶつぶつ言いながら掃除を始めた。




 午後からの取り調べでは、鉛筆が自分の方を向いただけで、容疑者は自分の知る全ての爆弾製造工房の場所を自供した。

 弁護士は来なかった。


 それでも耐えるマフィアの幹部がいると、次には霊たちが徐々に近づいてくるというパフォーマンスがある。

 容疑者の体を通り抜けたりもする。


 この段階まで到達出来た実験台の警察官はひとりもいない。

 リッツイアーノ警視は、実験にも立ち会っていたキーガンや調査官たちを勧誘してみたが、全員首を左右にぶんぶん振りまわしながら後ずさったので諦めた。


 仕方なしにマネキン人形を使って霊たちに練習をさせのだが、マネキン人形ですら怖がっているように見えた。


 椅子への座らせ方のバランスが悪くて実験の途中でマネキンが倒れたのだが、その場にいた助手の警察官も気を失って倒れた。



 もしもこのパフォーマンスでも耐えられたマフィア幹部がいたとしたら……

 その場合には夜の拘置所の独房の中で、ぎっしり詰まった百一人の怖い怖い顔に囲まれることになる。


 必死に目をつぶって耐える容疑者だが、一晩中鉄格子がカタカタ音を立てているので眠ることはできない。

 もしもそれでも眠ると今度はベッドが揺れ出す。


 たいてい夜中になる前に叫び声で看守を呼んで、自白するから警視を呼んで来てくれと懇願した。


 これは聖戦団の司教たちにもけっこうな負担がかかったが、幸いにもこのダンジョンまで来ることのできるマフィアはほとんどいなかった。


 それでも耐えたあっぱれな幹部もいるにはいたが、今は精神が崩壊して精神病院に入院中である。

 医者はおそらくもう一生退院できないだろうと言ったが、誰も同情しなかった。



 彼らの自白で芋づる式にマフィア幹部が逮捕され、同時に多くの爆弾製造工房も明らかになった。

 二十人の爆弾製造者が逮捕された。

 もう国内にはほとんど残っていないだろう。


 最終的にその教会では計三百人近い幹部を相手に尋問が行われたのだが、その教会でのマフィア幹部の自白率は九十九%だった。

 精神病院送りは一%である。

 例外はいなかった。


 自白した幹部の多くも再起不能の状態である。

 弁護士も入れ替わり立ち替わり何人も来たが、いずれも一回で来なくなった。

 二十人ほどの弁護士がチャレンジした後で、イタリアにマフィアの取り調べにつきそう弁護士はいなくなったのだ。



 五人目ぐらいでとうとう清掃係のおじさんが怒りだした。

 こんな仕事は絶対にやめてやるっ、と息まいている。


 仕方が無いのでマリアーノ司教は、おじさんに小の掃除一回につき十ユーロ、大には三十ユーロの迷惑料を約束した。

 ロマーニオ枢機卿様から予算はいくらかかってもいいと言われていたからである。


 おじさんは気を取り直して仕事に精を出してくれた。


「今日は容疑者が少ないねえ」とか言うようになっている。


 おじさんは相当に貯金を溜めこんでいるようで、その一部で軍仕様の防毒マスクも買っていた。

 薄暗い教会で防毒マスクをつけて掃除をするおじさんの姿もかなり怖い。


 気の毒だったのはその教会を預かっていた司教である。

 その教会がトイレ教会と言われるようになってしまったのだ。

 匂いまで染みついていたからだった。

 枢機卿様に苦情を言うわけにもいかなかった……



 こうした地道で堅実な努力の結果、とうとうイタリア全土から爆弾テロの可能性が廃除されたのである。


 爆弾テロの可能性が無くなった後は、リッツアーノ警視はマフィア幹部摘発そのものに乗り出した。

 ファミリーの全ての構成員が監視されていたため、逮捕状を取るのは容易だった。


 一旦拘束すれば、自白率九十九%の必殺取り調べワザもある。



 もちろんその過程でフランスやオランダやスペインなどの周辺国からも、イタリアに進出しようとするマフィアたちが大勢海を渡って来ていたが、全員同じ目に遭わされて再起不能になっていた。

 幸いにもあの取り調べには語学力もあまり必要ではない。


 そうしてとうとう残されたのはドン・オブ・ザ・ドン、つまりイタリアを統括する最終ドンだけになったのである。


 やつの権威さえ崩壊させればイタリア全土からマフィアを駆逐出来る。

 そう思ったリッツイアーノ警視の目に涙が浮かんだ。


 過去の捜査の過程でマフィアに襲われて命を落とした、無数の部下や友人たちの顔が浮かんで来た。

 涙は止まらなかった。


 この上は完全にマフィアたちの権威を失墜させて、半永久的にマフィアを復活出来ないようにしなければならない。


 リッツイアーノ警視はそう決意した。







(つづく)


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