*** 29 留学生宿舎 ***
光輝たち一行を乗せたバチカンのビジネスジェットが成田空港に到着すると、外務省職員に出迎えられた。
恐縮ですが、と丁重に言われてそのまま霞が関の外務省に連れて行かれる。
女性陣は近くの帝国ホテルのスイートルームに案内されて、しばし旅の疲れを癒してくださいませ、と言われた。
厳真と純子さんの部屋の机の上には、榊純子警部補の休暇の延長を許可する徳永警察署長からの書類まで置いてあったそうだ。
光輝たち一行は、外務省の大臣応接室に通された。
ひととおり挨拶が終わると外務大臣が切り出す。
「バチカンから、外交ルートを通じて公式に日本政府に留学生の受け入れ要請が来ました。
すべて瑞祥研究所と瑞巌寺に留学生の世話をお願いするとともに、日本政府にもその庇護を求めています。
皆さんに対して、日本政府も正式にバチカンからの留学生の受け入れをお願い致したいと思います」
「はい。承知いたしました」
龍一所長が事もなげに言う。ちょっと疲れた声だ。
「本当によろしいのですか」
「はい。バチカンで法王様に頼まれまして、そのときにも承諾させて頂きました」
その場にいた全員がたじろいだ。
まあ滅多に会えない人だし、会っても会話なんかまず出来ないのだろう。
(法王様にハグしてもらいました、って言ったらどんな顔するかな)光輝は思った。
「それでは外務省と致しましても正式にお手伝いさせていただきたいと思います」
龍一所長は、「そんなもん要りませんよ」と言いたかったのだが、まあ結婚披露宴にも来てくれたひとだったな、と思い出してなんにも言わなかった。
伴堂外務大臣は、もう一度言った。
「それではなにかありましたら外務省までご連絡ください」
「はい。わかりました」龍一所長はそう言っただけだった。
後日、新田代議士が教えてくれた。
「たとえアメリカの大統領を激怒させたとしても、誰かの首が飛ぶだけですな。
皆さんが新庄の首を飛ばしたように。
でも、日米関係は大人の付き合いが続くでしょう。
経済や国防の付き合いはたとえ大統領でも壊せません。
ですがバチカンとなると違います。
仮にもしバチカンの法王を激怒させたとしたら、日本は世界中のキリスト教国のほとんどの国民を敵に回すことになるでしょう。つまりは友好国の大半です。
その際には日本の外交は回復不能の大打撃を受けます。
恐らくその場合は戦後の外交努力がすべて無に帰すと言っても過言では無いでしょう。
逆にバチカンの大いなる友好と支援を取りつけられたら、これに勝る国益もまたありません。
外務省のあらゆる努力をどれだけの期間費やしてもこれには遠く及びませんな。
皆さんは外務省が涎を垂らすスーパーパワーを手中にされたんですよ」
「はあ……」
龍一所長はあんまり嬉しくなさそうだった。
「今度なにか外務省が悪さをし始めたら、アメリカの大統領やバチカンの法王様に言いつける前に、先に私に言ってくださいね。
私もボスの首が飛ぶのはあんまり見たくないもんですから」
新田はそう言って笑った。
「はあ、わかりました」
龍一所長はやっぱりあんまり嬉しそうではなかった……
外務省は研究所に対して勝手に予算をつけて来た。
事情をよく知らない事務方が恩着せがましそうにそう連絡してきた。
ひょっとしたら自らの天下り先にでもしようとしたのかもしれない。
だが、龍一所長はその場でこれを断った。
「いえ、要りません」と言っただけで電話を切った。
腹を立てたその審議官は、警察庁や国税庁など様々な機関を通じて研究所に圧力をかけようとしたが、全ての機関に鼻であしらわれた。
中でも親切な官僚は、「外務大臣の首を飛ばす気か」と忠告してくれた。
「そんなに勇退したいのか」とも言われた。
バチカンに対して顔を立てなければならなかった外務省は窮地に立たされた。
仕方無しに、外郭団体を通じた瑞巌寺への寄付という形でなんとか受け取ってもらえないだろうかと、大臣秘書官が丁重に挨拶に来た。
寄付ならば使途は自由であり会計監査も無いと言う。
龍一所長は厳攪や厳空とも相談の上、特別寄付という形で瑞巌寺への一般寄付と区別するという条件で渋々これを了承した。
研究所に圧力をかけようとした審議官は次の異動で飛ばされた。
外務省外郭団体からの特別寄付金は五十億円だった。
みんなは、このお金で結婚した退魔衆たちの家族寮を建てようかなどと相談し、あれこれいろんな意見を持ち出しては楽しそうに計画を練った。
取り敢えず龍一所長が厳空と厳真のアパート問題を瑞祥不動産社長の吉雄さんに相談すると、以前レックスさんと光輝が使っていた広い賃貸マンションが空いているという。
所長たちの邸を真似た邸の受注が、瑞祥一族や白井一族からたくさん入って儲かっていた瑞祥不動産は、超格安値でその部屋を厳空たちに貸してくれることになった。
タダではさすがにまずいということで、家賃は二万円だそうである。
厳空と厳真は恐縮しつつもその部屋に引っ越すことにした。
厳空らが引っ越して、詩織ちゃんや純子さんの顔が輝きだしたころ、厳空と厳真は光輝に、「なにか最近自分の霊力が上がって来ているような気がする」と言う。
引っ越して広い部屋で二人で暮らすようになると、もっと霊力が上がった気がするそうだ。
光輝は、二人に自分の経験と仮説を伝えた。
厳空と厳真は最初は驚いていたが、そのうちに腕を組んで考え込んだ。
自分の経験に照らし合わせてその相関性について思いを馳せているらしい。
その後は退魔衆たちの休暇を増やして、女性の弟子たちとの交際も暗に推奨するようになった。
厳上が女性霊視能力者の弟子にプロポーズした。
あの沖縄のリゾートホテルで八割引の大胆水着を買って、後にゆでダコ娘になった娘のうちのひとりで、名前を美樹ちゃんという。
厳空は厳上に一週間の休暇を与え、あの沖縄のホテルに行ってはどうかと勧めた。
二人は嬉しそうに出かけて行った。もちろん費用は研究所持ちである。
あのリゾート旅行から帰ってすぐに翌年の予約もしていたが、研究所や瑞巌寺が忙しくなったので、旅行は交代で行くことになっている。
手伝ってくれる僧侶たちも増え、予算も潤沢になって法要も順調に回り始めていた。
瑞巌寺に手伝いに来てくれていた僧侶たちのうち、若い僧侶たちもあのリゾートホテルに招待して一緒に行くようになっている。
お手伝いの累積日数が二百日を超えた者は招待して貰える。
スタッフ美女軍団もこれには大賛成だった。
他衆の高僧たちには、料亭瑞祥などでの光輝との懇親会で許してもらった。
むろん高僧たちはこれを大いに喜んでいる。
光輝の健康と彼らが僧侶であることに配慮して酒は控えめにされたが、少人数の懇親会は毎回大盛況だった。
崇龍さんが参加するとさらに会は盛り上がったので、酒好きの崇龍さんも毎回来てくれるようになっている。
崇龍さんは相変わらずどこに行っても大人気だ。
崇龍さんの傍らには厳上の代わりの後輩の退魔衆が、いつもあの崇龍フィギュアを大事そうに抱えて座っている。
バチカンのロマーニオ枢機卿が、留学生たちの宿舎の確保を研究所にお願いしてきた。
留学生の人数は、当面は百五十人で、あとでもっと増えるだろうという。
瑞巌寺では、とてもそれだけの人数を収容する施設は無かったので、やむを得ず最初はホテル住まいになっている。
だが枢機卿はマリアーノ司教やミハイル司教の提言を受けて、団体生活が望ましいので宿舎を建設したいと言った。
もちろんバチカンが注文主となって、バチカンの費用で建設するが、建設地を推薦してもらえないかと頼んで来たのである。
料亭瑞祥の周辺には料亭が所有する広大な竹林があったので、龍一所長は料亭の社長に相談してみた。
その竹林は傾斜もなだらかで地盤も固い。
所長は場合によっては御隠居様に間に立ってもらおうと思ったのだが、料亭の社長は即座に快諾した。
まあ聖職者の寮になるわけだし、なんと言っても買主はあのバチカンなのだ。
それに竹林は広大で、寮のひとつやふたつ問題ではない。
ただ、社長はもしよろしければ、と言いながら一つだけ条件をつけてきた。
どれだけ高い建物でも構わないが、見た目は竹林の緑に合うような白い瀟洒な建物にして欲しいそうだ。
そうすれば料亭の遠景としても映えるだろうという。
料亭からであれば瑞巌寺までは自転車で十分ほどである。
歩いても三十分とはかからないだろう。緑に囲まれた快適な道である。
ロマーニオ枢機卿にそう伝えると、笑って即座に了承してくれた。
その建物は、なんと最大五百人収容可能の建物にして欲しいそうで、建設担当者を近いうちに日本に差し向けたいのでよろしくとも言われた。
バチカンから来たその建設担当者はグレゴリオ神父と名乗った。
実直そうな中年の男である。
建物の完成まで日本にいると言い、日本語も上手だった。
グレゴリオ神父は研究所で所長や厳空らの前で、瑞祥建設の設計担当者に留学生宿舎のラフスケッチを見せた。
白亜の十階建ての建物が二棟並ぶツインタワーである。
鉄筋や鉄骨は、通常の五割増しにして強度を持たせて欲しいそうだ。
建物の中は、一階につき四つの部屋があり、その四つの部屋はそれぞれ二LDKのような形をしている。
一部屋はそれぞれ二百平米ほどで、天井の高さもかなり高く、床も厚くして上の階の音など聞こえないようにして欲しいと言った。壁も驚くほど厚かった。
リビングは談話室にして、二つの寝室はそれぞれ六人が寝られるよう二段ベッドを入れて欲しいそうだ。
簡単なキッチンがあって、夜食ぐらいは作れるようにするという。
シャワー室とトイレは四人が同時に使える広さにする。
一つのタワーの最上階は、全員が集合出来る集会室にし、その下の階は図書室にする。一階には大浴場、二階には大食堂も作って欲しいそうだ。
これもマリアーノ君の提言によるものだろう。
最後に広めの庭が欲しいとも言った。
全員でバーベキューでもするつもりなのだろう。
そのラフスケッチを料亭の社長に見せると驚いていた。
自分も住みたいぐらいだと言う。
社長は美しい白亜のツインタワーが嬉しそうだ。
早速ラフスケッチのコピーを貰って、料亭を書きこんでみたいと言い、それも瑞祥建設設計部に依頼した。
瑞祥建設設計部は、さっそく簡単な設計と建設費の見積もりを出すことを約束して帰って行った。
バチカンが料亭に提示した土地の購入費用は、見事に相場の五割増しちょうどだったそうだ。
きっと既に調査済みだったのだろう。
料亭瑞祥は、土地の売却代金のうち、相場より高かった分を即座に瑞巌寺に寄進した。
バチカンの情報網もすぐにそれを知ったらしい。
後日、建設費の見積もりが出て、グレゴリオ神父はバチカンに相談することも無く即座にOKを出した。
さすがはアメリカ合衆国並みの資金量を誇ると言われるバチカンである。
どうやらいくらでも構わないと言われていたそうだが、予想よりもかなり安かったらしい。
その安かったことをグレゴリオ神父はかえって心配していた。
粗末な寮が出来たときにバチカンから叱責されるのを恐れているのだろう。
瑞祥不動産の仲介で土地の売買契約も終わって、バチカン留学生寮の建設が始まった。
予算が余った分は綺麗な内装に回されたが、それでも大分余ったそうだ。
後日、一方のタワーの設計変更が行われた。
部屋のトイレを小さくし、バスルームを大きくしてバスタブを入れて欲しいそうで、キッチンも広くなった。
まあ、その程度の設計変更では建物の構造部分にはまったく影響が無い。
後でいくらでも変更も改装もできると聞いてグレゴリオ神父も安心した。
なにしろ予算は余りまくっているのだ。
さすがは法王様が言っていたバチカン最優先のプロジェクトだけのことはあった。
(つづく)