*** 28 大天使ガブリエル降臨 ***
空前の霊ブームを背景に、その中心ともいえる瑞巌寺にほど近い瑞祥大学では、せめて社会人向け夏季セミナーでも作らねばと、瑞祥研究所に講師の派遣を依頼してきた。
研究所が推薦したのはもちろん桂華である。
研究所創設当時からのメンバーであるだけでなく、なんと所長の秘書でもあり妻でもあるのだ。
霊たちとの交流の経験も実に多い。
もちろん桂華会を見ればその講師としての実力も一目瞭然である。
これ以上の人材はどこにもいない。
桂華は市立大学卒業と同時に瑞祥大学の夏季セミナーの講師になることになった。
もちろん退魔衆や志郎や崇龍さんらも協力してくれることになっている。
地道な広報活動は重要である。
そのセミナーはすぐに申し込みで一杯になった。
全国各地から参加申し込みが殺到している。
もはや大学で一番大きな講堂でも一杯である。
実際に講義が始まると、そこでも瑞祥本家の桂華会とほとんど同じ状況になった。
最前列には多くの教授たちや噂を聞きつけた学長の姿まであった。
彼らも聴講生たちと同じく涙を流して桂華の話に聞き入っている。
セミナーが終わるとなぜか心が洗われた気がしている。
やはり桂華の才能はたいへんなものだったのだ。
もはやセミナーへの参加は抽選制になりそうである。
龍一所長らの母校の教授たちや学長は、所長や桂華にまた頭を下げ、セミナーの数を増やしてくれと依頼してきた。そのうちに通年制になるそうである。
桂華の講義録は画像付きで大学のHPにも載り、大学のHPのヒット件数はそれまでの一年間の百倍を超えた。
DVDの制作も始まっている。
瑞祥大学の名は全国的なものになり、受験希望者が殺到した。
入試の難易度さえ上がって行った。
異常現象研究会はいまや瑞祥大学有数のサークルであり、全国の異常現象や霊研究の中心になりつつある。
そのサークルの活動にも桂華は借り出された。
その真面目なイベントは市内の大ホールを借りて全国から二千人の学生を集めたそうである。
最後に登場した崇龍さんはここでも大ヒーローになった。
調子に乗って会場の外で三十メートルの姿まで見せてくれたそうである。
会場周辺の道路で大渋滞が起きたのですぐ止めたそうだが。
なにしろ車を運転していたひとたちが、みんな車を放置して巨大崇龍さんを見に来てしまったのだ。
秋葉原では崇龍さんのフィギュアが大人気で、お店には行列が出来ているそうである。
ネットで見ても結構似ていた。
大きいのと小さいのがあった。
桂華は東京に出張する退魔衆のお弟子さんたちに頼んで両方とも買って来てもらった。
崇龍さん本人にお礼にプレゼントすると、びっくりするほど喜んだ。
胡坐を組んだ大きい方には、小さな子供たちが崇龍さんの体中に大勢ひっついていたからである。
中には乳飲み子を背負った女の子の姿まであった。
崇龍さんは大喜びしながら大泣きし、泣きながら何度も何度もお礼を言っている。
桂華も泣いてしまった。
崇龍さんはそのフィギュアを研究所の自分のいる会議室に置いてもらい、外出するときは厳上やその弟子たちに必ず持ち歩いていてもらっているそうである……
とうとうマリアーノ君とミハイル君が、光輝の後上方の三つの光の中に尊い御姿を見ることが出来るようになった。
それは彼らの宗教上での尊い御姿とは違っていたが、それでもその尊さはよくわかった。
同時に彼らは光輝の座禅の助けを借りることなく、霊たちの姿を一般人に見せることも出来るようになっている。声も聞かせてあげられる。
もはや上級退魔衆並みの霊力である。
もともと備わっていた彼らの素質に加えて、あれほどまでの努力が実ったのだろう。
例の秘密ミサも何度も成功した。
二人がそれをいつもの報告書で伝えると、ついにバチカンから一旦戻って来てそのミサを執り行うように指示が来た。
ワシントンDCの大司教もバチカンに来て見学すると言う。
また光輝たち一行も招待されていた。
こんどは御婦人たちも一緒に来て欲しいと言われていて、奈緒も純子さんも桂華も詩織ちゃんも大喜びできゃーきゃー言いながら準備をしている。
あのミケッツィオ騎士とまた酒が飲めると思った崇龍さんも喜んでついて来た。
崇龍さん担当の厳上は、あのフィギュアの入ったスーツケースを大事そうに抱えている。
一行を乗せたバチカンのビジネスジェットは、無事ローマ国際空港に到着した。
なんだか扱いが前回より上がっている。
一行はローマ市内の三つ星ホテルのスイートルームに案内された。
専用の通訳もつけてくれ、通訳もホテルに泊まっている。
夜中でも連絡してくれれば通訳をすると言ってくれた。
なんだか本当にVIP扱いだ。
ミサの当日。
会場はなんとバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂である。
あのミケランジェロの天井画があるところだ。
光輝は教科書で見たことがある絵がたくさんあるのに驚いていた。
観光客がすべて帰された後の夕刻のミサである。
極秘のミサだったため、礼拝堂の入り口はすべてあの有名なスイスガードが警備していた。
彼らオブザーバーの席は、法王さまの席のすぐ後ろである。
法王は気さくそうな笑みを浮かべてみんなをハグしてくれた。
あまり事情を知らないミサの参列者である聖職者たちは、法王のそのような行為を見て驚愕し、彼らの光輝たちへの視線や態度が一気に恭しくなった。
ミサの参加者は光輝たち一行を除けば皆聖職者たちである。
ほとんどが大司教以上の高位聖職者で、枢機卿すら何人もいる。
総勢百名はいるだろう。
ワシントンDCから来たあの大司教もいた。
緊張した顔のマリアーノ君とミハイル君が入ってきた。
さすがはバチカンで、志半ばで倒れた聖職者の霊は辺りに山ほどいるらしい。
その霊たちが、彼らに頼まれて可哀想な子供たちの浮遊霊を探して、五人ほど礼拝堂に連れて来ているそうだ。
子供たちは当然全員キリスト教徒である。
ミハイル君とマリアーノ君は、担当のロマーニオ枢機卿に、一度我々だけでここバチカンでのミサが成功するかどうか実験をさせてくださいとお願いしたのだが、枢機卿は笑いながら、「これがその実験ですよ」と言ったそうだ。
「もし失敗してもまた修行すればいいだけの話です」とも言ってくれたそうである。
それでも二人は見たことも無い程緊張していた。まあ、それも当然だろう。
ミサが始まった。
ミハイル君とマリアーノ君が必死で祈りを捧げ始めると、五人の子供の霊と、彼らを連れて来た聖職者たちの霊が浮かび上がった。
ミサの参加者の大多数から驚きの声が上がる。
特に崇龍さんの姿が彼らを驚かせていた。
さすがに高位の聖職者たちには霊も崇龍さんも見えていたのだが、大多数には初めて見えたのだ。
ミサが始まって一時間弱で礼拝堂に上方から光が差してきた。
やはり高位の聖職者が多いせいだったのだろう。
日本でのミサよりも遥かに早く、そして光も太かった。
そして……
その光の中を大きな何者かの姿が降りてくるではないか。
その姿は巨大な白い天使の姿であった。
周りには無数の小さな天使の姿も見える。
光輝たちは後で聞いたのだが、それはなんと大天使ガブリエルのお姿だったそうだ。
ミサの参列者全員から声にならないどよめきが起きる。
全員が椅子からすべり落ちるように床にひざまずいた。
みんな手を胸の辺りで組んでいる。
法王も同じ姿である。
すべての参列者の目から涙が落ちていた。
大天使ガブリエルは、子供の霊たちに優しく微笑むと手を差し伸べた。
子供の霊たちは嬉しそうに大天使に近づいていって、皆無事に大天使の腕に抱かれた。
と、そのとき、なんと大天使ガブリエルがお言葉をくださったのである。
「主はことのほかそななたちを祝福されておられます」と……
光輝たちの通訳がすぐに小声で日本語にしてくれた。
その通訳も跪いて泣いている。
大天使はもういちど参列者一同に微笑みかけると、ゆっくりと光の中を天に昇って行った。
光が消えた後も、感極まった参列者たちの祈りは長いこと続いた……
ようやくミサが終わると、法王はそこにいた全員に向かってにこやかに微笑んだ。
「これでとうとう論争に決着がつきましたね」
そうして厳粛な声に切り替えて言う。
「皆さん。皆さんをたった今から特別ミサ担当に任命いたします。
責任者はロマーニオ枢機卿にお願い致します。
それから、ここにいるマリアーノ・ユシェンコ神父とミハイル・グレインジャー神父をそれぞれ司教に昇格させることといたします。
それから瑞祥さん」
「はい」
龍一所長が落ちついた声で答える。
「また留学生を大勢受け入れて頂けますでしょうか」
「はい、畏まりました」
「厳空さん」
「はい」
「厳空さんにも留学生の受け入れをお願い致します」
「はい、畏まりました」
法王さまはまたにっこり笑った。
「それでは聖職者の皆さん、彼らの元に多くの留学生たちを送る準備を始めてください。
そうしてその留学生たちが帰国出来次第、手始めにイタリア全土の気の毒な子供の霊たちを、神の元に送って差し上げる準備も初めてください。
その次はヨーロッパ全土、そして全世界にこの神の御業を広げられるよう十分な準備を始めてください。
この神の任務は、全てのことに優先する最重要任務と致します」
参列者たちはみな頭を垂れた。
システィーナ礼拝堂の外には日本と全く同じ月がやさしく輝いていた……
後刻、法王の私的書斎には光輝たち一行の姿があった。
もちろんマリアーノ君とミハイル君もいる。二人の目はまだ赤かった。
法王が静かに言う。
「皆さんには感謝してもしきれません。
今後、バチカンは常にあなた方の支援者であるとお考えください」
法王はまた、キリスト教徒ではない一行に配慮して、深々と頭を下げもしてくれた。
きっとマリアーノ君から聞いたのであろう。
謁見が終わって法王が退出すると、ロマーニオ枢機卿が一同に向き直る。
「これで法王様の反対派も沈黙するでしょう。
なにしろイエス様ご本人が祝福して下さったのですからね。
しかもそれをそれを大天使がお伝え下さったのですから」
そう言うと、枢機卿はにっこりと微笑んだ。
ロマーニオ枢機卿は続ける。
「我々聖職者たちは、常に神やその子イエス様と共にあります。
それこそが信仰であり我々の喜びなのです。
ですが……
人である我々には、罪悪と言ってもいい密かな望みがあったのですよ。
それは神の御業を一度でいいから直接この目で見てみたいという望みだったのです。
そして一度でいいから神の世界のお言葉をこの耳で直接聞いてみたいと言う、不遜極まる望みでもあったのですよ。
その望みがついに今日叶えられました。
この御恩は忘れません。
法王様もきっと同じお気持なのでありましょう」
そう言ったロマーニオ枢機卿はまたにっこりと微笑んだ。
(なんかアメリカの大統領さんとおんなじこと言ってるなあ)と光輝は思った。
それからの三日間、マリアーノ君とミハイル君は、法王庁での打ち合わせに忙殺された。
光輝たち一行は観光に連れて行ってもらった。
もちろん通訳やお付きのものも大勢同行してくれている。
あのスイスガードまでついて来てくれた。
ほとんど国賓待遇だ。
崇龍さんはまたあの騎士の霊と痛飲している。
観光できない厳上がちょっと可哀想だったが、まあ帰国してから長い休暇を貰えれば許してくれるだろう。
光輝たち一行は、新婚旅行気分で観光を楽しんだ。
(つづく)