*** 4 異常現象研究会 ***
光輝は学生課に行って、「異常現象研究会」の部室の場所を尋ねた。
奈緒と一緒にその部室まで行った光輝は驚いた。
その部屋は奥まった閑静な場所にあったのだが、明らかに他のサークルの部室よりも大きい。
それも三倍ぐらい大きい。
しかもドアまでもが重厚である。明らかに後から工事して取り付けたドアである。
光輝は恐る恐るそのドアをノックした。
「どうぞ」野太い声が聞こえる。
その声に促されてドアを開けて中に入った二人はさらに驚いた。
室内は絨緞張りで、壁は木張りである。
天井からは小さいながらシャンデリアまで下がっている。
二人は慌てて入り口を入ってすぐのところにあるマットで靴の汚れを落とした。
顔を上げて正面にはコの字型に配されたテーブルがある。
これも大学の会議室に有るようなチープな折り畳み式のものではなく、重厚で高そうなテーブルである。
入口から見て右の壁にはたくさんの蔵書が並んでいて、反対側の壁沿いには応接用のソファやキッチンまであった。
そうして……
入口から最も奥に配置されたテーブルには、三人の男女が座っている。
中央にいるのは草食系の顔立ちをした長身細身の男だった。
年齢は光輝よりも大分上に見える。四年生か大学院生かもしれない。
ぱっと見、顔つきは優しかったが、目にだけは異様に迫力があった。
そのアンバランスさは見たことも無い程である。
その左に座っているのは巨漢である。
それも贅肉の無い筋肉の塊のような巨漢だった。
こちらは草食系の気配など微塵も見せず、腕を組んで座っている。
まるで腕組みをしたティラノサウルスのようだ。
まあ実際には手はあれほど短いわけではないが、あまりにも太いために短めに見えたのである……
右側に座っているのは、これも長身そうに見える細身の美女だった。
ただしその眼光はやはり異様に鋭い。
光輝はアロサウルスにロックオンされた哀れな草食動物になったような気がした。
その左右のテーブルに座っているのは、こちらはやや大人しそうなふつーの男女である。
それぞれ三人ずつほどの男女が綺麗な姿勢で座っていた。
光輝は心の中で便宜上彼らを小恐竜1~6と名付けた。
「御用件は?」
ティラノサウルスが親しみを微塵も感じさせない声で言う。
光輝の腕を掴む奈緒の腕に力が入る。
光輝は逃げ出したくなる気持ちを抑えてかろうじて抑えた。
「あ、あの…… こちらの異常現象研究会に興味があったものですので、お話だけでも聞かせていただけないものかと……」
T・レックスがふむと頷いてなにやら言おうとしたが、中央に座る男がそれを手で制した。
T・レックスは大人しく黙る。
アロサウルスは目の前のノートブックをカシカシ操作している。
ものすごく高そうな最新鋭のノートだった。
中央の男が静かに言った。
「どうして興味を持ったの」
「あ、はい。僕自身に少し不思議なことが起きることがあるものですから。
ですからそんなことが本当に不思議なことなのか、それともただのカン違いなのか知りたかったんです」
「ふ~ん。それじゃあ立ち話もなんだから、そこのソファにでも座ってよ」
中央の男がそう言った途端に全員が立ち上がった。
光輝と奈緒は周りの小恐竜たちに案内されてソファに座る。
正面にはやはり正面の男が座った。
その左右にはもちろんT・レックスとアロサウルスが座る。
アロサウルスの膝の上にはまたノートがある。高い割に軽そうだ。
誰も何も言っていないのに、光輝と奈緒の前にはコーヒーが出された。
それも器はジノリである。器はちゃんと事前に温めてあった。
コーヒーの香りも素晴らしい。
(モカ・マタリかな)コーヒーの好きな光輝はそう思った。
「それでどんな不思議なことがあるの?」
また正面の男が聞いて来た。
意外なことにもう目が鋭くない。突然普通の目に変わっている。
まるで光輝に対する興味のために、警戒心が薄れたかのようだった。
その薄れた分、T・レックスとアロサウルスの視線がさらに鋭くなった。
光輝は気圧されつつも、決して誇張しないように事実をありのままに伝えようと思った。
T・レックスもアロサウルスも、誇張や嘘を見抜こうと真剣になっているように思えたからである。
光輝はひとつ深呼吸するとゆっくりと語り始める。
「ええっと、三尊光輝と申します。こちらは三尊奈緒です。
同姓ですけど兄妹や親戚ではなく、家が隣同士の幼馴染です」
奈緒がペコリと頭を下げる。
途端にアロサウルスがノートを叩く手が忙しくなった。
「あの。友人からは三尊の三不思議と言われています。
一つ目は、危険が迫ると何故かそれを回避するような偶然が起きることです」
「例えばどんなことかな」
中央の男の声はますます優しくなっているが、近くでよく見れば目はまだちょっと怖い。
やはり追いつめた草食獣を見て優しそうに微笑んでいるかのような目である。
光輝は例え笑われようと、とりあえず全部話して帰ろうと思った。
ジノリで飲む最高級のモカ・マタリの代金分ぐらいは話さなければならないと思ったからである。
「はい。最初は小学校時代の林間学校のときでした。
前夜に高熱を出して病院に担ぎ込まれたせいで僕は行けなかったんですけど、その林間学校では集団食中毒が起きて大騒ぎになりました」
またアロサウルスのノートがカシカシと忙しい音をたてた。
「それから中学校時代には、家族で行く予定だった旅行の前日に、やはり謎の高熱を発して入院しました。
しばらく経って、宿泊予定だったホテルでボヤが起きたと聞いて驚きました」
アロサウルスが言った。
「そのホテルの名前は覚えてる?
それからアナタは何歳で、その旅行は中学何年生の時?」
「あ、はい。確か○○温泉のホテル○○荘です。
それから僕は今年二十歳で旅行は中学二年のときでした」
「ありがと」
またアロサウルスの指の動きが早くなった。
「それから中三のときのあの大地震の際には、直前に忘れ物を思い出して学校に戻る途中、校庭の真ん中にいました。
家に帰ったら自室の机の上とベッドの上には、重い荷物が落ちていて片づけるのがたいへんでした。
高校一年の臨海学校のときには、前夜にまた熱を出していたんですけど、それを隠して参加したんです。
そうしたら乗っていたバスがガードレールを突き破って谷に転落しそうになりましたけど、危ういところでバスが壊れたガードレールに引っかかって助かりました」
「キミはケガをしたの?」
「いえ、かすり傷ひとつありませんでした。
隣の席の友人がたまたま通路に出ようとしていて、私と前の座席の間にいてくれていたおかげです。
その友人は腕を骨折しましたけど、その事故では誰もそれ以上の大けがをしていません。
とまあそんな具合です。
それ以外にも大したことはないんですけど、体調が悪くなったり途中で引き返すようなことがあると、その日の予定の行き先で交通事故とか小さな火事とかが起きることが多かったです。
まるで深刻な事故から守られているような気がします。
でもまあ、そんなことは偶然かも知れませんね」
光輝は自嘲気味に少し笑った。
光輝はあの黒いもやもやと白いもやもやのことは言わなかった。
あまりにも荒唐無稽だと思ったからである。
中央の男が静かに言った。もう冷たい口調では無い。
「それで三尊君の三つの不思議のうち二つ目はどんな不思議なの?」
「ああ、はい。小さいころから友人たちに、三尊の後ろにいると暖かいって言われてます。
もちろん全員ではないんですけど、十人に一人ぐらいのヤツに言われます。
だから教室なんかでは、冬は背中を向けてくれって言われるんですけど、夏はその逆で、暑いから背中を向けるなって言われます」
中央の男の目が光った。
「それ、もしよかったら今試してみてもいいかな。
ああ、いや、疑っているわけじゃあないんだけど、純粋に興味があってね」
光輝は、まあここは異常現象研究会なんだから、そういうことに興味があるのは当然だろうと思った。
「はい、何をすればいいですか」
「じゃあみんな、麗子さん以外はみんなここに立って、こっちを向いて目を閉じてくれるかな。麗子さんは記録係をお願いね」
みんながすぐに動く。
真ん中にT・レックスが立って、その両脇に小恐竜たちが並ぶ。
やはりT・レックスはデカかった。
「それじゃあみんな、今から三尊君がみんなの前に立って、キミたちに背中を向けたり前を向いたりするよ。
僕が合図したら、そのとき三尊君が背中を向けていて自分が暖かいと思ったら右手を上げてね。暖かくなかったら左手だよ。
じゃあまずは練習から。
三尊君、彼らの前で彼らの方を向いて立ってくれるかな。うんそうそう。
いいかいみんな、今は三尊君はキミたちの方を向いて立ってるからね。
だから左手を上げてね」
全員が左手を上げる。
「じゃあ次は三尊君、彼らに背中を向けてくれるかな」
「はい」
光輝が背中を向けると同時に、T・レックスが「うっ!」と呻く。
小恐竜たちも二人ほど硬直している。
PCを膝に乗せているアロサウルスの目が大きくなった。
「それじゃあ始めるよ。みんな目を閉じてね」
中央の男はそっと光輝の肩に両手を置くと、ゆっくりと回し始めた。
光輝が七人の方を向いたところで止める。
「1回目」
そう声がかかると、皆一斉に手を上げる。
四人は自信無さげに手を上げたが、T・レックスとさっき硬直していた二人は迷わず左手を上げた。
「2回目」…… 「3回目」…… 「4回目」……
そうやってテストは続いたが、光輝は彼らに背中を向けていることも多いので、彼らがそのとき正解しているのかどうかはわからなかった。
それでも彼らの方を向いているときには、例の三人が常に左手を上げていることには気づいた。
奈緒ちゃんは口に手を当てている。
22回目が終わったところで中央の男が大きくため息をついた。
そうして23回目には、光輝が彼らに横を向いている位置で止めた。
「23回目」……
途端にT・レックスが咆えた。
「今なにか細工をしたろう! 今までと感触が違うぞっ!」
「……みんな、御苦労さん。席に戻ってなにかおやつでも食べていてくれるかな。
それじゃあ麗子さん。結果発表をお願いします。
ああ、評価は22回目まででいいから」
麗子さんと呼ばれたアロサウルスが結果を発表した。
その顔は蒼ざめていて声も少し震えている。
「雄一くん正答率56%、美奈子さん59%、亮二くん65%、由香さん68%。
そして、大樹くん、蓉子さん、豪一郎さんの正答率は……」
そこでいったん口を閉じたアロサウルスは、光輝を見ながら更に蒼ざめた顔で言った。
「100%……」
途端に中央の男が大きく拍手を始めた。
「スゴかったよぉ。いや感動したよぉ。
いやもうホントにありがとうありがとう!
久しぶりに異常現象を見せてもらったなぁ。いやこれはもう超常現象に近いかな。
この上は三尊君たちには是非とも我が異常現象研究会に入って貰わねば!
ああ、ごめんごめん、僕は瑞祥龍一と言います。
工学部のドクターコースに在学中で、この異常現象研究会の部長です」
アロサウルスの目が少し大きくなった。
光輝は部長の名字が大学名と同じなのにちょっと驚いたが、よく考えれば瑞祥というのはこの辺りの地域の古名である。
市町村合併で今の市になる前は瑞祥町だった。
また、瑞祥の姓を持つ者もけっこういる。
瑞祥龍一は続ける。
「あそこの大きいのが副部長の瑞祥豪一郎くん。
僕と同じ工学部のドクターコース在学中だけど、古武術同好会にも所属していて、そこの師範代でもあるんだ」
T・レックスが唸った。
どうも威嚇ではなく挨拶をしたらしい。
「それからこちらのクールビューティーなお姉さんは、瑞祥麗子さん。
やっぱり副部長で今は文学部の修士課程一年生だよ。
ああ、後のみんなは自己紹介してくれるかな」
小恐竜たちは次々に全員が名乗りを上げた。
光輝は全員が瑞祥姓なのに驚いた。
(このひとたち、全員が親戚なんだろうか。それともまさか兄弟姉妹じゃあないよな)
光輝はそう思ったが何も言わなかった。
豪一郎ことT・レックスがまた咆える。
光輝には咆哮のように聞こえたのだが、どうやらこれがふつーの喋り方らしい。
「最後の23回目は何をしたんだ!」
「ああ、ごめんごめん。
あのときは三尊くんに横を向いてもらってたんだ。
それにしても豪一郎くんよくわかったね」
「ふん。あれほどあからさまな温度差があれば何百回やっても分かるに決まっているだろうに」
龍一部長が光輝と奈緒に向き直った。
「実は22回っていう数字には意味があってね。
コインを22回投げて全部オモテが出る確率って、二分の一の二十二乗だから、四百万分の一を下回るんだけどさ。
それって、百円の宝くじを一枚買って一等の一億円が当たる確率とおんなじなんだよ。
だからさ、さっき七人のうち三人が全問正解したのって、七人が一枚ずつ宝くじを買って、そのうち三人が同時に一等一億円を当てる確率とイッショなんだよね~」
光輝はびっくりした。
「そうそう三尊くん。キミの三つ目のフシギってなんなの?」
「あ、あの。それって確たるフシギじゃあないんですけど、この三尊奈緒さんのことなんです」
麗子さんことアロサウルスがPCを見ながら口を挟む。
「三尊奈緒さん…… アナタってあの秋月高校の伝説の女神ね」
「そ、そそそ、そんな…… 伝説の女神だなんて……」奈緒が慌てて否定する。
アロサウルスはかまわず続ける。
「アナタが一言困ったって言うと、全校生徒千人が走り回って助けてくれたんでしょ。
それからお昼は上級生四十人の親衛隊が取り囲んで、一緒に食べてくれてたんでしょ。
それから三年生のときの文化祭でメイド喫茶をやったときには、アナタをひと目見ようと街中の人たちが集まって、五時間待ちの整理券が配られたんでしょ」
最後のヤツは光輝には初耳だった。
奈緒は赤くなって俯いた。
「それからアナタ、秋月南商店街のひとたち120人から総額100万円もの入学祝いを貰ったって本当?」
「あ、い、いえ、実は187人の方々から総額165万5千円でした……」
小恐竜たちが仰け反っている。光輝も仰け反った。
奈緒は全員に丁寧な手書きの御礼状を書いていたので覚えていたのだ。
「それでもって、アナタの商店街での通り名は、菩薩の奈緒ちゃん、って言うのよね」
奈緒はまた恥ずかしそうに俯いた。
「は、はい。そう呼ばれる方もいらっしゃいます」
「それから……」
そう言いかけたアロサウルスは、立ちあがって本棚のところに行き、一冊の本を部長の前のテーブルに置く。
その本は、あの「天使のつぶやき」という本だった。
帯には「伝説の女の子の日常」と書いてある。
「これ、主人公はアナタなんでしょ」
奈緒はまた消え入りそうな声で言う。
「は、はい。どうもそうみたいです……」
どうやらみんなその本を読んでいたようである。
読んでいなかったのは龍一部長だけで、驚いたことに豪一郎さんことT・レックスまで読んでいたらしい。
龍一部長は感心している。
「それはスゴいねぇ。超常現象並みのモノスゴい人心掌握力だねぇ。
それで三尊くん、三つ目のフシギって……」
「ああ、はい。それだけの人気者な奈緒ちゃんが、ナゼか僕一途だったものですから、友人たちに三つ目のフシギだって揶揄されてたんです……」
「あっ! アナタたちなのねっ!
あのキャンパス中で有名な『シスコン&ブラコン兄妹』って!
それに新入生の時から親公認で同棲してて、毎日23時間イッショに過ごしてるってっ!」
アロサウルスの顔が赤くなった。
どうやらこの辺りが弱点らしい。
龍一部長がまた感心した口調で言う。
「へぇ~、そんなに仲がいいんだぁ。それも子供のころからそうなの?」
奈緒が嬉しそうに答えた。
「はいっ! 生後一週間目から昨日まで、毎日イッショにお風呂に入ってますっ!」
小恐竜たちが仰け反り倒れた。
アロサウルスの顔面が爆発的に赤くなった。
漫画だったら「ぼんっ!」っていう効果音が振られているところである。
いつもながら奈緒ちゃんのおノロケ話は破壊力抜群なのだ。
しかもそんな話をしていると、奈緒ちゃんはまた激烈なフェロモンを放散し始めるのである。
漫画だったら「しゅわしゅわしゅわ~っ」という効果音が振られているだろう。
可哀想に小恐竜♂たちはもじもじし始めた。
真っ赤になって俯いている小恐竜♀たちを横目でちらちらと見ている。
よく見れば豪一郎さんことT・レックスの顔面の筋肉が盛り上がっていた。
(あれは赤くなる代わりなんだろうか……)
光輝はそう思ったがもちろん何も言わなかった……
(つづく)