*** 6 ホワイトハウス ***
ある日、あの厳空たちに恩義を感じている新田代議士が瑞祥研究所を訪れた。
どうやら重大な案件であるらしく、光輝と厳空も呼ばれている。
「私の派閥のボスが今外務大臣をしておりましてな。
アメリカ大使館主催のパーティーで、大使に退魔衆のことを自慢げに話したらしいのですわ。
霊と話が出来て、場合によっては折伏も出来る強力な集団がいると。
そうしたらそこから依頼が来てしまいましてね」
「アメリカ大使館に幽霊でも出るんですか?」
「いや…… ホワイトハウスです」
これには龍一所長も驚いたようだ。
「その場にいた大統領首席補佐官から大使経由で話が来ました。
あなた方は外人の霊ともお話ができますかな?」
「先日と同様に、霊がなんと言っているかを、拙僧の口を通じて皆さんにそのままお伝えすることは出来ます。
ですがそれが英語となると、たとえ霊に口を貸せても、拙僧にはその意味がわかりませぬ」
「それならば、その場に優秀な通訳がいればいいのですかな」
「それならば大丈夫でしょう」
退魔衆たちは本当にホワイトハウスに招聘された。
渡米メンバーは、龍一所長と光輝、そして厳空と厳真である。
通訳には現地の日本大使館の書記官が当たる。
アメリカ大使館の差し向けた黒塗りが二台やって来て、その前には二台の白バイが先導に付き、渋滞に悩まされることなく成田空港に着いた。
空港でも、驚くべきことに金属探知機など通ることもせず、ノーチェックでアメリカ合衆国政府の専用ビジネスジェットに案内される。
またまた驚いたことに、ビジネスジェットは光輝たち一行を乗せると十分で離陸した。
光輝はビジネスジェットの旅を楽しんだ。
フルフラットシートの寝心地はやはり素晴らしい。
ビジネスジェットは無事アンドルーズ空軍基地に着いた。
ホワイトハウスでは大統領が悩んでいた。
ものごごろついて来た末の娘が、敷地内の大きな木の上にとても大きな女のひとがいる、と言って毎日怖がっていたのである。
もちろんほとんどの大人たちには何も見えないが、何人かのホワイトハウスのスタッフたちも、確かにそこにはなにか感じると言う。
大統領の末の娘は、けっしてそこには行かないようにしていたが、なにせ大きいので遠くからでも見えてしまうそうだ。
毎日怖がって泣いている娘は、精神科医にかかっても、誰がなだめても怖がるのをやめない。
しかも、それ以外の部分では普通に賢いいい子なのだ。
その場所以外を怖がることも無い。
困った大統領は極秘で教会に頼んでエクソシストを派遣してもらったが、まったく効果は無かった。
娘によれば、エクソシストがなにをしても、その大きな女の人は笑って苦にしていなかったそうである。
大統領もその夫人も心を痛めた。
日本人的には、大統領がホワイトハウスに残ってその他の家族は地元に帰れば良さそうなものだったが、それは前例がほとんどなく、また政治的にもマイナスであるそうだ。
憔悴した大統領夫人は、大統領に辞任して一緒に地元に帰ろうとまで言った。
だが大統領としても、就任時に聖書に手を乗せて全力を尽くすと誓った身である。
可愛い娘と義務の間で板挟みになった大統領は苦悩した。
その一部始終を見ていた首席補佐官が、日本のアメリカ大使館主催のパーティーでの話を思い出し、だめもとで彼らを呼んでみたらどうかと大統領に提案したのである。
シークレットサービスの車列が、光輝たち一行をホワイトハウスに連れて行った。
首席補佐官が出迎えてくれている。
車を降りた厳空と厳真はたじろいだ。光輝ももちろん驚いた。
遠くの木の上に、大きな女性が浮かんで、やさしそうにこちらを見て微笑んでいるのである。
光輝は合流した日本大使館の書記官を通じて、首席補佐官に聞いた。
「その問題の木はあの木でしょうか?」
首席補佐官は驚いた。
どの木か聞いて、一行を試してみようとしていたのである。
通訳は早速あの木の所に行ってみたいという一行の望みを伝えた。
一行が木の傍まで行くと、まず光輝が座禅を組む。
霊と話す厳真をバックアップするためである。
厳真はその木のそばに座り、しばらく瞑目すると、「皆にあなたの姿を見せて、あなたの声を聞かせてあげてもよろしいでしょうか」と言い、通訳に頼んで自分の言葉を霊に伝えた。
すると、厳真の口から、綺麗な女性の声で、「オフコース」という声が出ると同時に、皆の目にはその木の上に大きな二十歳ぐらいの女性の姿が浮かび上がった。
かなり古めかしい服を着ている。
首席補佐官は腰を抜かした。
シークレットサービスは咄嗟に腰の拳銃に手をやろうとしたが、かろうじて思いとどまっている。
そこに来ていて光輝たち一行を疑わしそうに見ていた、ホワイトハウスを管轄する地区の大司教もおなじく腰を抜かした。
大統領の極秘依頼に応えてエクソシストを派遣したのはこの大司教だった。
厳真が聞く。
「あなたはいつもここにいるのですか」
厳真の口から優しそうな女性の声がする。
「ええ、もう二百年以上も前から」
「ここの人たちが困っていると聞いて我々は来たのですが、このままではあなたの姿は見えても、あなたの声は私の口からしか聞くことが出来ません。
なにかこの人たちを信じさせてあげるいい方法はありませんか?」
「そう。じゃあそこの木の枝をよく見ててね。
私がイエスと言ったら一回揺らすわ。ノーと言ったら二回ね」
その枝はまったく風も無いのにその通りに動いた。
「あなたはどうしてそんなことが出来るようになったんですか」
「うーん。よくはわからないのだけど、二百年以上もこの木の上にいたせいで、木と同化しちゃったのかもしれないわね」
こうしたやり取りを見ていた首席補佐官は、厳真と木の霊に頼んで、対話を一時中断してもらった。
そうしてシークレットサービスに、急いで大統領とその一家全員をお連れするようにと指示したのである。
木の霊は、「あら、大統領も来て下さるの。それは光栄だわ」と喜んでいた。
龍一所長は首席補佐官に、なるべく大勢のシークレットサービスにも来てもらえないかと頼み、その望みはすぐに叶えられた。
すぐに大統領とその家族もやって来たが、皆木の霊を見て心底驚いている。
大統領が末の娘に、「あの女の人かい?」と聞いた。
「うん、そうよ…… でも今は優しそうに笑ってる……」
「あらお嬢さん。いつも怖がらせてごめんなさいね。
わたしがこんなに大きいからいけなかったのね。
二百年以上もここにいたら、自然に大きくなっちゃったのよ。
ちょっと待ってて。小さくなるわ」
木の霊はそう言うと、本当に小さくなり始めると同時に地面に降りて来て、厳真の前に立った。
「お嬢さん、これでもう怖くない?」
「うん」
大統領の足にしっかりと掴まっていたその子は、にっこりして霊に一歩近寄った。
それからは厳真と木の霊の会話が通訳を通じて続いた。
「わたしはね、二百年以上も前にこの辺りに住んでいた普通の女の子だったの。
でも雷が家に落ちて、家が火事になって、私以外の家族はみんな死んでしまったの。
悲しかったわ……
それからは毎日泣いて暮らしていたの。
泣きながら、死んでも霊になってこの辺りのひとたちを雷から守りたい、って神様にお願いしてたのよ。
そうしてそのまま生きておばあちゃんになって、普通に死んだの。
そして気づいたら霊になってここにいたの。
この姿は雷が落ちたときのものね。
でもまさかここが、大統領官邸の庭になるなんて思わなかったわ。
でね、この地を雷から守ってるうちに、もう二百年以上も経っちゃったの。
二百年の間にあんなに大きくなっちゃったんだけどね」
木の霊はそう言うと、大統領の末娘を見て微笑んだ。
「お嬢さん、怖がらせて本当にごめんなさいね。まだ私のこと怖い?」
「ううん。もう怖くない……」
「そう。うれしいわ。
わたしは雷をよけてあげる以外には、ほとんどなんにもしないから安心してね」
「うん」
「ただあなたが私を怖がっているのが少し悲しかったの」
「ごめんなさい」
「いいえ、謝ることなんかないのよ。大きな私が怖かったんですもの。
お話することも出来なかったしね。
でもこのひとたちのおかげでお嬢さんとお話出来て嬉しいわ」
「うん。私もうれしい……」
「いつもこうやって、皆さんとお話出来たらいいのにねえ」
「もうお話できないの?」末娘が少し悲しそうに言う。
「うーん。それはわからないわ。あなた次第かも」
「?」
大統領の末娘は意味が分からず首をかしげた。
そうしてまた木の霊に一歩近づいた。
大統領夫人が思わず娘を止めようとしたが、大統領がさえぎった。
「お嬢さん。今日は本当にどうもありがとう。お話出来て楽しかったわ。
ああ、そうだ。わたしのアナタへの愛の印をあげるわ。
この木のここをよく見ていてね」
そう言うと木の霊はその大木の幹に指を当てた。
するとその部分はみるみる変形し、綺麗なハート形の洞が空いた。
「うわー。おねえさん、どうもありがとう♪」
「どういたしまして。これからもよろしくね」
「うん。こちらこそよろしくお願いしまちゅ」
笑顔の光輝たち一行を除いた全員が、声も無く驚愕に立ちつくしていた。
最初に我に返ったのは、さすがのシークレットサービス隊長だった……
光輝たち一行は丁重に大統領執務室に通され、以後一時間の予定を全て延期かキャンセルするよう指示が出た。
アメリカ合衆国大統領、アレクサンダー・ジョージ・シャーマンが口を開く。
「本当にありがとう。この恩は忘れない。
報酬の件はこちらの首席補佐官に伝えてくれたまえ」
龍一所長が意外に流暢な英語で答える。
「いえ、報酬は要りません。
その代わり、今回の件は内密にして頂けるとありがたいのですが」
「報酬は口止め料のつもりだったのだが、そちらの要求が口止めだったか」
大統領は微笑んだ。
「噂どおりですな」
首席補佐官も微笑んだ。
大統領は続ける。
「それにしても我が国最高のエクソシストが何も出来なかったのに、どうしてきみたちはああも見事に霊と会話出来たのだね」
「それは彼女が良い霊だったからでしょう」
「説明してくれないか」
「エクソシストは悪霊や悪魔に特化した祓い師です。
ですから善意の霊に対抗する手段はありません」
「なるほど。ではきみたちはすべての霊とコンタクトできるのかな?」
「いえ、むしろ悪霊とのコンタクトの方が難しいのです。
そもそも悪霊はコンタクトの意思など持っていませんから」
「なるほど」
「ですが、もともと悪霊は少なく、善意の霊の方が多いですね。
大多数はなにも考えずに、ただそこにいるだけの霊ですが」
「なるほど。よくわかった。ありがとう。
それにしても、きみたちにはなんと大きな恩義を蒙ったことだろうか。
この恩は忘れない」
「いえ、これは私たちの国が蒙った大災害のあとに貴国がやってくださった、『オペレーション・トモダチ』へのお礼のほんの一部のつもりであります。
あの御恩こそまだぜんぜん返し切れていないと思っています」
「きみたちは民間団体だろう。国の機関でもないのにそんなことを言うのかね」
「感謝の気持ちに国も民間も無いと考えました」
「ふむ。そうか」
大統領はなにやら考え込んでいたが、その顔は優しげだった。
「いずれにせよ、もしなにか困ったことがあったら、大使館を通じて私に連絡をくれたまえ。
出来るだけのことをしてあげたいと考えている」
「ありがとうございます。
閣下ももしまたなにか私どもへの御要望がございましたら、是非ご連絡くださいませ」
そこで大統領はふっと表情を緩めた。
「私はね、死ぬ前に一度でいいからこの目で奇跡というものを見てみたかったのだよ。
その願いが遂に今日叶えられた。この恩も忘れないよ」
アメリカ合衆国大統領はそう言って微笑み、全員と握手して謁見を終わらせた。
光輝たち一行の帰りのフライトも実に快適だった。
食事も行きより遥かに上等だった。
聞くところによれば、大統領の末娘は、お父さんやお母さんやシークレットサービスを連れて、たびたびその木のところに行くようになったらしい。
どうやら木の霊の言うことが分かるようになってきたようだ。
木の霊もたまに、「ほらお嬢さん、この枝を指差して、三、二、一、〇って言ってごらんなさい。
お嬢さんが〇って言った途端に、私がそこに花を咲かせてあげるから……」
などと言って、二人で大統領夫妻やシークレットサービスの腰を抜かせて楽しんでいるそうだ……
(つづく)




