*** 2 ハイソな会話 ***
桂華たち一行は、そのうち私道の先の家から大勢のおばさまたちが出てくるところに出くわした。
どうやらお茶会かなにかで瑞祥一族のおばさまたちが集まっていたらしい。
話題はもちろん本家の嫁に関する噂話だったそうである。
そこに力丸の背に乗った桂華が通りかかったのである。
桂華はおばさま軍団に、「こんにちは~」と笑顔で手を振った。
大硬直するおばさま軍団。
さらに私道を進むと、ランドセルを背負った三年生ぐらいの男の子三人組と出会った。
近所でも評判の瑞祥悪童三人組である。
子供たちも大硬直した。
さすがの悪童たちも怖れる本家の力丸の背に乗った、見知らぬお姉さんが散歩しているのだ。
子供たちは力丸からは離れたところながら、桂華と力丸の後をついて来た。
「おねえさん怖くないの?」
「ぜ~んぜん怖くなんかないよ」
「力丸に触ることだって出来ないのに、背中に乗るなんてすごいなぁ」
「力丸が乗せてくれるって言ったんだ」
「うわー。すごいすごい」
子供たちはだんだん桂華に近づいて来ている。
「力丸に触ってみたいなぁ」
「力丸に頼んでやろうか?」
「う、うん……」
「なあ、力丸。この子たちがお前に触りたいんだってさ。いいかい?」
力丸は、「わふふん、わふふん」と鳴いた。
「ああ、力丸と同じくわたしの家来になるんだったらいいってさ」
「うん! 家来になるっ!」
桂華はいったん力丸から降りた。
力丸は座ったまま黙って子供たちに自分を触らせてあげている。
座った力丸の目線は子供たちとほとんど変わらない。
子供たちは、「うわー暖ったか~い」とか、「やっぱり大きいなあ」とか言いながら大喜びである。
しばらくしてからまた力丸は桂華の前に伏せた。
「それじゃあ力丸。お前も疲れたろうからそろそろ戻ろうか」
力丸はまた「わふん」と鳴いて、桂華を乗せて来た道を戻り始めた。
「うっわ~すっご~い!」
「力丸はおねえさんの言うことがわかるんだね」
「ああ、家来だからな」桂華は笑いながら答えた。
小学生たちも目をキラキラさせながら桂華と力丸について来る。
「僕たち家来団のリーダーは力丸かな」「うん」とか言っている。
またおばさま軍団の前を通ってみんなを大硬直させた後、一行は本家邸の前に差しかかった。
そこに一行の帰りが遅いのを心配した本家の面々が出て来たのである。
桂華を乗せた力丸のナナメ後ろにつき従い、元気に手を振って行進する小学生たちを見て、御隠居様はぼそりと呟いた。
「また家来を増やしおったか……」
それから数十年後、瑞祥一族の中堅として活躍する三人組は、常に本家の奥様を崇拝していることになる。
奥様に何を指図されても、「はい奥様」とか「畏まりました奥様」とか「お任せ下さい奥様」としか言わない。
しかもその会話は実に親しげなものだった。
事情を知らないひとたちから不思議そうに訳を聞かれると、彼らは微笑みながら言うのである。
「ああ、我々は子供の頃から奥様の家来なのだよ。
残念ながらリーダーは亡くなってしまったがな……」
桂華たち一行は本家の洋間に戻った。窓からはまた力丸の顔が見える。
御隠居様が口を開いた。
「聞きしにまさる素晴らしい本じゃ。
その若さでよくぞあれだけの文章が書けたもんじゃ。
まったくもって畏れ入ったわい」
御隠居様は桂華の顔を優しく見つめた。
桂華は恥ずかしそうにもじもじしている。
麗子さんがまたにこにこしながら口を挟んだ。
「あの。御隠居様」
「なんじゃの」
御隠居様の御機嫌は最高に麗しい。
麗子はここで御隠居様にトドメを差そうとして言う。
「実はあのエッセイは、長年の間に書き溜められたものだそうですの」
「……と、いうことは!」
「ええ。ですからあのエッセイの第一章は、桂華さんがまだ中学二年生のときに書かれたものだったそうです」
「げえぇぇっ!」
「ですから奈緒さんにお手伝いして頂いた直後に書かれていたのですね。
それから後三分の一はやはり中学生のとき、残りの三分の二は高校生のときに書かれたそうです」
御隠居様は今度こそ本当に絶句した。
そうしてようやく擦れた声で言ったのである。
「で、でかしたぞ、龍一……」
しばらくしてまた瑞祥本家を訪れた麗華は、喜久子と善太郎と美津江から、あの本の表紙裏にサインをせがまれて驚いた。
みんな、マイ「天使の目」の本を持っていたからである。
桂華の父親はめでたくあの親戚のおばさんと再婚し、おばさんとその高校生の娘は桂華の家に引っ越してきた。
桂華の義理の弟になった大学生の息子は今離れた場所で下宿中である。
桂華は初めて出来た妹を可愛がった。妹も桂華を大尊敬している。
ある日桂華は、妹がテキストを広げながら凄まじい早さでキーボードを叩いているのを見た。
もちろんブラインドタッチである。
驚いた桂華は何をしているのか聞いてみた。
「ああ、桂華お姉さん。今度大会があるんで練習してるの。
うるさくして御免なさい」
聞けば妹はタイピング部に所属していて、その中ではかなりの腕前らしい。
今年こそは入賞をと思って一生懸命練習しているそうだ。
桂華は感心した。
「な、何か手伝えることはあるか?」
「あの。『口述タイプ』っていう種目があるんです。
人が口にした内容をその場でタイプして行くんですけど。
もしよかったら桂華お姉さん。このテキストを読みあげていただけませんでしょうか」
桂華がテキストを読みあげると、彼女はまた感心するほどのスピードでそれをキーボードに打ちこんで行った。
素晴らしい技量である。
これは二人ひと組でないと出来ない練習であるため、自宅ではなかなか出来ないことだったそうだ。
桂華も熱心に練習につきあってあげた。
タイプの遅い桂華から見ると、それは感動的なまでに速かった。
大会が終わって無事に入賞を果たした妹は、桂華に丁寧に礼を言った。
「桂華お姉さん。練習につきあって下さって、本当にありがとうございました。
御礼になにかして差し上げたいんですけどなにがいいですか?」
「あのさ。今ちょっと文章を書いて欲しいって頼まれているんだけど、あたしタイプが遅くって、せっかくいい文章が浮かんでもタイプしているうちに忘れちゃうんだよね。
だから私が考えた文章を口にするから、それタイプしてみてくれないかな」
「お安い御用ですよ」
桂華はあのタウン誌の編集長から、中断していたエッセイの原稿を頼まれていたのである。
最初はぎこちなかったものの、桂華はだんだんこの口述筆記にハマった。
話しているうちにゾーンに入って、文章が次から次へと降って来るのである。
しかもそれをタイプする必要が無いので淀みなくストーリーが展開出来るのである。
これは文章書きにとってはある意味理想的なカタチであった。
おかげでわずか一時間で三本ものエッセイが出来てしまったのである。
しかも口述を終えた途端にそれは完成しているのである。
念のためエッセイをプリントアウトして読み返してみたが、訂正個所もほとんど無かった。
ふと見やると妹が硬直している。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
「お、お姉さん。ま、まさかあの『天使の目』の作者だったんですか!」
「あ、ああ。読んでたのか。実はそうだったんだよ。
また原稿頼まれちゃっててさ。
でもおかげであっという間に三本も書けちゃったわ。
助かったよ、ありがとうな。
原稿料もらったらなにか奢るからな」
プロのエッセイストのエッセイを口述タイプした妹は感激している。
二人はそれからも共同作業を続け、桂華はすぐに八本ものエッセイを書き上げることが出来た。
まあ、書いていたわけではないのだが……
(シメシメ。これを小出しにすれば一年はもつぞ……)桂華はにんまりした。
またある日、桂華は妹に言った。
「もーあのお嬢様言葉ってニガ手なんだよなー。
龍一さんの実家に行くたびに冷や汗が出るよ」
「桂華お姉さん……」
「なんだい?」
「お姉さん、口述タイプのときには、とっても綺麗な日本語で喋っていらっしゃいますよ」
「まあ、そりゃあ文章だからなあ。丁寧な言葉にはなるわなあ」
「でしたら今度なにかお話になるときには、私が側にいて口述タイプさせているつもりでお話になってみたらどうですか?」
桂華はびっくりした。
実際に妹相手に練習してみると、テンポが速くて短い会話では難しかったが、何かについてやや長く語るときにはゾーンに入って会話文を作ることが出来た。
そのうちに、文章の途中で妹が合いの手を入れて来ると、それも会話文の一部として認識し、次の受け答えの文章が浮かんでくるのである。
妹はその会話文もタイプしてくれた。
それを後で読み返すと、臨場感に溢れた丁寧な言葉の会話文になっていた。
「ありがとう!
これでひょっとしたらハイソな連中との会話にも苦労しなくなるかもな」
「あの…… お姉さん」
「なんだい?」
「ひとつだけ気をつけてくださいね」
「何を?」
「お姉さん、この会話文会話のときに、少し目の焦点が合わなくなっているんです。
だから知らない人が見たら少しだけブキミかも……」
「あはははは、じゃあ気をつけてみるよ」
桂華と妹は、それからも会話文会話の練習を続けた。
おかげで桂華は瑞祥本家でのハイソな会話にも、あまり気後れしないようになっていったのである……
(つづく)




