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【初代地球王】  作者: 池上雅
第一章 【青春篇】
29/214

*** 28 裂帛の気合 ***


 桂華の瑞祥本家訪問当日。


 レックスさんの運転で龍一所長と桂華は瑞祥本家にやってきた。

 まだ予定の時間までには間があったが、けっこう早めに着いてしまっている。

 御隠居様と龍一所長の父の善太郎と、母喜久子と美津江は大広間の縁側でお茶を飲んでいた。


 龍一所長がクルマのドアを開けると、清楚なワンピースに身を包んだ桂華がガチガチに緊張して降り立つ。

 もちろんアロさんたち桂華親衛隊が二時間もかけて選んでくれたワンピース姿である。

 だが、運悪く、そのときちょうど御隠居様の愛犬である力丸が散歩に行くところだったのである。


 力丸はデカい。体高は優に一メートルを超える。

 体重も八十キロはあるであろうグレート・デーンである。

 御隠居様と龍一以外にはほとんど懐かない誇り高い犬だった。


 万が一にも次期当主が連れて来るお嬢さんを怖がらせるわけにはいかないと、若い衆がその間散歩に連れていく手筈だったのである。


 龍一の姿を認めた力丸は、嬉しさのあまり若い衆を引きずりながら一行に近づいてきた。

 可哀想に、若い衆は力丸に引きずり倒されて横倒しになりながらも必死で耐えていたが、庭の石に頭を打ちつけて流血し、遂に力尽きて手に握ったリードを離してしまった。  

 そして力丸は途中で桂華に気がつき、桂華に向かって方向を変えたのである。



 その場の全員が凍りついた。

 喜久子は声にならない悲鳴を上げた。


 だが…… 

 妙に足幅を広くした桂華は力丸に正対して仁王立ちになったのだ。

 皆の眼には可哀想にお嬢さんが立ち尽くしているように見えた。

 しかも桂華はその場にしゃがみ込んだのである。

 さらに誰もがお嬢さんが恐怖に気を失って倒れ込んだものと思った。


 だが桂華はしゃがんで大きな犬と同じ目の高さになり、その手を前に出して手のひらを上に向けたのである。

 桂華と至近距離で急停止する力丸。


 慌てて桂華を助けようと近づいた龍一の眼には、しゃがんだ桂華のワンピースの間から、可愛らしいわんちゃんが大きくプリントされたパンツが見えた。

 それはどう見てもパンティやショーツなどと呼ぶべきものではなく、タダのパンツである。

 それも小学生並みのパンツである。しかも低学年向けである。


 桂華の服装を上から下まで整えたアロさんたちも、パンツにまでは気が回らなかったらしい。



 桂華は黙って手のひらをゆっくりと上に向けたり下に向けたりを繰り返している。

 しばらくすると、驚いたことに力丸が頭を下げて桂華の手をぺろぺろと舐め始めた。

 そして桂華は微笑みながら力丸に近づき、「よーしよし」と言いながらその頭をぐりぐりと撫でたのである。

 力丸は「くぅん」と鳴いたまま大人しく撫でられていた。


 その場の全員が硬直していた。

 こんな力丸は見たことも無い。

 その静寂を破ったのは「わたしは桂華。よろしくな。また後で遊ぼうな」という桂華の声だった……



 ようやく硬直が解けた一行は、まだ蒼ざめた顔をしたまま大広間に座った。

 まず龍一が桂華を紹介して挨拶を交わす。

 その後は歓談が始まった。


 桂華は皆に言い含められた通り口数が少ない。

 所長の父である現本家当主の瑞祥善太郎は、それはそれは美しい本家嫁候補を見てずっとにこにこと喜んでいた。

 重ねて言うが、桂華は黙って座ってさえいれば驚くほどの美人である。


 唯一喜太郎御隠居様のみが難しい顔をして、「本家の嫁たるもの」とかぶつぶつ呟いていたが、龍一所長から、桂華があの異常現象研究所の広報誌の編集長だと聞くと、態度が一変した。


「あ、あの広報誌の編集長なのか!」 


「はい」


「な、中の文章も書いたのか!」 


「はい。インタビュー記事や私の書いたものを除いて、本文はほとんど彼女が書きました」


「ふーむ。そうか……」


「それがどうかなされましたか、御隠居様」 


「文章というものはの、それを書いたひとの心を忠実に反映するものなのじゃ。

 嘘や虚飾にまみれた人間は嘘や虚飾にまみれた文章を書き、真摯な人間は真摯な文章を書くものなのじゃ。

 読むひとが読めばすぐわかる。


 そして、本当にひとを感動させられる文章を書ける人間は、本当にひとを感動させられる人間だけなのじゃ。


 わしはあの広報誌を読んで驚くべき感動を味あわせてもらった。

 書かれている内容もさることながら、その文章が実に素晴らしかった。

 真摯で温かくて、退魔衆だけでなく他人様やときには霊にまでの愛がふんだんに含まれておった。


 読むだけで心が暖かくなったもんじゃ。

 心が洗われるようじゃった。

 最初にもらった広報誌が、何度も読み返したせいでぼろぼろになってしまったほどじゃ。

 嫌なことがあった日は、寝る前にあれを読んで心を温めてから寝たほどじゃ。

 あれを書いた御仁に一度お会いさせていただいて、親しくお話をさせていただきたいと思っておったほどなのじゃ。


 それがこちらのお嬢さんとは…… 

 これほど若くしてあれほどまでの文章が書けるとは……」 


「こちらのお嬢さんを気に入っていただけましたでしょうか、御隠居様」 


「ふん。お前なんぞには、まったくもってもったいないわい」

 

 御隠居様は孫に嫉妬したらしい。


 それを聞いていた喜久子は安心して喜んだ。

 少し離れて座っていた美津江は少し涙ぐんで喜んでいた。

 善太郎もやっぱりにこにこと喜んでいた……



 しばらくすると、龍一は早めに面談を切り上げようとした。

 桂華がまた何か口走って皆を驚かせる前に早々に退散しようとしたのである。


 だが……

 桂華たちが丁重に挨拶をした後、クルマの方に向かい始めたのを見て、力丸が立ち上がった。

 すでにそのリードは広い運動スペースの隅にある柱に結び付けられていたので、みんな安心していたのだ。


 力丸が素晴らしいスピードで力強くダッシュした。

 その強力な力で、首輪とリードを繋ぐ金具が一瞬で引きちぎられる。

 そうして力丸はそのままのスピードで桂華に飛びかかって行ったのである。


 力丸は、「うぉぅうぉぅ、うぉぉぉぅ、うぉー」と悲しそうに鳴きながら桂華に突進して行く。

 もしも犬語を解する者がいたとしたら、力丸が、

「桂華さぁ~ん! 行っちゃあヤだぁ~っ! さっき後で遊ぼうって言ってくれたじゃあないかぁ~っ!」と叫んでいるのがわかったことだろう。


 だが誰にもそんなことは分からなかったのだ。

 いや桂華だけはわかっていたかもしれない。


 力丸はそのままのスピードで桂華に飛びかかっていき、桂華の直前でジャンプした。

 誰がどう見ても細身の桂華よりも力丸の方が遥かに重い。

 そのまま力丸が桂華を押し倒せば桂華も無事では済まないだろう。

 ヘタをすれば、あの若い衆のように地面の石に頭をぶつけて大ケガをしてしまうかもしれない。

 また喜久子が声にならない悲鳴を上げた。


 だが桂華は不敵に微笑むと、パンプスを脱ぎ捨て、自らそのまま後ろに倒れ込みながら、力丸のお腹に優しく足の裏を当てた。


 そうして、「とおぉぉーっ!」という裂帛の気合とともに、そのまま力丸を会心の巴投げで斜め後ろに放り投げたのである。


 全員の目に筋肉質の桂華のふとももと、可愛らしいわんちゃんパンツが見えた。

 

 衝撃のあまり周囲がスローモーションのように見える一行には、空中で腹を上に向けたまま体を丸めて、呆然としながら飛んで行く力丸の様子も見えた。


 だが、もちろんさすがは力丸で、空中で体を反転させると、そのまま無事に足から着地する。

 そうして彼はすぐにその場で腹とあごを地面につけて伏せの姿勢になり、桂華の方を見て「くぅん」と子犬のように鳴いたのである。


 桂華は仁王立ちになって腕を組んだまま、不敵な笑みを浮かべて力丸を見ていたが、すぐに力丸に近づくとしゃがんで頭を撫でようとした。


 だが力丸は自ら腹を上に向けて寝そべり、前足を曲げて、後ろ足を伸ばしたのである。

 おなじみの犬の完全服従のポーズである。


 龍一はさらに硬直した。

 彼でさえ力丸のこんなポーズは見たことが無かったのだ。


 桂華は、なおも「くぅんくぅん」と鳴き続ける力丸の晒されたお腹を優しく撫でながら言った。


「また来るからさ。そのときはもっと一緒に遊ぼうな」


 力丸はひときわ大きく「くぅん」と鳴いた。


 桂華はそのまま立ち上がり、大硬直したまま口もきけない瑞祥本家の面々に向かって頭を下げ、「お見苦しいモノをお見せしてすみませんでした」と言ってワンピースの裾を直した。

 そうしてまたペコリと頭を下げるとクルマに乗りこんで行ったのである。


 そのクルマが見えなくなるまで見送っていた喜久子と美津江は、顔を見合わせてにんまりした。


 二人とも、本家の嫁に迫り来るうるさ型の親戚のおばさん軍団を、「とおーっ!」「とおーっ!」と片っぱしから投げ飛ばし、全員にお腹を上にした服従のポーズを取らせ、中央で腕を組んで仁王立ちになる桂華の姿を想像していたからである。


 二人はついでに、おなじポーズを取らされた本家次期当主の姿を想像してくすくす笑った。


 御隠居様は、桂華が去った方角をいつまでも見つめている力丸に近づいていき、呆れたように言ったそうである。


「お前ほどの犬が、一見で家来になりおったか……」と。

 

 力丸は、「わふん」と応えて口の両脇から歯を見せた。

 それはまるで嬉しそうに微笑んでいるように見えたそうである……







(つづく)


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