*** 22 被害妄想 ***
敷地内を警備員とともに巡回している警備犬たちは、しばしばアロさんや奈緒からおやつを貰っているため、彼女たちに対する忠誠心は絶大だ。
光輝もいちおう警備対象として警備犬たちの忠誠心はもらってはいたが、犬たちの光輝への尻尾の振り方はおざなりである。
アロさんや奈緒ちゃんに対するちぎれるような振り方とは明らかに違う。
光輝は犬たちにも相手にされずに、さらに落ち込んだ……
その警備犬のうちの一頭が高齢の為引退することになり、奈緒ちゃんやアロさんにせがまれて、光輝とレックスさんはその犬を番犬として飼うことになった。
すばらしく訓練されているその元警備犬にはリードなど必要無かった。
光輝たちの邸の前にデンと座って邸をガードし、散歩に行きたくなると自分で勝手に行っている。
早朝にはアロさんたちや光輝たちと一緒に散歩をしていたが、辺りを見回しながらの散歩である。
彼にとってそれは単なる散歩ではなく、任務の一環なのだろう。
その元警備犬は、冬でも暖房完備の巨大な二部屋の犬小屋の前で警備の仕事をしている。
退魔衆や研究所のスタッフたちにも可愛がられていた。
後輩の現役警備犬たちは、その先輩警備犬の近くを巡回するときには、尻尾を低く振って先輩への敬意を示している。
今日は警備犬たちの定期訓練の日である。
警備対象であるアロさんや奈緒ちゃんが車寄せのベンチに座って見守る中、警備犬たちがその近くに配置される。
そこへ全身をプロテクターで固めた警備会社の特別訓練員が、不審者を装って走って近づいて来た。
二頭の現役警備犬と、一頭の元警備犬は、素晴らしい早さでその不審者に向かって走り、飛びついた。
現役犬二頭がそれぞれ不審者の腕に勢いよく喰いつき、元警備犬が不審者の胴体に体当たりして倒し、そのまま馬乗りになって恐ろしい牙を見せながら唸る。
アロさんと奈緒ちゃんは、「速やぁ~い!」「すっごぉ~い!」「強よぉ~い!」などと言いながらパチパチと拍手をしている。
犬たちは不審者を装った特別訓練員を開放した後、アロさんと奈緒ちゃんのところに戻ってちぎれんばかりに尻尾を振っている。
任務は果たしましたっ! と言いたそうだ。
奈緒ちゃんたちは、かわるがわる犬たちを抱きしめて、「ありがとー」「これからもよろしくねー」などと言っている。
本当に忠誠心のある犬たちは、おやつをもらうよりも、こうして任務の後に抱きしめられてお礼を言ってもらえる方が遥かに嬉しいそうである。
犬たちは光輝はチラ見しただけだった……
(まあ、奈緒ちゃんの近くに行っても、ウーとか威嚇されないだけマシかな……
でもこの犬たちにうっかり奈緒ちゃんとエッチとかしてるとことか見られたら、僕間違いなくズタズタにされるな……)
そう思った光輝はまた少し落ち込んだ。
そんなある日、瑞祥異常現象研究所に重大事件の解決依頼が入って来た。
県内の幽霊が出るという噂のあった洋館の廃屋に、若い男女が入ったまま行方不明になったという。
翌日警察がその洋館内を調べてみると、その男女の着ていた服や履いていた靴は発見されたものの、中身はどこにもいない。
さっそく光輝と厳空以下退魔衆のNo.2からNo.5までの精鋭4人が派遣された。
洋館の敷地の門のところでまず光輝が座禅を組む。
光輝の周りでは、たまたま居合わせた警察番の週刊誌記者に、それに随行してきたカメラマン、龍一所長に依頼されたカメラクルー、そして大勢の警察官も見守っている。
退魔衆たちは洋館を取り囲んだ。
厳空の掛け声とともに、印行を組んで念行を唱えながら洋館に近づいていく退魔衆たち。
最初は何事も起こらなかったが、退魔衆の念行がひとつになりはじめると、洋館全体が黒い霧のようなものに包まれ始めた。
記者や警察官らが息を呑む。
カメラマンがシャッターを切りまくる。
カメラマンの傍らでは助手が必死になって次のカメラを用意している。
そのうちに洋館から出た黒い霧が渦を巻き始めた。
苦しそうに見えたり、一方では退魔衆を襲おうとしているようにも見えたりする。
光輝は退魔衆を応援しようと、いっそうの気合を込めて座禅を組み続けた。
もう光輝の頭から肩にかけては暖かいのを通り越して熱くなって来ている。
そのまま一進一退の攻防が三十分ほども続いただろうか。
退魔衆の顔も汗にまみれ、疲労の極に達しながらも声を合わせた念行が続く。
光輝が一層の気合を込めるとともに、ついに黒い霧が苦しそうに悶え始めた。
光輝がいる方角と反対側になびき始めると、なびくたびにどんどんとその体積を減らしてゆく。
さらに念行を強める退魔衆たち。
そして遂に黒い霧はすべて吹き払われた。
後に残ったのは先ほどまでの廃屋の割に整った姿とは違い、朽ち果てた洋館であった。
「おお!」
厳空が一声叫ぶと壊れかけたドアをぶち破って洋館に飛び込んだ。
厳真もそれに続く。
二人はまもなく意識を失った裸の若い男女をその腕に抱いて、洋館から飛び出してきた。
同時に崩れ落ちる洋館。
さすがは厳空と厳真である。間一髪であった。
二人は意識を失った裸の男女に自らの法依をかけてあげている。
命に別条はなさそうだ。
警察官からの連絡で、まもなく救急車も二台到着した。
光輝はほっとした。
そのまま退魔衆たちとハイタッチでもしようと彼らを振りかえった光輝はぎょっとする。
厳真以下、No.2からNo.5までの4人の退魔衆が呆然と立ちつくし、愕然とした顔で光輝を見つめているではないか。
よく見れば、彼らの視線は光輝ではなく、その後上方に向けられている。
まず厳真が、ついで他の三人が膝をついた。
そのまま平伏して何事か呟いている。
ときおり光輝の後上方を見てはまた一層小さく平伏している。
彼らの声は小さくて聞き取りにくかったものの、どうやら感謝の言葉らしかった。
光輝の隣に来た厳空が静かに言う。
「三尊殿のおかげで、とうとう彼らにも三尊殿の後上方の尊いお姿が見えるようになったようですな……
今の尊いお姿は、一層大きくはっきりと輝いておられる……」
光輝たち一行は警察に事情聴取と称して連れて行かれたが、調書を取る間もなくすぐに解放された。
龍一所長経由で、厳空に恩義を感じている例の与党大物の新田代議士に連絡が入り、新田が警察署に連絡を取って光輝たちを解放させたらしい。
聞けば新田代議士は、「若い男女の命を、それも自らの命を賭して救った英雄を犯人扱いするとは何事かあっ!」と警察署長に咆えたそうだ。
龍一所長の差し向けた車に乗った一行は、パトカーの先導のもと瑞巌寺に無事帰った。
やはり今回も、残念ながらカメラにもビデオにもあの黒い霧のようなものは写っていなかった。
雑誌記者もその記者が連れて来たカメラマンにもはっきり見ていたし、ファインダー越しにも見えていたはずなのに……
写っていたのは最初から朽ち果てた洋館だけだったのだ。
これでは記事にならないと、雑誌記者は諦めた。
洋館での退魔翌日の瑞巌寺本堂。
厳攪権大僧正の真向かいに座る光輝。
厳攪の後ろには、厳空と昨日一緒に戦った4人の退魔衆が座る。
その後ろには10人の後輩退魔衆が控えている。
厳攪が口を開いた。
「まだ尊いお姿は見えているかの」
厳真以下4人の退魔衆が口々に答える。
「昨日よりは微かではございますが、なんとか」
「昨日ははっきりと見えましたが、今は残念ながら微かに見えるのみにございます」
「拙僧も微かに見えるのみでございます」
「三つの光は見えますが、昨日その光の中に見えた尊いお姿は、今はほとんど見ることが出来ませぬ」
「そうかそうか。
昨日は三尊殿がそなたたちに力を貸して下さったからこそ、そのお姿がはっきり見えたのじゃろう。
厳空や」
「ははっ」
「お前にはどう見える」
「はっ。昨日の三尊殿の後上方の尊いお姿は、いままでに見たことの無いほど強く暖かく光り輝いていらっしゃいました。
今はいつもと同じお姿でいらっしゃいます」
「そうかそうか。厳真、厳勝、厳上、厳箭」
「はっ」「はっ」「ははっ」「はっ」
「お前たちはたった今より権僧正とする。
三尊殿のありがたい御威光の下、一層の修行に励め」
「ははぁっ!」
4人が声を揃えて平伏した。
「三尊殿」
「は、はい」
「この厳攪、三尊殿にこころより御礼申し上ぐる。これこのとおりじゃ」
厳攪は光輝に向かって見たことも無いほど低く平らかに平伏した。
厳攪の後ろにいた退魔衆全員も音を立てて光輝に平伏する。
新たに権僧正になった4人は皆泣いていた。
「そ、そそそ、そんな……」
一分ほども平伏していたであろうか。
厳攪は起き上ると光輝に微笑みかけた。
「はてさて、この御恩をいったいどうやってお返ししたものかのう……」
退魔衆たちの光輝への視線は、崇拝からもはや信仰に近いものに変わった。
彼らともっとお友達になりたかった光輝はちょっぴり残念だった。
ただ、みんなが泣くほど喜んでいるのでそんなことは言えない。
(まあ、これもみんな奈緒ちゃんが、とってもステキなエッチをさせてくれてるからだな……)
光輝はやっぱりそう思っている。
僧侶が権僧正になると、弟子を取ることが許されるようになる。
厳真以下の4名の退魔衆の下には、さっそく退魔衆見習いや瑞祥青年団の優秀者の中から選ばれた8名が弟子になった。僧侶と青年団の混合チームだ。
中には霊視能力者の女の子もいる。
彼らの仕事は、まずは師匠である権僧正退魔衆の傍を離れず、その仕事ぶりを見学して経験を積むことである。
まもなく瑞巌寺や異常現象研究所内では、彼ら権僧正退魔衆とその後ろにヒナのように続く8人の弟子たちの姿が頻繁に見られるようになった。
弟子たちは若くして権僧正になった師匠を心底崇拝している。
まして師匠の退魔の仕事ぶりを見た後では、その崇拝ぶりはさらに強くなった。
そのお師匠様が光輝と会った時には、自分たちが師匠に向ける以上の扱いで、師匠が光輝を崇拝している。
光輝とすれ違う時には、たとえ距離はあっても必ず足を止め、深く体を折って丁寧に合唱しながらお辞儀をしているのである。
まあ、彼らにしてみれば、若くしての大栄達はすべて光輝のおかげと思い込んでいるのだから当然であったろう。
死ぬまでに権僧正になれれば栄達のうち、と言われる中で全員二十代で権僧正になれたのである。
光輝の方は当惑してぺこぺこお辞儀を返している。
威厳が無いことこの上無い。
弟子軍団は、そうした師匠の光輝への尊崇ぶりがどうも面白くないようだ。
自然に光輝への視線も冷たいものになる。
彼らに冷たくされて、光輝はまた落ち込んだ。
退魔衆から大事にされればされるほど、それに反比例して美人スタッフたちからも、犬たちからも、弟子軍団からも冷ややかな扱いを受けるようになったと被害妄想を抱いている。
こればかりは厳攪もどうしようも無かっただろう……
(つづく)